濃淡をなすグレーのパッチワークが、無限に広がって見える。そのうち地平線をながめることがきそうだ。こんなにパーキングっているのだろうか。道路を行き交う車の量とは対照的に、そこには車がひとつも駐車されていない。
古いビルが解体されると、その跡地はだいたい駐車場となり、「公営パーキング」という看板が掲げられた。 ぼくが勤める会社はパーキングに囲まれた古いビルの2階にある。建物は陸の孤島。
ビルのオーナーさんは言う。
「昔このあたりはビルがたくさんあったんだけどね」
ピンとこない。なぜならぼくが入社したとき、周辺はすでにこの状態であったから。でも、たしかにビルの側面を見るとうっすら建物が隣接していたであろう跡がみえる。その部分はやや白く、まわりは日に焼け、うす汚れている。
パーキングは場所ごとに自販機が置かれている。ぼくはいつもそこでコーラを買って飲む。だから、そればかりがなくなる。売り切れたコーラはなかなか補充されない。ぼくは隣の区画にあるパーキングまで行く。また売り切れる。そんなことが延々と繰り返され、ぼくの行動範囲は拡がり、頭の周辺地図がどんどん書き換えられる。ぼくはオーナーさんの勧めでその位置をプロットしてみた。そうすると、昔あった建物の棟数にあわせて自販機が置かれていることがわかった。
「自販機は建物の墓標だね」
オーナーさんがぼそっと言った。
パーキングは季節ごとの風物詩をぼくに提供してくれる。
「舞台みたいだね。わたしらは観客だ」
とオーナーさんはいう。たしかにそうかもしれない。
春・秋の中間期は、こども園の園児が保育士さんといっしょに散歩をする光景をよく見る。ぼくは窓から彼らに手を振る。夏は知らないおじさんが日光浴をする。彼と目が合うと、ぼくは軽く会釈をし、窓のブラインドを閉じる。冬になると雪が積もり、小学生が地上絵をつくる。ぼくが窓から投げかける感想に、彼らはかわいらしい一喜一憂をする。
ぼくも空っぽのパーキングに身を置いてみたことがある。遠くに打ち上がった花火を、ぼくはオーナーさんとながめていた。花火を見て、彼は亡くなった奥さんのことを思い出す、といった。ぼくは学生時代につきあっていた彼女のことを思い出してみた。今では顔がうまく思い出せない。
「本当に好きな人の顔は思い出せないものだよ。昨日会った今日だとしてもね」
オーナーさんがいう。花火を見ていたとき、彼も奥さんの顔だけは思い出せなかったという。
「朝、また仏壇の遺影をみないとなあ」
頭をかき、大きなあくびをしながら彼は言った。
パーキングが満車になるとき。それは年に一度ある。お祭りのときだ。その日は朝から満車のランプが点灯する。見渡す限り、車。周辺の道路も、渋滞。お祭りの日は車で出社すると、渋滞に巻き込まれて帰ることができない。だからお祭りの日、ぼくとオーナーさんは会社に来ない。翌朝、パーキングには車が1台もない。車の消失。そんな言葉がしっくりくるいつもの風景に、ぼくはホっとする。
ぼくの表情を見て、オーナーさんが
「わたしらは勝手だよね」
と笑いながら言った。
地震が起きたときのこともお伝えしたい。大きな地震だった。ぼくとオーナーさんは急いでパーキングに避難した。地震が落ち着くのを外で待っている間、パーキングにはたくさんの車が駐車されていった。乗車していた人たちは、決まって駅のほうへ向かっていった。その後しばらく経っても、誰も車をとりにこなかった。パーキングは毎日が中古車フェアみたいだった。雨の日も、そして雪の日もずっと。車が下半分雪で埋ったときもあった。ぼくは不安でしかなかった。
「希望しかないね」
オーナーさんがぼくにいった。
その後、パーキングは「公営」でなくなった。「民営」になったのだ。民営になってから駐車されていた車は撤去され、いつものパーキングになった。民営になったパーキングには園児もおじさんも小学生もこなくなった。祭りのときも車が駐車されることはなくなった。ぼくもオーナーさんもパーキングに身を置くことはなくなった。しかしながら車は駐車されることはなかった。ここは変わらなかった。そして今日、パーキングの自販機があった場所に、建築計画の看板が設置されていた。
「ようやく買い戻せたよ。これで妻の顔もすぐに思い出せそうだ」
オーナーさんがぼくの肩にポンと手を置いた。彼の手には、ぼくが以前プロットした自販機の配置地図があった。
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