Ⅳ
摩子に対する公園での僕の言動はすべて間違っていた。あらゆる言動そのすべてにおいてさ。僕は摩子の思想があまりに突飛すぎて謹厳実直な感情を殺され、傍若無人な理性のしもべに成り下がっていた。思うに、僕らは両想いなのでは? 僕は摩子のことが好きだ。そして一方の摩子は僕のこの気持ちを補助輪という人類愛で抱きとめてくれようとしている。それはもう両想いと言っていい(うん!)。両想いの独身男女がセックスする、それの何がいけない? 宇座あいも言っていたけど、摩子はチェリーボーイハンターとして世界を巡礼して痛い目を見ても後悔なんてしないと思う。そうなることも彼女は当然覚悟の上なんだ。摩子は自身が通過儀礼的な役割に――彼女の言葉を借りればチェリーボーイの補助輪としての役割に生き甲斐を見出だそうとしている。そんな自己犠牲の鑑のような女性を(彼女の夢を!)僕は応援したい、補助輪の補助輪になりたいっていうか。摩子を応援することが僕の彼女に対する愛なんだ。摩子が世界中のチェリーボーイたちと行為に及んでも僕は彼女を愛し続ける。自己犠牲を払う者の陰にはその自己犠牲者の犠牲になる者が必ずいるものなのだ。どうだろう? そんな愛の形があってもいいのでは?
と僕は家庭用綱渡り器具の上でそう思ったんだ。純粋な感情的思考によって得たその答えは、もちろん僕の首を大きく縦に振らせた。と同時に、北斗、宇座あい、毒太朗の存在は僕の首を激しく横に振らせた。「チェリーボーイハンターの彼女を愛してやりな」といった真に愛のある意見が一切出てこなかったからね。
でね、僕はこう叫んだのさ。家庭用綱渡り器具から落っこちたときに。
「こんな綱渡りはできない!」
「綱渡りを諦めてはならない人生か、それとも綱渡りを諦めなければならない人生か」姉が言った。「人間はそのどちらかを選択しなければならない。亜男、お前は後者を諦めろ」
「場合によっては」姫宮さんが言った。「転倒して頭を打って人生そのものを諦めることになりますね」
「もう一回」と利亜夢が言った。それからワンスモアとでも言うように「ワン!」とチャッキーが一度だけ吠えた。
僕はVRゴーグルで「平坦な道の映像」を見せられながら家庭用綱渡り器具での綱渡りを余儀なくされていた。その家庭用綱渡り器具は床からの高さが三十センチくらい、端から端までの綱(というか素材も太さも自動車のシートベルトみたいなやつ)の長さは五メートルくらいあった。
どうして僕が朝からこのような綱渡りをやらされているのか、その理由は分からない。まったく分かんない。それは一キロのダイエットに成功したその数日後かならず三キロのリバウンドにも成功してしまう(ダイエットすればするほど太っていく。ダイエットなんてしちゃいけない!)ってことよりも、または感情だけで執筆すると感情をうまく表現できないってことよりも、あるいは〈現象〉の対義語が〈本質〉だってことより――いや、地に足がついてる正論は往々にして揚げ足を取ることができてしまうことより分かんないというか、そうじゃなければ人生の坂道を勢いよく転がり落ちていると「人生がうまく回っている」と錯覚してしまうことよりも分かんないと言えばいいのかなあ、んー、分かんないことが分かったがゆえに分かんなくなってしまった的なそんな類いのやつのそれより分かんないのは分かりきっているのだけれど……ともあれ「お前の銅像を建造したい。ハトの糞まみれになったお前を見たいから」という北斗の発言くらいそれはふざけていて、そして〈カツラをかぶった論理〉くらいそれはくだらないことだっていうのは言うまでもないことさ。ええと、つまり何が言いたいのかというとね、とつぜん利亜夢に叩き起こされて気づいたらアイマスクとイヤーマフがVRゴーグルに、そしてベッドが家庭用綱渡り器具にかわっていたんだ。
つづく
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