「これ、録画なんだけど。何年前だったかしら」
とマダムはDVDプレイヤーのリモコンを操作して粛々と上映の準備を始めた。平日はよっぽど暇なのか、もう夜も更けたというのに客は私一人きりだ。バーカウンターの向こうに立つ彼女は私より頭二つほど背丈が高い。手元明りのランプの他には壁にしつらえられた間接照明がかすかに照らすばかり。ビルの奥まった場所にあるこの店は繁華街の喧騒とは無縁だった。奥にはドラムセットとギターが並んではいるが、有線すらもかかってはいない。この静けさも彼女のこだわりだった。マダムは自分の店を決してミックスバーとは呼ばなかった。バーテンにはビアンもゲイもSMマニアも居たけれど、マダムがうまく纏めあげたバーの雰囲気は『一夜の悪夢』を謳うだけのことはあった。威風堂々たる女装の美丈夫。
開放的で社交的な見世物としてのセクシャルマイノリティ、ごく開けっぴろげに言えばオネエやオカマといった商業的分類項に属する人種というものはつくづく『生き方』という言葉に縛られている。あれはいつだったか。J小路にあったゲイバーに取材が入ったことがあった。雑居ビルの6階に居を構えていたそこはアメリカンダイナースタイルの明るい店構えで、私は背の高いソファの据え付けられたカウンターで遅めの夕食をほおばっていた(その店のロコモコバーガーはなんともチープな味わいで口に合った)。いつもの客にいつものキャスト。そこに不躾な闖入者が現れた。客もそこそこ入っているというのにずけずけと上り込んで来たそいつはどこだかの局の者で、とだけ名乗るディレクターだかアシスタントだかという肩書の人間だった。その時ママ(とは言っても岡村靖幸似のひげ面の三十男なのだけれど)は他の店の女の子のバースデイのお祝いに出向いていて生憎の不在。代わりにカウンターに立っていた痩せぎすのちいママは、平日昼間の超長寿バラエティ番組の名前と名刺とを持ち出したその男の「インタビューのお願い」とやらにまんざらでもない態度で応じて空いていたボックス席を勧めた。
「実は今、イケメンのオネエを探していまして。あなたみたいな」
ご存じですかこのコーナー、とダウンジャケットを脱ぎすらせずに尋ねる“局の者”。もちろんですよ毎日観ていますもの、と調子のよい返事のちいママ。名前に年齢、特技に趣味にアピールポイントと流れるように会話が繋がれてPR動画を取るのでと胸元からハンディビデオを取り出した頃には店中の耳が彼女たちの音をひろっていた。愛想よく渋い笑顔を浮かべて最前の語りを丁寧に繰りかえすちいママ。もう既に気持ちはステージの上で、サングラスをかけた司会者と肩を並べているつもりだったのではないだろうか。
いやあありがとうございました、出演をお願いするときには連絡しますね。喜色を浮かべて見送るちいママに去り際の“局の者”はこう付け加えた。
「いやでもあなた、絶対前歯、入れた方がいいですよ」
無礼者がドアの外に消えた店は失笑のムードに包まれて、自称『気持ちは女子高生だから』のちいママは血相を変えてその“局の者”をぶつぶつと非難した。
「ほんとありえない、いいじゃないのね。前歯なんてあってもなくても。私の生き方よね」
そのあまりに怒りっぷりに思わず破顔して、彼女はまた凄い剣幕で私を睨んだ。
「貴方の趣味にも合うかしらね」
余裕と含みとのある笑顔には、彫深い顔立ちと相まって魔女の風格があった。欠かさずにジム通い練られた均整の取れた身体は厚手のカットソーの上からも見て取れて、私のような貧弱な生き物なぞ苦も無く組み伏せてしまいそうだった。勿論彼女も紛れもない男だ。ただ、先に物笑いにしたような所謂オカマとは随分と趣向が違った。私は彼女たちに何の偏見もない、というかそもそも人への根本的な興味が薄かったからちょっと毛色の違う女だ、という程度に見ていた。ただチンコがついていてアナルと乳首でよがるというだけで。抱き心地が多少硬くはあるものの、寝るのもそう不都合はなかった。だけれどもマダムはなんというか、別種の生き物だった。人らしくあろうとしている得体の知れない、どこまでも美しいスフィンクスみたいな。
マダムにお代わりは如何かと促されてお願いしますと応えると、溶けかけたロックアイスの上にハーパーの琥珀がなみなみと継ぎ足された。酒瓶を握る筋張った大きな手。暫くもしないうちにミニマルなコンガの音色が響き、バックバーに嵌めこまれたディスプレイにサバンナの遠景が映し出される。タイトルは『ライオンの母娘』だ。セレンゲティ国立公園に勤める何とかという名前の白人の博士がライオンの群れに対するフィールドワークの成果を吹き替え音声で捲し立てた。
マダムの『館』に足繁く通っていた頃、私は鉛色の砂漠の只中にあった。後ろ向きの感情というものは物事が上向いている時にこそ背を痛めるご大層な荷物となって日々の足取りを重くするのだ。と、空き瓶の底を舐めるような境遇にいた私は二十を幾つも過ぎてみて初めて思い知っていた。それまでの日の当たる所から逃げ暮らす日々は私に仄かな悦びを与えてくれていたし、愛すべき碌でもない人々との親交は私に安らぎをもたらしてくれていた。それに何より、私がもとめていた切実なリアルがフルカラー実写で繰り広げられる様は私に“ああやっぱり俺は長生きしないんだな”、と納得させてくれていた。酔客と席を連ねて蕩けていくのは、だから私にとって緩慢な自殺だった。
ライオンの群れはプライド、と呼ぶのだとナレーション。一頭の雄ライオンを軸とした強固なハーレムだ。物語の主人公は序列一位の気高い雌ライオン。研究チームからは“マトワ(*)”と名付けられた。美しい毛並。六頭の子供たちを抱えて、群れの雌ライオンたちを従えて集団でリカオンを食い殺す。
「ここから、始まるの」
笑みを湛えたまま、マダムは私に待ち受ける波乱を示唆した。彼女の、ソバージュのかかったブラウンの髪が空調に揺れる。コンガのリズムが早まる。鷹揚で力強く見えた父ライオンは日も高い内に無残な最期を遂げた。緊張したテンポが続く。若い雄ライオンが縄張りを奪い取ったのだ。世代交代。彼がプライドの長となって最初の仕事は、他の雌たちの子供を根絶やしにすることだった。雌が新たな長との間に子を為すために、これは必然なのだとナレーションが告げる。粛々と受け入れられていくこの儀式を、マトワは拒絶した。マトワは誇りを選んだのだった。
(*)Matowa。所謂、ポカホンタスの娘。
父が駅のホームから先頭車両に飛び込んだのは私が小学校をあがってすぐのことで、母は簡単に私の人生を放棄して祖父母が引き取った。誇りも糞もない。彼女はただ自由であることを選んだのだから。彼女は私が成人するまで、顏を合せることもなかった。これもまた必然なのだと幼い私は私に言い聞かせた。運命というものは、おそらくこういったシチュエーションを入念に選んで私たちの眼前へと現れる。
群れを離れた母ライオンとその子供たちに、乾ききった困難が襲い掛かる様子が淡々と映し出される。餓えと乾き。縄張りは良い水場と共にあるものだからだ。日々の糧のために母ライオンは単身狩りに出る。
「生きるってことはね、ただひたすらに生きなきゃいけないってことなの。どんなに苦しくても悲しくても関係ないの。それが野生なんだから」
ブチハイエナに皮を引き裂かれ血にまみれる一頭の息子ライオンの姿がアップになる。目を離した隙を狙われたのだった。傷を癒すためか喉を潤すためか、マトワはもうどうしたって助かりっこない深手を負ったわが子をひたすらになめ続ける。
私はもう、長生きする気はさらさらなかった。幼少期から連綿と抱き続けた劣等感と孤独感に、私はもう首まで浸っていた。あらゆる幸せは欺瞞であって、信頼と愛情は断固とし拒絶すべき不可解な何かだった。それでも全うに進学を続けて「ワタシはツヨくイキツヅケル」というポーズを崩さなかったのは、やはり祖父母が不憫であったからだ。
一人、また一人と子を失っていく。コンガはいまや空回りそうなほどに激しい。マトワの心情など私には知る由もなかったけれど、「もし母がこうあってくれたなら」などと酔いに囚われた意識の中で心が締めつけられた。もう諦めてしまえばいいのに。
「それでも生きるの」
と、マダムは私に促した。私はきっと、すごい表情をしていたのだろう。
「もう、意味ないじゃないですか」
マトワを取り巻く環境は、絶望的といってよかった。縄張りを失った雌ライオンとその子の群れは、百獣の王と呼ぶにはあまりにもはかなげだった。彼女が不屈であることをやめてしまえば、もうおしまいいなってしまうただそれだけのことでしかなかった。
「彼女は意味なんて考えなくていい。野生なんだから。生きるって、力強いでしょ」
その言葉の向く先は私に対してなのかマダム自身へと向かっているのか。その言葉が説得力をもつには、ディスプレイの向こうのサバンナの景色はなんとも無情だった。
就職して二年目に、私は祖母を看取った。祖父は高校に上がる頃にはもう老人ホームで息を引き取っていた。ああこれで一人に生きるのだなあ、と私は直観していた。葬儀を終えて、もう他人になっていた母が言った。「一緒に暮らさないか」と。そんなご都合主義が許されていいはずがないのに。殆ど理解不能と言ってよかった。どうか私の決意を汚さないでくれ。もう、死にたいんだから。不可解な情愛は、私を責めさいなむだけのものでしかなかった。
私にはなんとも感情移入しづらい出来事が、ドルビーサラウンドの臨場感を伴ってナレーションと併せて進行していく。結果として、マトワはご都合主義に救われた。娘ライオンを二頭残すばかりとなってから、彼女を追い出したプライドの面々は掌を返したように彼女を受け入れた。新たな長となった雄ライオンもまた子を残す前に獲物の逆襲に遭い、非業の死を遂げたのだった。群れは再び彼女を求めたのだ。これもまたいままでのストーリーラインからはあまりに唐突な出来事で、運命が訪れる曲がり角の風景に似つかわしかった。どうしたことでしょう、というナレーションと共にマトワはコーナーを鋭角に曲がって、彼女は狩りのリーダーの座に収まった。なんということだろう。単純明快な野生の中で死に行くはずだった母ライオンが、だ。
「ほら、お母さんライオンは、群れのみんなをちっとも恨んでなんかいなかった。どれだけ見放されてもね」
マダムは私に、ほとんど訴えかけるような調子で熱っぽく語った。
「生きるためには、弱いものを切り捨てるのは当たり前なんだから。でも彼女は強かったでしょ?だから、受け入れられた」
「でも、これは」
何に反論をしたいのか、自分でも判らなかった。
「生きるってきっと、こういうことなのよ」
ただ許せないだけだった。何よりも、私自身を許せなかったのだろう。グラスの中の氷はとうに溶け切って、気づけばひどく喉が渇いていた。
生き方という語は、私の価値観の中ではこうも軽々しく口にされるべきものではなかった。少なくとも虫歯で崩れた前歯と同列に語られるべきではなかった。オネエやオカマといった商業的分類項に属する人種を、私は心の底で軽蔑していたし滑稽だとも思っていた。世の中のあらゆる出来事は裏返しに見るとなんとも理解しやすいものだ。つまりは、私は己の生き方というものをほとほと滑稽だと思っていた。私の歩いてきた道のりに一片のプライドも持ち合わせることは叶わなかった。ご都合主義なのは自分の性根で、母だった女から「一緒に暮らさないか」と言葉を掛けられて心のどこかで救われたと思っている自分がいた。こんなご都合主義が許されていいはずがなかった。許されるはずがないのだけれど、それが答えなのだと信じたい自分がいた。
「何があっても、人は生きなきゃいけないんだから」
マダムが繰り返して口にした、彼女の信ずるところの『この世界の真実』の雄弁さはいたく私の心に響いた。残念ながらも。生きながらえた今となって考え直してみれば彼女の鮮やかな手際はある意味でお手の物だったのだろう。それでも尚、だ。大体において真実というのは事実の寄り集まりではなくて、本当であって欲しいことと嘘にしたいことの折り重なりなのだから。だから私は魔法にかかった。一夜の悪夢の魔女の館で、ライオンの血で贖われた呪いに。
私は今も生きている。
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