つかえないまほう

幾島溫

小説

11,716文字

ガルシア・マルケスが好きな女の子の話ですが、ガルシア・マルケスはそんなに関係ありません。

 

(2)
ただいま〜と言って家に入った立花綾子に続いて、お邪魔しまーすとわたしはそっと靴を脱いで立花家に上がる。「普通のおうち」の空気を肌に感じる。
「おかえりー。お友達一緒?」
40代くらいの女の人が出て来た。スリムでさっぱりした服を着ていて「おばさん」って感じはしない。
「うん、同じクラスの針川さん。あ、これうちのおかーさん」
「『これ』って」
立花さんのお母さんはクスクス笑う。
「針川です。今日はお世話になります。よろしくお願いします」
わたしは深々と頭を下げた。
「そんな気を遣わなくていいのよ。ゆっくりしていってね」
「はい、ありがとうございます」
立花さんのお母さんがにっこり笑った。優しそうな人だ。
夕食が出来るまでの間、わたしは二階の立花さんの部屋へ上がる。木製の家具をピンクの小物が彩っていてとても女の子らしい部屋だった。「ラクにしてね」パーカーとデニムのパンツに着替えた立花さんに言われて、わたしは足を崩してあぐらをかく。これできっとリラックスしている感じになるだろう。

「だーめ、かなちゃんって呼んでいいのはあたしだけっ。あんたは『かなえさん』って呼ぶの」
「なんだよ。いーじゃん、ねー、かなちゃん?」
「どーしよっかな〜」
「だいたいあんた、まだ小4でしょ? JKとは格が違うの。身分をわきまえなさい♡」
「何だよもー」
綾ちゃんの弟の柳太郎くんが不満そうにとんかつを一切れ口に運ぶ。
夕食が始まる頃には、わたしと綾子は互いに「かなちゃん」「綾ちゃん」と呼ぶ仲になっていた。
わたしと綾ちゃんと柳くんと、綾ちゃんのお父さんお母さんの五人で一階のダイニングテーブルを囲んで、晩ごはんを食べている。食卓にはとんかつとキャベツの千切りと、赤だしのお味噌汁と炊きたてのご飯。
緊張すると食べ物の味がわからなくなるわたしだけれど、ご飯はどれもこれもそれを超えて伝わる味わいだった。
「ふぁ〜……美味しい……」
お味噌汁をごくりと飲むと思わず声が漏れる。
「ありがとうね、かなえちゃん」
「あのねかなちゃん、今日はかなちゃんが来たからトンカツなんだよ。すごい久し振り」
「そうだよなあ。たまにはお客さんに来て貰わないとな」
お父さんも口を開く。メガネを掛けていて電車の中でiPadとか見てそうなタイプだと思った。
夕食は和やかに進む。お父さんもお母さんも穏やかそうな人で、柳くんは明るくてノリが良い。綾ちゃんとわたしを中心に食卓が盛り上がる。
晩ごはんを食べ終わると、わたしはお風呂を借りて綾ちゃんの部屋着を着させてもらう。水色と黄色のパステルカラーの上下だった。かわいい色に包まれると何だかとても幸せ。
入れ替わりでお風呂に入った綾ちゃんを待つ間、柳くんに誘われてわたしはマリオカートを始めた。彼はやたらと上手くてわたしはどうしても勝てない。あまりやったことがないから仕方がないけどね。レースがヒートアップしている間にいつの間にか綾ちゃんがお風呂から上がって「ズルいー」とか言って、柳くんからコントローラーを取り上げたり、わたしが柳くんに譲ったり、途中彼がお風呂で抜けるけどまた入って来たりして、そんな調子で夜の10時まで熱戦が続いた。なんだかわたしも家族の一員になったみたいで楽しい。
小学生の柳くんはもう寝る時間ということで、ゲームはそこでおしまい。わたしと綾ちゃんは部屋に上がって、アイスを頂きながらファッション誌を見たり、ネットで音楽を聴いたりしながらとりとめのない話を続ける。そこで服の趣味とか音楽の趣味が意外と似ていることが判明する。
「何であたしたち、もっと早く喋らなかったんだろうね」
「だよね〜。もう、綾ちゃんがこんな子なんて、全然知らなかったよー!」
わたしたちは笑った。派閥というほどの物でもないのだけれど、所属するグループが違っていると、同じ教室の中にいても喋らないことは珍しくない。わたしは社交的なタイプでもないし、クラスでぼっちにさえならなければいいやって思ってるだけだから、あまり頑張って話しかけるようなことはしていない。
ピンクの掛け時計が1時少し過ぎを差した。
「そろそろ寝ようか」
「そうだね」
もう少し話したい気もしたけれど、流石にもう深夜だ。
ベッドの隣に敷かれた布団に入ると、清潔な布のかおりが身体を包んだ。綾ちゃんは電気を消す。橙色の小さな明かりを残して。布が擦れる音がして、彼女がベッドに入ったことを感じた。
目を閉じるけど、妙に興奮していて意外と寝付けない。
少しの間、沈黙は続くけど綾ちゃんが「起きてる?」とわたしに聞いきて、そこからまた話が始まった。
「ねー、かなちゃんはさー、どういう時に幸せって思う?」
「うーん……。晴れた日に外で本読んだり、池とか眺めてる時かなぁ」
「一人が好きなの?」
「そうでもないと思うんだけど……。好きでもない人たちと一緒にいるよりは、一人の方が楽しいじゃん? そんな感じかな」
何一つ断言出来ないのは、わたしにも自分にとって何が幸せなのかよくわかっていないからだ。
「そっか〜。幸せって、人それぞれ違うもんね。……何かさ、難しいよね。誰か人を幸せにするってさ」
「うん?」
「……例えばあたしがかなちゃんを幸せにしたいって思っても、かなちゃんの幸せが『晴れた日に一人で本を読むこと』なら、あたしがかなちゃんのために出来ることって何もないじゃん。天気も好きな本も一人でいることも、あたしが叶えるようなことじゃないから」
「うーん、それはそうかもだけどさ。でも……」
綾ちゃんは別の種類の幸せを運んでくれるよ。と言い淀んでいる間に彼女は自分ことを話し始める。
「あたしさー、自分が人のことを幸せに出来るのかなぁって思っててさ。それで時々ちょっと落ち込む」
すごく意外だ。綾ちゃんは明るくて、人付き合いが上手い感じがするのに。
「何で? 槇田さんとか山野さんとかみんな多分綾ちゃんのこと、大好きだと思うよ? すごい仲良さそうじゃん。みんな綾ちゃんといると幸せだって思ってるんじゃないのかな」
「そっか。そうだよね、ありがと」
彼女は黙る。小さく息を吸う音が聞こえた。
「でもその人にとって一番に幸せだって思う事を、あたしが叶えて上げられたらいいのになって思うんだ」
彼女が言っているのは「一緒にいると楽しい」とかそういうことじゃなくて、誰かにとって重大な価値のあることをしたいと言うことなのだろうか。
「それが出来たらいいよね」
「そうなの。あたしにとっての幸せってそれなんだ。あーあ、魔法でも使えたらいいのに!」
「魔法かぁ。わたし少しだけ使えるよ」
「えー、本当?」
「うん、一個だけだけど」
「うそ−。どんなの? やってよ〜」
「やだよー秘密」
「ケチー」
えへへへ。二人で笑う。綾ちゃんは多分冗談だと思っただろう。でもこれで良い。まぁそのうち、時が来たら見せてあげるから。
そしてまた部屋の中は静けさに包まれる。熱の引いた空気が夜の深さを感じさせた。
目を閉じると眠りがすぐに意識を飲み込む。

 

2024年8月2日公開 (初出 2014/8/16 個人ブログ(現存せず))

© 2024 幾島溫

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