三月の下旬、もう春めいた頃に生まれた子供が十五年後にはあらゆる大木を尽くなぎ倒す人物になろうとは、親でさえも思っていなかった。
彼は幼いころから嘘つきだった。そのことで大人によく叱られたらしい。しかし彼の嘘吐きは癖となって、結局は死ぬまで治らなかったのである。
彼の人生は、よく笑い、よく泣いた人生でした。怒りは、ほとんどなかった。憎しみも。彼はひとを殺したときでさえ、それらの憎しみや怒りといった感情を持ち合わせてはいなかったのです。
だから警察に自白するように言われても、強要されても彼の脳裏には何の感情も見いだせなかったのです。
私は外でその成り行きを聞いたり見たりするたびに、彼の幼いころから嘘つきだったと云う性格を知ってゐるだけに首を傾げずにゐられないのでした。
あれだけ嘘を吐いてきたのだから、動機はいくらでもでっち上げられそうなものだからです。
しかし彼は敢えてそうしなかった。彼は最期に誰も許すことのできない罪を犯した後で、刑罰の前に進み出て、生まれてから初めて正直な人間となったのでした。
彼はもう亡くなってしまったので理由ももう聞くことができませんが。
何度か私は面会を求めたのです。ですが、ついぞ彼の罪人としての顔を見ることができなかったのでした。
彼がつみびとになる前、その悪事の計画を嬉々として私に語ってくれました。その計画の中には、罪びとにになってからの在り方も含まれていました。
ですから、罪人としての彼に会う事はその意味で答え合わせでしたのに、またしても私は彼に欺かれたと云う事です。
彼は神を信じてゐました。しかしそれはキリスト教のそれでなければ、日本の神道のそれでもないのでした。
しかし彼は強く──と云うより頑なに、神の存在とその力を信じてゐたのでした。
結果として、彼の受ける罰は、世界で最も重いものとなりましたが、彼の話をずっと聞いてきた私にとっては、それが相応しい罰なのかどうかは分かりかねるところであります。──尤も、彼の計画には、初めにその罰についての企てがあって、それがそのまま彼の計画通りになったのですから、私はむしろ彼を褒めたいくらいです。
彼は地上での罪を犯しましたが、今頃天井で彼は最大限の祝福を受けているかもしれません──少なむとも彼の計画ではそうであった──いや、きっと祝福されていることでしょう。
何せ彼が計画を成し遂げることは並大抵の運ではできないことで、もし何か一つ、例えば服装が違ったとしたら、失敗したことでしょうし、彼の信ずる神の導きでもなければ、成せるわざではございません。
まったく彼は全ての計画を余すところなく成し遂げたのでした。
私は彼が世にどんなに批難されようと尊敬せずにはいられないと思っているのでした。
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