つかえないまほう

幾島溫

小説

11,716文字

ガルシア・マルケスが好きな女の子の話ですが、ガルシア・マルケスはそんなに関係ありません。

(4)
「ただいまー」
綾ちゃんが家に上がると、わたしは「お邪魔しまーす」と言って靴を脱ぐ。 だけど、お母さんの「お帰りなさい」という笑顔に思わず「ただいまです……」と照れ笑いで言ってしまう。すると柳くんが出て来て「かなちゃんだー! かなちゃんー」って言ってはしゃいでくれるけど、綾ちゃんが軽くあしらってわたしたちは二階に上がった。綾ちゃんと一緒にいられることも嬉しいけれど、それと同じかそれ以上にわたしはこの家にいられることが嬉しい。
立花家の夜は、大体昨日と同じ感じだった。
晩ごはんのカレーを食べて、お風呂に入って、ゲームをする。今日はオセロだった。テレビ画面を使わないリアル盤面のリアルオセロだ。初めに柳くんがわたしと対戦したいと言って、わたしたちは盤上に黒と白の石を置く。しばらくの時間が経過して、結果はわたしの圧勝。「かなちゃん強ぇ〜! 何これ−!」と柳くんが言い、次にわたしと綾ちゃんの対戦。こちらも結果はわたしの圧勝。その次、わたしは一回休憩で綾ちゃんと柳くんの対戦。こちらは接戦の末綾ちゃんの勝利。すると「楽しそうだなー」と言ってお風呂上がりのお父さんが覗きに来る。「かなちゃん滅茶苦茶強ぇんだよ」と柳くんが言って「それじゃ」とわたしはお父さんと一戦交えることになる。初戦はお父さんが手加減をしてくれたのかわたしの圧勝で「本当に強いんだな〜」と彼が言って柳くんが「もう一回!もう一回!」と言うものだから、今度は多分本気の一戦。今回ばかりは久し振りにもう無理負けると思ったけれど、結果は33対31でわたしの勝ちだった。
「えー! かなちゃんマジ最強!」
「ほんとすっご〜い!」
「強いんだね」
「はい、よく遊んでいたんです」
リビングは和やかな空気に包まれる。少し離れたキッチンからは、お母さんが食器を洗う水の音。とても柔らかく穏やかな空気で、わたしの心も安らぐ。ここにいることを気持ち良く感じるのは、きっとみんなが笑っているからだろう。そしてその中にわたしがいること。許されている気がした。わたしという人間が肯定されているような。わたしと柳くんと綾ちゃんとお父さんと笑い合っているだけなのに。拒まれていないのは受け入れられているということになるのだろうか?
「ずっとここにいたいなぁ」
思わず気持ちが声に出た。
「そうだね。そしたら楽しいのにね」
綾ちゃんが寂しそうに笑う。それは絶対叶わないって言っているみたいに。
「だけど流石に明日は帰らなくちゃならいけないだろう? おうちの人も心配するんじゃないのかい?」
お父さんが明るい調子で言う。きっと重たくならないようにだ。だからこれは本当の言葉だ。
「あ、そうですね。はい、大丈夫です」
わたしはみんなに気を遣わせたくなくて、気を遣われたことをなかったことにしたくて、ふつーににっこり笑った。
やだなぁ、たったの二日なのにすっかりここが好きになってしまった。ヘンなことを言ってしまった負い目と挽回したい気持ちでわたしはアレをやろうと思い付く。
「そうだ。二日もお世話になっちゃったし、とっておきのやつ見せて上げようか?」
「なになに?」
綾ちゃんのわくわくした目がわたしの鼻先に近付く。
「魔法だよ」
「それって昨日言ってたやつ?」
「うん、そう」
「え〜ホントに? 嘘じゃなかったの?」
「まぁ、見ててよ」
わたしは立ち上がると仰々しく手を上げた。綾ちゃんと柳くんに笑って見せた視界の隅でお父さんのにこやかな視線を感じながら。そうして目を閉じると手の平を拡げてそこへ気合いを集中させる。眉間の緊張が解けて開いていく感じ。
「今からかなちゃんがすごいことしてくれるって!」
「マジ!?」二人の声が耳に届く。
あああもう。わたしだめだ。この人たちのことが好きすぎる。綾ちゃんは勿論だけど、柳くんも、お父さんも、お母さんも。この空間が大好きだ。気持ち良くて暖かい。あっという間にわたしの細胞に染みいって蝕んでしまった。だめなのに、こんなの。好きになったら。好きになったら欲しくてたまらなくなるから。
何か悲しい。
身体に力がみなぎってくる。気合い充分。イケそう。
「それじゃ行くよ。今日はいつもより大サービスが出来そうっ」
胸の奥を吹き抜ける冷風が熱を帯びて液状に変わった。衝動がゲル状になって身体中を満たす。
繋がった。
「んんっ」
持ち上げる。
じりじりとコンクリートが土から剥がれていくのを感じる。
部屋が……というか家全体が右に傾いた。
「えっ、えっちょっと何これ」
「わ、もしかして何かナナメってる!?」
綾ちゃんと柳くんが騒ぐ。
「まだまだいくよー」
もう少し角度を傾けておうちの土台の部分の角で家を立たせると、ずさずさずさーっとラグやスリッパが流れてソファやテーブル、テレビ台もずるずると落ちてきた。オセロも一緒に流れされている。
「うわわわわ」
「ぎゃー! なにこれ!」
「や、やだ、ちょっと、えっ、地震!?」
お父さんとお母さんの声も聞こえ始める。
よしっ、もう一息で軌道にのるぞ。わたしはずるずると南側へと滑りながら、眉間に皺を寄せて東南の隅に意識を集めて、えいっと鋭角部分で家を立たせた。
がらがらがら。ずさずさずさーっと、リビングにある家具がみんな東南の隅に集まってくる。
「きゃーやだやだ!」
「うわあああ」
「ちょっ、ヤバいから」
「何!? 地震なの!?」
綾ちゃんはソファにしがみついて緩やかに流れてくるし、お父さんと柳くんは床に座って滑るように緩やかに落ちる。お母さんの声は相変わらずキッチンからだ。
みんなびっくりしてる。
「えっへへ〜すごいでしょ。今日はこのおうちがメリーゴーランドみたいになっちゃいますっ!」
「かっ、かなちゃぁん……っ!!」
「せ〜の♪」
がったん。
東側の長辺が地面に着いた。
がったん。
そして今度は東北の角で家が起立する。そうすると、またずさずさずさーっと、
「きゃぁあぁぁぁ!」
「うっわぁぁぁ!」
ラグもテレビもソファも、綾ちゃんも柳くんもお父さんも、それからどうやらお母さんも、みんな北東に流れていく。みんなすごく良いリアクション♡ さすが立花家はノリが良い♡♡
「ねぇちょっと、何これ、竜巻!?」
お母さんの声が響く。
「すいませーん。大丈夫です。災害じゃないです!」
慌ててわたしは叫んだ。そうだ、お母さんは事情を知らないのだ。
さーてこれで半周したよね。回せば回すほど調子が出るのだ。
がったん。家が北に傾いて、がったん、北西の角で立つ。
その間、綾ちゃんの歓声や柳くんの盛り上がっている声、そして驚いているようなお父さんの声がわたしの背中に響く。
がったん、がったん。家は一周した。今日は調子がいいな。今まで回したものの最大ってジャングルジムだったけど、あっさり記録更新だ。わたしにこんなエネルギーがあったなんて。自分で自分に驚く。
がらがらがしゃーん。がったん。ずどーん。家具や小物があちこちへ流れてぶつかる。二階からも似たような音がする。
「あっ、あぁぁぁ、こわいよぉ……」
「お父さんに掴まってなさい!」
「何だよぉ、これ……」
不意にスピーカーから音楽が流れ出す。何かがぶつかってスイッチが入ったのだろう。
イントロでわかる。曲はドリカムだった。
「♪ねぇどぉ〜してぇ〜すーごくすごーくすきなーことーただつたえたいだけなーのにー」
「♪うまーくいえないんだろー」
らーぶらーぶらーぶらーぶ……。
吉田美和の切ない歌声をBGMにおうちが回る。
「やだぁぁぁ、かなちゃんっ、ねぇこれ、かなちゃんの魔法なの!?」
「ん? そだよ〜」
曲はサビに向けて盛り上がる。
「お願い、やめて、本当、もう止めて」
「そうだよぉぉぉ、かなちゃんこれマジでやばい、ちょう怖い! やめて!」
「お願いだから、かなえちゃん……!」
三人の顔を見ると、綾ちゃんは涙目で、柳くんは鼻水を垂らして、お父さんは唇を噛んで耐えていた。
「え……?」
喜んでたんじゃないの? 楽しんでたんじゃないの!?
そう気付いた途端、ゴッと心臓を殴られたような衝撃があって次に血の気が引く。
「やだよぉぉ……」
綾ちゃんは泣き出しそうな顔をしていた。
「あ……ごめん……わたし……」
力が抜けていく。がったん……ごっとん……。家が回転するリズムがゆっくりになる。わたしの力が抜けてもしばらくの間は残りカスのようなエネルギーが家を回転させている。
けれどそれもすぐに終わる。
わたしは最後に、家が元の場所へ定着するように少しだけ力を調整して入れた。
ご……っとん……。
家はもとの場所に戻って、窓の向こうに拡がるのもまったく同じ庭の景色。
立花家の中が元々片付いていたこともあって、部屋の中に大きな混乱はなかった。家の中を滑りまくっていた家具も、みんなほとんど元通りの場所に戻っている。
「終わったの……?」
キッチンカウンターからお母さんが顔を覗かせる。
「あ……はい……」
お父さんも、柳くんも、綾ちゃんもみんな引きつった顔をしていた。
あーあ。みんな喜んでくれると思ったのにな。自分の力でこの人たちを楽しくさせてみたかっただけなのに。オセロの石が転がってわたしの爪先で止まる。
るーるるるるーるるるるー……。
「♪なみだがでちゃ〜うーんだろー」
スピーカーからは未だ吉田美和の歌声が流れていた。

 

2024年8月2日公開 (初出 2014/8/16 個人ブログ(現存せず))

© 2024 幾島溫

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