千里眼

佐野夜子

エセー

3,703文字

悩み苦しむわたしはある夜、「占いの館千里眼」というサイトで占い師の対面占い1時間コースを1週間後に予約してしまう。しかし、当日のわたしには当時の悩みはすでに消えてしまっていた。。

「占いの館 千里眼」。

 

そう書かれた、ブラックと紫を基調とした大きな看板の下に辿り着いたわたしは、辺りを一瞬見渡し、そそくさと、しかしあくまで自然を装い、その扉を開ける。

 

わたしは今占いの館に来ている。

その名も千里眼である。

 

あれは1週間前であった。

わたしは、その日の夜ある思いに打ちのめされていた。人間はなんと信用ならない生き物なのだろうと。人間はなんと容易く相手を裏切ることができるのかと。そして、その現実に直面した今、わたしは一体何を頼りに、どう人生を生きていったらよいのか、そんな夜になればおよそ世界の凡夫たち皆が考えそうな悩みに苦しんでいたのだった。

 

夜中苦しむだけ苦しんだ末にからがら頭に浮かんだ解決策は、わたしを存分に凡夫足らしめるもので、占い師にお伺いを立てる―先の未来を嘘でもいいので教えてもらい一時の安心感に浸る―というものであった。

 

それまでのわたしは、今一つ占いというものに興味がなかった。読んでも、新聞や雑誌の一部に掲載されている、今日の指針やら今月の星占いといった程度のもので、それも、ふうんわたしってそうなんだ、と瞬間的一喜一憂をしてそれが済めば忘れ去る類のものだった。

 

溺れる者は千里眼の扉をもくぐり抜ける。

 

わたしは、ホームページから占い師のナントカ先生(名前は忘れた)があらゆる占い方法を網羅していることを確認し、「温かな人柄のナントカ先生、優しく親身に寄り添うアドバイス」というような宣伝文句に無理やりともいえる安堵感を覚え、対面占いの予約確定ボタンを押した。

 

しかし、当日のわたしはもはや溺れてはいなかった。

 

どういうことか。

それは占いの館の扉をくぐる一日前のことだ。

わたしは、昼間から友人、無職かつ独身かつ精神疾患持ちの元ギャル女と、彼女の家でネイルチップを作っていた。

わたし達ってそろそろ稼がないとヤバめだよね、お金ないし、ネイルチップでも作って売る?いいね、それ。じゃ、今度2人でネイル練習しよーよ!

そう盛り上がって彼女の部屋で適当なテレビつけつつ、折りたたみの座卓の上にネイル道具を広げていた。

暑い夏の日だった。

テレビではバラエティーが流れていて、流行りの芸人さんやタレントらしき人が交互に大声で食レポしている。

わたしはそれを聞き流しながら、ネイルチップに黒のベース、その上に細筆で0.5ミリほどのホワイトの線を息止めつつ引いている。

元ギャル女は、早々にネイルに飽きて、あーもう目と腕限界突破だわ!と、テレビのほうを向いて肩をごりごり回している。

 

その時だった。

 

テレビの画面が突然切り替わり、緊迫した声が流れてきた。

「速報です。安倍元総理が演説中に銃撃されました!」

 

「ええっマジ〜!!」

 

元ギャルが目をまん丸にして叫んだ。

わたしも叫んだ。

 

「ウソーー!」

 

その出来事は凡夫のわたしに少なからず影響を与えた。わたしはその夜考えた。人ひとり、人生、何が起こるか分からないものだ、全ての人間に運命は平等に下されるのだ。世界はそうして、廻っている。何か壮大な考えがわたしに舞い降りてくるような気がした。自分は世界の真実の一つを、もしかすると、垣間見たのかもしれない気になっていた。そうすると、1週間前にわたしが悩んでいた事柄は大変些末な問題に思われた。急に予約した明日の占いに行くことが恥ずかしくなってきた。わたしは、自分の人生の舵を、他人にとってもらおうとでも思っていたのか…!

 

そうして迎えた当日である。

前日のキャンセルはキャンセル料が発生したため無理であった。

 

腹をくくったわたしは、扉の中で、開始時間が来るのを少しソワソワしながら待っていた。目の前には四角い小部屋が3つほど並んでいる。それぞれが黒のカーテンで仕切られている。この中にナントカ先生もおられる。

先生に正直に言おう。でも、どんな人が出てくるんだろう。写真では、笑顔の柔らかい、口髭を生やしたスーツ姿の紳士のようだったが。そんな人に、占ってもらうことはありません、なんて偉そうに伝えたら気分を害されるだろうか。何なら叱られやしないか。

 

時間だ!

ブースの前に立ち、呼ばれるのを待つ。なかなか呼ばれない。時計を見る、あ、もう1分過ぎているな。その時だった。中から男の人の、大きな咳払いが聞こえた。そして、

 

「アァ、どうぞォ」

 

やる気のなさそうな声。

わたしは少し不安を覚えた。

 

「失礼します」

 

中に入ると、写真にあった、口髭を生やした中年男性がだるだるのグレーのTシャツを来て座っていた。斜視の眼でわたしを見上げると、「あ〜座って」とこれまただるそうに指示した。

 

わたしは大人しく対面の席に座り、黙って差し出されたタッチパネルの1時間コースの欄にサインした。

 

ナントカ先生はそれまで椅子の背もたれに背中を預けていたが、にわかに身を乗り出し、少しかしこまった様子で

 

「そんで、占ってほしいことは?」

 

とわたしに聞いた。わたしは正直に思うことを伝えた。

 

「昨日の事件で、自分の悩みが馬鹿らしくなりまして。占ってもらおうと思っていたことも、なくなりました。」

 

先生は特段驚いた様子もなく、やはりだるそうに、こう言った。

 

「先のことなんかね、誰にもわからんからね〜、一国の首相でもいつ自分が死ぬんかすらわからん!」

 

わたしも言った。

 

「本当に、その通りですね」

 

ん?占い師にもわからないのか?

先生は続けた。

 

「不安になってても、先のことはわからんのやから、不安になるだけ損よ〜」

 

「そうですね、不安に思い出すときりがないですし、、、」

 

「ほんまその通りよ!」

 

調子に乗ってきたのか先生は口調を早める。

 

「ここに来るみんながね、やれ先のことが不安だ将来が不安だ言うけど、そんなん言うてたら俺かて不安よ〜!朝起きて今日は1日お客来るんかな、金稼げるかな言うて不安や。」

「先のことなんか誰にもわからんのやから、言うてもしゃーない!結局は、今やるしかないんよ!」

 

だんだん面白くなってきた。

「そうですよね、今をいかに生きるかですよね。それによって未来ができるし。」

 

先生が身を乗り出した。

「そや、その通り!」

「人生なんか、いつ何が起きるんか分からんのやから、今をどう生きるかしかないんよな、結局は」

 

先生は、机の上に敷かれたインド風の織物のマットに目線をやり、それを指先で小刻みに押して歪めたりまた元に引きのばしたりしながら、そのうちに自分のことを語り出した。

 

俺かてねえ、30代の頃は彼女もおって、その先のことなんか特に考えずに過ごしてたんや、でもケンカ別れした。あのときケンカせなんだら、もうちょっと自分が素直で居てれたら、別れんとすんで、もしかしたら今も一緒に居てたんかなあって思う時もあるよ。でもそれももう過去のことやしなあ。過去も変えれん。未来もわからん。今は不安だらけよ。いつまで占いやれるかなあとも思うわな。

 

先生は、右手中指につけたシルバーの色した、双頭のヘビの指輪を左手でせわしなく回したり、外してはつけたりしている。

みんな誰かに先のことは大丈夫やでって安心させてもらいたいんや。ここに来る人らも、そうちゃうの。誰でもええから、誰か他人に、大丈夫って言ってもらえたらオッケーなわけよ。でも結局、動くんは自分なんよね。

 

わたしは、先生の話を、そうですね、本当ですねえ、と所々で適当な相槌を打ちながら、しかし顔は真剣味を出して聞いていた。しかし、だんだんとそれも疲れてきて、先生の方も話すことがなくなったのか、しばし会話が途切れた。

 

まだか。1時間コースは、まだ終わらないのか。

 

わたしは卓上から目を逸らして、そういえば、、と言葉を続けた。

 

「そういえば、今日の天気予報、雨だって聞いて傘を持ってきたんですけど、どうやらお天気ももつみたいで、、、よかったです」

 

先生がそうね、とやる気なさそうに応えた。

それからあとの会話はもはや覚えてはいない。たぶん似たような内容だったと思う。

 

1時間が過ぎ、先生は再びタッチパネルを取り出してお金の精算ボタンを押した。

 

「6千円になります」

 

お金を渡すと、先生は口もとに笑顔を見せて、ありがとうございますと言った。

 

千里眼の館の扉を出た。

やはり雨は降っていなかった。それどころか雲の切れ間から少しずつ日差しが見え始めていた。

傘は閉じられたまま、わたしは自転車置き場に歩いていった。

わたしは世界の真実の一つを、もしかしたら垣間見たのかもしれない気になりながら。

2024年9月30日公開

© 2024 佐野夜子

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