【7】
大通りをひたすら真っ直ぐ進んでいると、昨日手術をした病院に寄れるルートを思い付いた。
病理検査の為に保管されているらしい私の胎児が、まだそこに居るかもしれなかった。
鼻がつんとして、涙が溢れそうになった。
思わず立ち止まりかけた足を前に進めた。小さき者達は、きっと私の心を癒すだろう。墓と瓶詰めだとしても、近付けば感じるものがあるはずだ。帰るつもりは無かった。
到着してまず病院を一周した。
胸の中で来たよと呟いてみた。何となくそうすべきだと思っただけだった。
その瞬間、突如襲ってきた絶望感に膝を折られた。もうこれ以上歩けないと思った。昨日までの自分には戻れないだろう。こんな痛みを抱えてこの先一生、生きていかねばならないなんて。
流産は、呪いだ。
付き纏い囁きかける。
忘れるな、と。
【8】
空が白む前、アスファルトに倒れた気がしたが、犬に起こされた時にはベンチにいた。
住民に通報されたのだと思い、飛び起きた。終電が、とか充電が、とか言い訳してにやにやと立ち去ろうとしたら警察官にフルネームを呼ばれた。通報したのはパートナーだった。妻が自殺すると。お前が死ね。
【9】
昨夜の電話の内容は、実は良く覚えていない。はっきりしているのは帰る気があったのは本当だとしきりに主張する声を遮って電話を切った事だけだ。
その後慌ててタクシーで帰ってきた男は家に残された携帯と財布を見つけ、これ幸いとばかりに嬉々として警察に通報したはずだ。
術後の妻を放置し遊び呆けるのは夫の行動として適切ではない。それに気付いた男は私に示さねばいけなかった。
俺は一生懸命やったのだと。心配した。警察に通報しちゃうくらい取り乱した、正しい夫の姿。俺を見て。
そして男の演技は効いたのだ。警察に。
大人一人、一晩家出したくらいで警察が動くなんてよっぽどだ。
パトカーの中で初老の警察官に旦那さんが心配していますよと優しく咎められた。
警察犬は別の車に乗ったようだった。
あの大きな犬に触ってみたいと思っていたから、とても残念だった。毛に顔を埋め、匂いをかいでみたかった。冷えた指を温めてくれるのは、きっとあの犬だけだった。
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