(5)
「ごめんね。……わたしのこと嫌いになった?」
真っ暗な部屋の中、布団の中でわたしはベッドの上の綾ちゃんに話しかける。
「ならないよ。ちょっとびっくりしただけ」
「そっか……。ごめんね」
一瞬だけしんとする。
わたしが口を噤んでいる間、綾ちゃんは小さく息を吸った。
「かなちゃんのその魔法って生まれつきなの?」
「ううん、違うよ」
「じゃあどうやって使えるようになったの?」
「うーん。小さい頃からずっと念じてたんだよね。『回れ』って。初めは目の前の消しゴム。次はルービックキューブ。一生懸命頑張ってたら、いつの間にか出来るようになってた」
「ふぅん。……凄いんだね」
「そうなのかな。よくわかんないな」
はは、わたしは笑い声を付け足しておく。
「施設の子たちに見せてたら結構ウケてさ。それでどんどんエスカレートしちゃったかも。椅子とかジャングルジムに乗せて回して上げるとみんなきゃーきゃー言って喜ぶんだ」
「それは楽しそうだね」
「だよね。……だから今日もなんか調子に乗っちゃって。きっとウケるって。思い込みだったよ。……ごめん」
「もういいよぉ。びっくりしただけだし。それに何とも無かったんだから。全部元通りだし、今となっては夢みたいな感じだよ」
「そっか……。夢か。そうだね。夢みたいだよね、あんなの」
「そうだよ。あははは。ふつーあり得ないから! 家がぐるんぐるん回り出すって」
綾ちゃんが愉快そうに言うものだから、なんとなくわたしもおかしくなってしまう。
少し笑って、はぁと息を吐いたらさっきまでとは違って空気が緩んでいた。
「あのね、わたし昨日綾ちゃんが言ってた意味、ちょっとわかったかもしんない」
「え? 何?」
誰かを幸せにしたい話、と言おうかと思ったけれど、やめた。そこまで胸の内を晒すことが良いこととは思えない。マジ話は暗闇に限るけど、それでも。
「……やっぱり何でもない。おやすみねっ」
「そっか。……うん、おやすみ」
言葉がすべて暗闇に吸い込まれる。沈黙と暗闇は相性が良すぎる。
空気が鋭く静寂を際立たせた。
今日は何だか疲れた。目を閉じるつもりはなかったけれど、暗闇の中で焦点がぼやけて視界が睡魔に冒されていく。魔法を使うと気力なのか体力なのかわからないけれど、身体の芯から何かを消耗する感じがある。あぁ、真っ暗。多分わたし目を閉じた。
と思うとすぐに寝ていたようで、気が付くと目を開けた。だけど部屋の中はまだ暗い。時計を見ると午前四時。布団の中で寝返りを打つ。何だかな。わたしってバカだよね。目を閉じた。
眠れない。
身体を起こしてベッドの中の綾ちゃんを覗く。熟睡している顔が見えた。
わたしはもう一度布団の中に戻る。
天井がとてもよそよそしく感じて息が詰まった。
わたしは布団から出ると、そっとベランダの鍵を開けて外へ出る。
空はまだ暗くて、星の瞬きが見えた。コンクリートが足の裏に夜の冷たさを伝える。
振り返ってみれば強烈な心地良さだった。自覚はなかったけれど、とても気持ちよいところにすべてがハマっていたんだな。って今ならわかる。
あーあ。なんかわたしもあの人たちに干渉したかったのかもしれない。あの人たちの『幸せ』にわたしが関わりたいっていうのかな。あの人たちの心の中にわたしを置いておいて欲しかったんだと思う。だってわたしだけ心の中に棲み着かれてしまうなんて不公平でなんだか悔しい。
綾ちゃんとか柳くんとか、ここの人たちみんなの笑顔をわたしが作れるようになりたかったけれど、わたしの持ってる力は誰も望んでいなくて、そしてわたしは一緒にいるとつい求めてしまって、ここの人たちを困らせてしまう。とても優しい立花家の人たちを。
みんなの幸せを望むのなら、わたしは何かをするべきではない。
あ、これってかなしい。
俯いたらアスファルトを照らす街灯が目に入った。
涙が落ちる。
あ〜かなしい。かなしい。わたしって何も出来ないんだなあ。色々と頑張ってきたけれど無力だ。魔法の力だって大事なことには何の意味もなさなかった。あぁ、かなしいな。何もしないことが、一番の優しさだなんて。だけどわたしは祈るよ。この家の人たちがずっと楽しくいられるように。そしてわたしの魔法がいつか大事な時に役に立つことを。
午前四時の路上はとても静かで誰も通らない。
ならいいよね。もう少し泣いたって。
「うぇぇぇ〜ん」
涙は幾らでもさらさら流れていった。かなしみに溺れているのではなく、ただ浸っているのは気持ちがいい。かなしいことは、かなしい。ただそれだけなんだ。
灰色のベランダにひとつ、ふたつ、と水玉模様が出来た。
了
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