肺にまたわからない何かが入ってきたので、咳をして出そうとしたがやめた。上空の黒銀色の広告が目に入ってきて、そちらの方に気をとられたからだった。
『視界良好! 視神経洗浄機! 従来品と比べてみましょう! こんなに老廃物の取れ方に差が!!』
……ああ、欲しいな、その従来品。家で使ってるやつは、それより古いタイプだからな……。どうせ新しい物と比較するだけの品なら、ボクにくれたっていいだろう。在庫処分引き受けるよ。
残り一つの使い捨てガスマスクを被って科学屋に寄ると、客引きの生首アインシュタインが子供たち相手に、ボクには全く解らない内容の講義をしていた。
金儲けの方法だったら喜んで聴くよ。
目当ての『月刊:小型EMドライブ創刊号』を手に取ると、店の玄関から絶叫が聞こえてきた。店内は一瞬ざわめいたが、万引き犯(と思われる奴)が防犯システムで死んだのだと分かるとすぐに静寂に戻った。ちらっと見ると、ぐずっとした『物体』が店員に片付けられていた。
……バカな奴だ。まあ、ニューロン保険には入ってるだろうけど。
レジに『月刊:小型EMドライブ創刊号』を持っていくと女性店員が、
「これ、めちゃくちゃ売れてんですよー。あたしも買っちゃいましたー」
と言ってきた。知らねぇよ。話しかけるな。
「今めっちゃCMやってますよねー。あれ好きなんですよー」
「ああ……いいですよね」
一応返事をすると、店員は眉毛の上のチビランプを赤く光らせた。
「いいですよねー!」
不覚にも、可愛いと思った。
科学屋を出てすぐ老廃物が溜まりだしたので、出来る限りの早歩きで■■駅南口に着くと、『讚世党』の選挙カーが来ていた。アホみたいなデカさのスピーカーで、非常にどうでもいい演説をしている。
「皆さんの遺伝子はッ! 皆さんだけのものです! 国家の為にあるんじゃないッ! その身体は、肉体はッ! 文明機器にすげ替えていいものじゃないんですッ! 生命はもっと尊重されるべきです! 私たちはテクノロジーに屈しません! こんな濁りきった大気も、一緒に変えていこうじゃありませんかッ! 青い空を子供たちに見せてあげましょう!」
ジジイ、ババアが何人か賛同して歓声をあげた。あんなの政党じゃなくて、悪徳宗教だって分かんないもんかね? 大体話の内容が……
「─瓜生さん-瓜生さん─」
高い周波数がボクを振り返らせた。それは、毎日ボクが頭に響かせて遊んでいる周波数だった。
「瓜生さん–どのくらいぶりですか──」
雲母くんのオシロスコープ仕様の眼が、無邪気にグラフを上下させている。
彼は、以前ボクが家庭教師のバイトをしていた際の生徒で、今は確か、14歳だったか。バイトを辞めてからも連絡をたまに取り合う仲だったが、最近はめっきり会っていなかった。まさか、こんな場所で逢うとは。
「-:瓜生さんと会えると思って無かったので-なんか嬉しいです─」
「ああ…ボクも嬉しいよ。最近どうだい? 学校は順調? 夏休みどっか行った?」
「**-学校は嫌な先生が1人いますけど─それ以外は楽しいです──そうだ-─夏休みにマタラ国脳館行きましたよ-─」
「へぇーそうなんだ! いいなぁ! 楽しかった?」
「*はい-─」
逆間接式ギア義足のモーターを高く鳴らして、雲母くんは着脱唇の口角を薄く上げた。大人っぽくなったと思ったが、インダクタネックから電流を少し漏らしてしまっているあたり、やはりまだ少年だ。彼のアキシャルを引っこ抜くイタズラをついつい考えてしまう。
ひとしきり話すと雲母くんは、
「*-あ─だいぶしゃべっちゃいましたけど-時間大丈夫ですか─-」
と心配そうに言った。言われてみれば、もう移動機が来るギリギリの時間だった。
「ああ、もう行かなきゃ……知らせてくれてありがとう」
「-いえ-ではまた──」
「……雲母くん、今度一緒に遊びに行かないか? 心保存館に」
「*え-いいんですか─-行きたいです-─」
顔がニヤついて戻らなくなった。必死でニヤニヤをニコニコに変えて、ボクは「じゃあ詳細は連絡するから、よろしくね! じゃあね!」と言いながら歩き出す。雲母くんは「-はい-楽しみにしてますから-─」とボクの姿が見えなくなるまで変換軸腕を振ってくれていた。
移動機の窓の外を何気なく眺めると、黒く焦げている『物体』が味物屋の店先に見えた。
よく見ると、それは雲母くんらしかった。
店員に運ばれていくその『雲母くん物体』を見ながらボクは、
「ああ……バカだな」
と呟いた。
万引きでもしたんだろう。
……しかし、そうなると、遊びの予定が消えてしまったわけか。残念だ。もう予約を取ってしまったのに。
予約をキャンセルしようと目を閉じたタイミングでメールを受信した。
雲母くんからだった。
驚いてメールを読むと、彼の予定が空いてる日のリストだった。
そこで脳を働かせてみると、自分の勘違いに気づいて、つい独り言を呟いてしまった。
「そうか。たしか雲母くんは以前クローンを作ったんだ。あの『物体』の雲母くんはそれか」
謎が解けた。まったく出来の悪いクローンだ。棄てたと聞いてたが、それが正解だったな。
移動機が振動を始めた。ボクの身体が崩壊する。その中でボクは、この勘違いの話を、今度雲母くんに聞かせようと考えていた。
きっと笑ってくれるだろう。
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