紫煙

涼平

小説

1,591文字

俺の嫌いな匂い。
火が消える前に、懺悔のウォッカ。当然冷えていない。

気怠い昼下がり。長い夢を見ていたような気がする。勉強に明け暮れる日々、親友との何気ない会話、ふざけあった帰り道、将来の夢。

 

俺は紫煙が嫌いだ。今でも煙草を飲む度嗚咽がする。それでも吸い続ける理由がある。

 

三年前、俺が幼少期から苦楽を共にしていた、親友といってもいいくらいだった男を自死から救えなかった。その男はかつての俺とは違い不真面目で平気で社会のルールを逸脱する行為をすることがあった。その度、俺は注意をしていた気がする。それでも彼を嫌いになることはなかった。幼い頃から祖父の家に預けられ、敷かれたレールの上ばかり歩いていた俺にとっては、彼の存在が憧れになっていた。

 

「煙草、健康に悪いからいい加減にしろよ。」

 

「お前も吸ってみるか?」

そんな会話を塾の帰り道に毎日のように繰り返していた記憶がある。そんな日常がいつまでも続くと思っていた。住んでいる世界の違う彼といつまでも共に立っていけると信じていた。

 

ある日を境に、俺はその男と会わなくなった。彼が長年に渡って親から与えられてきたプレッシャー、受験のストレスで重度の鬱病を患ってしまった。社会のルールを逸脱する行為、それは彼からのSOSサインだったのかも知れない。俺はそれに気づけなかった。

それからというもの俺はいつも彼と帰っていた道を一人で歩き楽しかった日々がまた帰ってくることを毎日のように祈っていた。

 

彼が鬱病になってから数カ月後、一通の連絡が入った。鬱はもう寛解したとのことだった。俺は何よりも嬉しかった。今日は塾の帰りに彼の好きな栄養ドリンクと煙草を買って帰ろう、時刻は既に夜9時を過ぎていたが友人の体調の回復を嬉しく思っていた俺は彼の住む家に向かった。彼の両親は共働きで帰りが遅い、今日だけは、日々の鬱屈した毎日を忘れ、日付が変わるまで語り明かそう、そんな期待を胸に。

インターフォンを押しても彼は出てくることはなかった。早く彼に会いたい。そう思っていた俺は、鍵が掛かっているであろうと思いつつもドアを引いた。鍵は掛かっていなかった。あれだけ俺が戸締りをうるさく言っていたのにどうしてだ、奇妙に思った俺はドアを開け、彼の部屋まで走った。電気は消えていた。血液の臭いがした。恐る恐る電気のスイッチを押すと倒れている彼がいた。綺麗だったフローリングは血の海、どこを刺したのかはわからない。気が動転した俺は、彼の身体を揺すり、叩き起こそうとした。しかし彼の反応は無かった。

俺は気づいた、彼はもう既に亡くなっていると。

救急車を呼んでからのことは覚えていない。何度も思い出そうとしたがそれはできなかった。

 

人生のパズルの大事なピースが欠けたようだった。親友の痛みに気付けなかった罪、俺はそれをいつまで引きずって行くのだろうか。友情に触れるのが怖くなり、俺は友達を作ることを避けた。

 

6月6日、彼から過去に無理矢理渡された煙草の箱を開けた。濃い緑の箱から一本の煙草を出し、慣れない手付きで火を着ける。

不味い。不味いよお前。どうしてこんなものを好んでいたのか、そんなことを考えていると軽く咽せた。嗚咽が止まらない。でも確かにこの匂いだ。俺の嫌いだった匂い。忘れることのないくらい強烈な香り。嘔吐した。身体に合わないものだった。これを吸う事で彼が側にいる。そう思うと気が楽だった。

 

3年が経った今でもその煙草を吸っている。まだまだ吸うたびに嗚咽がする。彼の弔いのためとは思わないが、吸っている間だけはあの頃の香りを感じることができる。俺はそれだけで充分だった。

積りに積もった灰皿を見つめ、水を掛けて消す。世でいうヘビースモーカーにでもなったのか、俺も。

 

目の前で亡くなったお前の顔がな、今でも夢に出てくるよ。

 

 

2021年3月21日公開

© 2021 涼平

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