直子さんへ
直子さん、お久しぶりです。久しぶりのお手紙です。
お元気にしてらっしゃいますか。
最後に直子さんに会ったのはいつでしたっけ。そうそう、あれは、大阪での待ち合わせでしたね。あの日、あなたはタイトなミニスカートにブラウス姿、そしてその手首にはカフスがつけられていた。あれはまるでアニメの「少女革命ウテナ」に出てくる、主人公ウテナのような出で立ちだったな、って今でも思います。あの時は言わなかったけれど。
わたし達は、お昼を食べに適当な喫茶店に入りました。もちろん、喫煙できるお店です。
そうして、お互いの近況や、最近考えてることなんかの話に花を咲かせました。懐かしいなあ。直子さん、こう話してた。覚えてる?
「最近ね、わたし気付いたの。今までは、普通に働いてるサラリーマンとか、OL、専業主婦なんかしてる人たちのことツマラナイ人間だって、ほんとは見下してた。哲学する人間や、芸術家こそが本当の意味で世界を生きてるんだって思ってた。でも、それが間違いだってようやく気付けたの。サラリーマンとか、OLとか、主婦とか、平凡に生きてると思う人たちだって、本当に生きてるんだって、哲学家や芸術家と何も変わらないって、わかったのよ。」
わたしはそれを聞きながら、そうなんだ、って頷いてました。でも今だから正直に言うと、心の中では、当然のことじゃないか、とほんとは少し呆れてた。
そんな自分の気持ちも、あのとき声に出せなかったことに、後々ジワジワと苦しめられたりね。今だから言えます。
あの日二人で入ったアメ村の古着屋にて、直子さんが購入したこげ茶のコート、活躍してますか?
わたしの買ったキミドリの台形ミニは結局着る機会がなくて(気に入っていたのに体重が増えてウエストが入らなくなっちゃったのが真実です)、布ゴミの日に捨ててしまいました。
あの日からどれくらい経ったか、すぐには思い出せない。時間は、いつも、わたしの知らない間に、わたしを飛び越していくものです。
先日離婚をいたしました。
直子さんには、淳くんと二人で末永くお幸せにねってあれだけ応援してもらってたのに、何だか申しわけない気持ちでいっぱいです。
わたしとしても、心から望んで離婚したわけではありません。でも、結婚も、どうやら向いてはいなかったみたいで。
子どももとうとう持たなかったし、何にしろ毎年一度は精神科に入院して家を何ヶ月も空けてるし、その上でたまたまSNS上で出会ったハタチの男の子を好きになってしまったりして。
今から思うと無茶苦茶な結婚生活だったと思います。淳くんも、言ってた、「こんなジェット・コースターみたいな毎日は嫌だ。僕は普通の生活を望んでる」ってね。普通の生活。
最後も普通ではなかったです。わたしは、妊活だから頑張っておいでと励まされ、半ば無理に精神科に入院することになりました。彼は笑顔で見送ってくれました、寂しがり屋のさよ子に、病院に向かって毎日ワンちゃんを30匹も飛ばすよって冗談つきで!
その一週間後、彼からの手紙が看護師のもとに届きました。手紙には、「僕はさよ子と離婚することに決めました」と書かれてありました。理由に、さよ子は実は境界性人格障害という病気であって、僕は今までマインド・コントロールされていたことに気付いたからとありました。
後々わかったことですが、淳くんは、自称境界性人格障害に詳しい行政書士の、アベ・マリとかいう何とも胡散臭い女にコンサル料を支払って、今回の離婚に至るまでの細かな指南を受けたらしいのです。
わたしはそんな病気ではない。それは直子さんなら強く納得してくれるところだと思っています。
会ったことのない人間に、どうしてわたしの診断を下すことなどできるでしょうか。どうしてわたしの人生の行く先を方向変えられなければならないのですか。憤りしかありません。アベ・マリなんて。これは断じて小説ではないです。
結局、それ以降二人では一度も会うことなく、今回の幕引きとなりました。
直子さんのことを思い出します。もうずっと忘れたつもりでいたけど、ちょこちょこ思い出します。
結婚式の日にも、手紙を読んでもらった。あなたはあの日も、こう言いましたね、「わたしは実は弱い、さよ子は強い」って。
あなたは事あるごとにそう言ってくれました。
でもどうなんだろう。もうわからなくなってきてしまった。あなたがそう言ってくれるから、わたしはわたしを裏切らん、即ち、わたしはあなたを裏切らん。なんて、公言してきました(!)。でも、それもわからなくなってきた。弱気にもなります。ただ阿呆なだけではないかと。そうだ、アトリエでもよく言われていた。お前ほどあたまの悪い人間はみたことがない、と。やっぱりそうなのでしょうか。やはりそのことが今回の結末足らしめたのでしょうか。
直子さん、こんなの本当は直接話すべき内容ですよね。でも、今この手紙にて直子さんに謝ることをお許しください。
わたし、直子さんが応援してくれたみたいに、幸せを結実させることはできなかった。
直子さん、ごめんね。
直接会って話をして、いまだに病気でてんやわんやなことも、16歳下の子に恋した話も、今回の離婚のことだって、いっぱい話したかった。今は直子さんが教えてくれた破滅派で、漫画じゃなくて小説書いてるよってことも。
でもそれももうできません。
2014年の2月14日、バレンタイン・デイの雪の夜に、あなたは自殺してしまったからです。
あれから、10年が経ちます。
わたしは、よく人が言うように、死んでも人は生きてるんだよって思いません。死んだらいなくなるんです。人間は、死んだらいなくなります。そのことを実感として思うし、それだけがひかりだって思っています。
あなたの亡き骸を、最後にみたときだって、まるであなたはそこに居ませんでした。まるでそれは空の人形でした。
和田直子さんはもうこの世界にはいない。
何で死んでしまったかなんて、愚問ですよね。あのとき、直子さん夢枕に立ってその理由を話しましたね。わたしも、死ぬときって、そんなもんだと思います。
残念なことは一つあります。
直子さんはかつて、わたしの若かった手の甲を撫でながら、「わたしたち、歳を取って、皺くちゃの手になっても、こうやってお茶を飲んで馬鹿な話をしていようね」って言ってくれた、それが永遠に叶えられない約束になってしまった、そのことです。
直子さんの年齢はとうにとび超えました。それでもわたしの生は続くようです。
カフス、カッコいい、ウテナの王子様みたいって褒めてあげられたらよかった。ごめんね。
でもやっぱり、一つだけ。
わたしはわたしを裏切らん。
即ち、わたしはあなたを裏切らん。
わたしからの、約束です。
さようなら、直子さん。
さよ子
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