大学1年生、秋。俺は既に孤独だった。授業が終わると毎日毎日一人でホームに立っていた。この空虚感はなんだろう、このやるせなさはなんだろう。なんの鎖も付いていなかった。この世界にただ一人立っていた。所属はしていた。地位はあった。どこどこ大学どこどこ学部所属、なになにサークル部員どこどこチーム1年。毎週の時間が来れば決まった場所に集合した。たくさんの部員に囲まれていた。比較的大きな規模のサークルだった。なんとなくその場に座り、なんとなく周りで会話が充満している。集合時間がきた。議題が持ち込まれる。週の活動報告が済まされていく。休憩になる。また会話が充満する。なんとなくその空気の中に使っている。俺はこの一部分なのだろう、いやしかし一部分ではないのかもしれない。幾つもの歯車は噛み合った、やがて全体が動きだし大きな機構を形作る。歯車たちは似た型番同士で一つの集合を作る。幾つもの集合がそれぞれ別々の小さな機構を作っている。部屋全体はそれぞれの機構がならす接触音で充満する。ただただ回っている歯車がある。どことも接触していない歯車がある。周りで噛み合いギシギシ音を立てている有様を見つめている。ただただ回る。音はならない。それでも彼は全体の一部であろうか。部屋には機械音が充密している。やがてあかりは消えた。機械が動作を止める。仕事を終えた部品たちはそれぞれの倉庫に運び込まれる。自身の体についた今日一日の傷跡を満足げに確かめながら。ただただ回った一つの歯車、お前に傷はついているか。なんの傷もついていない自分の体をしげしげと眺める帰りの電車道。果たして鎖はついているのか、俺の体に周囲には当たり前にある鎖はついていないのか。学校の帰り、サークルの帰り、いつも思う。いつでも鎖をイメージする。そして周囲にいる、重い鎖をひきづった、しかしその重さに満足げな彼らを羨む。自分の身軽さと比べる。夏休みになった。ますます自分の身軽さを悟った。誰も俺に鎖をつなごうとしない。誰も俺を求めてはいない。中には鎖の先を近づけてきた人たちもあった。一振り、二降り、話題を投げかけられる。曖昧な返事、引きつった笑顔。鎖はかからない。自分からよけるのか?あんなに自分の身軽さを嘆いたのに。無理やり歯車たちを集め小さな気候にまとめさせる時がある。グループワークと言うやつだ。様々な型番、様々な色。噛み合うことを意図して作られていない歯車たちが体を付け合う、一つが回る。隣に、また隣にと伝播していく。寄せ集めの小さな機構は一応の形をなし活動を始めた。一人が鎖を投げた。女だった。こちらも応じた。相手は一端を握り返した。手応えを感じた。受け入れられた。認められた、女に。俺は余った一端を自分にもかけた。鎖は繋がった。お互いが引っ張り合った。一方が引っ張ると片方が引っ張られる。手先が引っ張られるだけではない。体全体が引っ張られる。こうも手応えがあるものか、こうも心が軽くなるものか。また一つ、鎖を投げかけた、いや俺から投げかけたのかもしれない。女だった。女は一端を手に取った。俺は自分の一端を引っ張った。果たして手応えはなかった。鎖が彼女の手からするすると落ちた。彼女に浮かぶ表情は冷笑か、侮蔑か。男として認められなかった。大学生のとして、大学生の男として低く見られた。一つ鉛を飲み込んだ。胸の底に沈殿していった。大学生になってからだろうか、いや高校に入学してからであろうか、もしかしたら中学3年生頃からであろうか。俺は胸に何ものかを飲み込んだ、いつの通りに飲み込んだ。しかしただ飲み込むだけではなかった。胸には何かが沈んでいく、それを隠すように、気にしないように、気にしていないフリをするために、頭の中で幾つもの強がりが湧いた。バカのくせに、本気の努力をしたことがないくせに、本気になればお前なんかすぐに見下せる立場に立てるのに、モテないくせに、モテたことがないくせに。相手に合わせて、自分を納得させられるような、自分の胸の苦しみを忘れられるようなあつらえ向きの強がりが湧いては消えた。ある男は俺を軽蔑した。言葉に出したわけではない。なんとなく、その時の態度で軽蔑が感じられた。胸で何かを飲み込んだ。美男子だった。「本気で生きたことがないくせに」「理系科目はてんでダメなくせに」ある女は俺をバカにした。俺が喋ると横の女と失笑した。また何ものかが胸の中に沈んだ。人付き合いがうまいとは言わないが、その場の集団で会話を構築していくのが俺よりもうまい女だった。当時は特に会話ができないことに劣等意識を持っていた俺には余計に格が上に見えた。「本気を出したことないくせに、社会に出てたとえ俺より社交がうまかったとしても、圧倒的な努力で口もきけないようにしてやる」「雑魚が」見下される、人として、男として、大学生というその場での会話が大切なコミュニティーの中での一人の人間として、男として、なんども何度も見下される。時には人として扱われないこともある。どうでもいい存在として無視される、尊重されない時がある。一つ、二つ、鉛を飲み込む。ただ飲み込むだけではない、幾つもいくつも湧き上がってくる都合の良い反感、強がりを握りしめながら、じっと見つめながら、胸の苦しさを忘れるために、ごまかすために。常にそうだった。
"vol.7"へのコメント 0件