メニュー

HEROには松たか子が必要

合評会2026年1月応募作品

浅野文月

芋煮会というのを見たことがないのです。ですので間違っていることも多いと思います。
芋煮会は見たことないですが、近所に「二子(ふたご)さといも」というブランド里芋を目指している産地があります。
誰もしらないと思いますが…

タグ: #パスティーシュ #ユーモア #一部AI執筆 #哲学 #合評会2026年1月

小説

4,162文字

東京地方検察庁狛江支部。

築六十年を過ぎた鉄筋コンクリート造りの無機質な三階建て。

外窓には飛び飛びで耐震用のフレームが斜めに設置されている。

そんな建物の二階での日常茶飯事な出来事。

 

検事久利生公平は先週から自分の検事室となった部屋の窓際に立ち、iQOSをポケットから取り出した。

ブラインドを上げる。

感情といったものが排されている室内に、陽の光が入ってきた。だが、ガラス窓の外につけられている耐震設備用のフレームがあるため、机の上にはじゃまな影ができていた。

久利生は羽織っているダウンジャケットのポケットにからiQOSを取り出して、長さ五センチ足らずのシガレットを差した。ほんのりと葉が焼けるようなにおいが漂う。

 

「検事。申し訳ございませんが」

事務官のバートルビーがノートPCに向いながらそう言った。

久利生はボソッと「紙のタバコじゃねえし……」と漏らす。

 

久利生は机の上の置いてある綴られた書類を横目で見た。この後、ここに入ってくる被疑者の事件詳細が記してある。彼は目線を外に戻し、再度窓から外を眺めた。支部の引戸門扉の向うでは押し車の中に小さな子どもが乗せられて、オレンジ色のエプロンと水色と白のギンガムチェック地のエプロンをつけた若い保育士が引率をしている。

 

「週末に岩手に行ったんだけどさ。日帰りできなくてホテル泊ったわけ。したら、禁煙室しかなくてさ。でもコレ、バレなかった」

「たいへん申し訳ございませんが、検事」

久利生はばつが悪そうに吸い途中のシガレットを抜いて、元の箱に逆向きに入れた。自分の椅子に座り、ファイルを開いて中の書類を確認する。

「なに考えていたんだろうな、この被疑者……」

十数枚からなる書類をパラパラめくりながらバートルビーに尋ねた。

「ところでさ、お前って芋煮会やる?」

バートルビーはノートPCから顔を背けずに「たいへんに申し訳ございません」と答える。

「ちょっとさ、芋煮会って調べてくれない?」と久利生が言うと、バートルビーは「わたくしはしないほうがいいと思います」と答えた。

久利生はなんとなく納得したような顔つきになり、自分の椅子に座った。

 

「多摩川ね……」

東京では芋煮会なんて見たことないよな。と思っている矢先、ノックの音と共にドアが開いた。手錠をかけられ、胴体を腰縄でつながれた高齢の男性が警察官と一緒に入ってきた。

「ソクラテス九十六世さんですよね。検察官の久利生公平です。こちらは事務官のバートルビー君。どうぞお座りください」

そう言われた被疑者は規則通りに手錠と腰縄をはずされ、事務的で簡素な椅子に座らされた。警察官は敬礼をして部屋から出ていった。いま、この部屋にいるのは検事と事務官と容疑者の三人だけである。

 

「これから検察の取り調べを致しますが、何点かあなたに伝えることがあります。まず、あなたには黙秘権があります。不利になるようなことであれば黙秘して結構です。それと、この取り調べは録音されます。もし、俺が不法な行いをしたならば、後日弁護士を通じて取り調べの無効を主張できます。よろしいですか? それと、ソクラテス九十六世さん。寒くないですか? 寒ければエアコンの温度を上げますが?」

被疑者ソクラテス九十六世は右肩を露わにし、薄ベージュ色の麻布一枚を器用に纏っただけの姿であった。

「心配無用。通年これでとおしている。また、黙秘権は必要ない。私は真実を愛する者であるがゆえ」

「そうですか。では、はじめます。ソクラテス九十六世さんはソクラテスが苗字で九十六世が下の名前でよろしいですか?」

 

「その前に早速だが、申したいことがある」

久利生は茶色に染まっている髪を後ろに手で流しながら、「なんすか?」と聞いた。

「なぜ、わたしがここにいるのか。なぜ、わたしが拘束をされているのか。なぜ、あなた方はなぜわたしが不法を犯したと思っているのか。それを聞きたい」

めんどくさいヤツがきたな……。という感情を隠さずに久利生は答える。

 

「あなたは令和七年十二月二十一日午後二時ごろ、世田谷区玉川一丁目番外地の多摩川河川敷にて芋煮会と称する集まりに罵声を浴びせた挙句、里芋や豚肉、その他根菜類がグツグツと煮えたぎっている大鍋を蹴っぱって、ひっくり返しました。被害者から一一〇番通報され、駆け付けた警察官にその事実を認め、任意同行の後に玉川警察署にて通常逮捕。間違いないですか?」

「間違いない」

「刑法二六一条および二六四条器物損壊罪。また、恐喝行為の可能性があるため刑法二四九条の適用も考えられます。わかりますか?」

ソクラテス九十六世は何食わぬ顔をしながら「わからない」と答えた。

「バートルビー。被疑者に状況を教えてやって」

「たいへん申し訳ございません。わたしにはそれができないのです」

バートルビー静かにそう言った。

 

久利生は苛立った。苛立ちながらも気持ちを抑えて被疑者ソクラテス九十六世に向き合う。

「じゃあ、なんでそんなことしたんですか! 教えてもらえます?」

「私の告発者たちは不法を犯していた。私は私の告発者にその行為が害悪であると訴えたのであるが、害悪を加えられることを望む者がいるのであろうか?」

「いや、ソクラテスさん。ちょっと何言ってるか分からないんで、端的に答えて貰っていいすか?」

バートルビーはノートPCのキーボードを打つのをやめていた。

 

「私がそのような行為におよんだのは善からであり、己の行為が法を犯していることを認識しているのに、わたしの忠告を守らなかった故に私は私の告発人にこう言ったのだ。諸君、怒るのはもっともだ。だが、少し耳を貸してくれないか。かつて、オデュッセウスとその仲間たちは、長き戦の後に故郷へ帰る航海の途中、タリナキアという島に漂着した。そこで太陽神ヘーリオスが飼う聖なる牛たちが草を食んでいた。盲目の予言者テイレシアースも、魔女キルケーも、はっきりと警告していた——『あの牛に手を出すな。殺し、食えば、必ず滅びる』と。オデュッセウスはそれを仲間たちに伝え、決して牛を屠るなと命じた。だが、彼が眠っている間に、仲間たちは飢えと欲に負けた。『神の牛だろうと何だろうと、腹が減っては戦えぬ』と言い訳しながら、立派な牛を数頭選び、鋭い刃で屠り、火を起こして焼いた。香ばしい肉の匂いが島中に立ち込めたという。ヘーリオスはそれを知り、激しく怒った。ゼウスに訴え、雷を落とすよう求めた。船が出港した直後、空が裂け、雷鳴が轟き、稲妻が船を直撃した。船は粉々に砕け、仲間たちは全員、海の底へと沈み、オデュッセウスただ一人だけが生き残った。諸君、ここで君たちが火を起こし、芋を煮るのは、まさにタリナキアの島で聖なる牛を焼いたあの者たちと同じことだ。この場所は、神々にも自然にも、あるいは人の定めた法にも、火を許さぬ場所だ。それを破れば、遅かれ早かれ天罰が下る——火事となり、煙が空を覆い、災いが広がる……とな。これでよいかね? わが友久利生よ」

 

久利生は腕組みをしながらソクラテス九十六世の長広舌を黙って聞いた。そして答えた。

「いや、俺、あんたと友だちになった記憶ないんっすけど。てゆうかさ、バートルビー。なんでお前、キーボード打つ手止めてるの!?」

「たいへん申し訳ございません。わたくしはしない方がいいと思っています」

「もういいや……。ソクラテス九十六世さん。確かに多摩川のあの場所——にこたま側はバーベキュー禁止です。川崎側にはOKな場所があるらしいっすけど」

「にこたま?」

「すみません。二子多摩川ふたごたまがわっすね。その……」

「ふたごたまがわ? わが友久利生。それはどこのことを言うのかね?」

「おい、バートルビー! なんか言えよ!」

「わたしは言わない方がいいと思います」

「チッ! ソクラテスさん。確かにあそこでは火を使ってはいけない。それをあなたは注意をした。しかし、本当は違うことを思ってたんじゃないすか?」

「わが友久利生。わたしが何を思っていたというのかね?」

 

「俺、行きました。ソクラテスさんの出身地の岩手に。北上川っていうデカくてやたら緩い流れの川があったんすけど、誰も芋煮会をしてない……どころかバーベキューすらしてない。俺、気がついたんすよね。あの川、砂利の河川敷がやたら少ないって。でも支流の川はそんなことないんすよ。そんで、現地の人、八百三十五人に聞きました。芋煮会をなぜやらないかって。したら、二百人くらいの人が——資料はバートルビーに渡してるんすけど、こいつサボってるんで——東北だっつって、どごでも芋煮会やっぺわけじゃねぇナス。って言うんすよ」

 

「わが友久利生。君はなにを言いたいのかね。犬に誓ってちゃんと言い給え」

「じゃあ、言いますけど、あんたって、芋煮会をやってる連中を羨ましと思ったんじゃないですか? それとも芋煮会という風習自体がムカついたんじゃないすか? 聞いたんですけど、昔から南部藩の人は伊達藩の人のことをなんかそういう目で見てるそうじゃないすか。っていうかバートルビーさ、仕事しろよ! お前の仕事はなんなんだよ。転職した方がいいんじゃね?」

ソクラテス九十六世の横のデスクに座っているバートルビーは、ノートPCの画面を黙って見つめながら久利生に言った。

「いいえ、何も変わらない方がいいと思うのです。えり好みしているわけではありません」

 

「わが友久利生。君も納得してくれると思うが、つまり身体と魂の世話をするために必要なものを整える仕方には二つの方法があり……」

久利生は綴りひもで綴られている書類の束を「バタンっ!」と閉じ、椅子から立ち上がってドアを開けた。

「送致官さーん。今日の取り調べ終了でーす。ソクラテス九十六世さん、拘留延長っす。俺、もう少しあなたのこと調べます。今日はすみませんでした」

ソクラテス九十六世は警察官の手によってふたたび手錠と腰縄を付けさせられ、検事室から出ていく。彼は振り返りながら久利生にこう言った。

「わが友久利生。君との議論は大変愉快であった。またこうして議論できることを切に願うよ」

久利生は「はーい。お疲れっした」と答えた。

© 2026 浅野文月 ( 2026年1月19日公開

これはの応募作品です。
他の作品ともどもレビューお願いします。

みんなの評価

3.0点(1件の評価)

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

  0
  0
  1
  0
  0
ログインするとレビュー感想をつけられるようになります。 ログインする

著者

この作者の他の作品

この作者の人気作

「HEROには松たか子が必要」をリストに追加

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 あなたのアンソロジーとして共有したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

"HEROには松たか子が必要"へのコメント 3

  • 投稿者 | 2026-01-19 07:31

    東京でも山形県人会が主催して多摩川や墨田川で芋煮会を開いていますが、このソクラテス九十六世は芋煮会を邪魔してよく殺されずに済んだなと思いました。たぶん仙台か山形に彼が現れて芋煮会を邪魔したら、彼は川面を浮く死体になっていたでしょう。ユヴァル・ノア・ハラリの『NEXUS 情報の人類史』のなかで真理と秩序は同じものでなく相反するということが書いていましたが、彼の語る真理は残念ながら芋煮会という秩序には勝てないよなと思いながら読みました。仙台人や山形人は、芋煮会という秩序を守るためにはソクラテスに死刑を言い渡したアテナイ市民のように冷酷になりえます。

    南部藩が伊達藩のことをよく思ってないのは重々承知しています。藩の境界線を決める時にわが藩祖がいろいろやらかしましたからね……

    • 投稿者 | 2026-01-19 12:26

      お読みいただきありがとうございました!

      芋煮会は聞いたことはありましたが、実際には知らないのでネットで調べ&知人になんとなく聞いたところ、かなりこだわりを持っているはわかりましたが、眞山さんのコメントにて想像以上ということがわかりました。

      もし、芋煮会にソクラテスがきて議論をふっかけできたら川に沈めてやってください。
      罪を加えるよりも加えられる方が魂にとって幸せと言ってますので…

      著者
  • 投稿者 | 2026-01-19 15:27

    ソクラテスは有罪となっても確信犯なので再犯しそうですね。
    それにバートルビー厄介すぎ。てめえら相手に仕事なんかやってられるか、と検事にブチ切れさせてあげたいです。

コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る