メニュー

おまんじゅう殺人事件

常識破壊文学全集(第3話)

羽暮

密室に凶器はなく、ただ僕と被害者と、おっきなおまんじゅうがあった。

タグ: #SF #哲学

小説

4,119文字

 

現場に血と硝煙の臭いはなく、凶器となった鋭利な刃物も、返り血を浴びた服や調度すらもなかった。

ただ、おっきなおまんじゅうがあった。

あと僕がいた。

それと被害者がいた。

白い部屋に死亡して横たわっているだけの彼を被害者と呼ぶのも性急だが、しかし彼の死は自殺ではありえない。まず上半身と下半身がねじれて前後逆を向いていた。首には絞殺らしき水平の内出血と、抵抗したと思われる爪の痕(確か吉川線よしかわせんと呼んだはずだ)も残っている。

歳は三~四十そこら、黒い真四角のメガネをかけて、白いボタンダウンに薄青のジャケット。ツーブロックが半端に伸びた感じの髪型で、ヘアスプレーらしいケミカルな匂いもした。特徴と言えばこのくらいで、ターミナル駅に行けば数十人単位で鹵獲できそうな具合に思えた。

その彼が死んでいる。抵抗の痕跡から、意識を残した状態で絞め殺されて。さらに死後、背骨を破壊され奇妙なポーズを取らせられているのがその理由は見当たらなかった。

手掛かりもなく、僕は壁と床の境界線を見失いそうなほど白い部屋に目を戻した。殺風景という度を越して何もない。出口すら。こんな環境では自殺すら困難だろうに、犯人は凶器も血も残さずに彼を殺したのだ。

ひょっとして、僕が殺ったのだろうかと思う。そんな記憶もこんな場所に来た覚えもないが、違法薬物で記憶を消したりしたかもしれない。なぜ? というか、僕には一般的な知識および『一般的』という感覚は備わっているが、自分に対するパーソナルな記憶は何一つ残っていない。でもたぶん、日本人だろうと思う。被害者の彼も、見た目から日本人だろうとは思う。しかし、鏡がないため僕の姿はわからない。極度のインド人顔かもしれないが、インド系二世の日本人かもしれない。鏡の代わりにと彼の瞳をのぞき込んでみるが、濁った黒目には何も映らなかった。

僕や彼の身元は不明だが、部屋にはただ一つ、確かなことがある。

おまんじゅうがあった。

生地が白いタイプの、おっきなおまんじゅうだ。というか、おっきなおまんじゅうという語の範疇は超えていて、小学二年生くらいの背丈があった。モチモチとした生地は、およそ凶器にはなりえないがさりとて無視もできない。少なくともこの部屋の成立には何か関わっているだろうと思えた。でなければ、窓はおろかドアノブすら見当たらないこの部屋に、なんでおまんじゅうの存在が許されるのか。

あえてその疑問は抜きにしても、これほどおっきなおまんじゅうが通せる通路があるなら、脱出が可能かもしれない。しかし四方の壁を叩いて回るが、どこにも出入口や隙間はなかった。天井を凝視する。外科手術で使うような無影灯を大きくしたものが一基、冷たく灯るばかりでハッチも何もない。

だが、閃く。

おまんじゅうの下に、通路が隠れているはずだ。灯台下暗しとはよく言ったものだ。僕は手っ取り早く、おまんじゅうを蹴り転がそうとして、ビタリと動きを止めた。

それだけは、決してできなかったのだ。頭の中に、強烈な抵抗感が生じていた。どうやらこの肉体には、食べ物を粗末にしてはいけないという、顔すら知らぬ親からの鉄の躾がなされているようだった。ましてや、暴力などもってのほかだ。

であれば仕方ない。たとえ監禁に近しい状況だろうと、記憶がない僕の存在を、ただモラルと知識だけが成り立たせているのだ。どうしてそれを捨てられるだろう。なら食べるしかない。少なくとも、軽く持ち上げてどかせるサイズまでは削るしかない。

そっと、やわらかい生地に触れ、少しだけ力を入れて掴んでみた。もっちりと、肌よりわずかに柔らかい生地に指が沈み込む。やる。ちょうどアンパンマンが顔を分けるような丁寧かつ無造作な手つきで、えぐった。ぎっしりと粒立ったあんこを掌に溢れさせてから、齧る。小豆の粒がしっとりと溶けるように歯の裏でほぐれていき、舌先にひかえめな甘みを絡ませて、消える。後味まで品があり上質なあんこだ。これほどの和菓子を食べる機会といえば、寺の法事で出される高級どら焼きくらいだろう。大量に食べるにあたって、この儚い甘さはありがたかった。

ハムスターめいて頬を膨らまし、喰らう。おまんじゅうを喰らう。たとえ僕が何者であろうと、おまんじゅうを喰らっている僕が今、この部屋に存在している。それは揺るぎないことだ。

ふと、死んだ彼にもお供えしようと、おまんじゅうをひと掴みして顔の横に置いた。その瞳はおまんじゅうの白さを映せない。死者からしてお供え物は嬉しいのだろうか。僕はおまんじゅうが減って、ありがたい気分だった。そんな気分になるのだから、僕の満腹感は既に限界に近かった。そろそろ穏便にどかせるだろうか、と期待したがまったく駄目で、おまんじゅうの体積は四分の一も減っていない有様だった。どかすとなればおまんじゅうと相撲を取るような構図になるはずだ。相手は力士ではなくおまんじゅうであるがゆえに、自然、軍配は僕に上がりおまんじゅうは崩壊する。モラルに照らすまでもなくまったく粗末で、話にならなかった。

僕は床に横たわる彼の瞼を閉じてやった。これから、僕は食物に悪態をつく修羅となる。その姿を見せないためだ。彼を埋葬し、犯人を見つけるためにも、僕は真剣におまんじゅうに挑み喰らい尽くさなくてはならないが、それでもこの板挟みは度し難かった。

苦しい。甘い。こうなると味が上品なことにも腹が立ってきて、黙れと思う。天井の灯りを見る。この無影灯の光がなければ彼の死体も、おまんじゅうの存在も知ることなく、僕はただ飢えて死ねたのに。暗闇で羊羹を食べると闇を食っているようだ、というユニークなエッセイを書いていたのは、どこの文豪だっただろう。僕は光の中で白いおまんじゅうを食べているが、これといった相乗もなくおまんじゅうはおまんじゅうだった。光は、何の利点も生み出していない。光が憎い。光を利用して描写される世界が憎い。そもそも、光という身勝手な粒子に速度制限があるせいで、遠い星の姿などは遅延して描写されるのであって、というと例えば太陽を見るのにも光速の往路に八分ほどのラグが生じているのであって、まったく奇妙なことに、同じ時を生きる我々の時間軸上には、平然と八分前の太陽や百年前の星の光が同時に乗っており、これはふざけた話だ。しかしここで例えば、光の速度制限を超えるほど速い乗り物を僕が作り、乗り込んで太陽に突撃してみた場合、僕から見た太陽表面では一瞬にして八分間の光景が過ぎ去って、同時に僕は焼けて死ぬ。これは、乗り物と僕がただ空間を移動して自殺したばかりでなく、時間をも移動して自殺したということになる。これがつまり、タイムトラベルだ。

僕はおまんじゅうを食べ終わった。どれほどの時間が過ぎたのか、表示するものはどこにもなかった。彼やおまんじゅうが腐敗するということもなく、また僕の体のどこにも、代謝が確認できなかった。満腹感を覚えていたのに、胃腸はおまんじゅうの質量をどこかに捨て去ってしまったように空っぽでペタンコだ。そしておまんじゅうの下に、通路など存在しなかったという現実に僕は向き合わざるを得なかった。

ありえない。

四方にも上下にも通路がない、継ぎ目のない完全な密室。ならばどうして、僕と彼とおまんじゅうはここに存在しているのだろう。それとも、宇宙は元よりそうなのか。そらの片隅でまったくランダムに、僕と彼とおまんじゅうを秘めた部屋が生成され、ただ一人知覚を持った僕が絶望し永劫を過ごす。そこに意味はなく、そういう法則というだけ。そしてこの仮説は、僕が当然に抱いていた観念を容易く突き崩すものだ。僕の置かれた状況は、海自身すら気づかないような水分子一個分の異常が海底で起きて、そこに閉じ込められているのと同じだ。到底ありえない現実が広がっているが、それを提訴すべき相手がどこにもいない。僕以外の誰にも、僕や彼や密室やおまんじゅうの存在・異常性を視認も確認もできない。それはつまり、僕や彼やおまんじゅう入りの密室など、どこにも存在していないのと同じことだ。

生きながら認識されないというのは、きっとあらゆる死より恐ろしい。情報的死産。何にも影響を与えず、与えられず、全存在の外側で漂う。ああ彼が、せめて生きていたら。閉鎖された境遇をそれぞれの意見で語り合い、議論のステージを揚げていくことができたならば、きっと何だってできただろうに。

もはや、僕がすべきことは一つだった。

この密室を破壊する。外側に何があるのか、分かる余地は一つもなかった。むしろ仮説が正しければ、宇宙の真空に身を晒して死ぬことになる。あるいは古い映画のように、今いるここが同じ構造が無限に組み合わさった建造物の一部屋に過ぎないと分かるだけかもしれない。

壁に触れる。人肌の温度だ。ノックしても、蹴りつけても、僅かに軋むことすら拒絶するように鎮座している。全力を出すほかはないだろう。振り返り、下半身だけ仰向けになった彼の足首を掴むと、これが非常にしっくりきた。僕はその場で身をねじりながら、彼を引きずりつつ左回りに回転した。遠心力が、ゆっくりと彼の体を浮き上がらせ、ジャイアントスイングの要領で回転速が増していく。

もっと。

壁をぶち破る威力がなければ駄目だ。

超える。

超える。

超える。

何を。

何かを。

 

超えた。

最大限に加速された彼の指先は光の速度を超え、ついに僕のコントロールを離れて壁に激突する。

その瞬間、大地震が起こった。天地がひっくり返り、僕と彼が部屋の中をでたらめに乱舞してくんずほぐれる。超光速の物体を内側から叩きつけられた部屋が、どこかへ吹き飛んでいるのだろうか? だが凄まじいことに、これほどの衝撃を受けながら密室は変わらず密室のままだった。もはや、どうしようもないらしい。だが地震もまた留まることを知らない。部屋はどこかへと飛び続けている。外にいる何者かが、僕たちを見つける可能性はゼロではなくなった。

これでいい。これで。

衝撃に全身を破壊されながら、僕と彼と、お供えしたちっちゃなおまんじゅうは微笑む。無影灯に照らされた部屋が、熱を帯びてきていた。

© 2026 羽暮 ( 2026年9月18日公開

作品集『常識破壊文学全集』最新話 (全3話)

読み終えたらレビューしてください

みんなの評価

0.0点(0件の評価)

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

  0
  0
  0
  0
  0
ログインするとレビュー感想をつけられるようになります。 ログインする

「おまんじゅう殺人事件」をリストに追加

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 あなたのアンソロジーとして共有したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

"おまんじゅう殺人事件"へのコメント 0

コメントがありません。 寂しいので、ぜひコメントを残してください。

コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る