会話が楽しいということを父は、私たち家族に対して許さなかった
コミュニケーションの不和が、人間関係の齟齬を生んだ
思考が楽しく光り輝くということを、母は自らに対しても許さなかった
思考の不自由が、世の常識で私たち兄弟を縛り付ける結果を生んだ
代わりに両親が選んだのは、暴力だった
私が思うに、愛は幻想の中にあるし、恋は実感の中にあると思う
依って、前者はマスターベーション解消出来るし
後者は肉欲や官能の実現によって、解消出来る
親が子供をペットにしたり、反面では厳しく縛りつけたりするのは
そこに恋であり、実感としての
官能があるからに、他ならない
吐口としての相手が去れば、彼ら彼女たちはまた別の恋する対象を見つけようとするだろう
私の兄は吐口としての私を見失うと、いつも混乱して人生を拗らせ
末路は放火事件で逮捕のち、精神病院行きである
つまりこれら未成熟者は、マスターベーション解消の不恰好を嫌がり、常に吐口としての対象を探している不愉快者なのである
人と楽しく会話したり、性交渉するというのは吐口としての相手へのリスペクトが無いと成り立たないため、それが出来ないというのは、人間的な傲慢さが原因だろう
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