むかしむかし、あるところに女がいた。
女はごく一般的な見た目をしており、
強いていえば背が低かった。
背が低い女は三軒お隣のヤマダさん家に
嫁にもらわれて小さな子どもを産んだ。
子供は冬を越すことがなく亡くなった。
女は嘆き悲しんだ。
嘆き悲しんだあとそうでもないことに気がついた。
なにがそうでもないと言うと、女には昔から折り紙の才能があり、とくに千羽鶴など、わざわざ隣の町の人間が教えを請いに来るほどだった。そんな女は結局三軒隣のヤマダさん家に嫁にもらわれて折り紙を
折ることを禁じられた。
義理の母親がいい顔をしなかったからだ。
女は子を失った悲しみを悲観しようとして
これがそうでもないことに気がついた。
そのとき真の意味で、
もう折り紙を折れなくなった自分を
心の底から残念がったのであった。
女にとってそれは自分の右腕があるのに
今後一切使うことを、
目に入れることも言及することも
禁じられることに近しかった。
むかしむかしあるところに花子という
おかっぱが特徴的な色の白い娘がいた。
彼女は昔から家にせっかくピアノがあるのだからと強請ってわがままを言って教えてもらっていた。父親は大変娘に甘かったので二言返事で花子がピアノを習うことを同意した。母親はいない。早くに亡くなってしまったからだ。
花子はいつも学校から帰ってくると即座にカバンをそこら辺にほいっと放り投げてお構いなしにピアノに一目散に駆け寄った。
そうして一度椅子に座ったあと深呼吸をして木でできたまだ小学生の花子には重い、重厚な蓋を一生懸命小さな手を使って
上に押しやった。
そうして花子の視界に入る眩いばかりに輝く白い鍵とテカテカ光沢を放つ黒い鍵は、花子にとって格別に思えた。
その花子も、自分の2親等先のヤマダさんという家に嫁にもらわれることになった。
あのピアノはもうない。
誰にも触られることなく、未だにあのリビングで、花子の記憶の中でひっそりと
花子に奏でられる日を待ち望んでいる。
花子は不思議に思った。実感がわかなかったのだ。自分の父親が母親に早くに先立たれて、その心を誤魔化せるものなら永遠に誤魔化しなさいと自分に甘かったのを
知っている。
花子はおにぎりが好きだ。塩や具材を一切入れずにそのまま素飯を握ったものを
状態で目いっぱい口に頬張るとき、
ふとピアノのことを思い出す。
もう二度と弾けないピアノのことを…。
タロウは目の前に浮かぶ不思議な生命体を見ていた。これは尾が長くズルズルと
赤らんだ身体を引きずっていた。
それは勝手にひとりでに喋りだし、タロウがおじいちゃんの家で一人で過ごすときに限って現れた。不思議とどこが口かもわからないのに、ふっと現れてはこのように学校の先生くらい難しい喋り方をする。
タロウは深く気にしなかった。そいつが現れてから、案外、幽霊というものもそんなに気持ちの悪い生き物ではないのかもしれないな……と思えたからだ。
タロウはいつもそいつが饒舌に喋ると喉の渇きが止まっていることに気がついた。
不思議と話してからどれくらいの時間が経っただろう。すっかりテーブルの上に置かれた麦茶の氷は溶けてしまって、元々あった麦茶が引いたコップの線から
溢れてしまっている。
タロウはそいつに目を戻すと緊張した様子で唇をひと舐めして「なあ、…お前。名前なんだっけ?」と聞いた。そいつは答えた、いつもの調子で「わたし?わたしは嬰。嬰兒の嬰。」
"彼女が手放したものたち。"へのコメント 0件