いってきまーす。
真っ白なパジャマを着てベッドに横たわっているあたしに挨拶をし玄関の扉を開ける。はたして眠っているのはなんといっても『あたし』である。『あたし』は1週間前から起きなくなりとうとう意識を失ったのだ。
起きあがったのはもうひとりのあたしの方だった。まさか自分が体験をするとは思ってもみなかったけれどどうやらこれは俗にいうところの『幽体離脱』らしい。
もっとも自分なので『幽体離脱』をしても会社にきちんといき仕事をこなし趣味であるボーリングを転がしたり身体だけの関係の男といとなみあったりもする。普通は透けるし、脚がなかったりするのでは? と考えるのは普通なのだけれどそうゆう幽霊めいたことなどは全くなくむしろ『幽体離脱』のあたしの方が素直だし機敏だし饒舌だし淫乱だし残業も喜んでするしで、最近、なっちゃんさ、なんか変わったね。などといわれる始末だ。
変わったも何もその実。あたしであって『あたし』ではない『あたし』だ。大なり小なりの異なることがあるはずだ。そのあたしは『幽霊』なのだから。
では。と考える。
では、あたしはもう、今死んでいるのだろうか。だったらどうして皆あたしが見えているのだろうか。
会社に向かう途中の坂道に必ずいるブチ猫はさすがだ。あたしを見つけるやいなや「シー」と威嚇をする。そうだ。それが普通なのだ。あたしは妙に納得をするもそういえば『幽体離脱』前にも威嚇されていたような気がしないでもなく肩をすくめてみせる。
仕事は主に経理事務でエクセルとにらめっこだ。朝9時から夕方5時ときどき残業。残業は嫌ではない。早く帰ってもすることもないので進んで残業をする。
「もう、上がっていいよ」
同じフロアーにいる課長の声で顔を上げると時計は午後8時を示している。
「よくがんばるね。他の社員は定時になるとそそくさと帰るのに」
そそくさと。部分で課長は顔をしかめる。課長は無駄にイケメンだ。けれど妻帯者である。
「あ、はあ」
パソコンの上部。リンゴのマークをクリックしシャットダウンする。この会社のパソコンはや社長の趣味で全部リンゴ社のものだ。
「お疲れさまです」
あたしは立ち上がりカバンを肩に掛ける。お疲れさんね。背後から課長の声がおおいかぶさった。
おもてに出るとあたりまえだけれどすっかり夜だった。歩いているとそこらじゅうから食べ物の匂いがする。お腹もきちんと空くのできちんとご飯も食べる。某チェーン店の牛丼の並と豚汁を買って帰る。10月の夜気は年間で一番気持ちのいい温度の夜気だと思う。
「ただいまー」
あたしは『あたし』に向かってただいまを発する。もちろん返事などはない。電気を灯し『あたし』の顔を確認する。綺麗な顔だ。とあたしはつくづく思う。こうなってみてあたしはとても綺麗なやつだったんだったと知る。だから男運が至極悪いんだ。顔が綺麗だけではなんの得もないことを改めて知った。だから仕事を進んでしているのもある。男はうんざり。
「ねー」
あたしは『あたし』に同意を求め牛丼の蓋をあけ黙々と食べだした。生身の身体のあたしはまるで痩せないしそのまま綺麗なままを保っているのが不思議だった。
眠るのは一緒に眠る。寝入りばなに一瞬だけあたしが『あたし』に戻る瞬間があってそのいちいちにおびえる。戻れるなら戻った方がいいはずなのに。どこかで戻りたくない『あたし』がいる。
「みゆ、みゆったらぁ。もう起きてよ!」
ん? うるさいなぁ。と思いつつ目をゆっくりと開くとなつきがあたしの身体を揺すぶっていた。
「え? なっちゃん? 起きたの?」
まつ毛が長くて陶器のような顔を見つめながらなつきの顔に触れる。
「起きたの? ってなによそれ。もう8時よ」
なつきは顔をしかめる。朝ごはん食べるでしょ? といいながら。
「う、うん。食べるよ。食パンは2枚ね」
「ラジャー」
あたしはあたしだった。
みゆは双子の姉だ。
「みゆー」
確認。あたしはみゆの名前を呼ぶ。みゆ。
「なあに? もう」
あたしね、とても長い夢を見ていたわ。おもしろい夢なの。あたしがみゆになるのよ。ん? みゆがあたしになったのかなぁ? あまりにもリアル過ぎて夢だったのかどうだかもよくままならなかった。
「ううん、なんでもないわ」
へんなの。みゆはそそくさと朝食の支度をしている。みゆになりたいっていつも思っていた。綺麗な顔の裏表のないみゆに。
あたしの顔の半分には痣がある。生まれつきの。どうしてみゆにはないのだろう。同じ双子なのに。
この世界が夢なのならいい。夢だと信じたい。毎朝毎朝くどいほどそう願っている。
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