神樣にお掃除屋さん認定された話。

幾島溫

小説

8,678文字

實話です。不思議體驗系。然し此の後の僕の人生を思うと此樣なの全然不思議な話じゃなかった。

(1)

驛から少し外れると山と畑しかないやうな景色が廣がる。
これが僕が住んでゐる待ちだ。
そんな山のふもとにある森の中に神社があることに氣が付いたのは半年ほど前、隣町のイオンへ行つた時のことだつた。
21世紀の世の中にあつても森の中にある鳥居には恐ろしく深い曰くや謂はれ、または觸れてはいけないやうなそんな事情があるのではないかと思ひ、オカルト好きの僕はその後グーグルマップで調べてみた。すぐに調べなかつたのは運轉中だつたからだ。
神社の名前は「森若神社」と云つた。
寫眞を見るに人氣はなく賑やかな神社ではなかつたけれど、禍々しいものは感じなかつた。
レビューは1つしかなくてそれも「ポケモンgoのスポットになつてゐます。オススメ」といふもので神社の謂はれや曰くが知りたい僕の役に立つものではなかつた。とはいへ、ポケモンgoといふ腦天氣なワードが出る程にはこの場所はさう恐ろしい場所ではないのだらう。僕はさう思つてゐた。

それからその神社の前を通ることは無かつた。
隣町のイオンに行く用事がなかつたからだ。
けれど夏休みの時期が來ると僕は障がいを持つ末の妹を施設に何度か預けに行くことになつた。
その施設の場所といふのが件の「森若神社」の近くだつた。

神社がある森は綠が輝いてゐるやうに見えた。
車で通り過ぎる瞬閒に鳥居の入口を覗くと優しく暖かな雰圍氣に見えた。

だけど僕はそれでも愼重だつた。
もしも神社に呼ばれてゐるとして、それが本當に神なのか何なのか僕には解らないし、もし僕を呼んでゐるものが惡いものだつたとしても僕にはそれを祓ふやうな能力はない。

これだけ件の神社が氣になるといふことは恐らく僕はこの神社に呼ばれてゐるのだらう。
けれど僕は特別用事もないし、何よりその神社といふのが大通りから見るに道がとても細くて、車で行けるのかどうかすら不明だつた。
さういふこともあつて、僕はその神社を氣にしつつも行かないでおかうと思つた。
本當は行きたかつた。今思ふとさうだ。好奇心もあつた。
けれど何かさういふ場所はおもしろ半分で近付いてはいけないと思つてゐた。
遊びで行くやうな場所ではない。

けれど末の妹を施設に送ること數囘目のある日。
迎へに行く少し前に僕は「もし、今日、行けさうならあの神社に行つてみよう」と心に決めてゐた。
いい加減、氣になつてゐたのだ。
あれから何度も、神社の前を通るたび僕は樣子や雰圍氣を確認してゐたのだ。
「森若神社」はいつだつて溫かく優しく僕に微笑んでゐるやうに感じた。
森の綠が搖れるのも、微笑んでゐるやうだつた。
なんとなく僕は「森若神社」に優しい女性の雰圍氣を感じてゐた。

仕事が終はつた僕は家までの道程を步いてゐた。とても暑い眞夏の日だ。地表の溫度は40度を超えてゐるであらう、そんな日だつた。
「この後、今日こそはあの神社に行つてみようか」
さう思つた瞬閒、風が吹いた。僕の行く手の前方から。とても大きく。
向かひ風だつた。
風が吹いてゐる。涼しい。これはもしかしたらいよいよ本當に神さまが呼んでゐるのかもしれない。
けれど警戒心の强い僕はこう考へる。
「いや、さう考へるのは僕がさう受け取りたいからぢやないのだらうか。だつて考へてご覽よ、向かひ風だよ。困難の象徵だよ。もしかしたら來るなといふことかもしれないし、本當においでといふことなら追ひ風ぢやないのか?」
さう思つた瞬閒、風が追ひ風に變はつた。
ものすごい勢ひの追ひ風だ。
僕は觀念した。
森若神社の神さまは、僕においでと言つてゐる。

わかりました、必ず行きます。心の中で僕はさう答へた。

 

 

(2)
末の妹を迎へに行く前に僕は森若神社に行くことにした。
何となく一人で行つた方がいいやうに思へた。

神社へ行く道は豫めグーグルマップで丹念に確認をした。
この邊りは一車輛しか通れないやうな細い道が多い。ひとつ閒違へれば取り返しのつかないことになりかねない。
この町へ來てまだ1年半ほどにしかならない僕には、知らない道がたくさんある。

神社までの細い道は、途中に對向車がきてもはやこれまでかと思つたけれど、難なくすれ違ふことが出來た。神社の裏手には大きな駐車場があつて車が何臺も止まつてゐた。
邊りには田畑と工場があり、工場の關係者が駐車してゐるのだらうか、と僕は胸の內の疑問に折り合ひを付けた。

側道を步いて僕はいよいよ鳥居の前に立つた。
神社の前には割と綺麗な旗が2本たつており市町村の名前が書いてあつた。
この神社はちやんと手入れをされてゐる。大丈夫だ。
鳥居の奧は木々に圍まれてゐて薄暗い。
行つて大丈夫だらうか、いや來たんだ。
僕は頭を下げて鳥居をくぐつた。

石燈籠は少しぼろぼろだつた。
境內の中には小屋や集會所のやうな場所があつて、この邊りの人々の據點になつてゐるのだらうと思ひ、僕は少し安心する。
忘れられた神社では、ない。
手水の水は出てゐないだらう、と思つてゐたけれど意外にも龍の口から水が出續けてゐた。
この神社はちやんと機能してゐる。生きてゐる。
僕は安心して、二の鳥居をくぐつて本殿の方へ向かふ。

本殿へ行くのは緊張する。
僕を呼んでくれたのは一體何故だらう。どうしてだらう。

本殿に上がる石段を何段か登ると、賽錢箱と鈴があつてここがその場所だといふことがわかつた。
奧にあるお宮には黃色に赤の緣取りがされたすだれが掛かつてゐた。
その簾が生き生きとしてゐて僕はここには神さまがゐると思つた。なんとなくやつぱり女性のやうな氣がした。
僕は手を合はせる。
「はじめまして。お呼びいただきありがたうございます」そんなことを心の中でつぶやいた。
賽錢箱やそこらに蜘蛛の巢が張つてゐたりするのが少し氣になつたけど、勝手に掃除をしていいものかどうかわからなかつたので、そのままにしておいた。
神社ではいつもさうなのだ。何がよいのかわからない以上、僕は勝手に觸らないやうにしてゐる。

お參りが無事に終はつたことを安堵しながら、僕は二つの鳥居を再びくぐつて最後にまた頭を下げて神社を後にした。

 

 

(3)

參拜をした後、僕は改めて「森若神社」について調べることにした。
神社廳のサイトから檢索をすると、森若神社のご祭神は「コノハナサクヤヒメ」だといふことが解つた。
まじかよ。
僕は少しぞくっとする。
女性ぢやん。マジで女性の神さまぢやん。
思ひ違ひぢやなかつた。
そして共に祀られてゐるのはニニギノミコトでコノハナサクヤヒメの夫だつた。

しかし何故、僕がこの神さまに呼ばれたのだらう。
禦利益を調べると「農業、機纖り、漁業・航海、子授け」等ですべて僕には緣がない。
どういふことだらうと思ひながら僕はその日、眠りに就いた。

けれどそれから僕は森若神社のことが頭のどこかでいつも氣になつてゐた。
また行くかもしれない、行かなくてはいけないかもしれない、そんな氣持がどこかにあつた。
けれどそれでも僕は不安だつた。
何故こんな氣持になつてゐるのだらうか、と。
僕は行つても大丈夫なのだらうか、と。

その夜、微睡んでゐると森若神社の夢を見た。僕はそれを「ちよつと怖いな」と思つた。
その瞬閒「ぢやあもういいです……」と神社が遠ざかつていく感じがした。
ハッとして目を覺ます。
神さまにそっぽを向かれたやうな氣がして僕は焦つた。
「いいです、いいです、大丈夫です」
それから翌日もさう話しかけてゐた。
神社がこちらに戾つてきたやうに思へた。

すると今度はまた腦裡に森若神社がずつとちらついてゐる。
僕はをかしいのだらうか。
あの參拜の時に見た、蜘蛛の巢や何かのついてゐた賽錢箱等等が氣になつてきた。
すると僕はそのことがずつと氣になるやうになつてしまふ。

次に末の妹が施設を利用する豫定は5日ほど後の金曜日だつた。
行くならその日だ、その日に僕は神社を掃除しにいかう。
さう思つてゐた。

いたのだが、やつぱり僕はこれだけ氣になるのは何かをかしい氣がして、やつぱり行くのをやめようかと思ふ。颱風も近付いてゐて天氣も怪しかつたのだ。
すると翌朝、僕と戀人が付き合つた記念に作つたボードが棚の上から轉げ落ちてゐた。
部屋にゐた家族に聞くと自然落下といふことだ。
前の日にその棚の拭き掃除をしてゐたから、バランスが崩れて落ちやすくなつてゐたのかもしれないけれど、でもそれは餘りに見事な轉落つぷりで僕はもしかしたらあの神さまからのメッセージではないかと考へる。
夫婦で祀られてゐる神さまたちだからさ。
僕は囚はれすぎてゐるのだらうか。

だけどしかし、僕はこれから神さまと共に生きていくと決めたのだ。
今まではかういふことは僕の單なる思ひ込みや偶然として片付けてきたけれど、多分さうぢやない。これからはさうぢやないものとして受け止めていくんだ、さう決めたのだ。

本當のところはどうかわからないけれど。

僕は戀人と樂しくやつていきたい。この先づっと。

僕は森若神社に必ず行くことを心の中に決めた。

 

 

(4)
その日は急遽、仕事が休みになつた。
僕は施設へ末の妹を送つた後、若森神社に掃除に行くことを決めてゐた。
けれど「絕對に行かなくちやいけない」と思ふ反面「行かなくてもいいのかもしれない」とも思つてゐた。
だつて神社に呼ばれてゐるとか掃除に行かなくてはとか僕の思ひ込みかもしれないぢやないか。
僕にははつきりとした靈感があるわけではない。
一體誰が呼んでゐるのか本當のところは解らない。
だから少し怖かつたんだ。

觀光客で賑わつてゐるやうな場所ではなく、本當に靜かで誰もゐない森の中の神社なのだから。
僕は用心してゐた。

もし僕が掃除用のウエットティッシュとゴミ袋を忘れてゐたら今日は行くのをやめよう。
さう思つてゐたのに出かける前にきちんと準備が出來た。
もし雨が降り出したら行くのを止めよう。
さう思つてゐたのに雲からはどんどん太陽が出てきた。

だけど何か行きたいやうな氣がしない。僕は末の妹を送迎するために車を運轉してゐても、まだ迷つてゐた。
なんだかあの場所へ行かずに歸つてしまひさうな氣がする。
けれどその豫感は意外なことで的中することとなる。
末の妹は必要なものを忘れてゐたのだつた。
僕は末の妹を送り屆けた後、大慌てで家に戾りまた忘れ物を屆けに施設へ行つた。
初め家を出た時は曇天だつたのに、すつかり快晴で强烈な日差しが窻越しに僕を灼いた。
やうやく僕は森若神社へ掃除に行く氣になつた。

行かなくちや、絕對にいかなくちや。掃除をしなくちや。

僕の頭はそのことでいつぱいだつた。
施設を出て、大きな道を走り神社へ續く細い道へと入る。
駐車場に車を止めると、もう迷ひはなかつた。
けれど自分でもをかしいと思ふ。何をしてゐるんだらう。
緣もゆかりもなく氏子でも近所でもない神社に何故掃除に行くのだらう。
半ば追ひ立てられるかのやうに。
けれどもう行くしかない。
行かないと僕の氣は濟まないのだ。
ゴミ袋とウェットティッシュを手に、再び森若神社の鳥居をくぐつた。
手水の水は今日、出てゐなかつた。水道式なのだらうか。仕方なく僕は手を洗はずに二の鳥居をくぐる。
今日はなぜかまるっとした狛犬がこちらを見てゐる氣がする。
狛犬の視線を感じるのは初めてだ。
矢張り何かあるのだらうか、今日は。

 

 

(5)
境內を進んで僕は本殿の前に辿り着いた。
風が吹いてゐる。颱風が過ぎた後だからだらうか。それとも神が喜んでゐる印?
僕は本殿の前の石段を上がり、賽錢箱の前に立つ。賽錢箱には葉つぱがいくつか乘つてゐた。あぁだから僕を呼んだらうか。奧のお社にはこの前と同じ黃色い簾が掛かつてゐる。人氣が無く少し寂しい雰圍氣の境內なのに、この黃色の簾はとても生き生きとしてゐるやうに見える。
やつぱりここにゐるのは女性の神さまだ。僕は確信した。
頭を下げて手を合はせて僕は心の中でご挨拶をする。
「こんにちは。本日はお招きありがたうございます。これからお掃除をさせてゐただきます。よろしくお願ひします」
と。

顏を上げると早速僕は持參してきたゴミ袋を開いて、まづ目に付いた賽錢箱の上の葉を拾つた。
「これは神さまがインテリアとして置いてゐるんぢやないんだよね? ゴミでいいんだよね。だつて僕を掃除のために呼び出したんだから」
さう考へて片付けに入る。

落ち葉を片付けたら次に目に入るのは蜘蛛の巢だ。
賽錢箱の口には蜘蛛の巢がいくつも張られたままで、僕はウエットティッシュでそれを拭き取りゴミ袋に入れる。
實は僕は蟲が苦手でかういふものは觸りたくない。

さてと、次にどこを掃除すればいいですか?
と顏を上げて見ると目に入つたのは本殿との閒にある格子狀の扉。その格子の目にも蜘蛛の巢がいくつも張られたままである。
ところで僕は蟲は嫌ひだけれど、命を奪ふことも好きではない。蜘蛛とは遭遇したくないけど、蜘蛛の營みを奪ふこともしたくないのだ。
格子に張られた蜘蛛の巢はどこかに續いてゐるやうではなく蜘蛛の氣配もない。恐らくもう使はれてゐないのだらう。
僕は「廢墟」だと思はれる蜘蛛の巢をウエットティッシュで拭き取つて、すぐさまゴミ袋に入れた。
幾つも幾つもそれを繰り返してゐるうちに、格子の中の蜘蛛の巢はなくなつた。
よし。
その光景を眺めると、本殿の奧の神さまが喜んでゐるやうな氣がした。
さうだよね、女の神さまだもん、お顏に蜘蛛の巢が付いてるやうなものだもんね、そんなの嫌だよね。
僕たち人閒はこの格子越しに神さまの方を見る。その格子が汚れてゐてはお顏が汚れてゐるも同然なのだらう。僕はさう感じた。
蜘蛛の巢を取つた後は汚れを吹いたり、砂埃を吹いた。賽錢箱の砂埃も磨いて取るとウエットティッシュはあつといふ閒に眞つ黑になつた。

他に掃除する場所は、と邊りを見廻すと狛犬と塀の閒に蜘蛛が巢を作つてゐるのが目に入つた。
そこにはちやんと蜘蛛がゐて現在進行形で生活をしてゐるやうだ。
これは僕には殺す勇氣はない。取り去る勇氣はないよ。ましてここは神社だし。
心の中で僕は神さまに斷りを入れてこの巢は取らないことにした。

神社の神樣とは取引や約束はしないはうがいいらしい。
これは僕がネットやテレビなど、人づてに聞いた話だ。
だから僕は安易に何かを條件に祈ったり「また來ます」などと言つたりはしない。だから今囘も出來ない約束をしないやうに、自分の心に氣をつけてゐた。9月には轉勤の可能性がある。
「掃除にはもう來れないかもしれません。だから今日限りかもしれません。その分、今日は掃除させてゐただきますね」
心の中でさう神さまに話しかけた。

僕は本當は本殿の前だけをきれいにするつもりで來た。神さまがどこからどこまでを掃除して欲しいのか解らない以上、無闇に觸れることが僕は怖かつた。
だけどふと顏を上げると今度は向かつて左側の格子の汚れが氣になつてきた。
「ここも掃除してちやうだい」
さう言はれてゐるやうな氣がした。あんなに極力觸れたくないと思つてゐたのに、僕は今無性に蜘蛛の巢を拂つたりしたくてたまらない。
これは掃除をしろといふことなのだらう。
僕はまたウェットティッシュを取り出して、格子に張られてゐる蜘蛛の巢や砂埃、枯れ葉などを取り去つていく。格子の奧には小さめのお社があつて、僕はなんとなくここがコノハナサクヤヒメの夫のニニギノミコトが祀られてゐる場所だといふ氣がする。
「私の旦那さんのところも綺麗にして頂戴」
さう言はれてゐる氣がして僕は「はいはい〜」と格子を拭く。

途中で狛犬から本殿を圍む塀にかけて蜘蛛が巢を張つてゐるのが見えた。
その巢は大きく、蜘蛛が營みを行つてゐるやうだつた。この巢は取らないでおかう。第一、こんな大きな蟲のねぐらなど觸りたくない。

地面には枝や葉がたくさん落ちてゐた。颱風の後だからだらう。そこを片付けるべきか、といふことも少し腦裡を過ぎったけれど、僕は今日は觸れないことにした。だいたい箒も持つてゐないし、拭き掃除が僕の限界です。と心の中でさう言つておく。
それにもし、ここも掃除をして欲しいのならまた僕はどうしやうもない義務感で、箒とちりとりを揃へたくなつて、ここを掃除したくなるのだらう。さうではないのだから……今日はいいだらう。それにこの神社にはちやんと氏子がゐてある程度の管理はされてゐるやうだつた。境內には小屋が2つある。だから僕がしなくてもいいだらう。きつと氏子さんたちがやつてくれる。

一通り汚れが氣になるところを拭き終へた僕は顏を上げた。
次は左側も、と言はれるのだらうか。
だけど僕は左側はそんなに頑張つてやらなくていいやうな氣がした。氣がしたのならそれが答へなのだらう。詰まるところ僕はもうずつと「氣がした」を神さまからの導きとして捉へて行動してゐる。
だけどあちらを掃除してこちらを掃除しないといふのはなんとなく心地が惡い。僕のことだ、家に歸つて寢る前にモヤモヤと思ひ出しかねない。
折角來たのだから、ええい。と思つた僕は右側も同樣に拭き掃除をすることにした。
こちら側の狛犬にも大きな蜘蛛の巢が掛かつてゐた。こちらは僕はスルーして、格子をできる限り綺麗に拭く。
持つてきたビニール袋はどんどん膨らんで行く。

そりや理想を言へば新品のやうにピカピカになるのがいいけれど、僕が出來ることには限界がある。あまり頑張り過ぎるとなんだか良くない。僕はさうも思つてゐる。引き時がわからない。去り時がわからない。そもそも僕は勝手にここを掃除していいのかどうかもよくわかつてゐない。だから誰も來ないことを祈りながら、こそこそと掃除をしてゐる。
ある程度、目立つ汚れやゴミを取ればいいと思つてゐた。
右側の圍ひもだいたい綺麗になつた。
もう一度僕は、本殿正面賽錢箱の前に立つて邊りを見廻す。
まぁ……目立つ汚れはないし、もういいだらう?
最後の念押しで僕は本殿の奧の黃色い簾を伺ひ見る。
滿足げに微笑んでゐるやうな氣がした。
うん、もういいかな。
さう思つて僕は一禮する。
本殿の奧から風が吹いて、前髮が踊つた。
あぁ、もうこれでいいんだ。
僕はさう感じた。

 

 

(6)

僕は森若神社の神さまに氣に入られたのだらうか。半分くらゐそんな氣持を持つてゐた。けれど何故、僕が呼ばれたのだらう。コノハナサクヤヒメとは今までまつたく緣がなく、僕に不思議と緣があるのは稻荷神社やその神さまなのだ。禦利益を見てゐても今の僕の望みとはあまり關聯がないもので、一體何故僕をよんで下さつたのだらう。そのことが解らなかつた。
だから僕は眠る前に「何故、僕を掃除に呼んだんでせうか?」と神さまに尋ねるつもりで目を閉ぢた。

その晚見たのはこんな夢だつた。

森若神社だつた。木漏れ日が差してゐる。恐らく晝下がり、12時か2時頃だらう。
白無垢を着た花嫁行列が境內を通つていく。
その花嫁たちは狐だつた。
狐の嫁入り行列は鳥居をくぐつてどこかへ嫁いでいくやうだつた。
僕が掃除をした日にどうやら狐の婚禮儀式が控へてゐたやうだつた。
颱風で延期になつたけど晴れたから今日やっと行へる。
だから少しでも綺麗にしておいてあげたいぢやない。

ハッと僕は目を覺ました。
まだ夜中だつた。
さういふことだつたのか。
でも本當にさうなのだらうか。
夢はただの夢ではなくて?
けれど、僕には何も本當のことを確かめることが出來ない。何一つ僕には解つてゐない。すべてが感情や感覺に意味を付けた、思ひ込みと想像なのだ。

けれど狐と言ふことでお稻荷さんとご緣がある僕はなんとなく納得してしまふ。
きつとさういふことなのだらう。狐さん關係できつと僕が呼び出されたのだらう。さういふことで僕は今囘の出來事を理解することにした。

それから翌日、僕はもう森若神社のことを思ひ出すことがなくなつてしまつた。昨日まであれほどまでに每日考へてゐて氣になつてゐたといふのに。
そして驚くべきことに名前まで忘れてしまつてゐた。
今宮神社……ではない、若森神社……だつたかな?

我ながら驚く。
僕はこのままあの神社のことを忘れていつてしまふのだらうか。

あんなに强烈に氣になつてゐてゐた神社だつたのに。
まるで本當に掃除をするためだけに呼ばれてゐたやうなものだ。

まあいい、それでいい。何故だか僕が選ばれたつてこと。
だけどこんな話は誰にも云へない。
理窟がない。意味がない。周りの人に言へばきつと僕の頭がをかしくなつたと思はれるだらう。

まあいいや。別に誰に言はなくても。
ひと夏の經驗は誰にも知られないまま僕にも忘れられてきつとこのまま閉ぢていくのだ。

 

 

後日談

この記錄を書き上げた僕は、記事をUPするためのヘッダー畫像を探してゐた。
すると「森若稻荷神社」といふ名前の神社が目に入る。
ありさうな名前だもんなあ、と思ひながら興味を持つた僕は「森若稻荷神社」を檢索する。
稻荷神社の方の森若神社は遠く西の土地にあり、秋には狐の面を被つた人たちが華麗な舞を踊るといふ。
その寫眞を見て僕は驚いた。
一年くらゐ前に夢で見た祭りの繪、そのものだつたからだ。
白狐の面と神社のお祭り、何か意味がありさうななささうな夢だと思つてゐたけど、どんな意味なのかもわからないから氣になりながら忘れてゐたのだつた。
あの時の夢を一氣に思ひ出した。

總てが繋がつた。背筋がぞつとした。
僕は何故あの神社に呼び込まれたのかわかつたと思つた。
解つたかどうか眞實は何もわからないんだけど、それは僕の中で非常に腑に落ちる答へだつた。
そして夢の中でみた狐の嫁入りはここへ嫁に入る狐さんたちだつたのかもしれない。

 

2024年7月26日公開

© 2024 幾島溫

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