広島グランドプリンスホテルでG7首脳及び招待国が中欧の安全保障・経済政策について会談している中、ホテルの地下会議室ではもう一つのサミットが行われていた。名探偵サミットである。
名探偵サミットは名探偵を数多く輩出した探偵先進国の名探偵が集まり、議長国が出題する謎に対して各国の名探偵が知力を尽くして推理を行う。名探偵サミットにかかる費用はG7サミット議長国の警備費によって賄われており、表向きは多様化した犯罪に対処するために名探偵同士の意見交換が必要だからとしているが、その実は名探偵文化を廃れさせないために行われている。科学捜査が隆盛を極めている昨今、灰色の頭脳を駆使して解決する事件は少なくなった。しかし、吹雪の山荘で起こる殺人、絶海の孤島で起こる殺人、ゾンビに囲まれた館で起こる殺人、ケータイの電波が届かない地下建造物の中で起こる殺人、宗教団体の理想郷で起こる殺人などなど、警察が介入できない特殊環境で起こった殺人事件では名探偵の存在が必要不可欠である。なお、G7と異なり名探偵サミットはG5で構成されている。ドイツは警察権力が強く名探偵が育つ土壌がなく、イタリアはマフィアと警察、名探偵がズブズブの関係であるため、探偵先進国とはされていない。
「なぜ、この中に黒人がいるんだ? 黒人の名探偵など聞いたことがない」
光沢のある一枚板で作られた長方形のテーブルに五人が座り、それぞれの席の前には国名及び名探偵の名前が記された席札と小さな国旗が置かれている。議長国の名探偵、ルンババ12が座る上座から見て左奥の席で、白髪交じりの口髭を生やした男が対面に座る黒人女性を一瞥してからルンババ12に言った。口髭の男の席札には『フランス共和国/エルキュール・ポアロ』と書かれている。
「おっさんは最近の映画やテレビドラマを観てへんやろ? 登場人物の中に必ず黒人やアジア人、もしくは南米人を登場させんとあかんのや。それに今回、黒人の名探偵に来てもろたのは、もう一つ理由があるんよ」
ポアロはルンババ12を見つめて口髭をつまんで離す動作を繰り返す。
「おっさんは二〇一九年のフランス名探偵サミットのときに、『犯人は如何にして衆人環視の環境で被害者の首を刎ねたか』を議題にしたんよな? その解決が『全裸の黒人は暗がりの中だとよく見えないから被害者の首を刎ねることできた』という解決だったと聞いとる」
「それは私が黒人に対して差別意識や悪感情を抱いているからではない」
「WDOから、えれー怒られたって聞いとるで。そりゃ、その場にいた名探偵はわかっとったやろな。おっさんは衆人環視で起こる殺人の可能性を追求した結果、黒人の肌の色をトリックに使ったんだって。けどな、今の時代にそれは許されへんそーや。そんなわけで今回の名探偵サミットにはカナダで流行っているテレビドラマの黒人女探偵を呼んだってわけや。ただでさえ名探偵の少ないカナダに黒人の名探偵なんかおるんかよって思ったけど、インターネットで調べたらおったわ。そのテレビドラマは観てへんけどな」
ポアロは髭を触る手を止め『カナダ/トルーディ』と書かれた席札の先に座る女性に「そういうことなら仕方がない。あなたのことは全く知らないが、よろしく願う」と言った。トルーディはポアロを見て「こちらこそ」と返す。
「トルーディは名探偵サミットに参加している体を見せるだけでええからな。議題に対して発言しなくてもええし、なんなら他の名探偵の陰に隠れててもええよ。WDOから黒人探偵を参加させるように言われたから参加してもろただけやし」
トルーディはこくりと頷く。
「他にもルンババ12君に二、三聞きたいことがあるのだが」
ポアロはトルーディからルンババ12に向き直る。
「今回、イギリスの名探偵はシャーロック・ホームズではないのかね?」
ポアロの隣、イギリス代表の席には名探偵サミットに必ず参加している長身瘦躯の男ではなく、丸眼鏡を掛けて無精ひげを生やした巨漢が座っていた。体重は優に一二〇キロを超え、無精髭下の三重顎には黒い蝶ネクタイが結ばれている。部屋の中だというのに黒いマントをはおり、椅子の横に置いた二つの杖をテーブルに立てかけている。
「シャーロック・ホームズは毎年参加しとるから今年も当然参加するんもんや思て連絡したら、『ホームズはアヘンを吸うだけでは飽き足らず、モルヒネやヘロインにまで手を出してしまいました。今は薬物更生施設に入所しているため、今回の名探偵サミットは辞退させていただきます』なんて丁寧な手紙がワトソンから送られてきたわ。今回は辞退したいって書いとったけど、もうホームズは名探偵サミットに参加でけへんやろな。ヘロインは脳を溶かすらしいからな。おっさんの言うところの灰色の頭脳は、今や空っぽの頭脳になってしまったってことや」
「それでイギリスの名探偵として呼ばれたのがギデオン・フェル博士なのだな。だが、イギリスにはフェル博士より有名な名探偵が沢山いるだろう? ブラウン神父やソーンダイク、女性探偵ならミス・マープルを呼べばいい」
「ミス・マープルって呼び名も今の時分はあかんらしいで。ジェーン・マープルか、ミズ・マープルって言わなあかんみたいや。めんどくさい世の中になったわな。まあそれは置いといて、確かにイギリスにはよーさん名探偵がおるから、おっさんが言うのもわかる。でも俺はフェル博士を選んだ。議長国の特権やな」
ポアロは釈然としないままルンババ12に質問を続ける。
「それにアメリカの名探偵にも疑問を覚える。なぜ毎回参加しているエラリー・クイーンではなく、アン・ネルソンなんだ? クイーン繋がりではあるが、彼女は偶然事件に巻き込まれた小学校教師で素人探偵だ」
ポアロの前には小柄な白人女性がちょこんと座っている。
「WDOから女性探偵を二人以上呼ぶように要請されたんや。議長国の名探偵に俺を選んだんは日本政府やけど、名探偵サミットに呼ぶ名探偵は議長国の名探偵が選ぶことが出来る。だもんで、俺は今回の議題に適した名探偵を呼ぶことにしたんよ。カナダの名探偵はよー知らんから関係ないけど、俺がフェル博士とアン・ネルソンを名探偵サミットに呼んだ理由は何やろな? 二人の繋がりは何やろな?」
ポアロは宙を見つめる。ポアロの口が止まったのを見てルンババ12がポアロに聞いた。
「俺からも、おっさんに質問してもええか?」
ポアロはルンババ12を見つめ「なんだね?」と聞き返す。
「名探偵サミットにおっさんを呼んだ俺から言うのも何やけど、おっさんはフランス人の名探偵でええってことか? もうずっとフランス人名探偵として名探偵サミットに参加しとるらしいけど、おっさんはフランス人に間違われるのがこの世で一番嫌なことやって公言しとるよな?」
ポワロは居心地が悪そうに視線を下げて小さく咳払いをする。そして席の前に置かれたフランス国旗を恨めしそうに見つめてからルンババ12に言った。
「私が活動しているイギリスにはホームズがいるし、他にも多くの名探偵が活躍している。私は二番目か三番目の名探偵でしかない。かといって出身国のベルギーは探偵先進国ではないため名探偵サミットに参加することができないのだ」
ルンババ12は声を出して笑う。
「利用できるなら利用するのが名探偵だよな。うちの国にもよーさん名探偵がおるけーの。金田一耕助や明智小五郎、浅見光彦、御手洗潔、島田潔、火村英生、法月綸太郎、日本人かどうか怪しい銘探偵メルカトル鮎なんてやつもおるし、最近だと金田一一や工藤新一といった若手も活躍しとる。俺も若手やけど、まあそれはええわ。そん中で今回の名探偵サミットに俺が選ばれ、俺はフェル博士やアン・ネルソンを呼んだわけや。どや、おっさんは今回の議題がわかったんとちゃうか?」
ポアロは顔を上げ口髭の端を伸ばし引っ張る。強く引っ張ったことによりカイゼル状になった髭の下が動いた。
「広島名探偵サミットの議題は『密室』だな」
ルンババ12はニッと口角を上げてポアロに笑いかけると、椅子を引いて立ち上がる。そして四人の名探偵に向かって言った。
「会場に移動するからついてきーや」
※
ルンババ12を先頭に他の名探偵たちが地下会議室を出てエレベーター脇の階段を使いさらに地下に降りていく。最下層にたどり着くと、ルンババ12はポケットから鍵を取り出し踊り場の中心に備え付けられたドアを開いた。冷たい風が踊り場に流れ込んでくる。ルンババ12はそのままドアの中に入り壁際のスイッチを押した。すると天井に等間隔に並んだ蛍光灯に明かりがともりコンクリートで覆われた狭く長い通路が現れる。
「この先がメイン会場や。も少し歩くけど、おっさん、体力続くか?」
「馬鹿にしないでもらいたい。私はそこまで年寄りではない。私よりフェル博士を心配した方がいい。汗だくで息も荒い」
フェル博士は杖をつき「ハアハア」と苦しそうに息を漏らしてマントの裾で額の汗を拭っている。そんなフェル博士を見てルンババ12が声をかけた。
「しんどかったら少し休むか?」
「いや、大丈夫だ。心配には及ばない。しかし、この通路は何なのだ?」
フェル博士は通路を眺めながら言った。
「日清戦争の時分に広島が臨時首都になったのは知っとるか? ここはそんときに作られた皇族用の地下シェルターへ続く通路や。広島臨時首都では天皇さんが指揮を執っとったし、皇族もよーさん来とったから、何かあったときのために作られたんやろな。もう長い間放置されたままやったから広島名探偵サミットのために改装して使うことにしたんや」
「この先にあるシェルターが密室殺人の現場なのかね?」
「当時のままじゃないけど、まあ、そういうこっちゃ。大丈夫なら先に進むで」
五分ほど歩くと地下通路の突き当りに到達した。コンクリートの中心には金属製の扉が設置されている。ルンババ12は扉横の電子パネルを操作し、「ガシャン」とシリンダー開く音が聞こえたのを確認してから扉に溶接されたパイプ状のノブを引く。「ギギギ」と音を立てて分厚いある扉が開いた。
「ほら着いたで。重い扉やから、はよ中に入ってや」
ルンババ12が扉を抑えながらそう言うと、四人の名探偵は急いで中に入った。名探偵たちが扉をくぐってからルンババ12も中に入り扉を閉める。するとすぐにシリンダーが戻る音がした。
一辺が一〇メートルある部屋の中は通路と同じくコンクリートで囲まれており、入口を除く三方の壁には金属製の扉が備え付けられている。部屋の高さは二メートルほどあり、天井の中心には大きな蛍光灯、入口から見て右奥に小さな通気口、左奥には監視カメラが設置されている。部屋の中心には長方形の金属製テーブルが置かれ、テーブル奥の席に柔道着を着た大男がパイプ椅子に座っていた。男が座る椅子の横に中年男性が仰向けに倒れており、顔の右半分が潰れ、床のコンクリートに大きな血だまりを作っていた。
「おつかれさん。よーやってくれた。もう帰ってええで。電子錠の番号は『5963』や」
ルンババ12は柔道着の男に声をかける。柔道着の男はルンババ12を一瞥してから椅子から立ち上がり、ルンババ12に向かって歩いてきた。男の身長は二メートル以上はあり、体重も一〇〇キロを優にを超えているように見える。
「出入口の暗証番号は事前に知らせてくれてもよかったんじゃないのか?」
「まあそうやけど、一応自分の部屋の番号しか知らん設定にしとるからな」
「細かいやつだ」
柔道着の男はルンババ12の横を通り過ぎると、電子パネルを操作して外に出て行った。
「よーけ歩いたさかい疲れたやろ? さあ座ってや」
ルンババ12はテーブルに向かって歩いて行き柔道着の男が座っていた席に座る。
「随分と手の込んだ会場を用意したようだな」
ポアロはそう言いながら、ルンババ12から見て左奥の席に座る。他の名探偵も続いて席についた。自然と会議室と同じ席順になる。
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