伊藤エイミ

小説

1,454文字

「パチンコとシーシャ?もう、お前が死ねば良かったのに。」5

【10】
自宅アパートに送り届けられた私は同乗していた警察官にお礼を伝えそそくさと部屋に入ろうとした。
呼び止められ、振り向くと、アパートの様子がおかしい事に気が付いた。
ゴミ捨て場の前にPOLICEと書かれた原付バイクが4台駐まっていた。向かいの空き家の門戸の前には別のパトカーも駐まっていた。複数人の警察官が無線に話しかけていた。
大事だ、と思った。面倒だとも。

男の通報は内部で事件性ありとの判断をされたらしかった。それはそれは沢山の人が私を心配し夜通し探し回ったのだと教えられた。

アパート横から男と別の警察官が出てきた。こちらに来ると思ったら、更に離れた場所に移動した。男は怒った顔をしていた。

私は話すことは何も無いと思ったので、報告書が必要なら全て男の話した通りで良いと言った。
2人分作らねばいけないと言われたが、男の証言と違う点があれば話が長引いてしまうと思い、ならば夫と一緒に話すと言った。
別々に話を聞く決まりがあるのだと言われ、諦めて何が知りたいのかを聞いた。氏名、生年月日、住所を教え、後は聞かれた事に答えた。まず何故家出をしたのかだった。夫がシーシャバーに行ったからだと簡潔に応えた。髪の白い警察官はポカンとした。
シーシャの説明をしようとしたら、40代くらいの警察官と交代になった。彼は先程男と一緒に出てきた警察官だった。同じ事を聞かれ同じ事を答えるだけだったが、彼は事情を知っていた。

優しい人だった。いつのまにか彼は彼の奥さんが死産した過去を語り出し顔を真っ赤にしていた。死産宣告の後病院に行き医者に土下座で頼んだらしい。どうか助けてくれと。私はそれをとても可哀想に思い、相槌を打った。何も言えなかった。すると警察官はこう言った。あなたのつらさがわかる、と。
嬉しかった。でも、違う。他の誰でもない、私は私のパートナーにわかって欲しかった。このこだわりが、他人に迷惑をかけたとしても、やっぱり私はパートナーと共有したかった。
万年めでたく、人の痛みに鈍感なあの男に優しくされたかった。食事の予定をすっぽかし、医者に土下座しに行ってくれたら、こんな事にはならなかったのにと思った。悔しかった。

その後何を話したかは覚えていないが気付いたら玄関の前に一人残されていた。
男は白髪の警察官とまだ話していた。優しい警察官もそこにいた。
空はとっくに明るかったが、長い夜の終わりを感じた。

しばらく放置されたので、アパート前の事だしと自己判断して家に入ろうとした。それをうさぎのような婦警に気付かれた。足早に近付いて来ると早朝と思えぬキリリとした表情で私に手首を見せるよう言ってきた。白髪の警察官がすっ飛んできて彼女を叱った。
通報の内容に矛盾しない行動であり業務上必要な確認だと思ったのだが、謝罪され、正式に解放された。
あれは彼女の個人的な好奇心だったのだろうか。
興味が湧いたが、確認するには疲れすぎていた。

部屋に入ると風呂にも入らずベッドに潜り込んだ。うとうとしかけたところで男の気配を感じたが無視した。

寝入る前、誰かの身代わりになりたいと願った事を思い出した。あれはまだ有効だろうか。死にたい気持ちと引き換えに誰かの命を救えるだろうか。夢の中くらいそうなったらいい。ああ、誰かの叫び声が聞こえた気がする。悲鳴はいい。護られる側に与えられた最上のSOSだ。それが私に向けられるまで、あの歩道橋で待とう。叫び損なった私なら、上手く受け止められる筈だ。さようなら、おやすみなさい。もう二度と、目覚めることはないと信じて。

2023年10月9日公開

© 2023 伊藤エイミ

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