破滅派十四号書評2 波野發作「GENGOU ──平成なき時代のモノグラフ──」

諏訪靖彦

評論

1,169文字

怒られないように直しつつ少しずつアップしていきます。

 私は中学に入学してから卒業するまで殆どの教科で偏差値四十前後をキープしていたが、社会(地理・歴史)だけは違った。出題範囲によって多少前後したが中学時代の社会の平均偏差値は六十五ほどあった。地理には全く興味がなかったので、社会の偏差値を押し上げていたのは歴史である。歴史に限って言えば毎回満点だったと言っても過言ではない。なぜそこまで歴史の成績が良かったかと言えば、歴史教科書を試験勉強のために読み覚えたわけではなく、物語を楽しむ感覚で自然に吸収していったからだ。歴史を勉強だとは捉えていなかった。テスト期間中であっても国語や数学の教科書は決して家に持ち帰ることは無かったが、歴史の教科書だけはテスト期間中であってもなくても、家に持ち帰り読んでいた。特に日本史が好きだった私は、教科書だけでは満足することが出来ず、中学生が読み解くには幾分不釣り合いな歴史解説書にも手を伸ばした。
「学習まんが日本の歴史」である。漢字の読み書きが満足に出来ない私にとって、ルビが丁寧に振られた日本史の歴史解説書は「学習まんが日本の歴史」しかなく、小学生向けに書かれた「学習まんが日本の歴史」が国語偏差値四十未満の私には最適だったのである。「学習まんが日本の歴史」のおかげで社会の偏差値は七十を超えることもあったし、「学習まんが日本の歴史」のおかげで、波野發作著「GENGOU ―─平成なき時代のモノグラフ──」を読み砕くことが出来た。
 
 本作品は破滅派十四号に掲載されている他の作品と違い小説ではない。元号解説書と言ったところか。前半部分は東アジアにおける元号の発生、位置づけから始まり、日本で最初に元号を制定した飛鳥時代から現在に至るまで、当時の社会的背景に於ける元号/改元の立ち位置を、軽快な文章にユーモアを交え、時には作者の政治信条が垣間見られるような皮肉を用いながら説明していく。元号を中心に日本史を読み解くとはこういう事かと非常に勉強になった。しかし、この作品の見せ場はそこではない。後半部分から始まる新元号予想である。
 明治以降の元号とイニシャルが被らないようにするとする意見は各所で目にした。本書でもそのスタンスを基本としながら、馴染みある漢字が使われるはずであるとか、ローマ字表記でブレの生じない読み方になるはずなど、ふむふむと納得しながら読み進めていると、「あ行は耳にしたときに落ち着かない」とか「わ行はなんとなく好きではない」との解説が目に入った。うーん、怪しくなってきたぞ。私はここで結論を導き出すために「あ行」や「わ行」を切り捨てにかかったと思うと同時に、著者が予想する元号に俄然興味がわいてきた。そして二文字目に※の字を使用し、その相棒となる字を考える段になってようやく著者のたくらみに気が付いた。
 ぜひ本書を手に取り、その元号を確認されたい。

2019年2月8日公開

© 2019 諏訪靖彦

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