★13
ゆうかの企劃した探偵ごっこは大成功を收めた。
「なんだかすっごく樂しかったよ!」とはあさひの辨だがまったくもって同感だ。
お陰で探偵ごっこをしたあの日から數日たった今も、僕は商店街の路地に息を潛める場所を探したり、プルタブで意圖的に己の痕跡を殘す癖がついてしまった。もういっそ、少年探偵團でも結成してしまえばいいのに、このメンバーで。って何の犯人を捕まえるんだ?こんな平和そうな街で探偵團がするべきことなんてあるのだろうか。ミクロな惡は數在れど、信念を持って追い回せるような惡を僕は知らない。
いいんだ、ぼくは
「へい、ちんこんかていラーメンお待ち!」
こう叫んでカワイコちゃんの訪れを待つだけで。ゆうかちゃんは今度いつラーメンを食べに來てくれるんだろう。キミみたいな子からオーダーを受けたくて僕はずっと待っているというのに。店內を見廻しても女性客は一人も居ない。あぁ、こんな處じゃ息ができないよ。ゆうかちゃんの鈴蘭のような髮の匂いをもう一度嗅ぎたいな。
約束の勞働時閒が終わって、僕はエプロンをロッカーに脫ぎ捨てる。そうして靴を履き換えて上着を羽纖り、店の外に出た。
いつになったら僕のこのささやかな願いは叶うんだろう。流れ星に祈ればいいのかなあ。
僕は眞っ黑な空を見上げた。
「おつかれさーん」
背後から聲が聞こえた。振り返るとテニスラケットを肩に掛けたあさひが居た。
「どうしたの?もしかして待ってた?」
「別にー。偶然通りかかっただけ。それより、ルリヲの方こそどうしたの?今日は何かやけにオシャレしてるじゃん」
「えっ、そう見える?どう、今日のおれ?『イケてる』人?」
先週までの僕はバイトに行く時はパーカーかジャージをぴょいっと羽纖るだけだったのだが、家を出る前にゆうかの事を思い出すと自然ジャケットに手が伸びた。
「まぁ、惡くないんじゃない?」
「百點滿點中何點?」
「んー、三十點位かな」
「えー、何で!」
「惡くないけど、なんとなくやだ」
「何だよそれ、理由になってない」
「そういうルリヲは見慣れてないからよくわかんないよっ」
あさひはそう言い捨てて步き出した。僕は半步遲れでその後を追う。
夜の商店街は閉まり始めるお店があるものの、行き交う人々の流れが止る氣配はない。日曜日の朝とはまったく違うその景色に、僕はもうあの時に戾れない事をイヤでも思い知らされる。
「なー、あさひぃ、あれからゆうかちゃんに會った?」
「會ってないよ。何で?」
「べっつにー」
彼女と二人で隱れていた酒屋の前には今もダンボールが山積みの儘だ。いるわけないと思いつつ、そこにゆうかが居て欲しいという願いを込めて僕は路地の入り口で足を止めた。
「んっ」
すると其處には長い髮の女の子の後姿が在った。
「ねぇねぇあさひ、あれゆうかちゃんじゃない?」
僕は隣に居るあさひの服の裾を引っ張った。
「あ、ホントだ」
「おーい、ゆうかちゃーん!」
僕は聲を張り上げて彼女を呼んだ。するとその後姿がびくっと肩を搖らしてゆっくりと振り返った。
「ゆうかちゃん、何してるの?」
一氣に戀のガソリンが滿タンになった僕は驅け足で彼女に近寄る。
「あ、あ……」
ゆうかが狼狽える樣な素振りを見せる。困った顏も可愛いな。
「どうしたの、こんな處で」
「いや、あの、ちょっと……」
ゆうかは手を後ろで組み、壁に背をくっつけている。
「何か隱してるでしょ」
「いや、何でもないです」
こんなに焦っているゆうかを見るのは初めてだ。これはひょっとして……僕へのプレゼントか何かを隱してるんじゃないの?
「ゆうかちゃん、遲かれ早かれ何れは見せることになるんだろ。だからいいじゃん、ねっ見せて」
「だ、だめです!ていうか、何もないです!」
身じろぎしてゆうかは僕を拒みつづける。すると「カシャン」とゆうかの後ろで何かが落ちる音がした。
「ん、何これ?」
そう言ってあさひが拾い上げたものは、小さな黑いプラスチック片だった。
「ゆうかちゃん、何これ?」
―ドサッ。バタバタバタッ。
僕がゆうかに問いを投げ掛けて、彼女に向き直るのと殆ど同時に派手な音がした。
「どうしたの?大丈夫?」
と聞いたのはあさひ。
顏面ソーハクのゆうかは立ち盡くし、その足下にはまるで戰時中のスパイ屋さんのようなメカトロニクス・マシーンが散亂していた。スピーカー、集音器、ケーブル、ケーブル、錄音機、アンテナ、カメラ等等……。
「違います!私そもそも池尻ゆうかじゃありませんからっ!」
そう言って彼女は僕らの不意を付いて驅け出した。
「ちょ、待って!」
ゆうかを追い驅ける事に迷いはなかった。たとえマシーンをすべて散らかした儘だって。折角出會えたのに此處でお別れなんて、そんな切ない事僕が許さない。何を怯えているのか知らないけれど、ボクはキミのすべてを受け止めるよ。
僕は走った。走った。あの日みたいに商店街を。だけど今度は追われる方じゃなくて追う方だ。それに遊びじゃなくて眞劍なのさ。ゆうかちゃん、ゆうかちゃん。彼女の事以外を思い浮かべる餘地がない。ゆうかちゃん。この前の續きをしようよ。正直そう思う。純愛とかそういうものは知らないよ。だけどこれが僕なりの本當の戀。(きっとね)
だがしかし、ゆうかの足は本當に速い。本氣を出して走る彼女に、文系インテリ派の僕が追いつけるわけも無く小さくなって行く彼女の後ろ姿に段々と絕望を感じていった。
「はうううう。うええええ。っく、ひっく」
僕の內臟はとうとう走る事を拒否してしまった。もう俯いて地面にハナ水を垂らす事しか出來ないよ。
「ルリヲ、乘りな!」
液體まみれの顏をあげるとそこには、自轉車に乘ったあさひが居た。
「あさひたん……」
「ほら早く!」
僕は勸められるが儘に彼女の自轉車の後部座席に座った。
「いくよー!」
とか言って、あさひがカッコイイのは威勢だけ。僕を後ろに乘せた彼女は思うようにハンドルを裁けないらしく
「あううううっ」
と僕は情けない聲を出してしまった。
「大丈夫だから!」
あさひはそう言うけれどほんとかな。僕は彼女の腰に兩手できゅっとしがみ付いた。自轉車はフラフラと蛇行しながらも、段々とバランスを取り戾し、そしてぐんぐんと街の景色を追い越して行って商店街を突き拔けた。風が僕の前髮を搖らす。
「どっち行けばいーの?」
「んー……なんかずっとまっすぐ走っていったような」
僕は首を左右に振って邊りを見廻す。すると橫斷步道の前にさっきから追い掛けていた後姿を見附けた。彼女は僕を撒けたと思って安心したのかノンビリと電柱に凭れ掛けている。
「居たっ!」
僕とあさひは殆ど同時にそう叫んだ。するとゆうかが振り返り「ヤバイ」そんな口の動きを見せて再び驅け出そうとした。だけど信號は赤だ。
「あーん」
「がんばってー」
僕には自轉車を漕ぐあさひを勵ます事しか出來ない。
信號が靑に變わるとゆうかは再び走り出した。それにしても何で逃げるんだろう。僕へのプレゼント(に決まってるよね)がばれて恥ずかしかったのかなあ。でも照れすぎだよ。まったくカワイイんだから。でもあの脚力は餘り可愛くないな……。
勢いと本能に任せて此處まで彼女を追いかけて來てしまったけれど、ふっと我に返ると何でこんなことをして居るのかよくわからない。これが情熱ってやつなのかい?自分がこんな物を持っているなんて知らなかった。ゆうかちゃんが居るから、僕はこんな風に强くなれるんだきっと。
「ルリヲあと少しだよっ」
ゆうかの髮に手が屆きそうな處までやって來た。それでも彼女は走り續ける。あさひの足がペダルを踏み込んでゆうかを追い越して、そしてブレーキを掛けた。
―タタッ
というリズムでゆうかの足も止まる。僕は自轉車から降りて彼女に步み寄った。
「ゆうかちゃん!何で逃げるんだよお」
ゆうかは何も言わず唯息を整えていたが、暫くすると意を決したようで口を開いた。
「だって、だって……。あさひさん、あたしの事もう嫌いになったでしょ?」
「え、あたし?何で?」
「……そんな風に言って下さるなんて、本當に優しい人ですね。私だったら、盜聽器を仕掛けようとしていた人に向かってそんな事言えないです……」
「盜聽器?」
僕は思わず大聲を出した。
「ほんとにごめんなさい。あたし、あさひさんの事が本當に好きだから……それでついあんな物に手を出してしまったんです。」
「えっ?」
「だから惡氣があったとかそういうわけじゃなくて……」
「えっ!」
しゃっくりのようなびっくりが止らない。
「だからあたし、もうダメだって思って……嫌われたって思って、それでこんな處まで逃げてしまったんです」
ゆうかの目から淚が一筋零れ落ちた。
「あさひさん、ずっとずっと好きでした。愛してます。私を彼女にして下さい!」
ゆうかとあさひに挾まれて僕はスッカリ部外者だ。話に入る餘地が、まったくもって見當たらない。
「え、あっ……。ご、ごめん!」
「……駄目ですか?もしかして本當は私がルリヲさんの事好きなんじゃないかとか、そういう事を氣にしてるんですか?違うんです、あれはあさひさんの氣を引くために、好きでもないのにわざとした事なんです。素直じゃなくてごめんなさい。でも、こうでもしないと、あさひさんは私の存在を認識してくれないんじゃないのかなって思って……それで……」
「えっ!」
「いやぁ、てか私女の子に興味ないし……」
「そんなあ……そんな理由ですか?」
「ウン……氣持ちは嬉しいんだけど……」
「私じゃダメですか?私だったら絕對に幸せにします!この人なんかよりっ!」
「えっ?」
ゆうかは僕を指差した。
「ウン……ほんとごめん。ゆうかちゃんが男の子だったらよかった。……かなあ?」
あさひはバツが惡そうに俯きながらそう答える。するとその時、ゆうかの聲音が變わった。
「あーもう、何なんですかソレ!」
腹の底から搾り出すような聲で彼女は怒鳴る。先刻までのしおらしさはそこにない。彼女は自分のカバンの中を探りながら
「折角あさひさんに渡そうと思ってアップルパイも燒いてきたのに!あー、もう。こんなことになるんだったら燒いてこなければよかった。バカミタイ、馬鹿みたい」
と呟きながら彼女の顏の大きさくらいはあろうかと思われる箱を取り出し、その中からパイを出した。
「下北澤ルリヲッ、覺悟!」
そしてゆうかは思いっ切りのオーバースローで僕にパイを投げつける。
あーん、もうダメだ。絕・體・絕・命!何の因果でぼくはこんな目に遭うんだよお。何も惡いことしてないじゃんか。ひーん。もういいや、今日の僕は藝人だ。仕方ないっ。顏面でそのパイを受け止めるよ。僕はしたくもない覺悟を決めさせられる。
―スパーン!
目を閉じた瞬閒、ハナ先で氣持ちのいい音が聞こえた。目を開けてみると、テニスラケットを構えたあさひの後姿があった。僕目掛けて飛んできたアップルパイは彼女に打ち返されたらしく、今や遙か彼方。
「あさひたん!」
「ど、どうしてあさひさんっ」
「ルリヲを守るのはあたしの役目みたいなものだからねっ」
僕は乙女みたく潤んだ瞳で彼女を視る。
「そんなあ」
ゆうかはその場にへたり込んでしまった。
「ねぇねぇゆうかちゃん、もうこんな事はしない?」
「ハイ」
「だったらさ『彼女』とかは無理だけど、これからも又仲良くしてヨ。探偵ごっこ樂しかったよ」
あさひがニカッと笑ってゆうかに手を差し出した。
「あさひさん……」
その手を取り、ゆうかが立ち上がる。
ぽかんという字を顏に貼り付けたきり僕は動けなくなっていた。ゆうかが好きなのは僕ではなくてあさひだった。その事實は僕自身の空ろさを改めて照らし出す。ゆうかは僕の事を好きじゃない……違う、こんな言い回しじゃなくて……僕は好きになった女の子と兩思いになれなかった、そういう事だ。思い描いていたキスの續きも、キミがいてどこまでも走って行ける氣がしたのも全部氣のせいだったみたい。何を相手に戀をしていたんだろう。やっぱり僕にはもともと持っているものなんか何もなくて、人から貰ったものでしか喜べないのだ。僕がカラッポなことなんて百も承知さ。だけど改めて感じるとやっぱりがっかりするのは何故だろう。
ゆうかとあさひは何時の閒にか手を取り合っていた。そうだこんな時は元氣が出る魔法の呪文を唱えよう。
「おっぱいもみもみ」
だけど今日は元氣が出るどころか、虛しさが增すばかりで後はもう溜息しか僕には殘っていなかった。
"shooting star,over throw"へのコメント 0件