雷鳴一声、雨が降る。
機銃掃射のように一過した雨水は、ほどなく土砂降りへと変わっていった。
浅羽は黒くごついPaul Smithの傘を開いてフルートバッグを護る。肩に提げた鞄とロングベストの背中に雨が染み込んでいく感覚に、段々気分が憂鬱になっていた。
木管楽器は繊細なのだ。湿度に弱い。
金管楽器のように、丸ごと水洗いしてその辺に干しておけば済む雑な楽器とは違う。しかも、このフルートは#35,000代のオールド・ヘインズだ。文化遺産。現代で作れる人間はいない――。
駅前のロータリーでバスに乗ろうとしたが、満員のため諦める。タクシー乗り場は長蛇の列、……浅羽は諦めて駅前を離れる。周りには、浅羽と同じように徒歩で帰ろうとしている人々が、安物のビニール傘を差しながら項垂れて群れを作っていた。合皮の靴と裾を濡らしたサラリーマン、太く短い指の女子高生、雨の中でも無駄にうるさい子供たち――。
そんな群れの向こうから、杖をついて心許なく歩んでくる一人の老婦人がいた。品のある顔付きだが生気はなく、白髪は周りの人間の傘が当たって濡れている。傘も持たずに。
浅羽は婦人とすれ違い、そのままなんとなく目で追った。駅に向かう人の群れからは離れている。商店街とも方向が違う、……どこに行くのだ?
浅羽は傘を閉じた。一本の木を刳り抜いた柄の、武器として使えるように選んだ重い傘だ。走って、婦人を追う。
――
婦人は差し出された傘を見て、浅羽に言った。
「大丈夫だから」
「大丈夫……?」浅羽にはその言葉が理解できない。
「濡れて歩いて行くから」
「……」
――
浅羽は雨煙に霞んで消えていく婦人を見送った後、傘を広げて帰路を急いだ。
オフィス街の四角いコンクリートのビルから滴る冷たい雨だれの不協和音を、聴くともなく耳に響かせながら……。
(了)
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