大学1年の冬、恋には敗れた。女に受け入れられたかった。その中で彼女に出会った。自分そのものでは勝負できなかった。見た目に頼るしかなかった。見た目だけをに気を配っていれば確かに気まぐれにいいことがあった。大樹の気まぐれで果実を味わうことができた。しかし恋には敗れた。俺は自分の実力のなさを噛み締めた。果実による一時の喜びではなく、気まぐれに左右されない確かなものが欲しかった。しっかりと女から受け止められたかった、尊重されたかった。やはり俺は女が欲しかったのだ。時は大学1年の春に戻る。浪人して大学に合格した。毎日勉強しかしていなかった。自分の可能性を、実力を信じた中学3年のあの頃の夢、あの頃描いた地図の絵がはっきりと残っていた。記憶に、心に。高校に入学した。地図を胸に歩き出した。現実は厳しかった。描いた理想はことごとく消し飛ばされた。現実は俺を串刺しにした。俺は天を呪った。皮肉に果実をもたらした。女に関して、女に受け入れられることに関して、俺は当初の理想以上の現実を手に入れた。気まぐれだとしても予想以上の現実を貪り尽くした。学力に関して、俺は理想を捨て切れなかった。現実はあまりにも高く、あまりにも身近で俺を威圧した。圧倒した。ほとんど瀕死だった。それでも理想が捨て切れなかった。持てる全てをつぎ込んでやっとこの高校にやってきた。俺には理想以外に何もなかった。理想すら捨てたら俺に何が残るというのか。同級生は俺が期待していたよりずっと幼かった。平気で人の悪口を言っていた。俺が期待しすぎていた面もあった。誰もが自分と同じく、己自身を高めることに夢中な、そんな人たちばかりだと思っていた。そんな人はほとんどいなかった。彼らは本当はそういう人たちだったのかもしれない。しかしあまりに若すぎた。若さが目先の楽しさに向かわせていた。しかしそれが悪いわけではないはずだった。それが青春のはずだった。彼らは青春をその身で味わっていた。俺は一つのことにこだわりすぎていた。勉強をすれば人として素晴らしくなれると思っていた。人格が向上すると思っていた。成果をあげる過程で人間を向上させられると思っていた。同級生はほとんど勉強に興味がないようだった。しかし俺より勉強ができた。彼らは俺を男として見下していた。集団の中での立ち位置は中学の頃と変わらなかった。理想はことごとく打ち破られた。馬鹿にされる、現実を俺に教える、現実が俺の胸を刺す。「本気で努力したことがないくせに」「本気を出せば全員駆逐できる」「本気でやれば全員口をきけなくさせることができる」「誰もが俺を尊敬するようになる、尊重するようになる」いくつも反論が湧いてきた、頭の中では批判ばかりしていた。しかし現実は変わらなかった。現実がただそこにあるだけならまだマシだった。現実はますますを威圧した。なんども何度も績を比べる機会があった。現実の方からわざわざ俺を串刺ししに来た。すでに刺さった刃に何度も手をかけた。集団の中では尊重されない、その度に批判が頭に上る、現実はますます心に迫る、自分を守るためのせめてもの批判まで、現実は潰していった。いくら批判しても、現実はすぐやってきた。批判すらさせてもらえなかった。逃げ場がどこにもなくなった。描いた地図の残像が、柔らかな理想の薄靄が、いつしか一つの点になった。あんなに頭の中で広がっていた霧が、今ではたった一つの点になった。しかしその点は確かに掴めた。それはもはや霧ではなくなった。それ自体実体があった。二本の指で鑑賞することができた。あまりに残酷な現実は、理想を消した、形を変えさせた。そうしてただ一つの点にさせた。理想はないことになった。そのただ一つの点に向かっていくことに固執した。これでもかと固執した。勉強するしかなかった。勉強に取り憑かれるしかなかった。それしか生きる道はなかった。全てをつぎ込んでやってきたこの土地で、ほとんど消し飛ばされた理想を叶えるにはこれしかなかった。俺は勉強だけに取り憑かれた。他のことはどうでもよくなった。他のことをしているやつば馬鹿だと見下した。そうして俺は学年で1番になった。周りは俺を天才と尊敬した。周りのことを当然見下した。尊重された。存在を肯定された。ただ一点残っただけの心の中のこの理想に固執し、俺はそれを現実に具現化して見せた。中学の時初めて上位者表に乗った時のあの雷に売られた感情、あれを追体験した。これで正しいのだと自分の背中を押した。俺は現実を手に入れた。入学前に現実化しようとたよりもずっと小さなこの現実を、指先でしか楽しめないこの現実を。天は俺にもう一つの現実を与えていた。気まぐれで消えたり出てきたりする現実を与えてくれていた。俺にはこの二つしかなかった。この二つの現実によってしか、人に認めてもらえなかった。人に尊重してもらう術がなかった。高校時代、指先でしか楽しめないこの小さな現実を捨てたこともあった。この丘に来る前に描いたあの理想が、両手でも抱えきれないほどの理想が思い出された。今の現実、確かにここにあるがあまりに小さいこの現実と、無限に広がる昔の理想を比べていた。もう一度理想を現実の形にしたかった。そのうち幾らかを現実にできた。一度手に入れた小さな現実はもはや必要なくなっていた。尊重はされていなかった。半分は見下されているかもしれなかった。ただみんなが笑ってくれた。面白いと言ってくれた。モテることはどうでもよかった。ただただ楽しいことがしたかった。男として尊重はされなかった。それでも俺は受け入れられていた。男にも女にも受け入れられていた。勉強にはあまり身が入らなかった。それでもどこかに安心感があった。浪人時代に入った。丘に登る前、たくさんの理想を描いた。部活動、女に受け入れられること、学力。部活はすぐに諦めた。女はいびつな形で、気まぐれに左右される不安定な形で現実化していた。残るは学力だった。大学に入る夢だけが残っていた。女に受け入れられることはどうでもよかった。男から人として尊重されることもどうでもよかった。ただ大学にはいる理想を現実化することだけを求めた。他の理想は捨てていた。その分生活は楽だった。勉強さえしていればよかった。同じクラスメイトと話すときも肩の力を抜いて話せた。理想の中ではきっと自分を高く評価していた。いつでも現実に打ちのめされた。理想で尊重されることを求めても、必ず現実に裏切られた。しかしこの年はそもそも理想を捨てていた。そっくりそのままの現実を受け入れられた。場所が場所だから、馬鹿にされることはなかったが、仮に予備校でも中学の頃と同じく馬鹿にされていたとしても、俺は何の痛みもなくその現実を受け入れただろう。どうして俺は身分不相応な理想を描いてしまうのだろう。どうして男から馬鹿にされず、女からは魅力的に見られ、人として尊重され、人間を踏みにじられれない男、かっこよくて馬鹿にする隙のない男を理想に描いてしまうのだろう。どうしてもそんな男に憧れてしまうのだろう。それまで馬鹿にされてきたから?それまで尊重されたことがなかったから?反動が俺に理想を描かせるのか、叶えられそうもない、また叶える必要もない理想を描かせるのか。そうして決まって現実に叩きのめされるのに、串刺しにされるのに。大学1年の春、俺は理想を現実に変えた。学力の理想も叶えられた。再び地図を書き直すときがきた。
"vol.15"へのコメント 0件