ハーフ・キラー

平島 公治

小説

50,898文字

2018年、東京。ハーフが殺害される事件が2件、発生した。同一犯による連続殺人か否か?捜査は行き詰まりの様相を呈するが、日本人とフランス人のクォーターである女性刑事・加賀見ユリは卓越したカンと推理力により硬直状態を打開して捜査を動かしてゆく。3人目の殺害予告をめぐる警察と犯人との息詰まる攻防、そして衝撃の結末!(※これは実験的なシナリオ風小説です。仮想キャストの顔を思い浮かべながらお読み下さい。)

おもな登場人物と仮想キャスト

加賀見ユリ(28)/本田翼・・・警視庁刑事部捜査第一課の刑事。階級は巡査部長。

阿南雄一(45)/貴闘力忠茂・・・池袋中央署の刑事。かつて警視庁捜査一課で加賀見の上司。階級は警部補。

桑原省吾(29)/榎本時生・・・池袋中央署の刑事で阿南の部下。ユリに好意を持っている。階級は巡査部長。

仁科俊作(55)/伊原剛志・・・捜査第一課の部長。階級は警視正

永田敬和(53)/津田寛治・・・第一課の課長。階級は警視。

村橋守人(42)/池内博之・・・捜査第一課の刑事。階級は警部補。

森竹陽介(38)/岡田准一・・・捜査第一課の管理官。階級は巡査部長。

加瀬竜仁(57)六角精児・・・新宿の殺人事件を担当する警視庁の刑事。出世とは無縁で階級は警部補。

岡安翔太(21)〔回想〕/セロ・・・池袋の殺人事件での被害者。

岡安美咲(19)/上白石萌歌・・・岡安翔太の妹。

松山結子(33)/比嘉愛未・・・被害者の岡安翔太が通っていた関東大学の教員。

久保原真理恵(21)/藤野涼子・・・関東大生で岡安翔太の元・交際相手。

吉澤佳織(21)/上野優華・・・関東大生で岡安翔太の元・交際相手。

森塚剛士(26)/吉沢亮・・・岡安翔太のバイト先だったホストクラブの店長。

吉岡隆(21)/新田真剣佑・・・岡安翔太のバイト先だったホストクラブの店員。

 

Ⓣ『2018年6月16日』

 

〇加賀見ユリのマンションの部屋(朝)

カーテンの隙間から街灯の光が差し込んでいる薄暗い室内に携帯のベルが鳴り響いている。デジタル時計が4:30を表示している。寝ぼけ眼で携帯を手に取り、セミロングの茶褐色の髪をかきあげなら電話を耳に当てるユリ。

ユリ「はい、加賀見です」

阿南「呼び出し音5回目。相変わらずの爆睡女かあ。俺だ、阿南だ」

ユリ「班長?」

阿南「池袋で殺しだ。詳しいことは来てから話す。早く来い!」

ユリ「は、はい!」

ベッドから飛び起きて、慌てて足をテーブルの角に当てて痛がるユリ。痛みに耐えながら素早く、洗顔、歯磨きして完全に目を覚まし、着替え始めるユリ。

 

〇池袋の西豊デパート裏の公園(朝)
ブルーシートで覆われ、規制線の黄色いテープが張られたエリアの中に入ってゆく阿南とユリ。交番の巡査が片手でテープを持ち上げながら、もう片手で二人に敬礼をする。阿南は学生相撲で活躍した経歴を持つ強面の刑事で四課と間違われるような風貌だが、その巨体を器用に折り曲げてくぐり抜ける。その後に続いて会釈して入ってゆくユリ。二人と入れ替わるように鑑識の係員たちがケースなどを抱えて退場してゆく。

阿南「足、どうかしたのか?」

ユリの歩き方が少しヘンなことに気が付いて訊く阿南。

ユリ「いえ、べつにどうもありません」

阿南「フフ、どうせ起き抜けに、なんかにぶつけたんだろう。間抜けなところも変わらんなあ、ハハハ」

ムッとしたように口をとんがらして歩いてゆくユリ。

先の方で警視庁の村橋刑事と池袋中央署の桑原刑事が立っている。村橋は痩せていて髪型は常に角刈りである。少年時代に俳優の渡哲也が角刈り頭で刑事を演じる姿に憧れて刑事になったからだ。一方の桑原は、どこか間の抜けた感じなので女にはもてない。

桑原が二人に気づいて手を上げた。そこにベンチがあり、スーツの黒い上着が置かれている。地面に金髪の小柄な男性が仰向けで倒れている。白いワイシャツの胸部から鮮血が出て、周りに流れ出て黒っぽい血だまりができている。下半身は黒いズボンに革靴である。
桑原「錐かアイスピックで心臓を二、三度、突き刺したんです」

阿南「自殺ってことはないのか?」

桑原「背中にはスタンガンらしきものを押し当てた跡があるので、鑑識は、検死をしてみないと断定はできないが状況から見て他殺だろうと言ってました」

阿南「相手を気絶させておいてとどめを刺したってわけか」

村橋「いや、気絶したとは限らない。むしろそうならない場合の方が普通だ。ただ身動きができなくなるから、ホシは容易にアイスピックを心臓を狙って突き刺すことができたのさ。スタンガンもアイスピックもホシが持ち去ったらしく残されてはいない」

阿南「それにしても、連赤みたくアイスピックを使うとはな。西口彰みたいに千枚通しを使った可能性もある。上着から刺さず、下のシャツから刺しているのは十分に貫通しないと思ったからだろうか?」

桑原「なんですか、そのレ、レンセキとかニシグチとか……?」

村橋「阿南、しょうもない古い話を持ち出すなよ。桑原、気にせんでいい。マル報の証言は?」

桑原「川村満夫さんという65歳の新聞配達の人ですが、毎朝、このあたりを配達しており、終わったらここで一服して帰るそうです。今朝もいつものベンチに座ろうと思って近づいたら人が倒れていたので、この先の交番に行ったというわけです」

阿南「怪しいところはなかったか」

桑原「いえ、べつに」

村橋「巡査にも会ったんだな」

桑原「はい。今朝はデパートの方で酔っ払い同志のケンカがあって、そっちに行ったために巡回時刻がズレてしまい、公園の異状に気づかなかったそうです」

阿南「わかった。次は遺留品だ。鑑識を呼んでくれ」
桑原「さっき入れ違いで帰ったじゃないですか」

阿南「あれっ、そうだっけ?」

ちらっとユリの顔を見るが、とぼけたように視線をはずすユリ。

阿南「おまえ、メモったんだな?」

桑原「はい。遺留品は財布とタバコとライターだけでした。財布の中身は千円札が5枚と小銭が少々です
阿南「携帯電話もスマホもなしか」

桑原「そうです。身元がわかったのは財布の中に名刺が数枚と関東大学の学生証が入っていたからです。名前は岡安翔太と書かれていました。年齢は20歳です。他にカード類はありません。」

阿南「学生が名刺を持ってるのか?」

桑原「ええ。ホストクラブの名前が入っています。バイト先でしょう」

阿南「ホストにしては所持金が少ないなあ」

村橋「新宿の事件でも害者の財布には現金が入ったままだったが、あっちは万札で5枚だから1ケタ違うし、カードも残してあったので物盗りの犯行ではないと判断された……」

阿南「カードってクレジットカードか?」

村橋「キャッシュカードと表裏一体のものだ」

阿南「じゃあ、それを財布に入れていて抜かれたという可能性があるな」

村橋「それはホシがカネ目当てだったらの話だ」

阿南「新宿と同一人物の犯行だって言うのか?」

村橋「その可能性の方が高いだろう。カネ目当てなら5千円だって抜き取るだろう」

阿南「物盗りでないなら怨恨か? しかし怨恨なら物盗りに見せかけるために財布なんか残さんだろう?」

村橋「それはそうとも言えんさ。見せかけない奴だっているだろう。それと、新宿の事件の後、4、5日くらい経ってからと思うが2回目の事件を予告した電話があったな。その2回目っていうのがこれだろう」

桑原「ええ、そうでした。ヴォイスチェンジャーで声は変えてありましたが分析すると男性であることが判明したんです。そして次の犯行はちょうど半月先、つまり今日なんですよね。時刻も同じ午前3時です」

阿南「となるとこっちの害者もハーフってことか?  新宿の害者はホストではなくモデルだったし学生のバイトでもなかったが、男は男だな」

桑原「金髪は染めてるのかもしれませんが、顔立ちはハーフっぽいですね。加賀見刑事はどう思いますか?」

急にふられて戸惑う様子のユリ。何か言おうとして口を動かすが声にならない。
阿南「桑原、お前も変わらんなあ。ユリに会うと理由もなしに話かける。ここは殺しの現場だぞ、色恋は別の時にやってくれ」
桑原「り、りゆうもなしって、私はただ、本庁の刑事さんはどう読むのかなあと思って……」

村橋「バカ野郎、それなら俺に訊くのが先だろう」

桑原「ま、まあ、そうですが……」

桑原をにらみつけている村橋。

阿南「それにしても、新宿と同一犯にしては大きな違いがあるぞ。あっちもスタンガンとアイスピックが使われたが、アイスピックは一刺しだった。それで相手を絶命させたんだから慣れてるっていうかなんていうか……、皆、必殺仕掛人みたいだって言ってたからなあ。しかし、こっちは刺し傷が数カ所あるし、害者の抵抗の跡もあったから即死ではない。ところで、害者に前は?」

桑原「行政処分はありますが刑事処分はありません」

阿南「しかし害者の自宅も調べさせてもらう必要があるなあ。家族には連絡ついたのか」

桑原「はい。遺体の確認には妹さんが来られるそうです」

阿南「妹が来る? 何歳だ?」

桑原「19歳の専門学校生だそうです」

阿南「なんで親は来ないのかな」

桑原「それはわかりません」

村橋「とにかく、帳場が立てばどうせ俺たちが調べるんだろうから、害者の部屋を調べる許可を取っておいたほうがいい」

桑原「わかりました」

村橋「じゃあ、あとはよろしく。俺は一足先に本部に戻る」

そう言うとクルマに向かって歩いてゆく村橋。

阿南「ユリ、俺たちも行こうか。それともお前、ここに残って桑原のクルマで行くか?」

ユリ「な、なに言ってるんですか!来たクルマで行きます」

阿南「ということだ、桑原。悪いがデートの誘いは事件が片付くまでおあずけだ」

桑原に会釈して阿南と共に去ってゆくユリ。間の抜けた表情で二人の後ろ姿を見送る桑原。

 

〇警察の遺体安置室(朝)
遺体が兄であることを確認して泣きながら立ち尽くす妹の美咲。
桑原「こんな時で恐縮ですが、捜査のため、お兄さんが住んでおられた部屋を見せてほしいのですが、承諾して頂けますか?」
美咲が黙って頷く。
桑原「あの、他の御家族は来られなかったのですか?」
美咲「兄は家出同然で東京に出てきましたから。身内で時々会っていたのは私だけです」
桑原「なにか御両親と対立する理由があったのですか?」
美咲「父は自分が出た大学に兄を入れようとしていました。でも兄は自分で選んだ大学を志望しました。その学校を父は気に入らなかったので、仕送りはしないという条件で兄を好きにさせたのです」

(回想場面)岡安翔太と父親との言い争う様子。
桑原「それで家出同然ってわけですか。ご実家は山梨県でしたね。お兄さん、何か気になることは言っておられませんでしたか? たとえば誰かとトラブルになっているとか……」
美咲「さあ、特に聞いたことはありませんが、あちこちで借金をしていたようです」
思い巡らすようにしながら言う美咲。

桑原「そんな話はしてたんですね?」

美咲「って言うか、兄の部屋に請求書がたくさんあったし、私が部屋にいる間も兄によく電話がかかってきて、もう少し待ってくれみたいなことを言っていたので……」

桑原「なるほど。お兄さん、バイトとは言えホストをされていたわりには所持金が5千円というのがヘンだなと思っていたのですが、生活費だけでなく学費も稼がなきゃならないとなると、無理があったんですねえ。電話の相手はどんな感じでしょう? たとえば、やくざっぽい感じでしたか? それとも一般の人のようでしたか?」

美咲「さあ、私が出たわけではないので、そこまではよくおぼえていません」

桑原「まあ、そうでしょうが、お兄さんの様子から受け取った感じでいいです。重要なことなので、よく思い出して下さい」

美咲「電話の相手はいろいろだったと思いますが、よくかけてくる相手は、兄の言い方からすると対等な間柄ではなく、目上とか、立場が上の人のようだったと思います」

桑原「なるほど、わかりました。それとですねえ、女性との関係で何か言っておられませんでしたか?」
美咲「よくおぼえてはいません」
桑原「そうですか。他に何か思い出したことがあったら、すみませんが署の方にご連絡願います」

そう言って名刺を渡す桑原。

美咲「はい」

エントランスにつながる階段を昇ってゆく二人。

 

〇池袋中央署に設置された特別捜査本部(午前)

大会議室に集まった黒系のスーツ姿の捜査員たち。毎度のことで、制服を着た本庁の管理官や所轄の署長など幹部連中が入って来ると「起立!」の掛け声に捜査員が一斉に立つ。

仁科「本日より捜査本部は警視庁と所轄の合同捜査に切り替えられた。私はその本部長を任命された仁科だ。これから1回目の会議を始める。座ってくれ」

一斉に座る捜査員たち。その中に緊張した表情の阿南とユリの顔もある。

森竹「管理官の森竹です。本日6月16日午前3時半頃、池袋3丁目、西豊デパート裏の公園で胸から血を流した若い男性が倒れているのを新聞配達員の男性が発見。すぐに近くの交番に行って巡査に連絡しました。害者ですが、遺留品の財布に入っていた名刺と学生証から、関東大学3年の岡安翔太さんであると判明しました。害者の胸部には3か所の刺し傷があり、検視の結果、心臓刺創による失血死であり他殺と断定されました。凶器はアイスピックと思われるますが発見には至っていません。刺す前にスタンガンで害者の動きを止めています。司法解剖の結果、死亡推定時刻は本日、午前3時です。体内からはアルコール以外、特に注意すべきものは検出されていません。害者の所持品は財布ととタバコとライターだけです。なお、財布には現金が5千円余り残っていました。次に、害者の人間関係ですが、大学以外にもバイト先があります。さきほどの名刺から害者は池袋4丁目にある「ベリッシモ」というホストクラブです。さて周知のとおり、前回の新宿での殺しでは、若い男の声で第二の殺しを予告する電話がありましたが、今回はその日時、そして殺しの手口など一致する点があり、この上さらに害者が混血、いわゆるハーフだということになると、同一犯による連続殺人の可能性が極めて高くなります。ただしゲソコンは、新宿では出ていませんが、今回の池袋でははっきりと残っていました。害者自身と目撃者と巡査の3人の靴跡以外に遺体の周囲から見つかったのは、サイズが25のスニーカーの靴跡です。この靴の販売ルートなどを今、鑑識課が調べています。捜査に予断は禁物ですので、一の場合と同一ではない場合の両方を念頭に置いて捜査に当たってください。第一班は引き続き新宿の事件の捜査を進めてください。第二班は池袋の方の地取りと鑑取りをお願いします。聞き込みは現場周辺と害者の交流関係を中心に怨恨と痴情と両方の線で当たってください。第三班は池袋の方のナシ割りをお願いします。他の班と連携しながら一刻も早く容疑者を特定できるよう全力で当たってください。以上」

一斉に立ち上がり、班ごとに打ち合わせをして、三々五々、会議室を出て足早に出かけて行く捜査員たち。第二班に廻された阿南とユリもその流れの中で警察署の駐車場に向かう。

 

〇メイン・タイトル『ハーフ・キラー』

次々とクルマに乗って走り出す光景がタイトル・バック。

音楽とクレジット・タイトルはエンディングで……。

 

〇覆面パトカーの中(午前)

しばしの沈黙が流れる室内。気まずい雰囲気の中、緊張した表情で運転しているユリを横目で見つめている阿南。その視線を感じて阿南を見返すユリ。

ユリ「なんですか」

阿南「会うのは2年ぶりだっていうのに相変わらず無愛想だな。俺が朝、現場で言ったことを怒ってるのか?」

ユリ「違います。班長から勤務中の私語は慎めと厳しく仕込まれましたので」

阿南「俺がそんなこと言ったっけ? だいたい、お前のスタイルが、く、くうるびゅうてえとかいうやつなんだろう?」

ユリが阿南を見ながらクスっと笑う。

阿南「なんだ?」

ユリ「いえ」

阿南「課長には、お前とだけは組まないように頼んだのに余計な気を遣わせて、悪いな」
ユリ「いいえ、悪いだなんて、私こそ班長には本当に申し訳ないことをしたと思ってます。班長が所轄に飛ばされたのは私がドジ踏んだせいですから……」
阿南「もう、その話はよせよ。班長って呼ぶのもよせ。あれはお前のミスじゃなくて、俺が明確に指示しなかったせいだって言っただろう。今でも思い出すたびに自分自身には腹が立つがお前のことは何とも思わんし、俺の処分は軽い方だと思っている。こうしてまた一緒に仕事ができるんだから。ただし、立場は逆転したけどな」

ユリ「逆転って、何言ってるんですか、班長はあくまも班長。私の上司です。階級だって違うじゃないですか」

阿南「一つだけな。お前もいよいよ巡査部長になったから俺も焦りを感じるよ。じき追いつき追い抜かれるんじゃないかってな、ハハハ」

そう言うと窓を開けてタバコに火をつけ、フーっと紫煙を吐き出す阿南。

阿南「給料もずいぶん上がっただろう?」

ユリ「ええ。でも、私は刑事になれただけで十分です」

阿南「そうか。ところで朝飯食ったのか? なんだったらそのへんの店に寄れよ」

ユリ「わたしはだいじょうぶです。班長はどうしますか?」

阿南「俺は適当に食って来たよ。ところで、さっき桑原がお前に訊こうとしたことだが、あれを止めたのは俺がお前に訊きたかったからさ。お前も日本人とアメリカ人のハーフだったな。それは桑原は知らん。俺だけが知ってる。それで訊くんだが、見た感じどうだ?今回の害者もハーフか?」

ユリ「はい、たぶん。それから班長、私はハーフではなくクォーターです。それにアメリカ人ではなくフランス人です。父親がハーフで母は日本人。私は母の方に似ているって言われます。顔が全然、フランスっぽくないでしょう?」

阿南「まあ、そうだな。髪の色は茶色だし、全体の雰囲気は和風とは言えないが、ぱっと見ではフランス人の血が流れているなんて気づかないなあ」

ユリ「いえ、よくよく見ても気づきませんよ」

阿南「でも、よく見ると、顔がちょっと変わったなあ」

ユリ「どう変わったんですか?」

阿南「うん、まあ、キ、キレイになったっていうかなんていうか……」

ユリ「ホントですか?」

阿南「でも、お前に整形疑惑あるの知っとるか?」

ユリ「ああ、それは知ってます。目頭か目尻を切開したんじゃないかというあれでしょ? 」

阿南「それやそれ。桑原もそこは気にしとる。あいつは保守派だから加工美人ではダメで生まれつきの美人がいいらしい。お前は実際のところ、どうなんだ。俺だけには教えてくれよ」

ユリ「さあ、どうかしら」

阿南「仮に整形してても俺はなんとも思わん。だから正直に言ってくれないか」

ユリ「よく見たらわかります」

そう言いながら横を向き、まるで頬にキスするかのように阿南に顔を近づけるユリ。

阿南「こらっ、危ないじゃないか! 前見て運転しろよ」

顔を紅潮させてうろたえながら言う阿南。

ユリ「だいじょうぶです、着きましたから」

阿南「あれっ、もう着いたか」

 

〇岡安翔太が通っていた関東大学(午前)

外来者用の駐車場でクルマを降り、正門近くの守衛室で警察手帳を見せ、少し離れた玄関に向かって歩き出す阿南とユリの二人。

 

〇松山結子准教授の研究室(午前)

阿南とユリが松山結子の前で警察手帳を見せて名乗っている。

松山「これから町田に行く用事があるので手短にお願いします」

そう言いながらソファーの方に手を向ける結子。軽く会釈して腰掛ける阿南と結子。

阿南「はい。できるだけ早めに終わらせます。では、さっそくですが、岡安さんは何の勉強をされていたんですか?」

松村「社会心理学です」

阿南「ほう、ホストが心理学ですかあ。誰かとトラブルになってはいませんでしたか?」

松山「さあ、いくらゼミの参加者とは言え、私は学生のプライベートについてはよく知りません。他にも交流のある教員はいますし学生もたくさんいるので、訊いてみられたらいかがです?」

阿南「まずは松山先生にお話しを伺ってからと思いましてね。教員の中では岡安さんといちばん親しいと聞きましたし、学生に訊くのは、なにせ殺人事件ですから、学内で犯人探しみたいになって、疑心暗鬼になるといけないと思いまして……」

松山「まあ、刑事さんにもそんな気遣いをなさるかたがおられるとは意外でした。刑事さんって無神経な人たちなのかとばかり……あっ、これは失礼」

小ばかにしたように笑う結子。阿南はムッとした表情を顔に出しながらもぐっと抑えている様子。

阿南「それで、岡安さんの交友関係については先生が何か気づいておられないかと思いまして……」

松山「まあ、なくはないですが、警察のかたであっても、学生のプライバシーに関わることは立場上、私から言えません。学生との信頼関係を失ったら、教員としてはNGですから」

阿南「それはそうでしょうけど、岡安さんの無念を晴らすためにも何とかお願いできませんか? どんなことでもいいんです」

松山「そう、食い下がられると私としても非常に困っちゃうんですが……」

しばらく思案する様子の結子。上目づかいで阿南の後ろにいるユリの顔を見る。ひとつ溜息をついて、しかたがなく譲歩するかのような表情で阿南を見た。

松山「ほんとに時間がないんですが、何を申したらよろしいのでしょうか?」

阿南がユリに視線で合図し、ここからはユリが答えるように促す。女同士の方がよいとみたのだ。これも阿南の状況判断である。

ユリ「岡安さんが誰かとトラブルになっていなかったか、ということです」

松山「ああ、さっきのね。さあ、毎日、顔を合わせるわけではないし、学生も多いですからそこまではわかりません」

ユリ「では、岡安さんとよく一緒にいた学生を教えて頂けませんか?」

松山「……いたのはいたと思います」

ユリ「なんという名前ですか?」

松山「名前は勘弁して下さい。でも、学生に訊けばすぐわかりますよ。学生に訊けないんなら心理学科の他の教員に訊けばわかります」

ユリ「どうせわかるのなら、今、言ってもらえませんか?」

ここで一瞬、結子の表情が険しくなったが、追い詰められて観念したように表情をやわらげた。

松山「久保原真理恵という学生です。最近は姿を見ません。あ、本当に、これは私から聞かなかったことにして下さいね」

阿南「ええ、大丈夫です。姿を見ないって、休学かなんかですか?」

松山「いえ、そうではないと思います。じゃあ、そろそろ、よろしいでしょうか?」

ここで阿南がまたユリに視線で合図をした。

阿南「はい。ありがとうございました」

ユリ「あっ、あの、恐縮ですが先生は、今朝の3時頃、何をされてましたか?」

松山「アリバイですか」

阿南「おい、加賀見、失礼だぞ。すみません、私は先生には必要ないと思ったんで訊かなかったんですが、いちおう形式的な手続きとして関係者には全員、伺うように教えているんです。こいつには、あとでよく言っておきますので……」

松山「いえ、いいんです。ドラマでも刑事さんがアリバイを訊く時に、形式的だってよく言いますよね。本当は疑っているのに……。今朝の3時なら、私は熟睡してました。このところ忙しくて疲れがたまってたんです」

ユリ「ご自宅でお休みになっておられたのですね。そのことを証明できる方は?」

松山「おりません」

ユリ「もう一つだけ。先生の靴のサイズを教えて下さい」

松山「靴ですか? 25です」

ユリ「わかりました。これでけっこうです」

松山「では、ほんとにもう時間がないので、これで」

阿南「はい。失礼します。あっ、先生、これから運転なさるなら、お急ぎかとは思いますが、どうか安全運転でお願いします」

松山「私、運転免許は持っていません。研究会に行く時などは同僚のクルマに乗せてもらってるんです」

ユリ「そうでしたか。失礼しました」

そう言って頭を下げてから、微笑んで軽く会釈して去って行く結子を見送るユリ。

相手のアリバイを訊く時に、阿南が暇を告げる旨を言い終わったタイミングでユリがわざと思い出したように言い出すのは、阿南がユリに教えた聞き取りの手法であることを、さすがに心理学者の松山結子も知る由はなかった。

 

〇ホストクラブ「ベリッシモ」の店内。

ボックス席で村橋と桑原が店長から聞き取りをしている。

村橋「岡安さんですが、昨夜は何時に店を出たかわかりますか?」

店長「午前0時に閉店して、バイトは後片付けをしますので、その作業が終わるのが0時半頃ですから、その後だったと思いますが……」

村橋「それからデパート裏の公園まで歩いて行ったようですが、ここからあそこまでそんなに時間かかりませんよねえ」

店長「ええ。まあ歩きでも10分もあれば行けるんじゃないですか」

村橋「帰りにどこかに寄るようなことは言ってませんでしたか? あるいは誰かに呼び出された様子はありませんでしたか?」

店長「さあ? 私はわかりません。あとで従業員に訊いてみてください」

村橋「岡安さんの勤務状態はどうでしたか?」

店長「べつに問題はなかったと思います」

桑原「お客さんとトラブルになることはなかったですか?」

店長「ま、彼はバイトだし、横に付くくらいで、まともに接客することはなかったのでトラブルもありません」

村橋「同僚はどうですか? ホストの間でもめたりすることはありませんでしたか? たとえばカネの貸し借りなどで……」

店長「さあ、従業員同志のことは私にもわからないことがあるので、それも直接、訊いてみて下さい。営業にはまだ時間がありますが、仕事前にミーティングがあるので、それが終わった後で全員に訊かれたらいいと思います」

顔を見合わせて頷く村橋と桑原。

「そうですか、わかりました。ちなみに今朝の3時頃なんですが、どちらにおられましたか?」

店長「私のアリバイですか」

桑原「関係者にはひととおりお訊きすることなので気を悪くしないで下さい」

店長「刑事ドラマでもよく聞くセリフです。ほんとにそんなこと言うんですね、ハハハ」

桑原「ええ、これ言わないと犯人扱いされたと本気で怒りだす人がいますからね」

店長「そうですか。私には岡安君を殺す動機なんかまったく無いですが、まあいいでしょう。3時と言えば帰宅してからシャワーを浴びて、ビデオを見ながらビールでも飲んでる頃じゃないかな」

桑原「ビデオですか。お休みにはならないのですね?」

店長「ええ。寝るのはいつも明け方です。それまでは録画しておいたテレビ番組を見るのが習慣です」

村橋「お一人で、ですか?」

店長「ええ。独身だし、交際相手はいますが、泊まりは週末だけです。お互いに忙しい身なので」

村橋「ということは、証明はできないということですね?」

店長「はい、そういうことですね」

村橋「店長、背が高いですね。足のサイズをお訊きしてよろしいですか? ああ、これは後で従業員の皆さん全員にお尋ねします」

店長「靴は物によって25.5か26を履いています」

村橋「スニーカーならどっちですか?」

店長「26です」

村橋「そうですか。わかりました。では、また、あとで参ります」

そう言うと村橋と桑原は店を出て、岡安の部屋に向かった。

 

〇関東大学 学生課(午後)

ソファーに座っている阿南とユリ。職員の中年男性がパソコンを二人の方に向ける。

職員「お待たせしました。こちらが久保原真理恵さんの住所です」

メモするユリ。

阿南「ここから近いんですね」

職員「ええ」

ユリがメモを取り終わり、阿南を見て軽く頷く。

阿南「では、我々はこれで。お手数をかけました」

職員「いえ」

会釈するユリ。阿南の後に続いて部屋を出てゆく。

 

〇久保原真理恵が住むアパートの部屋の前(午後)

ペンキの剥がれた外階段を上がる阿南とユリ。通路を歩いて部屋の前に来た。

阿南「ごめんください」

ドアをノックするが応答はない。

阿南「久保原さん、いらっしゃいませんか!」

やはり応答なし。

久保原「なんでしょうか?」

背中の方から声が聞こえたので振り返る阿南とユリ。コンビニ袋を提げた真理恵が通路に立っている。見たところ、小柄で気の弱そうな女学生。

阿南「久保原真理恵さんですか?」

久保原「そうですけど……」

阿南「ちょっとお訊きしたいことがありまして……」

阿南が警察手帳を見せながら言った。

久保原「なんでしょうか?」

阿南「岡安翔太さんが亡くなったことは御存知ですか?」

久保原「ええ。お昼のワイドショーで見ました」

阿南「そのことでちょっと」

久保原「わたしは何も知りませんが……」

阿南「まあ、とにかくここではなんですので、中で……」

薄笑いを浮かべ、申し訳なさそうに軽く頭を下げながら部屋を指さす阿南。

久保原「はあ」

無愛想な表情で、面倒くさそうに部屋の鍵を開けて「どうぞ」と言う真理恵。

阿南「すみません、お邪魔します」

ユリも頭を下げて入り口まで入る。阿南一人でも入りきれないほど狭いので、ユリは阿南に後ろから抱きかかえられる形でなんとか立っている。少し困惑した表情で阿南の方を見るユリ。阿南は照れ隠しでわざと視線を外す。ワンルームなので雑然とした部屋の状態が一挙に目に入る。

阿南「あの、さっそくですが久保原さん、あなた岡安さんと交際しておられたのでしょう?」

ユリの頭越しに質問を始める阿南。

久保原「誰から聞いたんですか?」

阿南「いえ、誰とは言えません」

久保原「いいです。同じ学部の人は皆、知ってることですから」

しばしの沈黙。阿南がユリの背中を押して合図した。

ユリ「あの、今日はお休みですか?」

久保原「ええ。学校は営業してますけど私は自分で休みにしてます。まあ、引きこもりみたいなもんです。外に出るのはコンビニに行く時くらいかな」

ユリ「引きこもりみたいって、なにかあったんですか?」

久保原「……、まあ、上がって、そこに座ってください」

そう言うと冷蔵庫を開ける真理恵。

 

〇岡安翔太の部屋(午後)

村橋と桑原が管理人から借りた鍵で中に入る。意外と閑散としている。

村橋「携帯電話はないかなあ」

懸命に探す二人。なかなか見つからない。

村橋「しょうがない、そのパソコンを預かってゆこう。鑑識で分析してもらうんだ」

桑原「ええ、パスワードがわからないのでここでは開けられませんが、なんとかなるでしょう」

村橋「あとは何か手掛かりになるようなものはないか?」

桑原「この散らかっている請求書くらいですかね? いちいち控えるのはたいへんなので、いちおうまとめてデジカメに撮っておきます。妹の美咲さんがこの請求書を見て兄さんの借金地獄を察したそうですが、実に情けないですね」

村橋「請求書はあって領収書が無いってことは返しきれてないってことだな。踏み倒しもあるかもな」

桑原「とにかくだらしない男ですよ、害者は……。パソコンから何かわかればいいですが……」

そう言いながら、請求書を集めてはカメラのシャッターを切る桑原。

村橋「あとはホストの連中だ。行くぞ」

颯爽と部屋を出てクルマに向かう村橋。

桑原「あれっ!ちょ、ちょっと待って下さいよ」

パソコンを抱えて村橋の後を追う桑原。

 

〇久保原真理恵の部屋(午後)

キッチンのテーブルの椅子に座っている阿南とユリ。

久保原「どうぞ」

真理恵がペットボトルからコップに注いだ紅茶を二人の前に置く。

阿南「ああ、これはどうも。ちょうど喉が渇いてたんです」

一気に飲み干して、「あ~」と言いながら恍惚とした表情をしゲップをする阿南。

久保原「こっちの女の刑事さんだけならよかったのに……」

ユリはまた困惑した表情でうつむく。これを見て阿南が咳払いして口を開く。

阿南「すみません。いちおう2名で廻ることになってるものですから」

さらにゲップをしながら喋る阿南。

久保原「それにしても、おじさん、お相撲さんみたい。このアパート、古いからあちこちガタがきてるんです。床が抜けなきゃいいけど……」

阿南「ああ、はい。気をつけますので、お話を訊かせてもらってもいいですか?」

久保原「いいですけど、どうせなら、こちらのお姉さんに話します。ドラマにはよく出てきますけど、美人の女刑事って本当にいるんですね。特に目がステキ! 失礼ですが、それってメイクだけではないですよね。整形されたんですか?」

ユリ「……」

久保原「してても答えられませんよね。ごめんなさい。ドラマの女優さんなんかいじってない人の方が少ないそうですし、まあ、かっこよければ、いいんじゃないですかね」

ユリ「おそれいります。でも現実はドラマのようにはかっこよくないです。私たちの仕事はこうして関係者の方々一人一人に頭を下げながら聞き込みをすることが基本です。警察だけで事件を解決できるわけではなく、市民の皆さんの御協力があってこそ解決の糸口がつかめるんです。だからお願いします。真理恵さんも私たちに力を貸してください」

立ち上がって深々と頭を下げるユリ。その姿を見て真理恵の表情もやわらぐ。

久保原「私と翔ちゃんはもうとっくに終わってます。だから彼から何も聞いていないし、彼が殺されたことについて私は何も知りません」

ユリ「そうですか。失礼ですが、交際されていたのはいつ頃までですか?」

久保原「さあ、いつ頃だったかしら。あのオバンに盗られてからだから、半年は経つと思います」

ユリ「あのオバンって、よろしければどういう人か教えてもらえませんか?」

椅子に座り直して、メモを出しながら質問を続けるユリ。

久保原「松山結子です。刑事さんたち、もう会って来たんでしょう?」

ユリ「関東大学の松山結子さんですか?」

ペンを握ったユリの手が止まり、驚いた目で真理恵を見つめるユリ。

久保原「そうです。あの女、翔ちゃんがホストクラブに入る前から、あの店の常連だったんです」

ユリ「ベリッシモですね」

久保原「はい。松山が常連であることを知らない翔ちゃんが、あの店にバイトで入って、いつしかへんな関係になっちゃったみたいです。翔ちゃんたら、あたしというものがありながら、あんなババアにひっかかって……。どうせ単位をやるとか小遣いをやるとかいって誘惑されたんでしょうけど、急にあたしに別れたいって言い出したんです」

ユリ「それが、あなたが引きこもるようになったいちばんの原因ですか?」

久保原「まあ、そうです」

ユリ「さっき、出かけるのはコンビニくらいって言われましたが、今朝の3時頃は部屋におられましたか?」

久保原「今朝の3時? 寝てました。アリバイですね」

ユリ「形式的なことなので気になさらないで下さい」

久保原「ええ、気にはしてません。疑われることは想定内でしたから」

ユリ「警察が来ることも想定してたってことですね?」

久保原「ええ。でもこんなに早く来るとは思いませんでした」

ユリ「すみませんでした、こんな時に。体調が悪いんですか?」

久保原「ええ、食欲もないし睡眠も足りてません。あたしはもう、人を信じられなくなったんです。でも、刑事さんに話したら、少し気がラクになりました」

ユリ「まだ、しばらくは大学、お休みされるのですか?」

久保原「そうですね。行く気はしませんから」

ユリ「大学に届は出されたのですか?」

久保原「退学届けですか?」

ユリ「いえ、休学届です」

久保原「どちらにせよ、そういう手続きがめんどうなんです。授業料を収めなければ自然に除籍になるでしょう。それならそれでいいし……」

ユリ「でも、仕送りはあるのでしょう?」

久保原「ええ。生活費は親が毎月、送ってくれます。だからやめたいって言い出しにくいんですよね。すぐに、これまで払ったおカネが無駄になるって言うから……。そんな時は、働いて返してやるって言い返しますが、実際、数百万のカネを返せるかと言えば無理ですからね」

ユリ「私も自分が学生だった時のことを思い出します。僭越ですが、親御さんの気持ちも考えて頑張ってください。ところで、岡安さんとトラブルになっていた人は、心あたりありませんか?」

久保原「さあ、電話では時々、もめてたみたいですが、大学では特にいなかったと思います」

ユリ「もめていたというのは、内容はわかりますか?」

久保原「内容はわかりません。ちょっとした口げんかだったかも知れません。翔ちゃん、気が短いから……」

(回想場面)電話で口論している岡安翔太の様子。

ユリ「翔太さん、誰かにおカネを借りていたようなことはなかったですか?」

久保原「ええ。私も貸したことはあります。結局、返っては来ませんでしたけどね。でもそれは覚悟の上でしたから」

ユリ「他の学生さんはどうでしょう? 貸した人はいたんでしょうか?」

久保原「あたしが知る限りでは、他の学生は断っていたと思います」

ユリ「翔太さん、誰かに恨まれているようなことはなかったでしょうか?」

久保原「いちばん恨んでたのは私かな。他には……、もう一人いることはいます」

ユリ「それは誰ですか?」

久保原「翔ちゃん、あたしと付き合う前から彼女がいたんです」

阿南「二股ってわけですか?」

久保原「ええ。あとで知ったんですけど」

阿南「その学生の名前は?」

久保原「吉澤佳織。理学部の学生です」

ユリ「字はどう書きますか?」

真理恵から字を聞きながらメモと取るユリ。

ユリ「翔太さんは大学に入って、吉澤さんと交際しながらあなたとも交際を始めたということですね」

久保原「そうです。あたしと同じように翔ちゃんに裏切られたわけですから動機はあるでしょう? でもあたしに対しても恨みがあるかもしれませんね」

ユリ「あなたは吉澤さんに会ったことがあるんですか?」

久保原「ええ。バイト先が一緒だったので。あたしはもうやめたけど、彼女はまだいるんじゃないかな」

ユリ「どこですか?」

久保原「大学の近くのコンビニです。『エニータイム』という……。週3日くらいやってたと思います」

ユリ「わかりました。ありがとうございました」

阿南「最後にもう1つ。あなたの靴のサイズを教えて下さい」

久保原「23.5ですが、何か?」

阿南「スニーカーを持っておられますか?」

久保原「はい」

阿南「参考までに拝見できますか?」

久保原「玄関にあります」

阿南「ああ、これですねえ」

阿南が靴を持ち上げて裏を見る。そしてユリに向かって首を振った。

「どうもお邪魔しました」

二人は頭を下げ、階段を降りてクルマに乗り込む。

 

〇コンビニ「エニータイム」(午後)

カウンターの中年男性に警察手帳を見せる阿南とユリ。

阿南「店長さんですか?」

店長「はい」

阿南「吉澤佳織さんは今日はお休みですか?」

店長「吉澤は今日は17時からです」

阿南「そうですか。まだ2時間近くありますね」

店長「あの、吉澤がなにかやらかしたんですか?」

阿南「いえ、関係者の一人として参考までにお話を伺うだけです。吉澤さんはいつからこちらに?」

店長「そうですねえ、かれこれ1年くらいでしょうか」

阿南「最近、なにか変わった様子はありませんでしたか?」

店長「変わった様子? 変わった、ねえ……? べつに気づきませんでした」

阿南「6月16日は出勤していますか?」

店長「ちょっと待って下さい。勤務表を確認します」

そう言うと裏に入って、しばらくして出てくる。

店長「彼女は週3日の勤務ですが、16日は勤務日ではありません」

ユリ「その週の勤務日は?」

店長「16日は土曜日なので、その前ということになりますが、11、13、15です。月、水、金ですね」

ユリ「わかりました。それと、吉澤さんの住所を教えて下さい」

店長「こちらになります」

書き写すユリ。

阿南「アパートにも大学にもいないようなら、また夕方に来ますので、よろしくお願いします」

店長「ええ。その時は私が代わるので、すみませんが話は別の場所か、うちの駐車場ならクルマの中でお願いします。営業に支障がありますので……」

阿南「わかりました。その点は大丈夫です」

店を出てクルマに乗る阿南とユリ。

 

〇ホストクラブ「ベリッシモ」(夕方)

店内では開店前のミーティングが店長の森塚を中心に行われている。

森塚「この後、岡安の事件の関係で刑事さんから質問があるそうだ」

ホスト「全員ですか? 俺は岡安のこと、よく知らないんだけど……」

森塚「全員だ。岡安とあまり話をしたことがない者もいちおう質問に応じてくれ」

ミーティングが終わり、村橋と桑原が入って来る。村橋がボックス席に座り、桑原が一人ずつ来るように説明する。

桑原「では、そういうことでご協力をお願いします」

15人のホストが1人ずつ、村橋の前に座り、いろいろと質問を受けて行く。

そして吉岡という男の番になった。少し緊張気味な表情で村橋の前に座る。

村橋「お名前は?」

吉岡「吉岡隆です」

村橋「岡安さんとは親しかったですか?」

吉岡「いいえ。あまり話をしたことはありません」

村橋「そうですか。しかし他のホストの人が、この店で岡安さんといちばん親しかったのはあなただと言っておられるのですが?」

吉岡「なにかの間違いでしょう?」

村橋「そうですか? そう言っているのは1人だけじゃないんですが……」

吉岡「年が同じってこともあって時々、雑談をする程度でした。親しいと言うほどではありません。岡安は一人だけバイトだからここでは浮いてたんですよ」(回想場面)岡安翔太が吉岡と雑談する様子。

村橋「そうですか。それで、つかぬことをお訊きしますが、岡安さん、あなたに借金をしていませんでしたか?」

吉岡「いえ、べつに」

村橋「少ない金額でも貸していませんか?」

吉岡「いっさいありません」

村橋「一度も?」

吉岡「はい」

村橋「お宅はどちらですか?」

吉岡「この近くのマンションです」

村橋「夜中の12時に閉店してから、あなたはまっすぐ帰りましたか?」

吉岡「ええ」

村橋「3時頃はどこにおられましたか?」

吉岡「アリバイですか。ありますよ」

村橋「えっ! あるってなにが?」

吉岡「いや、アリバイですよ。仕事から帰って一服して、眠れないから女のところに行ったんですよ」

村橋「女ねえ。住所と名前、言えますか?」

吉岡「いいですよ。住所は下北沢のエミネンス下北沢っていうマンションですよ。光徳高校のすぐ近くです。ほら春高バレーで女子が強い高校ですよ」

村橋「下北沢光徳ねえ。知ってますよ、うちの娘もバレー部なもんでね。その近くのマンションに行ったわけですね。午前3時にはそこで彼女と一緒におられた……それでお名前は?」

吉岡「松山結子。関東大学の先生です。」

村橋「関東大学というと、岡安さんがそこの学生でしたね? しかも松山という女性は岡安さんが在籍していた学部の教員でしょう?」

吉岡「ええ、そのようですね。でも俺にはそんなこと関係ありません」

村橋「岡安さんは、松山さんがあなたと交際しておられることをどう思っていたのでしょうか?」

吉岡「あいつが大学に入って結子と知り合う前から、結子はこの店の常連で、俺と付き合ってました。そこにあいつがバイトで入ってきたんです。ま、あいつの方は結子に気があったのかもしれませんが、結子は相手にしませんでした」(回想場面)ホストクラブに入った頃の岡安翔太の様子。

村橋「わかりました。松山さんにはあとで会って確認します。それからあなたの足のサイズを教えて下さい」

吉岡「25.5です」

村橋「ありがとうございました。以上でけっこうです」

 

〇コンビニ「エニータイム」(夕方)

クルマが駐車場の隅に止まった。中で打ち合わせる阿南とユリ。

阿南「吉澤が来たら、こっちに連れてくる」

ユリ「わたしが行って連れてきます」

阿南「そのほうがスムーズにいきそうだな」

ユリ「任せてください。もうドジは踏みません」

阿南「その話はよせって。それよりお前、松山結子に気に入られたみたいだったな。それでうまいこと、久保原真理恵の名前を聞き出せたじゃないか。松山としてはこの名前は言いたくなかったはずだ。だって害者との関係をばらされるかも知れないからな。ところがお前の突っ込みで隠し通せず、口に出したってわけだ。よくやったよ」

ユリ「班長は、松山と害者との関係を疑ってるんですね?」

阿南「当然だ。松山には害者を殺す動機がある。それは自分がホストクラブの常連であることを大学の学生や教員に知られたくはないからだ」

ユリ「でも、松山は害者が久保原真理恵、さらには吉澤佳織に自分との関係を喋ることくらい予想はできたでしょう。こう言ってはなんですが、害者は見るからに口の軽そうな顔ですから……。そんな信用できない男子学生と男女の関係になったら自分の教員としての立場が危うくなるのは目に見えています。害者を信頼したからこそ、関係を持ったのではないのでしょうか?」

阿南「ま、常識的にはそうだな。たしかにおまえの言うとおり、害者は信用できる感じの男じゃない。誰が見たってそうだ。だから真相はさ、若い男に恋心が燃え上がちゃって、熱病に冒されたみたいに理性的な判断もできなくなったとか、そっちの方じゃないかな? 熱が下がって悔やんでも後の祭りってわけさ」

ユリ「だとしたら、とても心理学者とは思えません。同じ女性としても恥ずかしいです」

阿南「ハハ。気に入られたのに、やけに厳しいじゃないか」

その時、阿南の携帯のベルが鳴る。出ると村橋の声。同じ班ということで情報交換だ。

阿南「なに? 吉岡というホストにアリバイ? 相手は関東大の松山結子だって! なんだ、松山も二股かあ? 事件当夜、松山は一人で寝てたからアリバイは無いって言ってたが……。おう、さっきの話とは違うから、今度はそっちが松山に会って確かめてくれ。こっちはなあ……」

阿南も捜査の状況を語り、しばらくして電話を切った。

阿南「松山って女、ますます怪しくなってきたな」

ユリ「害者は吉澤佳織と久保原真理恵に二股をかけ、佳織と別れて真理恵ひとりと付き合ったのではなく、今度は松山結子とも付き合うようになって真理恵を捨てた。その松山は行きつけのホストクラブの吉岡と付き合いながら、新人の害者とも付き合いはじめたというわけですか? 吉岡と別れてから害者と付き合い出したなら、まだわかりますが……」

阿南「害者と吉岡は同じホストだし、松山なんか女として見るよりカネづるとして見てるから、べつに二股であろうが三股であろうがいいんじゃないのかな。まあ、害者も松山も破滅型の人間かも知れないなあ。おっ、あの自転車の若いのが吉澤じゃないか?」

ポニーテールの髪を背中で揺らしながら、背の高い色白の娘がゆっくりと自転車をこいで駐車場に入って来た。

ユリは、隅に駐輪している佳織を見ながらクルマのドアを開けて降り立つと足早に近づき話かける。

 

〇「エニータイム」の駐車場に止めたクルマの中(夕方)

運転席に阿南、阿南の真後ろにユリ、斜め後ろに吉澤佳織が座っている。

阿南「出勤早々にすみませんね。店長の了解はとってありますので安心して下さい。時間はとらせません。岡安翔太さんの件は御存知ですね?」

顔を半分、後ろの佳織に向けて言う阿南。

吉澤「はい」

震えた声で返事をする佳織。その怯えている様子を見て頭を掻く阿南。

阿南「ユリ、あとはお前が……」

ユリ「はい。吉澤さん、心配いりません。いくつかお尋ねしたいのですが、岡安さんと関係があった皆さんに同じことを伺っています。決まりなので気にしないで下さい。それで、今朝の3時、あなたはどこにいましたか?」

吉澤「3時は部屋で寝てました」

ユリ「どなたか、それを証明できる方はおられますか?」

吉澤「いません。アパートで一人暮らしですから」

ユリ「そうですか。わかりました。では、あなたの足のサイズを教えて下さい」

吉澤「23.5です」

ユリ「スニーカーを持っておられますか?」

吉澤「はい」

ユリ「今、履いておられるのがそうですか?」

吉澤「はい」

ユリ「これ1足だけですね?」

吉澤「はい」

ユリ「すみませんが、ちょっと靴の裏を見せてもらっていいでしょうか?」

吉澤「はい」

二人がいったん車外に出て、現場に残された靴跡と同じでないかを写真と見比べて確認する。目立つので阿南は降りない。違うと見たユリ、阿南に向かって無言のまま首を小さく横に振る。

ユリ「けっこうです。また中に入って下さい」

佳織が元の状態で座った。ユリも横に座り、質問を続ける。

ユリ「それでは岡安さんとの関係ですが、交際しておられたのですね?」

吉澤「はい。でも短い間です……」

ユリ「失礼ですが、どうして別れることになったのですか?」

吉澤「彼はお金にルーズな人なので、愛想がつきたんです」

ユリ「お金を貸したんですか?」

吉澤「そうです。でも約束の日になっても返してくれませんでした」

ユリ「全部でどれくらい貸しましたか?」

吉澤「15万円くらいです」

ユリ「15万……、かなりの額ですね。返してくれないということは踏み倒されたってことですね?」

吉澤「そうです。あたしも彼のこと好きだったし、まさか騙すとは思わなかったので借用書までは取らなかったのがいけなかったんです。もう人を信じられなくなりました」

(回想場面)岡安翔太と吉澤佳織がやりとりする様子。

ユリ「えっ?」

吉澤「……あの、どうかしましたか?」

ユリ「同じことを言った人がいます」

吉澤「久保原さんでしょう?」

ユリ「それはなんとも言えません」

吉澤「久保原さんですよね。あたしのところに警察のかたが来られるなら、久保原さんのところに行かれたはずです。そうでしょう? 彼女も同じく翔ちゃんの被害者です。でも殺したりはしません。久保原さんも同じだと思います」

佳織とユリとが真剣な表情で見つめ合う。交互に映る二人の表情。

 

〇町田市の研究会の会場(夕方)

村橋と桑原が松山結子の前に立って警察手帳を見せている。

村橋「お手間は取らせません。ちょっと確認するだけです」

松山「さっきも別の刑事さんが会いに来られたのに、また何の確認ですか?」

村橋「その、さっきの刑事に対して、あなた事実と違うことをおっしゃいませんでしたか?」

松山「え~? なにかしら?」

村橋「心当たりはありませんか?」

松山「ええ」

桑原「『ベリッシモ』というホストクラブのことです」

松山「それがなにか?」

桑原「御常連だそうですね」

松山「ええ。いけませんか?」

村橋「今朝の3時、そこのホストと一緒におられたのではありませんか?」

松山「吉岡君がそう言ったんですか?」

村橋「そうです」

松山「本当ですよ。それがなにか?」

桑原「さっきの刑事には、今朝の3時は一人で寝ていたと言われましたよね? せっかくアリバイがあるのに、なぜウソをついたのですか?」

松山「それは、誰でも隠したいことってあるでしょう。特に私のようにそれなりの社会的立場がある者は、へんな噂が立つと命取りになるんですよ。私の場合、週刊誌にマークされていますから。御存知なかったですか?」

桑原「それは知ってますよ。なにせ学生時代は全国のミスキャンパスで第二位になられて騒がれ、その後も、全国の大学の美人教員ランキングで準優勝になられましたよね。そんなあなたがホスト漁りもしているとなると、これまた格好の週刊誌ネタでしょうね?」

松山「ホスト漁りだなんてへんな言い方はやめて下さい。私は心理学研究の一環として所謂、風俗関係の労働者にも接触しているだけです」

村橋「なるほど、よく言う、フィールドワークってやつですね。だったらうそをつく必要はないでしょう」

松山「誤解されるといけないので伏せただけです。それとも偽証罪かなにかになるとでもおっしゃるの? これ以上は何も言えません。おひきとり下さい」

村橋「わかりました。失礼します。おい、行くぞ!」

二人の刑事は苦い表情で大学を後にした。

 

〇池袋中央署内 特別捜査本部

入り口に「新宿・池袋連続殺人事件捜査本部」と書いた紙が貼ってある。会議室に集まった黒系のスーツ姿の捜査員たち。毎度のことで、本部長以下、制服を着た本庁の管理官や所轄の署長など幹部連中が入って来ると「起立!」の掛け声に捜査員が一斉に立つ。
森竹「これより2回目の会議を始めます。座ってください」
一斉に座る捜査員たち。その中に阿南とユリの顔もある。

「害者の岡安翔太さんは父親が日本人、母親がフランス人のハーフであることがわかりました。これにより先月発生した新宿での事件との連続殺人の可能性が高まったので、仮称ではあるが『新宿・池袋連続殺人事件』としました。まずゲソコンの件ですが、池袋の事件のホシが履いていたと思われるスニーカーは、靴の流通センターに大量に出回っているもので、販売ルートを特定することは極めて困難であることがわかりました。それでは第1班から順番に捜査の報告をお願いします」

すると阿南ほどではないが太っちょの加瀬竜仁という刑事が立ち上がった。

「第1班は新宿の事件の捜査を継続して行っております。これまでに容疑者とみられる人間を3名、あげることができました。この中にホシがいるものと確信しております。その中で現時点で最も容疑が濃いのは、元・右翼団体構成員で現在は警備員をしている松波洋一、30歳です。この男が池袋の事件が起きた深夜2時すぎに、現場からは少し離れてはいますが数か所で防犯カメラに写っています。ただ3時頃にどこにいたのかはわかっていません」

加瀬が椅子に座る。次に村橋が立ち上がる。

「第2班は、池袋での事件を捜査しておりますが、今までわかったことを報告します。まず、害者の足取りですが、勤務先のホストクラブを夜中の0時半頃に出て、3時に公園で殺害されるまで、どこで何をしていたのかはわかっていません。遺留品の財布、タバコ、ライターのうち、財布からはすでに周知のカネが見つかり、カードなどは見つかっていませんが、捜査の過程でもカード類などは見つかっておりません。また、害者の妹さんに許可を得て、害者の部屋を調べましたが、携帯電話なりスマートホンは見つからず、人間関係を知る手がかりとしてパソコンを1台、預かって鑑識課で調べてもらいました。その結果、特に事件に関係すると思われるデータは見つかりませんでした。但し、削除されたデータを復元したところ、女の子の裸の画像がありました。まあ、男のパソコンには、そういうものは一つや二つあるもんで、なにも不審な点はないと思います」

ここでどっと笑い声が上がり、室内の緊張した空気がいっきょになごんだ。ユリは呆れた表情で天を仰ぐ。

「大学関係は阿南から」

村橋が座り、阿南が立ち上がる。

「害者の大学での人間関係で被疑者と考えられるのは、まず担当教員の松山結子がホストクラブ『ベリッシモ』の常連であり、また害者はそこのホストであったことから、どの程度の関係はわかりませんが、殺害動機としては痴情の線ではあり得ると思います。同じく害者と交際関係にあった学生の久保原真理恵と吉澤佳織の2名も害者に棄てられたことに対する報復という動機はあり得ます。ユリ、なにか補足はないか?」

するとユリが少し考える様子を見せたかと思いきや立ち上がった。

「我々が把握した被疑者は、害者のバイト先であるホストクラブの店長と同僚、そして大学の教員と学生……この2つに分かれます。ホストクラブの方は害者を殺害するだけの動機を持つ者は今のところ見つかっていません。動機という点では大学の方ということになりますが、教員と学生という立場こそ違うものの三人とも女性です。いったんスタンガンで体の自由を奪ったうえでの殺しとは言え、それなりの強い意志がなければ女子大生が一人の男性をアイスピックで心臓を突き刺すというのは考えにくいです。実際に久保原真理恵と吉澤佳織の二人と話をしてみて、それほどに強い殺意なり動機を感じ取ることはできませんでした。可能性があるとすれば教員の松山です。心理学者ということもあってか精神面は強い印象を受けました。松山ならその気になれば人を殺せると思います。仮に害者が松山を脅迫して経済的援助を強要したとすれば、松山には犯行動機が十分あると思います。但し、松山には殺害時刻にアリバイがあります。それともう1つ、私は新宿の事件と今回の渋谷での事件、同一犯による連続殺人事件だと決めるのは早いと思います」

すると警視庁の直属の上司にあたる村橋が大声で叫んだ。

村橋「加賀見、それは本部の決定だ。無用な口出しはするな」

ユリ「しかし……」

阿南「よせ、ユリ」

森竹「加賀見刑事、殺害時刻、殺害方法、そして害者にハーフという特殊な共通性があるとなれば、これを別々の事件と考える方が無理ではないでしょうか? しかも新宿の被疑者である松波にはアリバイはなく、犯行時刻の少し前に現場付近にいたことは間違いありません」

阿南「しかし、池袋の現場に残っていた靴跡のサイズは25であり、松波の靴のサイズより1cmも小さいです」

村橋「たかが10mmの差だ。そんなもの誤差の範囲だよ」

阿南「靴擦れは5mmの違いでも起きる。その倍の10mmも違えば、かかとがはみ出して、まともな動きができんだろう」

村橋「スタンガンで相手の動きを封じての殺しだ。まともな動きができなくても可能だ」

森竹「新宿と池袋、この二つの殺人事件が同一犯によるものか否かを判断するにあたっては靴のサイズの違いも考慮はしますが、殺害方法などの類似点よりも重視すべき問題とは認めません。それでは第3班!」

第3班の報告では、遺留品からは何も見つからなかったが、聞き込みで当日の深夜に現場付近のコンビニで若い感じの人物を見たという証言があった。ただしその日はカメラが故障中で動いていなかったのと、証言者である店員の記憶もその人物が帽子を目深にかぶりマスクをしていたので顔はよく憶えておらず、性別もわからないとのことだった。

そして決定的な手がかりをつかめないまま、捜査は事件発生から6日が過ぎた。2018年6月21日、午前10時に池袋中央署の刑事第一課強行犯係のデスクに置かれた電話が鳴った。

 

⑳池袋中央署 捜査一課強行犯係

桑原「はい、一課、強行犯係です」

男「新宿、池袋に続き、今度は渋谷で7月1日午前3時に殺人が起きます。もちろん被害者はハーフです」

桑原「渋谷って、渋谷区のことか? 渋谷区のどこで、どこで起きるんだ!」

男「……」

電話は切れた。

桑原「もしもし! もしもし! くっそー、切りやがった」

それを近くで聞いていた阿南が席から立ち上がった。

阿南「3回目の殺人予告か!」

桑原「予告としては2回目ですが、前回と同じ声、同じ言い方、内容も前の事件から15日後に起きるという点で酷似しています」

阿南「警視庁本部に連絡だ!」

桑原「はい!」

この予告電話が最終的な決め手となり、新宿と池袋での事件は連続殺人事件として断定された。

 

〇阿南の行きつけの焼き鳥店の座敷(夜)

1班の加瀬と2班の阿南と村橋とユリが並んで座っている。

村橋「新宿のホシは松波でほぼ間違いなしか?」

加瀬「9割がた間違いないと思う。松波にたどりつくまで捜査員をのべ30人も投入した。自信はある。しかし池袋の方はわからん。松波には岡安という学生を殺す動機がまったく無い。そもそも接点がみつからない。新宿の害者は松波と三角関係だった。愛人を奪われたという恨みがあった。そいつがたまたまハーフだったってことだ。ハーフだからという理由で殺したわけではない」

村橋「つまり松波がホシだとすれば、その殺害動機は、ハーフ一般に対する増悪のようなものではなく、あくまでも害者個人に向けられたものだったというわけか?」

加瀬「そうだ。だから池袋の害者もハーフだからというそれだけの理由で松波から殺されたという可能性はないだろう」

ユリ「新宿の事件のホシが松波以外の人間である可能性も残っているんでしょう?」

加瀬「あと二人いるが、松波が動機の点でダントツだ。他の二人は同じ警備会社の同僚だが、仕事のことで2、3回もめたといった程度で、特に怨恨関係と思えるほどの事実は見えなかった」

ユリ「仮に、池袋の事件のホシが新宿の事件を利用して連続殺人に見せかけたとするならどうでしょう?」

加瀬「模倣犯……って言うか、便乗犯?」

村橋「しかし、次回の予告が出たっていうのにか?」

ユリ「それも連続殺人に見せかけるためのフェイクかも知れません。池袋の殺しのホシはすでに目的を果たしたのですから、予告の7月1日の殺人は起きないのかもしれません」

村橋「それはないだろう。何も起きなければ起きないで怪しまれる。予告した以上は、なにかやらないと意味がない」

加瀬「連続殺人に見せかける理由は、新宿の事件のホシに自分の罪を着せるということだな?」

ユリ「それが一番でしょうけど、そこまでいかなくても捜査を混乱させられるので、逃亡のための時間を稼げます」

村橋「高飛びされると面倒だ」

ユリ「村橋さんが言われたとおり、予告だけして何もしないというのでは連続殺人の偽装としては中途半端になってしまいます。だとしたらまた誰かを殺すつもりかもしれません」

阿南「もし松波がホシだとすると、2回目の殺人予告の内容をテレビか新聞で知った時点で、誰かが自分を利用しようとしていることを悟ったはずだ。それで当日の深夜、予告場所である池袋に来たんだ」

ユリ「そうです。それで6月16日の夜中に池袋で松波の姿がカメラに写っているのです。自分をはめようとしている人間を探し回っていた松波の姿です」

阿南「松波は自分が池袋の事件でアリバイを失うことより、自分を陥れようとしている人間を見つけ出して消す方を優先したんだな」

ユリ「しかし結局、松波は誰も見つけることはできませんでした。だからこそ次回の殺人予告の7月1日は渋谷に来て、池袋の事件のホシを見つけようと気合を入れるでしょう。もし松波が見つけたら、本当に殺人が起きる可能性があります」

阿南「松波は3度目の殺しがあると思うかなあ。お前がさっき言ったみたいに池袋での殺しが目的であり渋谷の殺人予告はフェイクだから何も起きないと思うかも知れない。だとすれば捕まる危険を冒してまで行く意味はなかろう」

加瀬「その考えで池袋では交番巡査の巡回だけに頼って張り込まなかったからやられたんだ。マスコミは今も、殺害予告を軽く見た警察の大失態だと言って騒いでいる。次は許されないぞ!松波が来ようが来まいが、7月1日に警察官を渋谷に集中的に大量動員して、建設現場や公園など人目につかない場所を重点的に配置するしかないだろう」
阿南「しかしいったいどこからそんなに動員できるんだい? まさか爆破テロの予告でもあるまいし機動隊員を並べるわけにはいかんだろう。とても現実的な策とは思えんなあ。そもそも渋谷というのも、渋谷区という意味とは限らんぜ。前は池袋、これは豊島区だ。その前は新宿だが、これは結果的に見て新宿区のことではなく、新宿駅中心のエリアを指している。つまり、犯人は、新宿、池袋、渋谷という、いわゆる三大副都心を殺害現場に指定したと思われる」

村橋「だとすれば、1丁目から4丁目と、あと、道玄坂や宇田川町まどが対象範囲に絞られてくる。これなら、前もってリストアップした場所に私服警官を配置することは可能だ。とにかく世間に対して警察は今度はちゃんと張り込みましたというポーズをとらなきゃならん。問題なのは、町に警察官が大量に入ると交通が混雑し通行人の中に雑踏ができる。住民の苦情よりもホシが犯行後に逃亡しやすくなることだ」

ユリ「エリアを渋谷駅周辺に限定することは危険です。ホシも当然、警察が張り込んでいることはわかって来るのですから、普通に予測できそうな場所は避けるでしょう。この際、渋谷区全体を警戒範囲とすべきです」

村橋「それだけの範囲をカバーできるだけの人間がいないのにどうするんだ」

ユリ「警視庁の生活安全部からも私服警官を出してもらいます。足りない分は、警備会社に協力してもらうしかありません。制服を着た人間が立っているだけで威圧になります」

村橋「警察が警備会社に頭を下げるっていうのか! 面子ってもんがあるんだよ面子ってもんが……

ユリ「今、そんなことを言ってる場合でしょうか?」

阿南「まあ、落ち着け。とにかく、犯行予告の7月1日午前3時までが勝負だ。加瀬よ。松波に逮捕状が出るのはじきか?」

加瀬「それが微妙なところだ。なにせ物証が見つかっていないからな。スタンガンもアイスピックも出てこないし、新宿では工事現場ということもあって地面の状態が悪くゲソコンの採集さえできなかった」

阿南「軽犯罪でもいいから松波をパクれないかなあ」

加瀬「池袋のホシをあげる方が早いだろう」

阿南「それが難しいからこうして悩んでるんじゃないか!」

村橋「順番から言えば、一刻も早く新宿の事件にカタをつける方が先だ」

加瀬「とは言ってもなあ、さっきも言ったように物証が出ない限り逮捕はまだ先になる」

タバコの煙といっしょに溜息を吐く男たち。それを横目で見ながら、思案をめぐらすユリ。

 

Ⓣ『それから捜査は進展せず、会議は回数を重ねるだけで決め手は見つからないまま、時間だけが空しく過ぎて行った。そしてついに殺人予告まで残り2日と迫った。』

 

〇池袋、西豊デパート付近のコンビニ(朝)

犯行当夜に若い人物を見たという店員に再度、会ってはみたものの、やはり記憶が定かではなく、手がかりをつかめず落胆している阿南とユリ。

阿南「性別くらいわからんかなあ」

ユリ「今の世の中、外見だけでは性別がわかりにくいです」

阿南「まったく、ジェンダーだかなんだか知らんが、男らしさとか女らしさなんて軽視する世の中なんて間違っとる!」

ユリ「ましてや帽子にマスクですから判別できないんです。でも久保原や吉澤の可能性はあります。いえ、可能性を言うなら松山結子や、ホストの男性でさえ……」

阿南「やはり起死回生の一発は、おまえのカンに賭けるしかなさそうだな。責任は俺が持つから、遠慮なく思ったように動いてみろ」

ユリ「はい」

快活な表情で答えるユリ。

 

〇池袋中央署内 特別捜査本部(午前)

焦燥感に満ちた表情の捜査人たちの前で、苦い表情の幹部たちが並んで座っている。その中に阿南やユリの顔もある。
永田「予告の日まで2日を切った。なんとしても今日中にホシを挙げなければならない」

加瀬「松波の逮捕状はまだ出ないのでしょうか?」

森竹「証拠が足りません。起訴するだけの証拠が……」

加瀬「ぱくっても証拠不十分で不起訴ってことですか。せめて予告時刻が過ぎるまで、別件で引っ張っておくことはできないでしょうか?」

永田「それは考えが逆だ。松波を捕まえるためには泳がせなきゃならん」

阿南「いや、しかし、もしも加賀見が言うように池袋の事件が便乗犯罪で、害者がハーフであること以外の共通点が連続殺人事件に見せかけるための偽装だとしたら、池袋の実際のホシが松波に命を狙われる危険性があります。実際、6月16日の予告時間に現場の近くのカメラに松波の姿が映っていました。明日も渋谷に来る可能性があります」

永田「それならそれでもいいじゃないか。仮に池袋の方が便乗だとしても、新宿と池袋、この両方の事件のホシを一挙に捕まえてカタをつけるチャンスだ」

ユリ「便乗犯を囮に使うということですか? 課長、池袋の事件のホシは女子学生、いえ、少なくとも若い女性である可能性があります。大の男に襲われたら抵抗しきれないでしょう。松波を泳がせるのは中止すべきです!」

永田「だったらどうするんだ? 松波はぱくれない、池袋のホシもぱくれない、指をくわえて渋谷の予告殺人を見過ごすというのか! それに加賀見刑事、君は今、池袋のホシが女子学生だとか若い女性だとか言ったが、根拠があって言ってるんだろうな!」

ユリ「いえ、私のカンです。25の足のサイズは女性にもけっこういるし、実際はもっと小さなサイズの人も、その気になれば1cmや2cmくらい、詰め物をして履けないことはないです」

阿南「男の怨恨による殺しなら、西口のようにあっちこっち刺すかどうかはともかく、もうちょっと苦しませる殺し方を選ぶのではないですかね」

村橋「いや、西口彰の殺しは怨恨ではないぞ。それにだ、新宿のホシと同一犯でないという根拠はあるのか?」

阿南「村橋、さっきから根拠、根拠って、それをこれから探しまわるんじゃないか!それにこの前の足のサイズの件だ。蒸し返すわけじゃないが、やっぱり1cmの差は大きいぞ。さっき加賀見が言ったように小さな足を大きく見せることはできるが、その逆に、大きい足を小さく見せることは物理的に極めて困難だ。課長!まだ時間はあります。捜査を継続させて下さい!」

永田「タイムリミットは午後6時。最後の捜査会議を開く。それまで進展がなければ、渋谷で封じ込める作戦に切り替える。いいな!」

全捜査員が「はい!」と言って起立し敬礼。幹部たちが退場し、解散となった。その中で浮かぬ表情の阿南やユリたち。村橋と打ち合わせをして、これから捜査に出て行こうとしている桑原をユリが呼び止めた。

ユリ「あの、すみません、桑原刑事!」

桑原「えっ! は、はい」

驚いた表情で訊き返す桑原。

ユリ「捜査のことで、お話があるんですが……」

桑原「なんでしょうか?」

阿南「クルマの中で話せばいい。俺は遠慮するよ」

気を利かせて二人を駐車場に送る阿南。

ユリ「じゃあ、行きましょうか」

桑原「はい」

 

〇池袋中央署の駐車場 覆面パトカーの中(午前)

ユリ「この前の捜査会議で村橋さんが報告した害者のパソコンのことなんですが、女の子の画像が見つかったと言ってましたよね?」

桑原「ええ。それが何か?」

ユリ「桑原さんもその写真を見たんですよね?」

桑原「いえ、パソコンを鑑識に届けるまでは自分も関わりましたが、その後は村橋さんが一人で鑑識の人とやりとりしました。自分は他の仕事を指示されたんで……」

ユリ「村橋さんは害者の妹さんには会ってませんよね。顔を知らないでしょう?」

桑原「ええ、たぶん。……ということは、加賀見刑事は害者のパソコンにあった画像が妹の美咲さんのものではないかと疑っているんですか?」

ユリ「妹さんとは限りません。交際していた久保原さんや吉澤さんを撮ったものかもしれません。ただ、村橋刑事は、事件とは関係ないと判断しました。久保原さんや吉澤さんは、直接会ってはいなくても被疑者として提示された写真を本部で見たはずです

桑原「ええ。見てます、見てます。だからパソコンの画像がその二人のどちらかだったとしたら、事件に関係ないなんて思うはずはないです。しかし美咲さんについては写真が配布されていないので照合できません」

ユリ「ですよね。それとその画像ですが、削除されたのを復元したんですよね。そこも引っ掛かります」

桑原「なるほど。なにせ女の裸ですからね。あっ、これは失礼!」

ユリの目を見て、あわてて言う桑原。

ユリ「それからもう一つあるんですが、害者の家族のことです。父親が日本人で母親がフランス人というのはわかりましたが、他にはなにか聞いたことや感じたことはありませんか?」

桑原「特に何か聞いたことはありませんが、安置室で初めて会った時に感じたことは、美咲さん、害者と似てないということです。まあ、顔はハーフと言われればそうかなとは思いますが……」

ユリ「そうですか」

桑原「加賀見刑事、あなたまさか美咲さんを疑ってるんですか?」

ユリ「さっきの裸の画像が美咲さんのものなら、それをネタにして害者が美咲をゆすっていた可能性もあります。もしそうなら殺すだけの動機にはなります」

驚いたような顔をしてユリを見る桑原。厳しい表情で窓外を見つめるユリ。携帯電話と手帳を取り出し、ページを繰って番号を見ながらボタンを押してゆく。電話がつながり先方が出る。「……美容専門学校です」

ユリ「こちら警視庁捜査一課の加賀見と申しますが、そちらの学生さんで岡安美咲さんは今日、来ておられますか?」

先方は上司に代わり、折り返しかけるという。面倒な表情でユリがいったん電話を切り、髪をかきあげ、溜息をついて待つ。その間、桑原はユリの美しい顔に見とれている。携帯のベルが鳴り、ユリが出る。

ユリ「はい……、はい、そうです、私が加賀見です……はい、岡安美咲さんです。……美咲です……すみませんが急いでください……」

また、「調べますので、しばらくお待ちください」と言われて苛立つ様子のユリ。やっと先方が電話に出た。

「えっ! 来ていない……、岡安美咲はこの数日間、学校に来ていないんですね。岡安美咲ですが間違いありませんね? わかりました。ありがとうございました」

桑原「美咲さんがどうかしたんですか?」

ユリ「すみません、阿南刑事に、これから害者の実家に行くと伝えて下さい」

桑原「えっ? これからですか?」

ユリ「午後の捜査会議までには必ず戻ります。すみません、降りて下さい、時間がないんです!」

あわてて降りる桑原。すぐにユリが運転席に座る。勢いよくクルマが出てゆく。呆然と見送る桑原。

 

〇中央自動車道

疾走する黒いセダン。運転しているユリの顔がアップになる。大月ICの表示。その方向へ降りて行く。

 

〇山梨県大月市の岡安家(午前)

三階建ての大きな邸宅の門前にクルマが止まり、ユリが降りて来た。三階建ての外観。眩しそうに見上げるユリの顔。玄関に向かって歩いてゆく。

 

〇邸宅のリビング(午前)

ソファーで、岡安翔太と美咲の母親、マノンとユリが向かい合って座っている。

ユリ「本当に美咲さんはおられないのですね?」

マノン「本当です。4日前に旅行に行くと言って出たっきり帰って来ないのです。いったい、どこに行ったのか、電話もないし、どうしていいかわかりません」

ユリ「そうですか。御主人は?」

マノン「商社マンですのでね、1年の内、半分以上は海外にいます。今は中東に行っています」

ユリ「そうですか。自分の子どものこと、なんにも知らないでいいきなもんだわ……」

小声で呟くユリ。

マノン「えっ? なんです? なにかおっしゃいました?」

ユリ「あ、いえ、なんでもありません。美咲さんも、お父さんもいらっしゃらないなら、あなたにお尋ねするしかありません」

マノン「私に何を訊きたいのですか?」

ユリ「美咲さんのことです」

マノン「美咲のことより、翔太を殺した犯人はまだ見つからないのですか?」

長年、日本に住んでいるので日本語は流暢だ。

ユリ「その目星はついています。でも、まだ確証を得られていません」

マノン「それなら、こんなところに来られる暇など無いのではございませんか?」

ユリ「美咲さんに会わなければ、その確証を得ることはできないんです」

マノン「それはいったい、どういうことでしょうか?」

大きな目を見開いてユリに問いかけるマノン。

ユリ「美咲さんは、お兄さんを殺害した可能性があります。だから被疑者です。でも、場合によっては美咲さんにも危険が生じます。そうなったら警察は全力をあげてお嬢さんの保護に努めます。ですから、どうか御協力をお願いします」

マノン「美咲が翔太を殺したってぇ~? あんた何を言ってるの。それに美咲が危険って、どういうことですか? 私は何をすればいいのですか?」

急にわめきながらカーペットを敷き詰めた床に顔を伏せて泣き出す母親のマノン。

ユリ「突然、混乱させるようなことを申してすみません。でも詳しく説明している時間はないんです。お母さん、マノンさん、どうか、私の質問に答えて下さい。翔太さんと美咲さんは実の兄妹ですか?」

マノン「……」

ユリ「これは重要なことなんです」

マノン「どう、重要なのか私にはわかりません。でも刑事さんが言われるとおりです。私は夫が仕事でフランスに滞在した折に知り合い、結婚しました。そして美咲が生まれたのです。翔太は……、翔太は夫の前の奥さんの子です。その人もフランス人でした。実は夫はその奥さんに隠れて、つまり浮気をして私と愛し合ったのです。いずれ奥さんには二人で謝って離婚してもらうつもりでした。ところがその奥さんが急に亡くなり、翔太は私たち夫婦で育てることにしました」

ユリ「そうでしたか。翔太さんと美咲さんとは異母兄妹なんですね。それ以外の二人の関係なんですが……」

マノン「それ以外の関係って、翔太と美咲が男女の関係だと言うんですか? それだけは無いと思います。そうです、それだけは絶対にさせないように、私はずっと見てきました。だから、それは無いです」

ユリ「美咲さんの居場所に心あたりはありませんか?」

マノン「先ほども申しましたが、本当に心あたりはないんです」

ユリ「お父さんは仕事で忙しかったのですか?」

マノン「ええ。休みの日も美咲と二人で話をすることはありませんでした」

ユリ「美咲さん、寂しかったのかも知れませんねえ」

マノン「私もそう思います。大学にも行くように勧めたのですが、早く、自立したいから手に職をつけるんだと言って美容の専門学校に入りました」

ユリ「そうでしたか……」

自分の若い頃と重ねるように美咲の気持ちを想像するユリ。その沈鬱な表情にマノンは気づき、見入られる。

マノン「あの、あなた……」

ユリ「はい?」

マノン「もしかして、フランスの……?」

ユリ「ええ。わかりますか? 父は日本人とフランス人のハーフです」

マノン「美咲には、あなたのような姉がいたらよかったんです。何があの子を苦しめているのかはわかりませんが、誰にも相談できずにさ迷っているのでしょう。こんなことになるなんて……」

泣き出すマノン。ユリは居づらくなり、立ち上がると暇を告げて玄関に向かった。リビングで泣き続けるマノンの姿。

 

〇捜査本部(午後)

すでに捜査員たちが会議をしている。緊張感が漂う室内。その中に阿南の顔もあるがユリの顔はない。
森竹「では第1班から順番に捜査の報告をお願いします」

第一班の捜査員たちが立って報告してゆく。しかし不満げな顔の幹部たち。

永田「ダメだ、ダメだ。どれもこれも決め手にならないじゃないか! 被疑者と言える者が一人も見つからないなんてことがあるか! 次、第二班! なにか収穫はないのか!」

阿南「課長、同一犯による連続殺人という線はいったん捨てて、ここは同一犯を装った者による犯行という線に絞るべきだと思います。そうなると加賀見が当たっている害者の交友関係に限定されます」

永田「その加賀見はいないじゃないか!」

その時、ユリが駆け込んで来た。その様子に捜査員たちが皆、立ち上がる。

ユリ「遅れてすみません。私は岡安美咲と吉澤佳織が共謀して岡安翔太さんを殺害したという確信に至りました」

阿南「な、なんだって!妹が兄を殺したというのか?」

ユリ「はい。美咲は現在、行方をくらましています。吉澤佳織の証言から何かわかるかもしれません。至急、吉澤佳織を重要参考人として任意同行を求めようと思います!」

このユリの言葉に沈鬱だった捜査員たちの士気が一挙に上がった。

永田「よ~し、加賀見、その子を必ず連れて来い。取り調べはお前に任せる。女には女がいいだろう。課長、それでよろしいですね?」

永田「うむ。加賀見刑事、早速、着手してくれ」

ユリ「はい!」

引き締まったユリの表情。希望に満ちた表情で加賀見を見る捜査員たちの顔、顔、顔。その中で誇らしげに微笑む阿南の顔もあった。

 

〇吉澤のアパートの部屋(夕方)

ユリがノックすると吉澤佳織が出てきた。

吉澤「ああ、このまえの刑事さんですか」

ドアを少し開けた状態で佳織が言う。

ユリ「すみません。この前の件で、くわしくお話を聞きたいことがあるので、署まで同行願えませんか?」

吉澤「この前の人みたいに怖い人たちが怒鳴ったりするんですか?」

ユリ「いえ。そんなことはないので安心して下さい。私があなたと話をするので」

吉澤「わかりました」

ユリに伴われてクルマに乗る佳織。

 

〇池袋中央署取り調べ室(朝)
コンクリート打ちっぱなしの壁に囲まれた空間の中央に1台の机と2脚の椅子がある。窓は申し訳程度に付いているだけで、けっして開放感はない。マジックミラー越しに、ユリと吉澤佳織との会話を眺めている森竹と村橋と阿南。
ユリ「では、単刀直入にお尋ねします。あなたは池袋で起きた岡安翔太さんの殺害事件に関係していますか?」

吉澤「はい」

ユリ「どのようなかたちで関係しているのですか?」

吉澤「新宿での殺人事件に便乗して岡安翔太さんを殺害する計画を立てたのです」
ユリ「その計画を岡安翔太さんの妹である美咲さんに話したのですね?」
吉澤「はい」
ユリ「どうしてそういうことになったのか、経緯を具体的に教えて下さい」
吉澤「あたしは、翔ちゃんと付き合っていた期間、お金を貸していました。でもなかなか返してくれないので別れました。別れた後、私自身、生活に困って、翔ちゃんに貸したお金を、全額は無理だとしても、できるかぎり返してもらいたいと思うようになりました。それで翔ちゃんに電話して、返せるだけでいいから返してほしいと頼みました。ところが翔ちゃんは、あたしが貢いだのであって貸したのではないなどと言いました。それであたしの中に憎悪が膨らんでいったのです」

(回想場面)吉澤佳織と岡安翔太が言い争う様子。
ユリ「それで殺したいと思ったのですか?」
吉澤「いいえ、殺してしまっては元も子もないですから。どうにかして、力づくでも貸したお金を回収する方法はないかと思いました。それで妹さんに協力してもらうしかないと思ったのです。妹さんが無理だと言うなら、男友達を紹介してもらって、その人に恐喝でもして回収してもらうつもりでした」

ユリ「あなた自身が岡安さんを呼び出すことはできなかったのですか?」

吉澤「あたしが会ってと言ったって、どうせ返済の催促だろうと思って翔ちゃん、今まで通り無視して会ってはくれません。だから、妹さんがお金をあげるから会いに来てとでも言って呼び出すしかないと思いました。美咲さんの携帯番号は、翔ちゃんと付き合っている時に何かあった時のために控えていたので、そこに電話して、今言ったようなことを喋ったのです。すると美咲さんは、そのことも含めてあたしに相談があるから会ってほしいと言いました。それで山梨で初めて会ったのです」
ユリ「美咲さんの自宅で会ったのですか?」
吉澤「いいえ。家では込み入った話ができないということだったので、あまり人目につかない場所で話をしました」
ユリ「美咲さんの相談というのはどういう内容でしたか?」
吉澤「あたしが翔ちゃんに貸したお金は妹である自分が利子を加えて全額返すから、その代わり翔ちゃんを殺すことに協力してほしい……うまく殺る方法を考えてほしい、ということです」
ユリ「人殺しの相談でしたか?」
吉澤「ええ。最初はそんな真剣な感じではなく、まあ、冗談でしょう? って訊き返すとそれは否定して本気だとは言うけど、私は半信半疑で、とにかく話を聞いてみたら、私が理学部の学生だから、なんかいい方法を思いつくんじゃないかと思ったようです」
ユリ「でも人殺しの相談をするなんて、相手を信用していなければできないことです。通報されたらそれまでですから。あなたは美咲さんと初対面だったのに、どうして美咲さんからそんな信用を得られたと思いますか?」
吉澤「美咲さんも翔ちゃんの借金のことで苦労してたし、あたしは結局、翔ちゃんに捨てられたので、なんか、シンパシーを感じたんじゃないですか?」
ユリ「シンパシー……それでしょうね。それがあなたたちを共犯関係にしたのですね?」
吉澤「私の方は、そんなでもなかったんです。翔ちゃんの妹さんのために罪を犯すなんて思ってもみませんでした。だっておカネが戻っても前科者になるなんて割りに合いませんから。でも、そのことより翔ちゃんに対する憎悪が勝ったんです」
ユリ「美咲さんは、翔太さんを殺したいと思った本当の理由をあなたに話しましたか?」

吉澤「はい。打ち明けてくれました。あたしもそれを聞かなければ協力できないと言ったので……」

ユリ「どういう動機ですか?」

吉澤「高2の時、美咲さんは翔ちゃんにレイプされ、裸の写真を撮られたそうです。その写真をネットに流すと言って脅して、美咲さんのお小遣いを奪っていたんです」
ユリ「それで美咲さんにも翔太さんへの憎悪が芽生えていったんですね」
吉澤「そうです。殺すしかないというところまでいったんです」
ユリ「あなたはその殺害を連続殺人事件に見せかけるアイデアを美咲さんに提供したのですね?」
吉澤「そうです。もっとも理学の知識なんかまったく必要ではなかったですが……」
ユリ「あなたはアイデアを提供しただけで、美咲さんが翔太さんを殺す時は現場には行かなかったのですね?」
吉澤「はい、行きませんでした。だからあたしは実行犯ではありません」
ユリ「では、他にどういったアイデアを出しましたか?」
吉澤「靴跡を少し大きめのサイズにした方がいいと言いました。美咲さんはあたしと同じ23.5ですが、わざと25のサイズのスニーカーを履きました」
ユリ「なぜ、25にしたのですか?」
吉澤「美咲さんが動ける範囲で最大のサイズだからです」
ユリ「大きめのサイズにすることによって男性の犯行に見せかけたのですか?」
吉澤「もちろん25なら女性の可能性も高いと思いますが、すくなくとも美咲さんやあたしは対象外になると思いました」
ユリ「凶器や手口は新宿の事件を真似たのですね。スタンガンもアイスピックも見つかっていないのですが、どうなったかわかりますか?」
吉澤「美咲さんがどこかに埋めたと思います。多分、お墓詣りに行った時にそこらあたりに埋めたんだと思います」
ユリ「翔太さんの携帯電話かスマホの行方は知っていますか?」
吉澤「それも美咲さんが隠したはずです」
ユリ「それにしても、新宿の殺人事件と同一犯の仕業に見せかけたりしたら、実際の犯人から狙われるかもしれないとは思わなかったのですか?」
吉澤「思いました。そこが私が立てた計画では最大の問題でした。美咲さんもそのことは気にしていました。でも自分に疑いがかからないようにしたいと言うので、やるしかないと説得しました」
ユリ「美咲さんが翔太さんを呼び出した時、誰かと一緒だったらどうするつもりだったのですか?」
吉澤「美咲さんには、1人で来るように言って誘い出すよう言いました。それでも誰かと同伴している場合は、決行を中止して別の機会を待つことにしていました」
ユリ「交番も警察官の巡回にあったらどうするつもりだったのですか?」
吉澤「それは美咲さんが専門学校の友達に協力してもらいました」
ユリ「事件当夜に、酔っ払いのケンカがあって巡査がそっちに駆け付けたのですが、そのことですか?」
吉澤「はい。ケンカするエキストラは、美咲さんの専門学校の友達がやったのです」
ユリ「そうやって警官を別の場所に誘い出すというのは、あなたが考えたことですか?」
吉澤「はい、そうです」
ユリ「殺害予告もあなたのアイデアですね?」
吉澤「はい」
ユリ「声は男性ですが、これも美咲さんの友達ですか」
吉澤「そうです」
ユリ「明日の午前3時に何が起きるのですか?」
吉澤「……」
ユリ「言ってください、何が起きるのですか?」
吉澤「それは言えません。単なるフェイクでないことはたしかです」
ユリ「場所を教えてください」
吉澤「言えません。今、それを言ったらすべてが水の泡になります」
ユリ「岡安翔太さんを殺害するという目的はすでに果たしたではないですか?」
吉澤「それがすべてではありません」
ユリ「どういう意味ですか?」
吉澤「言えません」
ユリ「とにかく、予告した時刻に渋谷のどこかに美咲さんが来ることは間違いないのですね?」
吉澤「計画ではそうなっています」
そこに村橋がドアを開けて入って来る。続いて阿南や永田も……。
村橋「加賀見、手ぬるいぞ!犯行を自供した以上、遠慮は無用だ。おい!明日の午前3時、岡安美咲は渋谷のどこで何をするつもりだ? はっきり答えろ!」
泣きそうな顔で悲鳴を上げ、隅にうずくまる佳織。
ユリ「村橋さん、やめてください。これ以上の取り調べは無理です。お願いしますから大きな声は出さないでください」
村橋の肩に両手をあてて懇願するユリ。阿南が村橋の腕を握る。
阿南「村橋、無理強いすると裁判で面倒なことになるぞ」
森竹「ここはいったん留置場に入れて上の判断を仰ぐしかないです」
村橋「ここで吐かせんで手遅れになっても知らんぞ。3人目の死人が出たらお前らが責任とれよ」
加賀見「わかりました。私ひとりが責任をとります」
そう言い捨ててドアを開けて出てゆく村橋。
阿南「いや、責任は俺がとる。とりあえず、この子はここで保護しないといけない」
森竹「岡安美咲の保護は本部に任せて、阿南刑事と加賀見刑事は帰って休んで下さい。これは課長からの指示です」
黙って頷く阿南。「わかりました」と力弱くユリが答えた。

 

〇ユリの自宅マンション(夜)

シャワーを浴びるユリ。かきあげるセミロングの髪。数日間の疲れも洗い流される。全裸をバスローブで包みタオルで髪を拭きながら寝室に行き下着を身につける。パジャマ代わりのTシャツとショートパンツを履き、そのままベッドに寝転んでテレビのリモコンのボタンを押すと、画面に松山結子がコメンテーターをしている姿が映った。週に1度放送しているBSの「報道特番21」という番組でユリは欠かさず録画しているのだが、今日は新宿と池袋の事件を「ハーフ連続殺人事件」と題して解説している。池袋の事件では被害者の学生が在籍していた学部の教員ということで松山に出演要請がかかることは自然に思えた。今日は録画する必要はなかったと思いながらユリはベッドを降りて椅子に座り直して画面を見つめるユリ。

キャスター「被害者の岡安翔太さんは、何か恨まれるような事情があったのでしょうか?」

松山「先ほども申したとおり、プライバシーに関わるようなことは申せません。ただ、担当教員としての私の印象では、他人から恨まれて殺されるような人ではなかったということです。私が心理学者のはしくれとして疑問に思うのは、岡安君の財布には現金が残されていました。怨恨なら普通、物盗りに見せかけて財布ごと取り去るのではないでしょうか? しかし財布は現金が入ったまま残されていた。この事件が怨恨によるものなら、余程、強い意志によるものだと思います」

キャスター「と言いますと?」

松山「自分の動機を隠す余裕もないほどに切迫した激しい感情があったということです」

キャスター「痴情のもつれということは考えられますか?」

松山「さあ、私は犯罪心理学の専門家ではありませんが、それはよくわかりません。ただ、痴情のもつれが動機だとしても、当然ながら恨みの感情を伴うことがあるわけで、犯人の動機について詮索してもあまり意味はないと思います」

キャスター「では、もう1つだけ。先月の新宿の殺人事件と今月の池袋の殺人事件、この二つの事件を警察では連続殺人とみているようですが、この点、松山先生はどのように考えておられますか?」

松山「私は、必ずしも同一犯とは思いません」

キャスター「では殺害方法などの一致や、殺害予告については、どのように考えればいいのでしょうか?」

松山「先ほども申しましたとおり、私は心理学者とは言っても犯罪心理学の専門ではありませんので、そういったことには答えられません。ただ、今回の池袋での事件の犯人が、新宿での事件の犯人と同一犯であると見せかけ、自分の罪を新宿の事件の犯人に着せようとするのであれば、2回目の殺害予告は出さないと思います。だって、新宿の事件の犯人にどうやって渋谷で人殺しをさせるのですか? あるいは、自分が渋谷で人殺しをして、その犯行を新宿の事件の犯人の犯行に見せかけるためには、その新宿の事件の犯人を殺すなり監禁するなりしないと出来ないことでしょう? ですから、池袋の事件の犯人は渋谷で予告された事件の犯人ではあり得ても、新宿の事件の犯人ではあり得ないのです。つまり、連続殺人は、池袋と渋谷ではあり得ても、新宿と池袋ではあり得ません。それが渋谷での殺害予告まで出たことの意味です。おわかり頂けますでしょうか?」

キャスター「わかりました。渋谷の殺害予告まで30時間ほどになりました。今後の警察の動きに注目したいと思います。それでは、松山先生、ありがとうございました」

にこやかにお辞儀をする結子。ズームアウトして番組が終わる。

松山の推理はユリの推理と重なっている。新宿の事件と池袋の事件を同一犯によるものとする捜査本部の方向は間違っている。ユリの胸中に、黒雲が湧くように不安が広がった。ベッドに横になるが、胸騒ぎがして眠れないユリ。こうしてその日は終わった。

 

〇捜査本部(午後)

永田「渋谷の殺害予告までもう半日余りまで迫った。一刻も早く、第三の被害者を出さないためにホシを確保しければならない。その一方で、本件が連続殺人を偽装したものだとすれば、池袋の事件の被疑者を保護しなければならない。これは、新宿の事件の被疑者である松波洋一に殺害動機が生じる可能性が高いからだ。現に、松波は池袋の事件の当夜、現場近くの防犯カメラで姿を撮られている。この時は実行に及んではいないが、今回はその遂行を試みるおそれがある。そこで、被疑者を保護する体制づくり、これを急がなければならないが、午前中に2班が吉澤佳織を取り調べた結果、池袋の事件への関与を自供した。これにより害者の妹、岡安美咲の容疑が深まった」

場内の捜査員たちから驚きの声が上がった。

永田「このあと、捜査員全員に対し、岡安美咲の最新の顔写真を配布する。すでに配布している松波洋一の顔写真と合わせて二人の顔は一目見てわかるように頭の中に焼き付けておいてもらいたい。また、二人の顔写真を使って徹底した聞き込みにより、その動きをつかんでもらいたい!」

森竹「では、ここからは本部長からお話があります。起立!……気をつけ!……敬礼!」

捜査員が一斉に捜査本部長である仁科に敬礼し、着席する。

「岡安美咲だが、現在、行方がわからない状況だ。松波が美咲を狙うかどうかはわからないが、その前提で対応しなければならない。第一班は、松波の動向を監視し、逐一本部に報告しろ。絶対に見失うな!実行に及ぶ前であっても、状況によっては職質をかけてでも行動を半強制的に抑止し、必要によっては公務執行妨害で身柄を確保しなければならないので、そのつもりでいてくれ。第二班は岡安美咲の行方を探してくれ。見つけ次第、保護のためにも逮捕できるように裁判所に要求しておく。どうしても行方不明のまま予告時刻に近づく場合は、岡安美咲が現場に現れることを前提とした態勢に切り換えてもらう。第三班は、予告されている渋谷での事件がどこで行われるのか、その現場の推定に努めてもらいたい。可能性の高い場所のピックアップと、そのすべての場所とその周辺に私服警官を2名ずつ配置し、予告時間まで巡回による不審者・不審物の発見等に努めてもらう。また防犯カメラの位置や、その作動の有無なども調べておいてほしい。なお、全班とも各任務遂行に集中しつつも、緊急時、特に予告犯行時刻に近い時間帯にあっては、本部から連絡する場所に集合し、臨機応変、各班各捜査員の判断で然るべき行動をとれるよう、日頃の鍛錬を想起しつつ準備されたい!松波洋一と岡安美咲、この両者徹底的にマークし、残された時間、第三の殺害を防ぐことに全力を尽くすのが我々の任務である。以上」

永田「なにか意見があったら遠慮なく言ってくれ!」

渕上「三班の渕上ですが、渋谷で次の殺害現場になる可能性の高い場所については、正直、雲をつかむような話で、なにかとっかかりになるものはないでしょうか?」

村橋「加賀見、見当はつかんか?」
ユリ「新宿の事件現場はイトタンデパートの近くであり、池袋の事件現場は西豊デパートの近くでした。渋谷でデパートの類いと言えば東快か渋谷西豊かギャルコです。その付近、半径2キロ圏内を最重点警戒区域にすべきです」
渕上「よし! 本部長、その線でお願いします!」

仁科「了解した」

総勢100人にまで膨らんだ捜査員たちは写真を受け取り、3つの班に分かれて散ってゆく。ユリは阿南や村橋や桑原と打ち合わせに入った。

村橋「俺たちは20人で渋谷駅とその周辺で聞き込みをしようと思う。美咲の写真を見せて目撃情報を集めると共に、専門学校の友人関係を洗って、美咲の行方を探ってみる。ちなみに美咲はクルマやバイクの免許はいっさい取得していない」

阿南「自分らは残りの人数で山梨の実家および周辺一帯を見張り、聞き込みは大月駅や山梨駅とその周辺を当たってみようと思う。ついでにバスの使用も想定されるので、そっちの方も調べてみる」

お互いに連絡を取り合うことを確認してから駐車場に行き、それぞれのクルマに乗り込む捜査員たち。阿南と美咲はいつもの黒の覆面パトカーだ。時間がないので回転灯をつけサイレンを鳴らして再び中央道で山梨に向かうユリ。

 

〇第2班の捜索現場(午後)

阿南とユリは山梨の実家に着いても再度、母親に会うことはせず、阿南は玄関の出入りなどを少し離れた場所から双眼鏡で監視している。ユリは数人の刑事と共に駅やバスセンターなどで美咲の写真を見せて目撃情報を得るために奔走している。一方の村橋と桑原の方も多くの刑事と共に、渋谷の駅やその周辺で美咲の写真を示しながら捜索している。なかなか手掛かりを得られずに焦る捜査員たちの表情。ユリは時々、腕時計を見ながら気持ちを引き締めるように拳を握る。

 

Ⓣ「そして時刻は0時を廻り日付が6月30日から7月1日に変わり、殺害予告まで残り3時間となった」

 

〇捜査本部(夜)

警察無線ではなく携帯電話で連絡を取り合っている。

永田「一班の加瀬刑事、松波はどうしているか?」

加瀬「今のところ雀荘で賭け麻雀をやってます。その気になれば賭博罪で引っ張ることも可能ですが、その場合は松波以外もやらなければなりません」

永田「それどころか、雀荘に対しても賭博場開帳等図利罪を適用しなくてはならないから面倒なことになるぞ。捕まえるなら松波だけを捕まえる方法を考えろ!」

加瀬「了解です」

永田「二班の村橋刑事、岡安美咲の行方はまだわからんのか?」

村橋「はい、まだわかっていません。目撃情報は加賀見が山梨駅の駅員から得た1件だけです。渋谷では皆無です」

永田「こうなったら、殺害予告の午前3時に勝負する構えをとるしかないなあ。三班の渕上刑事、渋谷での配置はどうだ?」

渕上「はい、東快デパートと渋谷西豊デパート、そしてギャルコの、それぞれを中心とする半径2キロ圏内の要所、要所に警察官を配置しています。現在のところは特に気になる情報は入っていません」

永田「よし! 引き続き警戒態勢を維持するように……」

 

Ⓣ「運命の殺害予告時刻の午前3時が近づいてゆく。残り2時間を切った時、山梨駅での目撃情報を本部に連絡した加賀見ユリは、雑踏の中を歩きながら、松山結子のことを思い出していた。

 

〇岡安邸附近(1:15)

(クローズアップ)回想していたユリの表情。頭の中でひとりごとを言うユリ。

『松山結子は研究室に聞き込みりに行った時、阿南刑事の「学生に訊くのは、なにせ殺人事件ですから、学内で犯人探しみたいになって、疑心暗鬼になるといけないと思いまして……」という言葉に対して松山は「まあ、刑事さんにもそんな気遣いをなさるかたがおられるとは意外でした。刑事さんって無神経な人たちなのかとばかり……あっ、これは失礼」などと小ばかにした笑い声をあげていたが、刑事に対する恨みでもあるのかも知れない。久保原真理恵の証言が本当なら、岡安翔太に対して一方的な恋愛感情を持った者が松山結子本人であり、その痴情のもつれから殺害の動機を持った可能性はある。松山のアリバイはホステスの愛人相手のものだから疑いはある。しかし、松山がホシなら、吉澤佳織の自供はウソということになるが……』

そこで、はっとユリは顔を上げた。周囲にも数人の刑事が張り込んでいるが声は聞こえない。

『仮に吉澤と松山とがグルで、岡安美咲を陥れようとしているのだとしたらどうだろう。松山こそ連続殺人に見せかけて岡安翔太を殺害し、さらにその妹の美咲をも殺害しようとしているのではないだろうか……?だとすると美咲が行方不明なのは拉致されて、どこかに監禁されているおそれがある。美咲が危ない……』

ユリは、自分の発言によって警察の現態勢が松波洋一と岡安美咲に向いており、松山結子はまったくノーマークになっていることを後悔した。そして至急、松山結子の動向を把捉する必要を感じた。すぐに携帯電話を取り出して阿南の番号を押した。

ユリ「班長! 至急、松山結子に会わなければなりません」

阿南「なに! 松山? 吉澤の自供では……」

ユリ「吉澤佳織は松山の共犯である可能性があります。松山は我々が最初に疑った人物でしたが、私のカンがとんでもない方向へミスリードしてしまいました」

阿南「いや、それに気づいたのもお前のカンだ。まだ取返しはつく。最後の逆転満塁ホームランを狙ってみようじゃないか! ユリ、すぐに下北沢の松山の自宅へ行け!」

ユリ「はい。岡安美咲が監禁されいるおそれがあります。松山に会って、そのことを探り、事件当夜のアリバイをもう一度、問いただしてみます。でも、班長の取り調べがうまく進んで吉澤が自供し、松山がホシであることが確定したら連絡してください、すぐに渋谷の方に急行します」

阿南「よし、そうしてくれ。必ず吉澤を落として逮捕状をとる準備をしておく」

ユリ「お願いします!」

走り出すユリ。他の刑事と合流して、サイレンを鳴らしながらパトカーで松山結子の自宅へと向かう。

 

〇下北沢の松山結子の自宅(1:20)

リビングのソファーに深々と座って足を組んでいる松山結子の向かいで両手に通販で購入できる手錠をかけられ座らされている岡安美咲の姿があった。両脇にはホストの吉岡が見張っている。

松山「そろそろ出発の時間が近づいてきたわ。美咲さんは池袋でお兄さんを殺したことを後悔し、自ら殺害予告をして、自分で自分を殺害するというシナリオ。我ながらよく出来ているわ」

吉岡「それはともかく、吉澤が警察に留置されちゃった。余計なこと言わなきゃいいけど……」

松山「大丈夫よ、あの子は。私に不利なことは喋らないわ」

吉岡「へえ。ずいぶん信用あるんだね」

松山「そんなことより、私のシナリオをあんたがヘマをせず実行できるか、そっちの方が心配だわ」

吉岡「大丈夫。渋谷ったって広いんだから。警察はまさか渋谷区という意味で言ったとは思わんだろう。駅のあたりは警官がうようよしてるだろうから、そんなところに行くのはそれこそ飛んで火に入る夏の虫だ。わざわざ捕まりに行くようなことをするわけがない」

松山「本当ならその裏をかいて美術館のあたりでやりたいところだけど、これはあまりに無謀だわ。確実性をとるためには大山町あたりでもよかったんだけど世田谷区の方だと、うちの近所になるから怪しまれるとまずい。反対に港区の方の広尾あたりにするのが妥当とみたの」

吉岡「まさか、あんなところに廃寺があって、その敷地の中でやるとは警察も思わないだろうな。そのまま極楽に送ってもらえるよ。こんな可愛い子を自殺に見せかけて殺すのは気の毒だけど、俺は結子とこれからもうまくやってゆきたいから腹をくくる」

松山「そうでしょう。無能で何の取柄もないあんたがラクして生きてゆくには、私の支えが不可欠だからね」

吉岡「そこまで言わなくても……」

二人の話を聞きながら怯えた表情の美咲。結子と目が合い、慌てて下を見る。

松山「ねえ、美咲さん。冥途の土産に教えてあげるわ。あなたがお兄さんにレイプされて裸の写真を撮られ、それをネタに脅されてお小遣いを巻き上げられていた……なんて話を作ったのは私ではなくて、この男よ。日頃からそんな妄想の中で生きてきた人間なのよ、この男は。吉澤佳織にその話を警察に言わせて、あなたにお兄さんを殺す動機があるように思わせたってわけ。それを警察に信じ込ませるために、この男が、お兄さんのパソコンにあなたの裸の画像を送ったのよ。この男はお兄さんのバイト先のホスト。お兄さんはあなたのことが可愛かったんでしょう、スマホにあなたの写真を取り込んで、自慢げに同僚やお客たちに見せていたわ。私も見せられた。きっと自慢の妹だったのね。この男は、あなたのお兄さんに、あなたの写真が可愛いからコピーさせてくれと言ってあなたの顔写真を手に入れた。そしてその顔写真を、ネット上に流出しているヌード写真の中から適当に選んで合成したの。それをジョークとか言ってお兄さんのパソコンのアドレスに送った。お兄さんのスマホは私たちとの関係がばれるから回収しなきゃいけないので、スマホを警察に見せるわけにはいかない。お兄さんを殺したら持ち去らないといけない。だからスマホに送ったのではなく、お兄さんの部屋にあるパソコンに送ったわけ。お兄さんはその合成写真を見た後、きっと削除したでしょうけど、科捜研の手にかかればそんなもの復元されてしまうから、その点、私は心配しなかった。ところで、はっきり言っておくけど、あなたのお兄さんが実際にレイプし、裸の写真を撮ってそれをネタに脅して金品を要求した相手は私なの。その写真はお兄さんのスマホに入っていたわ。もうスマホごと破壊したけどね。私があなたのお兄さんからいちばん被害を受けた人間なのよ! たまたま、私が常連のホストクラブにあなたのお兄さんがバイトで入って、そこからお兄さんは私をカネづるにしようとたくらんだ。それで、いろんなことを要求してきたわ。大学の単位までね……。私はあなたのお兄さんのようなクズのために自分のキャリアに傷をつけられることが我慢ならなかった。だから殺そうと思ったの」

吉岡「結子、もういいよ。逆に俺がこの子から殺されそうだよ。しかし2回目で3人目の殺人予告が、実は犯人自身が被害者になるという筋書きは面白い。この子もハーフだから確かに3人のハーフ連続殺人だ」

松山「美咲さん、でも、あなたの兄さんへの恨みをはらすために、こんな大がかりな事件を起こすわけではないのよ。私はあなたには何の恨みもないんだからね。私の本当の敵は警察なの。私の父は学生の時に機動隊にやられてひどい目にあったし、姉は姉で冤罪被害者にされた。そして私自身、ストーカー被害を受け付けてもらえず、逆に相談相手になると言って近づいてきた刑事から暴行を受けた。この恨みをいつかはらしてやろうと思い続けてきた。殺人事件を起こして未解決にして警察に恥をかかせることが、学者のはしくれである私なりの復讐の仕方なの。そしてもう一つ。じつはこちらの方が警察よりも殺したいくらい嫌いなの。それはあなたたち混血よ。ハーフってやつよ。私は若い頃からハーフに邪魔をされた。私がミス・キャンパスで1位になれなかったのも、全国美人教員ランキングで優勝できなかったのも、ハーフの女が邪魔をしたから。プロフィールでいつも2位とか準優勝とか言われるのが悔しかった。今でも私はハーフを許せないの。だからハーフ・キラーになることにしたの。さあ、そろそろ眠ってもらいましょう」

そう言うと結子は美咲の口に、睡眠導入剤が入った液体を強引に流し込んだ。しばらくして床に倒れる美咲。それを起こして連れて行き、クルマの後部座席に乗せる結子と吉岡。

 

〇池袋中央署(1:30)

二人の女性警官が留置場にいる吉澤佳織を出して、取調室に連れて来る。腰ひもを通した手錠をかけられて歩く無表情の佳織。

 

〇池袋中央署(1:35)

取調室で阿南が座って待っている。ノックの音。

阿南「はい」

ドアが開き、二人が立っている。

警官「吉澤佳織を連れて来ました」

阿南「どうぞ」

警官が腰ひもを解き手錠を外して佳織を椅子に座らせ、退室する。

机をはさんで向かい合う阿南と佳織。

阿南「さっそくだが、君は松山結子とどういう関係かね?」

黙っている佳織。

阿南「殺人予告の時刻まで1時間しかない。早くしないと岡安美咲さんが殺される。そうなったらもう手遅れだ。君の人生も取返しのつかない傷を背負うことになるんだ。だから吉澤! 本当のことを言ってくれ。松山は何をしようとしているんだ!」

吉澤「翔ちゃんを殺し、その罪を妹の美咲さんになすりつける……償いの自殺に見せかけて……」

阿南「つまり、新宿の事件と池袋の事件を連続殺人と見せかけた犯人を美咲さんに仕立て上げようとしたんだね。それで渋谷での殺害予告もした。本当は池袋の殺害予告は無用だった。これは新宿の事件の犯人と池袋の事件の犯人を同一犯に見せかけるためのことだからね。でも新宿の事件の犯人、まだ被疑者だが、この男は自分に罪を着せようとする人間を殺すために、池袋に現れたんだ。防犯カメラに写っている。これは松山としては余計なことだったはずだ。かえって自分が狙われる危険を招いたのだからね。その点については何か言ってなかったかね?」

吉澤「そうです。本当は1回目の殺害予告はいらないんです。それをわざとやったのは、犯人が稚拙な人間であると思わせるためだと思います」

阿南「稚拙な人間ねえ。ところで、松山は本当に予告した3時に渋谷でやろうというのか。渋谷のどこか知っているね?」

俯いたまま頭を振る佳織。

阿南「知らない? ウソだ! 君は聞いているんだろう。えっ! どうだね? 知っているだろう。言ってくれ! 君が言わないと手遅れになるんだぞ。美咲さんが殺されてもいいのか? 君のせいで美咲さんは若い命を失うことになるんだぞ!」

阿南の責め立てる言葉に耐えきれず、急に顔を上げた佳織。

吉澤「本当に知らないんです!あたしの役目は美咲さんに接触して翔ちゃんを呼び出してもうこと、そして警察にウソを言って美咲さんが犯人であると思わせること、それだけです。細かいことまでは知らされていません」

阿南「交番巡査の巡回を妨害するために美咲さんの男友達にケンカの芝居をさせたという話、あれもウソだな」

吉澤「そうです」

阿南「美咲さんから兄さんの殺しについて相談されたというのもデタラメなんだな」

吉澤「はい、全部ウソです。本当は美咲さん、とてもお兄さん思いの子です。翔ちゃんも美咲さんを可愛がっていて、脅しておカネを取るようなことはしていません」

阿南「その兄さん思いの美咲さんが無事に助かるために協力してくれ。じゃあ訊くが、松山には君以外に協力者がいるのか?」

吉澤「それは知りません。あたしは松山さんと個人的には2、3回しか会ってないんです。それも短い時間に、一方的に伝えられるんです。だから言われたこと以外は何も知りません」

阿南「君がそこまで松山に従う理由は何かね?」

吉澤「翔ちゃんへの恨みをはらしてくれるということ、そして……」

阿南「バイトか。いくらもらった?」

吉澤「100万円。成功したら200万、追加してくれるって……」

阿南「そんなはしたカネで、人一人の、いや二人の命を奪う片棒を担ぐのか? ばかげていると思わないか? 仮に松山の筋書き通りになったとしても君は共犯者ということになり大学も辞めなければならなくなる。松山は無罪でぬくぬくと今まで通りの教員生活。一方の君は利用されるだけされて転落だ。よく考えてごらん。300万円では釣り合わんだろう?」

吉澤「でも死人に口なしだから、そんなに重い罪にはならないって松山先生が言ったんです」

阿南「そんな身勝手な松山の考えによって君は操られているんだよ。目を覚ますんだ! そして君が松山から聞いたことはすべて話すんだ!」

迷う表情の佳織。

 

〇パトカーの中(1:40)

後部座席で、思案する様子のユリ。携帯電話が鳴った。

ユリ「はい、加賀見です」

阿南「吉澤がはいた。今度こそお前のカンが当たったぞ、松山と吉岡が共犯だ。今、裁判所に逮捕状を請求している。すぐに渋谷方面へ向かってくれ。吉澤は具体的な場所は知らないようだが、何か思い出せないか、もう少しねばってみる」

ユリ「わかりました。でも相手は被疑者とは言え女子学生です。あまり無理なことは……」

阿南「わかってるよ、心配するな」

ユリは電話を切ると運転している新人刑事に方向転換を指示した。

 

〇松山結子の自宅(2:00)

結子と吉岡がクルマを出そうとした時、遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえた。もちろん、それはユリの乗ったパトカーではない。

松山「吉岡! 急いで! 場合によっては予定時刻よりも前に殺らなきゃならない。でも場所だけは予定通りにやらなきゃ、連続殺人事件としてのかっこうがつかないわ。さあ、早くクルマを出して!」

吉岡「わかった。いざとなりゃ地獄の底まで3人一緒だ!」

そう言うと吉岡は運転席に乗ってエンジンをかけた。走り出す吉岡のフェラーリ。

 

〇渋谷駅周辺(2:30)

まだ多くの人が行き交っている。その中で巡回している私服警官。無線で連絡し合っている。殺害現場になりそうな怪しげな場所はすでにリストアップされ、見張られている。あちこちの防犯カメラも作動している。ひとりの警官が松波に似た男をみつけた。すぐに村橋の耳に入る。尾行の指示が出て、警官はその男の後をつけてゆく。しかし松波らしい男は慣れた足取りで、素早く移動してゆく。焦るように小走りで追いかける警官。

 

〇池袋中央署(2:40)

阿南「君は吉岡というホステスを知らないか? 松山のアリバイを証明した人だ。この男が共犯の可能性が高い。この名前、聞いたことないかい?」

吉澤「……あります」

阿南「やはり松山の共犯者なんだな」

吉澤「松山先生が美咲さんに会いたいと言っておびきだし、吉岡さんがクルマに乗せて連れ去る予定でした」

阿南「それを実行して、今、美咲さんは危険な状態なんだ。なんとか渋谷の場所を思い出してくれないか? 美咲さんの命を助けてあげられるのは君だけなんだ!」

吉澤「思い出したことが1つだけあります」

阿南「うん、言ってみてくれ」

吉澤「すでに美咲さんを自殺に見せかけて殺す計画を打ち明けられ、警察にうそをつくバイトを引き受けた後です。あたしが引っ越しすることになり、不動産屋さんで物件を探してまわっていて打ち合わせに遅れたことはありました。ちょっと怒られましたが、あたしが悩んでいる様子を察してくださり、細かいことを気にしないなら比較的広くてその割には家賃が安い物件があると先生が教えてくれたのです。それを心理的瑕疵物件ということもその時、初めて知りました。あたしはその線で探すことに決め、狙い通りの格安物件に入ることができたのです。あとでそのお礼を先生に言った時、美咲さんが入る場所もあなたが探し当てた物件みたいなところよと言ったんです」

阿南「それはつまり、賃貸住宅かなんかで殺すという意味かな?」

吉澤「そこまではわかりませんでした」

阿南「まあ、とにかく、そのことは他の捜査員にも伝えることにする。なにせ相手は心理学者さんだ。俺たちの心理の裏をかくくらいのことはやれるだろう。池袋では誰もが気づく公園だった。今度はどうくるのかな? 」

 

〇広尾の殺害予定場所の寺(2:40)

彼方からヘッドライトの光。吉岡のフェラーリが近づいて、墓地の下に止まった。

松山「美咲さん、死ぬにはもってこいの場所よ」

そう言いながら後部座席で眠っている美咲を外にひきずり出す結子。

松山「予定時刻にはちょっと早いけど、吉岡、やっちゃおうか!」

吉岡がクルマの中から灯油が入った容器を取り出す。

吉岡「自殺に見せかけるのは、こんなやり方しかないのかね」

松山「焼身自殺がいちばんよ。余計な痕跡が残らないから……」

吉岡「熱くて眠りから覚めたら地獄だな」

松山「さあ、それはこの子の運にかかっているわ。苦しまずにあの世に行けるか、それとも阿鼻叫喚地獄を味わうのか……」

吉岡が美咲の体に灯油をまこうとしたその瞬間、結子がスタンガンを取り出して吉岡の首に当てた。倒れる吉岡。

「バカな男。ここで美咲が自殺したように見せかけたって、美咲が池袋の事件の犯人だと警察が思うわけがない。わざわざ殺害予告の日時に合わせて犯人が自殺するなんてシナリオが不自然なんだから。ここは犯人が予告どおり池袋に続いて2回目の殺人を試みたが、相手に抵抗されて両者とも焼け死んだということにするんだよ、焼死体からは身元がわからないんだよ、わかったか!」

そう言って、灯油のケースを手に取り二人の体にまいてライターで火をつけようとした、その時である……。急にクルマが走ってくる音とともにヘッドライトの光が結子を照らし出した。パトカーがサイレンを鳴らさずに近づいて来たのだ。

松山「どうして、ここが……」

パトカーから降りて来るユリ。結子からは逆行の中をゆっくりと近づいてくる。やがてライトは消え、その代わり、周囲から照明があてられ、周囲は真昼のようになった。結子は観念したのか、その場に座り込んだ。阿南やユリたちが近づいて、すぐに美咲を保護し、1台のパトカーが病院に搬送する。

松山「なぜ! なぜ、この場所がわかったの?」

誰に言うともなく泣き叫ぶ結子。これに答えたのはユリだった。

ユリ「私、カンがいいんです。時にははずれることもありますが、今回は吉澤佳織の記憶がヒントになって、このお寺の境内だとわかりました」

松山「佳織が何を、何を言ったの?」

ユリ「あなたが吉澤と打ち合わせのために会った時、美咲さんを殺害する場所は心理的瑕疵物件みたいなところだって言ったことです」

松山「ああ、言われてみると、そんなこと言った気がする。それがヒントになってここをつきとめるとは、さすがね」

ユリ「急いで調べてみると、このあたりで心理的瑕疵物件に該当する住宅はありません。廃屋の関係で探してみると、よく自殺者が出て住人が定まらなくなった場所が1件だけ見つかりました。それがこのお寺です」

松山「なるほど。私としたことがくだらないおしゃべりで墓穴を掘ったわ」

ユリ「実は、この廃寺は心霊スポットになってて一部のマニアの中ではよく知られているんです」

松山「へえ、そうだったの。私は心理は知っているけど心霊は無知だから、そんなこと全然、気づかなかったわ。ハハハ」

ユリ「松山結子さんと吉岡隆さんに逮捕状が出ています。岡安翔太さんの殺害容疑並びに吉澤佳織さんの殺人未遂容疑です」

松山「どうぞ」

そう言ってユリの前に両手を差し出す結子。時刻は皮肉にもちょうど3時。手錠をかけて一緒にパトカーの後部座席に乗るユリ。スタンガンで気絶した吉岡も正気を取り戻し、他の刑事から手錠をかけられ、別のパトカーに乗せられ、その他1台、計3台のパトカーがサイレンを鳴らして走り去ってゆく。

 

〇池袋中央署 取調室

室内に松山結子とユリの二人が机をはさんで座っている。

ユリ「岡安翔太さんを殺害した時の状況を話して下さい」

松山「渡したいものがあるから公園に寄ってと言いました。そこでいろいろとしまして3時までかかって、それから隙をみてスタンガンを当て、アイスピックで……」

ユリ「ちょっと待ってください。害者、あっ、いや、岡安さんが勤務先を出たのは0時半すぎです。そこから公園までは徒歩でせいぜい15分くらいの距離です。ですから1時までには公園についたはずです。あなたもその頃をみはからって待っていたのでしょう。それから3時までの2時間以上、いったい何をしていたのですか?」

松山「いや、だから、そこを読み取ってほしいから『いろいろとしまして』と言ったんじゃないの。あなた、まさかその年でバージンってわけでもないでしょ。男と女が一緒にいれば、なにかしらで2時間や3時間、あっという間に経っちゃうものよ。ましてや、1度はつきあった男を、これから殺すんだから、それなりのこともするでしょう? そのへんのことはいいじゃないですか……」

ユリ「でも、あなたは岡安さんを男として好きだったではないのでしょう? 岡安さんの方が一方的にあなたを好きになり、あなたにわいせつな行為もし、さらには脅迫して金銭などを要求したのではなかったですか?」

松山「ええ。後半は前にも言ったことでそのとおり。だから殺意も芽生えたわけよ。でも前半は、まったく男として見ていなかったかと言えばウソになる。でも自分から抱かれたことはないのよ、そこまではない。ただ、いざ、殺すとなると、情緒的なものもあるじゃないですか……、それで今までのことを話したりしたわけよ」

ユリ「岡安さんは上着を脱いでいましたよね。あれは……」

松山「あなた、カンがいいんじゃなかったの。ベンチの上にスーツの上着を置いてすることと言えば、男女がそこで抱き合ってキスしたりする場面が想像できない? ま、とにかくそうしながらスタンガンを右手でポケットから取り出し、彼の背中に当てたのよ。その後はいいでしょ」

ユリ「靴跡は25のサイズでした。あなたと同じですね。これは偽装しなかったんですね?」

松山「25なんて男にも女にもたくさんいるでしょ。そんなものをへたに偽装してかえって足がつくより、何もしない方が無難だと思うけど……」

ユリ「結局、吉岡さんの役は、運搬と電話ですか?」

松山「それと交番のおまわりさんが公園の近辺に巡回に来るといけないから、3時頃は離れた場所におびきよせるための騒ぎを起こさせた。あとは、万が一、新宿の事件の犯人が襲って来た場合の盾になってもらうつもりだった」

ユリ「でも最終的には殺すつもりだった、そうですね?」

松山「そうよ。美咲と一緒にね。渋谷の殺害予告は、美咲がやったことになるわけで、その殺害が兄殺しを後悔しての美咲自身に対する自殺だなんて、シナリオとしてはちょっと無理があるでしょ? 自殺するんならなにも予告しなくたっていいんだから。美咲はあくまでも2人目の誰かを殺す予定だった。でも今度は失敗して自分自身も死ぬ結果になった……そういう筋書きにしたのよ。その場合、二人とも焼け死んでもらうのがいちばん。証拠があまり残らないから。美咲は殺そうとした相手から反撃された結果、何らかの理由で火がついて相手と道連れに焼け死んだ……、そういうこと」

ユリ「吉澤佳織さんを巻き込んだ理由は?」

松山「岡安美咲を犯人に仕立てあげるためには彼女の協力が不可欠だった。警察の目を欺くための証人としてね」

ユリ「あなたの本当の動機はなんだったんですか? 岡安翔太さんに対しては、自分の裸の画像をネタに脅されたことですか? 岡安美咲さんに対しては、自分の罪をなすりつけて犯人に仕立てあげることですか? そうではないですよね、あなたの真の目的は……」

結子の表情が急に緊張した感じになった。

松山「何だって言うのよ?」

ユリ「これは私の、外国人の血が流れている私のカンですが、あなたは過去にハーフから受けてきた心の傷を、岡安兄妹を殺すことによって慰撫しようとしたのではありませんか?」

松山「ふん、わかったようなことを言うじゃない。あなたが私の何を知っているというの?」

ユリ「あなたは美しい人です。ご自分でも容姿に自信があったのでしょう。おそらく子どもの頃から。でも何かにつけ、あなたの前にはハーフが現れ、あなたにとって邪魔になった。だからハーフに対する憎悪が積もっていたのではないでしょうか? それが岡安翔太さんとの出会いによって噴き出してしまい、殺害に及んだのでは?」

松山「だとしたら何だって言うの?」

ユリ「あなたは心理学者なのに、そんなことをしなければ抑えきれなかったのですか?」

松山「ハハハハ、心理学なんてもので人間の心を制御できるなら、あなたがた警察官より心理学者を増やす方が犯罪の抑止につながるわ。でも、あなたがたが必要とされるのは、人間の心、憎悪によって破壊された人間の心は、どんな知識や方法を使っても、人間の力ではどうにもならないからよ」

ユリ「あなたは心理学者であるのに、自分の心の傷を癒す方法は知らなかった。そういうことですね」

松山「あなたこそ、私にはわかるわよ、大きな心の傷を抱えている。いえ、それを激務の中で忘れようとしている。でも時々、傷がうずいて苦しむんでしょう。おそらく子どもの時に容姿のことでいじめを受け、それで整形までして自分を変えようとした。たしかに顔かたちは変わったけど心は変わらなかった。いいえ、むしろ以前より傷口が広がった。だからその痛みを麻痺させるために、あなたは厳しい男社会の警察組織に飛び込んだ。死の危険に身をさらす緊張した仕事なら何でもよかった。でもあなたに成れるのは警察官だけ。その中でも一番危険な刑事という仕事をあなたは選んだ。これが私のカン、いいえ、ちょっとした心理分析なんだけど、ちがうかしら……?」

ユリ「やめて、やめてください」

松山「あなたが他人の心に土足で踏み込もうとするからそういうことになるのよ。いい? 刑事だろうが何だろうが、どんな権力があっても、けっして人の心に入り込むことは許されないの。おぼえておいた方がいいわね」

机に顔をつけるかのように下を向き、興奮して震える体を自ら抑え込もうとするユリ。

ドアが開いて、阿南が入って来た。

「今日の取り調べはここまでだ。立て!」

続いて入ってきた警官が松山結子に手錠をかけ、腰ひもを付けて連れてゆく。阿南もドアを閉めて出て行った。一人、残されたユリ。ふと体を起こして天井を仰ぎ、深い溜息を一つ、つく。

 

〇クレジット・タイトル

画面は、溜息をついたユリの顔の静止画像をバックに音楽が始まり、キャストやスタッフの名前が流れてゆく。そして…………(終)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年7月27日公開

© 2019 平島 公治

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