煙が邪悪な黒竜のように天に向かう。
人間が焼ける異臭が森の中にまで漂う。隣村は近頃、不作が続き村人全員に疑心暗鬼と不安感が広まっていた。そのため、自宅から羊皮紙と猫が見つかった老婆が魔女狩りに合い処刑された。見世物の如く好奇の目で観る村人や、泣き叫ぶ息子に見守られながら全身を焼かれたそうだ。不作の影は俺達の村にも広まり、多くの民が不安と飢えに苛まれていた。
そんな時、朗報が耳に入った。村長の娘であるニーナが難病とのことだ。兎に角、ニーナの病が寛解すれば莫大な遺産と彼女を嫁に貰えるらしい。貧乏人の俺達兄弟が見逃す訳がない。故に俺達二人は森に足を踏み入れたのだった。
森の中は、狼や人を惑わす妖精が集まる場所である。同時に怪しい呪術遣いや、盗賊達も活動している。あの森に入ってはいかん、入れば生きて出られない、村の子供達は皆が幼少時に大人から教えられる。そのため子供は勿論、大人ですら近づこうとしない。
「なあ、兄さん、本当にマンドラゴラは森の奥に生えてるんだろうな?」
「断言はできないが、子供の頃に吟遊詩人から聞いたんだ。森の奥には不治の病も治すマンドラゴラが生えていると」
兄は服に着いた土を払いながら呟く。マンドラゴラを収穫する際は犬を使用することは有名である。人間の代わりに犬がマンドラゴラを抜いてくれるからだ。しかし貧しい俺達兄弟は犬を飼う金すらない。そのため、耳栓を持ち森の奥へと来た。
兄が大きな叫び声をあげた。彼の目線の先には大量の骨が落ちていた。小さな頭蓋骨や大量の骨、子供用の衣類が落ちている。頭蓋骨は今にも叫びをあげそうな程に顎を開いている。きっと彼等の頭蓋骨は呪術使いに使われたのだろう。
「成る程、大人達が森に入るなと言う理由が分かったかもしれない。彼等は不作で食べさせられなくなった子供達を森に捨て口減らしをしていたんだ」
そう呟き兄は巨大キノコに覆われた腐った木に腰をおろす。
「俺達が幼少期に捨てられなかったことに感謝しないとな……」
俺達は会話をしながら森の奥深くへ進む。道中で狼に襲われたり、呪術使いの怪しげな集会に遭遇するなどしたが、遂に太陽の光も届かない森の深部にたどり着いた。
そこには血飛沫のように毒々しい紅色の巨大花を咲かした植物が生えていた。肉が腐ったような生々しい芳香が漂う。土壌から半分ほど出ている根には人間の顔があった。
「あれが、マンドラゴラか……」
そう言って兄は鞄から耳栓を取り出し、自分の耳に装着しようとした。それを俺が静止する。
「兄さん、少し待ってくれ!」
「なんだ? 」
「このマンドラゴラは1つだが誰の物になるんだ?」
「先に見つけた俺の物だよ、俺は臭いですぐに気が付いたからな」
「そんな! 頼むニーナは俺の物だ! 譲ってくれ」
「物だと、今の発言でマンドラゴラを俺が貰うことが確定したな。おまえはニーナが好きだろうが、将来の妻も物扱いする男に貰われたくないだろうな。おまえはどうせ多額の借金があるから、ニーナと結構して金持ちになりたいだけだろ。分かっているさ」
そう言い放つと兄は俺に背を向けマンドラゴラに近付いた。俺は彼の背を見ながら腸が煮えくり返っていた。あいつは昔からそうだ。頼りになったし優しかったが、歳上だからといって俺に対し偉そうに物を言う。すぐに兄貴面をする。頭がグワングワンとしてきて目眩がして脳内が真っ白になる。もしマンドラゴラを入手して金持ちになれば、借金もなくなり俺の人生も薔薇色になるのに……。兄が耳栓を装着した。俺はその機会を見逃さなかった。脱兎のごとく駆け寄り、落石を彼の頭に叩き下ろした。血が大量に吹き出しマンドラゴラに吹きかかり、彼は地面に倒れた。
「な、何故……こんなことを……助けてくれ……」
兄は血まみれの顔で俺に手を伸ばす。
「じゃあマンドラゴラを俺に渡してくれるか」
「いや、それは別の話だ……」
仮に兄を見逃したら、彼は他者に言い触らすのではないかと俺は推測した。気が付いたら石で何度も兄の頭を殴り付けていた。兄が絶叫をあげても殴る手を止めない。次第に彼は微動だにしなくなる。
俺は耳栓をしてマンドラゴラに手を伸ばした。近くで見ると本当に醜い見た目だ。勢い良く抜くと、大絶叫が聞こえてきた。耳栓をしているのに、鼓膜や脳内に響き渡る。まるで脳内に悪魔でも潜んでいるかのようだ。勢いよく鼻血が出て失禁して失神しそうになる。頭が割れそうだ。絶叫は続いたが、徐々に小さくなり俺は安心して地面に倒れ込んだ。手に強く握ったマンドラゴラを見ると、非常に醜い化け物の様な見た目をしていた。顔面が崩壊した人のようだ。兄の方を見ると、そこには変わり果てた姿があった。頭部と顔面が、割れた西瓜のように崩壊し、ぐちゃぐちゃになっている。その顔を見て俺は我に帰る。
やってしまった……!
途端に罪悪感が俺を襲い、幼少期の兄を思い出す。兄貴面をする一面はあったが、常に俺を庇い頼りになる兄貴だった。村の子供に苛められた際に助けてくれたことや、山に行き帰れなくなった際は俺をおんぶして一緒に下山してくれた。兄は常に俺の味方だった。そんな兄は今、血を地面に垂れ流している。血塗れのマンドラゴラの顔が兄の崩壊した顔面に思えた。途端に罪悪感に支配され、膝がガクガクと震える。涙が滝のように溢れた。
ごめんなさい、ごめんなさい……!
俺は耳栓を外したが、まだ遠くで絶叫が聞こえている気がして全速力で森を抜けニーナの家に向かった。ニーナの屋敷では村長が出迎えてくれたので、俺はマンドラゴラを差し出す。
「これがマンドラゴラか!ありがとう。ところで一緒に行った、お兄さんはどうしたね?」
俺は、一瞬だが頭が真っ白になり目眩がする。全身が汗だくになり声が震える。
「じ、実は森の中で盗賊に襲われて、私を庇い死んでしまいました……」
「それは可哀想に……」
マンドラゴラの根を煎じて飲んだニーナは嘘の様に病が寛解した。結果的に俺はニーナの婿となり大金を手に入れた。幸せな新婚生活が幕を開けると思ったが、不可解なことが起こるようになった。それは他者の話し声などが、死ぬ直前に発した兄の絶叫に聞こえることだ。最初は僅かだったが、最近は毎日聞こえ鶏の鳴き声や、小さな物音さえ兄の叫び声と錯覚するようになった。先日は村で遊ぶ子供の声が叫び声に聞こえ怒鳴り散らしていた。ニーナや屋敷の住人に対し大声を出すことは日常茶飯事になっていた。そのため俺は多大なストレスを抱え、不眠になり毎日怯えるようになった。
「ねえ、貴方。最近おかしいわ、どうしたの? イライラして」
調理しながら問い、俺を見るニーナの声も叫びに聞こえた。同時に彼女の美しい顔が血塗れの兄の顔に見えた。
何故だ、なんで兄がここにいるんだ!
俺はナイフでニーナに切りかかり滅多刺しにする。刺している間も彼女は絶叫を止めない。床が血の海になる時、ようやく叫びは止まった。しかし再び、足音と共に叫びが聞こえてきた。
「叫び声が聞こえたが、どうしたんだ……」
勢い良くドアが開かれ村長が入ってきた。
「な、なんだこれは……!」
村長は悲鳴をあげた。俺は勢いよく彼に飛び掛かりナイフで何度も刺した。一瞬、静かになったと思うと、再び叫びが聞こえる。それは先程より大きくなり、屋敷全体から響き渡る。俺は蝋燭を手に取り部屋全体に火をつけて燃え盛る屋敷から出た。しかし屋敷から出ても全く声は止まなかった。一向に止まらないので両耳に拳を叩き込んだ。鼓膜が破れ耳に激痛が走るが声は全く鳴り止まない。まるで脳内から延々に響き渡るかのようだ。俺は燃え続ける屋敷を背に絶望した。その時、騒動に気が付いたのか大勢の村人が屋敷に走って向かってくる様子が目に入ったので、俺は森へと逃げ込み奥へ奥へと進んだ。叫びは一向に止まらない。日光が当たらない深部まで来て、俺はそこが以前にマンドラゴラを採集した場所だと気が付いた。辺りを見回すと、そこにはマンドラゴラが生えていた。マンドラゴラの顔は、血塗れでグチャグチャになった兄だった。表情は不明だが俺を凝視していた。ご免なさい、ご免なさいと、狂ったように俺は泣き叫び謝り続けた。人生で最も大きな絶叫が聞こえた様な気がした。マンドラゴラの触手が俺へと伸びる。
「ここが森の奥か」
村人の1人が言う。ニーナの婿が発狂して、村長を含む屋敷の人間を惨殺し放火した後、森の奥へと逃亡していた。その為、村人達で婿を狩りに森へ向かったのだ。
「こ、これは!」
村人達は驚愕した。そこには2本のマンドラゴラが絡み合うように生えていたからだ。2本とも鮮血のような深紅の花を咲かせていた。その顔は村の兄弟に類似しており、弟と思われる方が今にも絶叫しそうな苦悩の表情を浮かべていたからだ。
佐藤 相平 投稿者 | 2025-11-12 12:50
「絶叫」がテーマでマンドラゴラを題材にするのはなるほどと思いました。僕も思いつきたかった。中盤までの展開には既視感がありましたが、兄を殺す辺りからの展開には迫力と勢いがあり興奮しました。応募作品の中で最も真正面から「絶叫」に向き合っているところが良かったです。
眞山大知 投稿者 | 2025-11-14 13:39
ファンタジーでマンドラゴラが出てきたので「なるほどなあ」と思って読んだのですが、心が苦しくなる兄弟の愛憎劇を描いて創世記のカインとアベルの物語を読んだときのような厳かな気持ちになりました。いいですね
曾根崎十三 投稿者 | 2025-11-14 22:05
あのキナ子さんが! 満を持して! 合評会に参戦だぁ~! ┗(^o^ )┓ ドコドコ┏( ^o^)┛ ドコドコ
喜びのあまり踊り出してしまいました。
正統派なダーク御伽噺ですごい! 私は正統派じゃないダーク御伽噺なので。正統派書けるのが素直に尊敬です。
スイカに例えるのとか、絶叫で顔をくしゃっとした感じとか目に浮かんで視覚効果も良かったです。
河野沢雉 投稿者 | 2025-11-15 18:03
日頃の小さな鬱憤が溜まっていたとはいえ、恩義のある兄をニーナへの欲望と借金だけで殺すかなあと思いましたがマンドラゴラの呪い(?)みたいなもののせいだと思って納得しました。
めっちゃ正統派ファンタジーですね。
大猫 投稿者 | 2025-11-20 21:15
短いけれどバッチリ決まったファンタジーホラーです。
普段は仲の良い兄弟で、マンドラゴラを取りに行くのも、最初は二人で協力して乗り切ろうとしていたのに、いざ、マンドラゴラを抜く段になると急に欲が出てくるあたり、人間の業もよく書けていると思いました。
ニーナの婿になるのはどっちか最初から決めておけば良かったのでしょうが、兄弟だからかえってそんなことを思いつかなかったのでしょう。
諏訪真 投稿者 | 2025-11-22 19:35
悲鳴をあげるファンタジーのお題といえばまさにマンドラゴラですね。
因果応報。綺麗にまとまってます。