サード・クライアント ~クレプトマニア・プリンシプル

「アウトローカウンセラー砂場恍」(第3話)

Masahiro_Narita

小説

29,770文字

東京のある町で、毎晩のように飲んだ暮れているアウトロー砂場恍には、実は、有能な心理カウンセラーという昼間の顔があった。彼の元には、今日も訳ありの相談者が押し寄せる。いずれも、他の精神科医が匙を投げた重症の患者ばかりだ。しかし、砂場は彼一流の常識破りの荒療治で、相談者の心の呪縛を開放していく。

~デジャブ(既視感)~

 

「日本は、いい国です。

教育水準も高く、子供の向学心も高い。それに皆が先生に敬意をはらっている。」

 

その男は、ポツリとつぶやいた。

 

「それで、私はその昔、教師になることを志しました。

教育の現場で身体を張って、人を育てることを一生の職業にしようと思いました。」

 

”なんだ、このデジャブ(既視感)は?”

砂場は、ふと、首をかしげた。

 

「それから、一所懸命、私は子供のため、学校のため、地域のため、社会のため、

そして国のために頑張ってきました。教育を通じて、国づくりをしたかったからです。」

 

”うーん、この光景はどこかで見たことがあるぞ?でも、思い出せない”

砂場はクライアントの話を聞きながら、少し、イライラしてきた。

 

「私は通常の勤務はもとより、子供の生活指導やクラブの顧問などを務めて、

夜間の補導や、土日の練習まで生徒に付きっ切りで指導しました。」

 

”あれ?なんだったけ?このシーン。いや、ダメだ、どうしても思い出せない。

やばいなーっ。既視感は、統合失調症の発病の初期に多く現われる症状だぞ。”

 

砂場の耳には、だんだんとクライアントの言葉が入らなくなってきた。

焦れば焦るほど、過去に見た、この状況が思い出せないのだ。

 

しかし、そうした砂場の様子など、まるで目に入らないようかのに、初老男性である

クライアントのモノローグは、静かに淡々と続けられていた。

 

「そうやって、週末や夏休みも返上で働いてきたことが認められたおかげで、

私は市内の同世代の教諭の中でも、最年少で校長になることが出来ました。」

 

”いや、なんだっけかなーっ。なにか、こうアレなんだよな。この対話シーン。

こりゃ、マジでヤバイぞ。既視感は、側頭葉部分の脳出血や、側頭葉癲癇の

症状の一つでもあるらしいからな。俺の頭は、ヤバイかな?。

 

「しかし、そうして頑張ってきたせいで、私はいつしか、多くのストレスを抱えるように

なりました。今どきの子供と、今どきの若い教員、それに、今どきの親やPTAを

相手に、つねに校長先生として、愛想を振りまき、よく理解者であろうと努めました。」

 

”うーむ、何だっけかな?もう、ちょっとで思い出せそうなんだけどな。

ええっと、この暗い部屋で、黒い服を着たハゲ親父が一人で喋っているシーンって”

 

砂場は、必死で思い出そうとして、まるで相手を睨み付けるように腕組みをしながら、

クライアントの方をみつめた。その熱い視線で、クライアントと目が合った。

 

「その結果、ストレスは私の体の中に、次第にヘドロのように溜まり、私はとても居た

たまれなくなってきました。とても、苦しいのです。まるで胸が押しつぶされるように。」

 

そう言って、そのクライアントは、ポケットからヨレヨレのハンカチを取り出し、涙を

ぬぐい始めた。その様子を見た冴子が、そっとコーヒーを「どうぞ。」と、差し出す。

 

「ありがとうございます。」

 

そう言って、クライアントは、コーヒーに軽く口を付けて、気を取り直したようだった。

 

”あれ?冴子の行動までも、デジャブだよ。こりゃ、いよいよもって、俺も精神疾患

かなあ。やっぱり、酒の飲みすぎなのかなあ”

 

砂場は、いよいよ、不安が募ってきた。

思い当たる節は、吐いて捨てるほど、いや、掃いて捨てるほどあるのだ。

 

「朝はいつも通りに起きて、家の近くの散歩とラジオ体操をして、朝食をたべて

7時には学校へと向かいます。だいたい、学校に着くのは7時半過ぎです。」

 

”やべえよな、心理カウンセラーがアルコール依存症のせいで、統合失調症に

なっちまうってのはな。いくらなんでも、そりゃ、ヤベーよ。かっこ悪りーよ。”

 

砂場は、次第に背中や首筋から冷や汗が出てくるのを感じ始めていた。

昨晩の深酒も今頃になって、悔やまれた。

 

「それで、昼間は学校で一応、つつがなく校長先生としての職務を果たします。

生徒や若い教員たちに、威厳を持って接するように常に心掛けております。」

 

”わかったよ。いや、なんのシーンかはわからないけど、今の俺の生活が、酒の

飲みすぎだってことは、わかったから、もう、そんな目で俺を睨まないでくれ”

 

砂場は、クライアントの男性に、真剣な表情で見つめられると、心の中で

そう叫んでいた。

 

「しかし、そうやって、威厳を保てるのも夕方の18時過ぎ頃までが

限界です。それを過ぎると、ストレスが身体から溢れ出そうになります。」

 

”ええっと、なんだっけ?おのオヤジ、何の相談でうちに来たんだっけ?

あれ、ヤバイよな。クライアントの用事まで、俺は忘れているぞ。”

 

必死で思い出そうと、モジモジ、ソワソワする砂場を、隣で冴子が

怪訝そうに睨み付けている。

 

「それで、帰宅時間になると、すぐに学校を出て、駅へと向かいます。

若い教員たちは、私が生活指導の夜回りに行くと思っています。」

 

”若い教員?生活指導?ああ、思い出した。このクライアントは、

たしか、校長先生と言っていたな。”

 

「でも、先生のお宅は、電車に乗る必要はない筈ですよね。

それが、どうして、駅に向かうのですか?」

 

冴子がいい質問をしてくれた。

おかげで砂場は、黙って聞いていられる。

 

「はい、おっしゃるとおり、私の家から、職場の学校までは

徒歩で20分の距離です。でも、わざわざ、電車で3駅

向こうの街に行きます。それも、ほぼ、毎晩です。」

 

”ん?3駅向こうといえば、大きな繁華街のある街だな”

砂場の目に、プロ意識が戻ってきた。

 

「実は、今日、お伺いしたのは、その街での私の行動に

ついて、ご相談したかったからなんです?」

 

「その街で、何をなさっているのですか?」

 

ふたたび、冴子が聞いた。

どちらかといえば、好奇心からの質問のように思えた。

 

”知っているくせに!” 砂場は心の中で悪態をついた。

 

”だって、最初にカウンセリングの依頼の電話を受けたのは、

冴子、お前だったじゃないか?”

 

「はい、そこで私がしていることは、...ひ、非常に

申し上げにくいのですが...。」

 

クライアントの男性は、必死で汗をぬぐい始めた。

その様子を見ていると、砂場はまた、デジャブに囚われた。

 

「あのー、相談者の秘密の厳守というのは、約束して頂けますよね。」

 

校長先生が、砂場と冴子を交互に睨みつけるように言った。

 

「もちろんです。相談者の方のプライバシーは厳守します。」

 

冴子が背中を伸ばして、ピシャリと言った。

その横顔を見て、キレイだなと砂場はいつも思う。

 

校長先生は、眼に涙を溜めて、しばらく下を向いていた。

 

沈黙のうちに、静かに時間が過ぎていった。

 

”あー、この感じなんだよなー。

こうして、オッサンが暗い部屋の中で喋っている構図なんだよなー。”

 

砂場が再び、デジャブを思い出そうとした時、校長が口を開いた。

 

「絶対に、秘密ですよ。

特に、警察に言ったりはしないですよね。」

 

「大丈夫です。だって、”万引きは現行犯逮捕”が、原則じゃ

ないですか?」

 

そう言って、冴子が思わず、「あ、言っちゃった!」と、慌てて

口を押えた。

 

次の瞬間、校長が大きく目を見開いて、冴子をにらみつけた。

 

その姿はまさに、エライ校長がイタズラな女子生徒に大目玉を

喰らわす光景そのものだった。

 

「えへん!」

 

一つ咳払いをして、校長が話し始めた。

 

「では、あなたがたを信じてお話しましょう。

私が行なっている行為は、『万引き』です。」

 

これも、一種の職業病とでも言うのであろうか?

自らの窃盗罪を語るのにも、訓話のような口調である。

 

「あなたは、校長でありながら、3駅隣の街まで毎晩

出かけて、万引きをしているのですね。」

 

ここで始めて、砂場が口を開いた。

 

心の中で、この威厳を込めた口調に対する反発心が

沸き起こり、同時にサディスティックなイジメ願望が

鎌首をもたげてきた。

 

砂場の言葉を聞いて、校長の顔はまるで、たった今、

叱られた子供のようにみるみる掻き曇り、泣きそうな

顔になっていった。

 

「ええ、そうなんです。私、いままで、30年以上に

渡って、真面目に教師生活をしてきたのに、

この年になって、万引きが止まらないのです。」

 

「いわゆる、『窃盗癖(Kleptomania)」』ですね。

これは、明らかに精神疾患の症例です。」

 

砂場は、優しく諭すように言った。

相手の泣き顔を見ていると、すでにイジメ願望は

霧散していた。

 

「わ、私は、やっぱり、病気だったのですか。

そうだと、思ったんだ、自分でも病気なんだと。」

 

「どうして、自分で病気だと思ったのですか?」

 

完全に心理カウンセラーの表情に戻った砂場が

尋ねた。

 

「私は今年、59歳になります。

あと、少しで定年を迎える歳です。」

 

「はい。」

 

砂場がタイムリーな相槌を打って、会話を引き出す。

 

「従いまして、来年には退職金がもらえる立場ですし、

今でも、経済的には生活に困っているわけではありません。」

 

「そうでしょうね。」

 

「だから、物が欲しくて、万引きしているわけじゃないです。

取ったものも、ぜんぜん、必要でないものばかりです。」

 

「ふむふむ」

 

「でも、万引きが止まらないのです。

目の前にあるものを盗まずにおれなくなるのです。」

 

「なるほど。

では、その時の心理状態を詳しく教えてください。」

 

「まず、万引きに及ぶ前の緊張の高まりが心地よいのです。

 

品物を目の前にして、これは私のものではないと、思えば思うほど

万引きしたくなります。」

 

「据え膳食わねば...ってところですかね?」

 

砂場のさりげないツッコミに、冴子が横から睨みを入れる。

 

「万引きをするときのドキドキ感は、それが困難な状況であれば

あるほど、万引きした後の満足感が高いです。」

 

「ふむふむ、射幸心があおられるわけですな。」

 

「ええ、だから、逆に、小さなものなど、難易度の低いものについては

何も考えずに万引きしてしまいます。万引きしたことも忘れてしまうほどです。」

 

「それは、道端の花を摘んだり、フリーペーパーを持ち帰る感覚みたいなもの

ですか?」

 

「ええ、しかし、実際のそういったものは手に取らないんです。

あくまでも、盗ってはいけないものを盗らないと満足がありません。」

 

「まあ、病気というものは、そういうものですから...。」

 

ここで校長が「はーっ。」と、一つ、深いため息をついた。

 

「こちらに来る前に、心療内科や精神科医にも掛かったのですが、

この病気は治らないと言われてしまいました...。」

 

その言葉を聞いて、砂場の目が光った。

 

「治らないということはない。それは、医者の怠慢ですよ。

たしかに、薬物療法や認知行動療法では治りにくい精神疾患

ではありますが、それを治す専門の病院もあります。」

 

「はい、入院して、クレプトマニアクス・アノニマスという、同じ悩みや

病気を持つ人々の相互援助のグループに参加して治す方法も

あるのですが、今の私の生活や立場では、それも出来ません。」

 

校長の顔が、まただんだんと泣き顔になってきた。

 

「だから、こちらのクリニックに伺わせていただいたんです。

私には、もう、こちらしか、すがるところがないんです。」

 

校長の顔から涙と鼻水がダラダラと溢れはじめた。

 

「あと、1年で定年退職なのに、このままでは、近いうちに

窃盗で捕まって、私は懲戒免職となり、すべてを失います。」

 

両手で砂場の手を握り、すがりつくように切実に訴える。

砂場は、その手をみつめながら、黙って何かを考えている。

 

「お願いします。何でもします。先生、お願いします...。」

 

そう何度も言って、校長先生は帰って言った。

 

その後ろ姿を見送ったあと、砂場が一人で叫んだ。

 

「お、思い出した!

あの光景は、まさしく映画『ゴッドファーザー』のオープニングシーンだ。

そうだ、あの校長は、葬儀屋.のボナッセラ.に似てたんだ。そうだ、そうだ。.」

 

そう言って、小躍りして喜んでいる砂場を、冴子は冷ややかな呆れ顔で見つめていた。

 

 

~プチ犯罪心理学~

 

「ねえ、あの校長先生の万引き癖は、本当に治らないの?」

 

クライアントの篠田剛志がクリニックから帰っていった後、冴子が砂場に尋ねた。

 

自分の父親くらいの年齢の男性が、まるで子供のように泣きじゃくる姿を見て、

どうにかしてやりたいという想いに駆られたのだろう。

 

「無理だね。クレプトマニアの根本的な治療法は見つかっていない。」

 

砂場が突き放すように言った。

 

「数ある精神疾患のうち、これは本当に手に負えないんだ。

症状そのものが、不眠とか、自傷といった自己完結型ではなく、

他人の経済活動を阻害する犯罪行為そのものだからね。」

 

「この『万引き癖』の原因は何なの?」

 

「それも一概に言えない。

ただ、たとえば、過食症などの摂食障害を抱えた患者の多くは、

同時にこの『窃盗癖』を併発しているという報告もある。

つまり、ストレス性の精神疾患だとは推測出来るんだけどね。」

 

「”他人のモノを取ってはいけない”というモラルや教育の欠如なのかしら?」

 

「いや、そうとばかりもいえない。

現に、あの校長だって、教育者としては立派なタイプだろう。

むしろ、そういうモラルや社会のルールがあればこそ、成り立つ性癖なんだ。」

 

「モラルや社会のルールが必要って?」

 

「つまりだな、反社会的な行動だからこそ、やりたくなるんだよ。

いわゆる、”背徳の甘き香り”ってやつだな。」

 

「なんだか、お兄ちゃんがそういうと、もっと別の性癖みたいに聞こえる。

SMの趣味とか、アブノーマルな嗜好とか。」

 

「じゃあ、こういう喩えはどうだ。

”高校生が隠れて吸うタバコの味は、大学生がおおっぴらに吸うより

はるかに旨い”っていう理屈だよ。」

 

「まだ、そっちの方が、よっぽど判り易いわ。

お兄ちゃんの話は、いつもシモネタに近くなるから、キライ。」

 

冴子が笑いながら言った。

しかし、砂場は篠田が飲み残していったコーヒーのカップを見つめながら、

真剣に考えていた。

 

「あの校長が言ったように、モノが欲しくて盗んでいるわけじゃないから

始末に終えないんだよ。万引き行為そのものが目的だからね。」

 

「今ままで、必死で教育者として勤め上げてきて、大勢の教え子や

教員たちからも慕われている校長先生が、万引き癖を止められない

なんて...。しかも、定年や退職金の支給も目前なのに...。」

 

「うん、それは本人にとっても、深刻だろうな。

だが、この症状は、自分でもマイナスやデメリットが判っていても

止められないという理屈を超えたところにあるから難しいんだよ。」

 

「やっぱり、普通の病院では治せないの?」

 

「彼にも語った通り、薬やカウンセリングではなかなか、効果が出ない。

さっき、過食症との同時発症の話をしたろ?

そんな場合は、過食症を治すと、万引き癖も治ったそうだが。」

 

「あの先生には、過食症などの他の症状はなさそうね。」

 

「それだけに根が深く、かつ治療が難しいんだよ。

仮に警察に捕まって、反省させられても、翌日からまたしてしまう

ような病気なんだ。」

 

「そんな、警察に捕まったら、家族も悲しむでしょうに...。」

 

「その場合の対処法としては、万引きをして警察に捕まっても、道徳的非難をしないこと、

あくまでも、病気として扱うことが大切なんだ。」

 

「そうね、病気なんだしね。」

 

「でも、その一方で、病気を免罪符とはしないという、周囲や保護者の毅然とした

態度も必要なんだよ。特に、周囲が尻拭いをせず、本人に責任を取らせること。

具体的には、露見した万引、盗癖については本人に弁償させ、謝罪させることがね。」

 

「そこまでは、普通の万引きの犯人への扱いと同じだわ。」

 

「たしかに、モラルの欠如といえば、そうかもしれない。

普通の人が、持っているレベルより、すごく低いレベルという意味でね。

でも、誰しもそういう部分は、少なからず持っているもんだけどね。」

 

「えっ、たとえば、どんな?」

 

「日常のささいなことだよ。

遅刻してはいけないと思っても、毎日、5分だけ遅刻してくるとか、

痩せなきゃと判っていても、つい、食べてしまうとか...だね。」

 

「うん、それはわかる気がする。

毎日、5分遅刻する人って、きっちり、その時間に来るんだよね。

それって、もう5分早く、家を出れば解決することと思うんだけど。」

 

「理屈でいえば、そうなんだが、そうすることで、今の生活のリズムを

崩すよりも、5分遅刻して、上司に睨まれながらも、こそこそと

席に着く方が、その人にとっては、より快適なことなんだよ。」

 

「でも、それを許している周囲とは、それに甘えている本人にも

問題があるとおもうけどなあー。」

 

冴子が腕組みをしながら、目の前の砂場を叱るような顔でつぶやく。

砂場自身、自分の飲酒習慣を叱られているような気分になった。

 

「たとえば、その人が転職したりして、今よりも1時間早い始業の

職場に移ったら、最初の頃は緊張もあって、1時間以上も早い

時刻に出社するだろうけど...。」

 

「ええ、そうね。最初の頃は新しい環境には本当に緊張するから。」

 

2018年5月6日公開

作品集『「アウトローカウンセラー砂場恍」』第3話 (全4話)

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© 2018 Masahiro_Narita

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