アブラゼミの鳴き声に混じって漂う湿気と線香。
物心ついた私の、最初にある夏の記憶は兄の葬式だった。溺れた私を助けようとして兄は死んだ。
母によって家の中にあった兄の痕跡はすべて消され、話題にされることもなかった。家で線香をあげるどころか写真を残すこともなく、初めからないものとして日々を過ごしたが、命日には必ず母はあの川へ行き、手のひらほどの石を白い紙で包んで投げ入れるのだ。それは何なのか、問うてみたこともあったが母は答えることなく苦悶の表情で川面を眺めるだけであった。
今年の命日も母はあの川へ行こうとしていたので私も一緒に向かった。というのも……この少し前、母の様子が妙に泣いてばかりで一人で向かわせてはいけないと感じたし、なにより母はなぜ石を紙で包み川へ投げ入れるのか気になったのだ。
あの紙に一体どんな理由があるのか……興味本位だ。
もしかしたら、あの紙には兄の名前が書かれているのかもしれないとも考えた。冥途の兄へ宛てた手紙なのではないか、と。
母は相変わらず手ごろな大きさの石を丁寧に紙で包み川へ投げ入れた。穏やかな流れではあるが、あの日兄を飲み込んだのと同じように水柱を上げ石を飲み込んだ。
しばらく母はそれを眺めると踵を返し「川に入らないでよ」と言い残して祖父母宅へ戻った。
母を見届けると私はすぐに服と靴を脱ぎ捨て下着だけになり、川の中に入った。真夏だというのに、妙に冷たく呼吸が乱れそうになる。
落ちたであろう場所を潜ってあの石を探す。それは淵の底で白く浮かび上がるように落ちていた。一度呼吸を整えてから潜り、石を拾い上げる。思っていたより流れが早く、水面に出た時にはだいぶ流されていた。
岸へあがった私は石を包んでいた紙が破れぬよう慎重に広げた。そこにはにじんだ母の字で「ニイチャン ゴメンネ」とだけあったのだ。期待していたようなことが書かれていなくて私はほんの少し落胆すると同時に、母が何年も兄へ謝り続けていることに罪悪感を感じた。
私のせいで兄は死に、その事実が母を未だ苦しめ続けている。
私は紙を元のように石を包むと、川へ投げ捨てた。
とぷん、と音が広がりそして蝉の声に消されていくのであった。
翌年の初夏。母は突然倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまった。
悲しみを感じている暇もないまま忙しなく葬儀が終わり、静かになった家に私だけが残された。どうして、と考えるよりも先に母がいない来年の命日にあの儀式をするものがいなくなってしまったことが頭を過った。私がやるべきだろう……あの紙を見てしまったことは必然的に私を呪ったのだ。恐らく、兄も母も私を責めることなんてないだろうが。
命日の日。私は紙を握りしめあの川へ向かった。
そして母がやっていたのと同じように手頃な石を見つけそれを紙で包む。
包む前にもう一度紙を見た。紙には我ながら丁寧とは言えない字で「母さん、ゴメンネ」と書いた。ポツと紙に雫が落ちる。
石を丁寧に包み私は思いっきり高く投げた。
それは灰色の空でほんのり光ると、川底へ消えた。
サマ 投稿者 | 2025-08-16 05:22
淡々としたさりげない文体で読みやすかったです。最後「川底に消えた」がなくても良かったかも、と僭越ながら感じました。それほどに投げ上げた石が純粋に思えました。でもそれだと「しずまないいし」になってしまいますね…
一色孟朗 投稿者 | 2025-08-16 08:02
お褒めの言葉有難うございます。
最後は描写すべきか悩んで結局あのように。
締めは難しいですね……
「しずまないいし」となってしまっても主人公の一つの意思や未来の可能性としていいかも、と気付かされました