テロリストの就職活動

野尻有希

小説

12,078文字

就職活動中の<僕>は、渋谷のスクランブル交差点でテロに巻きこまれた。
女子高生が全裸になり、銃を撃ちまくる――
山村正夫記念小説講座・2014年度申込時提出作品「就職活動とテロリスト」を加筆・修正。

 

渋谷駅の改札を出る。スクランブル交差点が目に入る。何の感情もわかない。初めて見た時は心震えたのに、今は交差する点でしかない。

就職活動中の僕は、リクルートスーツを着ている。特徴のない革靴、ネクタイ、鞄に身を包み、自分の動物性を隠そうとしている。

平日昼間の渋谷駅前は若者で賑わっている。友人同士ではしゃぐ若者達の様子は、リクルートスーツで武装した僕には不快だった。笑いあっている間も、心の奥底にはストレスがたまり続けているのかもしれないが。

交差点の向こう側、横断歩道手前の最前列に制服を着た女子高生が立っている。彼女は赤く光る歩行者用信号の下で、僕達の立つ駅側をじっと見つめている。目があう。気まずい。そっと視線をそらした。

再び視線を女子高生に戻す。彼女は鞄を路上におろし、ブレザーとカーディガンを脱ぎ去った。暑いのかと思ったら、ワイシャツを脱ぎ、ブラも外した。スカート、パンツ、靴、靴下まで脱ぎ捨てた。

彼女はスクランブル交差点で全裸になった。交差点に立つ多くの人は、彼女の奇行に注目した。

「何かの撮影?」

隣からささやき声が聞こえる。ドラマかAVの撮影だろうか。警察の許可は取っているのだろうか。屋外でこのような撮影をする時は、事前アナウンスが必要ではないのか。

歩行者用信号が青に変わると、彼女は地面におろした鞄から、二丁の拳銃を取り出した。構えが美しい。笑いながら、交差点のこちら側に銃を撃ってくる。銃声がこだまする。ひょろりとした中年の男が血を吹いて倒れる。悲鳴が上がる。

全裸の女子高生は二丁拳銃を何発か撃った。ホスト風の男、私服の若者、スーツを着た男、弾に当たればみな等しく倒れる。スクランブル交差点に悲鳴が連続した。

横断歩道を渡る人は誰もいない。みな彼女からできるだけ遠くに離れようと走っている。多くの群集が見境なく走るから、衝突、転倒が各地で起きる。誰か統率するリーダーが必要だ。僕はそう考えながら、じっとその場に留まって、全裸の女子高生を眺めた。

弾が尽きたのか、彼女は拳銃を鞄に戻した。彼女がしゃがむと、風にあおられて、茶色のロングヘアーがふわっと舞い上がった。

女子高生は鞄の中から細長いライフルを取り出した。弾の装填を確認後、今度はライフルの銃口がこちらに向く。銃口は真っ直ぐ僕に向かっている。僕はその場を逃げ出すことができなかった。

撃たれると思った時、誰かが呼んだのだろう、警官が三人やってきた。女子高生がライフルを警官に向ける。弾丸が飛ぶ。警官たちは何もできないまま、血をふいて倒れた。新しい犠牲者が出たのを見て、悲鳴が大きくなった。

無差別殺傷を狙ったテロなのだろうか。彼女は何故裸なのだろうか。やはり映画か何かの撮影なのだろうか。

交差点の向こうから、黒いワゴン車が猛スピードで突っこんできた。車は女子高生に向かっている。女子高生が、ワゴン車めがけてライフルを乱射する。弾が車体に何発も当たる。ワゴン車は止まらない。

タイヤを狙え。車の心臓はタイヤだ。

僕は心の中でそう叫んだのだが、ワゴン車は歩道に乗り上げ、女子高生と衝突した。一瞬空中に浮かび上がった彼女の体は、ワゴン車の車輪に絡まり、数メートル引きずられた。

血まみれになった女子高生の体を道路の脇に放り出した後、ワゴン車は道玄坂の方に走り去っていった。

女子高生の遺体の周りに野次馬が集まる。女子高生に殺された遺体の周りにも野次馬が集まる。

そういえば、女子高生に銃で撃たれた人はみな、男性だった。狙い撃ちしたのだろうか。

腕時計を見る。やばい。一次面接の時間まであと十五分しかない。僕は走って事件現場を離れた。裸のテロリストが気になるが、僕にとっては内定を勝ち取る方が大切だ。

 

 

結局その日は遅刻して、面接さえしてもらえなかった。銃撃事件の影響か、僕の他にも何人か遅刻した。みな面接を拒否された。

「社会人は遅刻しないのが当たり前。突発的事態が起きるのを想定して、早め早めに行動する人を我が社は求めているのです」

門前払い役の社員の口調は冷たかった。彼は与えられたマニュアルを読み上げているだけのように聞こえた。

一社落ちたからといって、落ちこんでいては心が折れる。就職は確率論だ。何度落ちても立ち上がってチャレンジすれば、そのうち運が開けてくる。そう自分に言い聞かせつつ、自宅のアパートを出発した。

駅の改札を通る。電車の走行音が聞こえる。やばい。今日も面接に遅刻してしまう。二段跳びで階段を駆け上がる。

発車を知らせる音楽が流れる。「駆けこみ乗車は危険です」というアナウンスがスピ―カーから再生される。

走り続けた。ホームにたどりつく。近くのドアに一直線で駆けこむ。電車に入ると同時に扉がしまった。

肩で息をしつつ、周囲を見回す。車内には女性しかいない。慌てていたから、女性専用車両に飛び乗ってしまったのだろう。満員の女性専用車両に男一人。気まずい。スーツ姿の女性と肩が触れ合う。ちょっとでも変な動きをしたら、痴漢に間違われそうだ。

肩をすぼめ、目を閉じた時、ふと気づく。

女性専用車両は、先頭車両と決まっている。僕はホームの階段から一直線で電車に乗ったから、ここは真ん中あたりの車両のはずだ。今日から女性専用車両の位置が変わったのだろうか。それともたまたま、女性しかいない車両に乗ってしまったのか。

電車はゆっくり進む。周囲でがさごそ摩擦音がする。隣の女性の体が僕の体に触れる。目を開けてみた。

女性達は、服を脱ぎ始めていた。暑いのかと思ったが、様子が違う。車両にいる女性全員が服を脱いでいるのだ。男の僕が目を開いているにも関わらず、彼女たちは上着を脱ぎ、スカートをおろし、ブラジャーのホックを外している。

色とりどりの下着が目に入っくる。心臓が波打つ。唾を飲みこむ。上着、ブラジャー、ショーツ、靴下、ストッキング、ハイヒール、ブーツ、サンダル。体から離れた衣類が電車の床に散乱する。

車両の女性全員が、全裸になった。

何だこれは? AVの撮影現場に紛れこんでしまったのだろうか。

服を着ているのは男の僕だけだ。女性達はみな無言で、すました顔をしている。僕と目があってもさっと目をそらすだけ。僕は男として見られていない。というか人として見られていない。

絶対AVの撮影だ。東京のど真ん中、通勤ラッシュの時間帯にこんなことをして、予算大丈夫だろうか。苦情は来ないのだろうか。

カメラはどこだろう。男優やカメラマンがいないか探してみる。男の姿は見当たらない。裸の女性の中に撮影スタッフがいるのかもしれない。隠しカメラがしこまれている可能性もある。

下半身に血が集まり、股間が膨らんでくる。やばい。変な想像はしない方がいい。あるいはこうなったら、僕も全裸になって、周囲に溶けこんだ方が気楽だろうか。

いやそれもまずい。裸になったら勃起していることがばれてしまう。自然の本能行動であるというのに、勃起したペニスを知らない女性に見られるのは恥ずかしい。

全裸の女性達は真顔になり、各自一斉に鞄の中に手を入れた。鞄の内部で手がうごめく。

拳銃、サブマシンガン、スナイパーライフルなどの銃火器が鞄から現れた。

弾の装填が確認される。彼女達の手つきは正確で手慣れたものだった。どこで大量の武器を入手したのだろう。膨らみかけた僕の股間は、銃を目にするとともにしぼみ始めた。

次の駅に近づくと、車両が左右に大きく揺れた。肩が隣の女性に触れてしまう。

「すいません」と小さな声で謝る。隣の女性は僕を気にすることなく、真顔で拳銃に弾をこめている。

電車が停止する。ホームには洋服を着た女性達が立っている。車内には僕以外みんな全裸で銃火器を持っているというのに、ホームの女性達は無表情で車内を見たり、スマホをいじったりしている。

扉が開く。僕は急いでおりようとしたが、洋服を着た女が電車の中にどんどん入ってくる。車内に押し戻された。裸の女性と洋服を着た女性の体に挟まれる。

「すいません、おります」

無理矢理おりようとしたが、人が多くて前に進めない。発車を告げる音楽が鳴り始める。

ホームに一人、スーツ姿の中年男性が立っていた。生地のよいスーツを着ている。鞄、靴、腕時計、どれも就活中の僕とは違い高級品だ。さながら大企業の役員かベンチャー企業の経営者といったところか。彼は車両を見つめつつ、扉の前で静かに立っていた。

乗らない方がいい。ここは危険だ。

彼を見つめながら、心の中でそう忠告した。

集まってきた全裸の女達が、高級スーツの紳士に銃口を向ける。発車を告げる音楽が鳴りやむと同時に、何発もの銃声が響いた。青いストライプの高級スーツが一瞬で血で染まると、自動扉が閉まった。

電車が出発する。紳士はホームに倒れている。即死だろう。車内では、先程乗りこんできた女性達が上着を脱ぎ始めた。

「あの、これって映画か何かの撮影ですか?」

隣にいた女性に聞いてみる。もちろん彼女も全裸だ。黒髪のストレートで、普段は固い会社で働いていそうだ。

彼女が持つサブマシンガンが僕の胸に当たる。

「それ、実弾入ってるんですか?」

サブマシンガンの銃口が僕に向けられる。

「あなたには消えてもらう」

僕は鞄を床におろし、両手をあげた。

「命だけは助けてください。もうすぐ面接なんです」

「就活生? どこの会社受けるの?」

「株式会社ふつうです」

全裸のテロリストの眉がぴくっと震えた。今日受ける会社は、株式会社ふつう。IT系の小さな会社だ。

「あなたが向かっているのは、株式会社ふつう」

「そう、ふつうです」

撃つな、撃つな。彼女の目を真っ直ぐ見すえて訴えかける。僕は何も悪いことをしていない。

電車が次の駅に到着した。両手をあげたまま、かに歩きで出口に向かう。サブマシンガンの銃口は僕に向けられたままだ。何人もの裸の皮膚が僕の体に触れる。彼女達の脇や股間から女の匂いが漂ってくる。

発車を告げる音楽が鳴り始める。

幸いにも、この駅では乗客がいなかった。サブマシンガンを持つ女の瞳を直視しながら、僕一人だけ、ホームの外に出た。

聞く人に心地よさを生み出すよう設計された電子音楽が鳴りやむ。入口付近の女性達が一斉に銃口を向けてきた。撃たれると思った。僕は咄嗟に横にジャンプした。

僕の立っていた場所に銃弾がぶちまかれた。ホームの奥、ベンチに座っていた男達に銃弾が当たる。男達は血を吹き出しながら、ベンチに倒れた。電車の扉が閉まる間も銃は撃たれ続けた。

電車が動き出しても、銃声は鳴りやまない。窓から銃弾があふれ出す。僕は階段に向けて必死で走った。ここで死にたくはない。まだ就職活動さえ終わっていないのだから。

階段にたどり着く手前で、電車の進行方向から大きな爆破音が響いた。

振り返ると電車は脱線していた。

線路上に横転した電車が燃え上がっている。黒煙が勢いよく空にのびる。

電車はホームから出発したばかりだ。まっすぐな線路で脱線するのはおかしい。何者かに大砲で撃たれたのだろうか。弾はどこから来たのだろう? 駅前のビルの屋上に戦車がないか探してみたが、見当たらなかった。爆撃機も軍事ヘリも見当たらない。

そうだ、面接に向かわなくてはと思ったところで、鞄を車内に忘れたことに気づいた。鞄の中には筆記用具、企業の資料、予備の履歴書、ティッシュやらコンドームやら色々入っている。あの爆発では、鞄を取り戻すことはできないだろう。

腕時計を見る。面接時間までまだ余裕はある。ここから面接会場までは遠い。事故の影響でしばらく電車は運休になるだろう。もう電車移動は諦めるしかない。

僕は階段を駆け足で下りつつ、スマホで移動手段を検索した。全裸の女性テロリスト集団が乗った電車の脱線事故について気になるが、僕個人の人生にとっては、内定を勝ち取る方が重要だ。友人の間で内々定がないのは、もう僕一人だけだから。

 

 

電車難民を乗せて混雑した路線バスを降りた後、株式会社ふつうの本社があるオフィスビルにたどり着いた。何とか受付時間に間に合った。面接会場のある七階に向かう。

株式会社ふつうはウェブサービス企業である。ネット上のビッグデータを解析し、日本人のふつうの行動モデルを割り出すことで、ビジネスパートナーのマーケティング活動に役立てるそうである。ビッグデータだし、何か面白そうだし、という実に不純な動機でエントリーしたら、運よく一次面接までたどりつけた。

廊下に設置された受付で鞄をなくした理由を説明した。交通機関の事故が原因で鞄を失った。僕の不手際で鞄を忘れたわけではない。そういう理由にした。

追い返されるかと思ったが、鞄なしでも構わないと言われた。面接会場に鞄を持って来ないなんてマイナス評価がつくだろうが、面接だけは受けさせてもらえるみたいだ。

待合室はリクルートスーツの学生で一杯だった。狭い三人掛けのテーブルに三人並んで座る。真ん中の席に座らされたら気まずいなと思っていたら、無事端の席に座ることができた。

僕の隣に座っている男とその隣の女の子は、知り合いなのか楽し気に会話している。僕は会話に加わらず、スマホをいじって時間を潰した。

「この会社、何社目ですか?」

はしっこの女の子が僕に尋ねてきた。

「五十社目です」

「すごい」

女の子が微笑む。彼女の笑顔は、スクランブル交差点にいた全裸の女子高生テロリストを思い出させた。

「幸徳君って何社目だっけ?」

幸徳君と呼ばれた男がスマホをタップする。

「僕は今日で十社目くらいかな。平塚さんは?」

「面接まで来たのは今日が初めて」

まだ一社目か。出遅れてるね。待合室で初対面の学生に声をかける平塚さんの元気も、就職活動を続けるうちになくなってくよ、多分。

そう思ったけれど、口にはしなかった。就活マナーは守らなければ。

「名前は何て言うの?」

平塚さんが身を乗り出す。

「中江です」

「下の名前は?」

「秋水」

「中江秋水?」

「うん」

平塚さんは目を見開いて僕を見つめている。

何故だろう? どこかで彼女と会ったんだっけ?

「次の三名の方、面接室にお入り下さい」

案内役の社員に呼ばれた。僕、幸徳君、平塚さんの三名が立ち上がる。案内役の社員を先頭にして、待合室を出た。

僕は鞄を持っていない。他の学生の視線が気になる。鞄なしで面接を受けに来た変な奴がいると思われたらどうしよう。恥ずかしい。そう思うから視線が気になる。

堂々としていればいい。他の学生も面接前で緊張している。幸徳君も平塚さんも自分のことで精一杯なはずだ。

地球には六十億以上も人間が存在する。僕なんて現生人類にとって矮小な存在だ。ここにいる学生達も六十億分の一の小さな存在に過ぎない。視線を気にすることはない。鞄なんてなくても生きていける。裸で電車に乗る女性もいるのだから。

勇み足で廊下を歩く。「面接室」と張り紙された部屋は素通りした。案内役の若い男性社員がトイレに向かって歩く。僕達も一緒にトイレに向かう。

「あのう、お手洗いですか?」

学生組の先頭を歩く責任上、質問してみた。

「そう言われればそうですけど、何か?」

トイレに行くなら先にそう言ってくれればいいのに。変な会社だ。

もしかしたらこれも試験の一部なのだろうか。相手が常識外れの行動をとった時、どのように対処するのか、学生の判断力を見ているのだろうか。

「はい、つきました」

社員がトイレの前で立ち止まり、こちらを振り返った。

「つきましたって、ここトイレですよね?」

「ええ、トイレですが」

僕は困惑した。幸徳君と平塚さんもどう反応すればいいのか困っている。

「次の方、早くお入りください」

女子トイレの奥から、年配の女性の声がした。

「みなさん面接室にお入りください」

案内役の社員が女子トイレの方に手を向けた。

「もしかして、面接室ってトイレですか?」

「ええ、そうですよ」

「そんな、しかも僕、男なのに女子トイレって」

「いえ。男性の皆さんは男子トイレにどうぞ」

だったら女子トイレに手を向けなくていいじゃないか。

「面接室がトイレなんて初めて聞きました」と平塚さん。

「作り物じゃない、皆さんの真実の姿を拝見したいんですよ」

僕達はトイレに入るのを渋った。

「さ、皆さん奥の個室にどうぞ」

平塚さんは僕達に手を振ると、女子トイレの中に入っていた。僕と幸徳君も渋々男子トイレに入った。

トイレは清潔でよく整備されていた。洗面所にも小便器の前にも人影はない。個室は四部屋あった。手前から二つ目と一番奥の二部屋は、ドアノブの上のマークが赤くなっている。おそらく面接官が中にいるのだろう。

一番手前と三番目、どちらの個室に入るべきか。案内されるのを待つべきなのか。トイレで面接なんて初めての経験なので、マナーがよくわからない。

幸徳君が手前から二番目の個室のドアをノックした。そこには誰か入っている。まさか狭い個室に面接官と二人きりの状況になるのだろうか。

「こっちじゃないですよ。隣に入ってください」

トイレの奥から老人の声がした。よかった。個室は別になるみたいだ。

しかし隣って、左隣と右隣のどっちだ? 両隣あいている。この状況では、どちらの個室に入るべきかわからかない。二人同時に案内されたのだから、どちらの個室に入るのか、指示がなければ行動できない。

「失礼しました」と言って、幸徳君は一番手前の個室に入り、ドアを閉めた。老人はだまっている。なんだ、どちらでもよかったのか。迷う必要などなかったのだ。行動すればよかったのだ。

「もう一人の方、後ろがつまってるんで早くしてください」

一番奥の個室から女性の声がした。

「失礼しました」

僕は三番目の個室に入り、ドアの鍵をしめた。

壁の向こうには女性面接官がいる。ここはもはや普通の意味の男子トイレではない。面接室なのだから、女性の面接官が男子トイレにいてもおかしくない。けれど何だか気まずかった。

入口側の個室から、老人の声が聞こえてくる。お名前は? 志望動機は? 幸徳君の答える声は小さすぎて、何を言っているのかわからない。

「ご着席ください」

女性面接官に促された。声質からして三十代後半の管理職といったところか。

何故彼女は僕が立っているとわかったのだろう。密室だからこちらの様子は見えないはずだ。音でわかったのだろうか。何度もトイレで面接しているから、気配でわかるようになったのか。

念のため、監視カメラがないか周囲を見回してみる。大丈夫みたいだ。

「では失礼します」

僕はスーツのパンツとボクサーブリーフをおろし、洋式便器に座った。別に便意はなかったが、下半身が開放されるとなんだか落ち着いた。

ベルトを外す物音がしたかもしれないが、ここは密室だ。パンツを脱いだかどうかまではわからないだろう。隣の個室に女性面接官がいると思うと、なんだか興奮してきた。

「では、お名前からどうぞ」

「中江秋水と申します」

いつものように腹の底から声を発すると、就活学生モードになった。トイレ面接でペースを乱されたが、いかにして内定を勝ち取るのか、それだけを目的に戦う意志が膨らんできた。

「そんな大きな声出さなくていいですよ。トイレなんだから気楽にね」

じょろじょろという音が隣の個室から聞こえてきた。もしかして、放尿したのか。僕は女性面接官が隣で放尿している姿を想像した。スーツを着て、僕の履歴書を眺めつつ、放尿している彼女の姿をイメージしながら、僕も放尿してみた。

「中江さんは今出しちゃだめです」

面接官に放尿がばれたのだろう。とがめられた。

「奥に紙コップがおいてあるでしょ。そこに出してください」

壁の方を振り返ると、積み重なったトイレットペーパーの横に紙コップがおいてあった。横に何本か線が引かれている。「ここまで」と注意書きもされている。

「尿検査か何かですか?」

「ええ。人の話は信用できないけど、尿は嘘をつかないから」

紙コップを手にして立ちあがった。

「では失礼します」

委縮したペニスの前にコップを構える。

「出し終わったら、コップを元の場所に戻してください。面接後に回収しますから」

紙コップの中に尿を放つ。女子トイレでもこんなことをやってるのだろうか。

放尿後、すぐコップから尿が溢れそうになる。ゆっくり、少しずつ出そうと頭の中で意識するだけで、尿の放出量と速度が変わる。不思議だ。超能力者みたいだ。尿をコントロールした今みたく自分の人生を完全にコントロールできたら、どれだけ快適だろうか。

紙コップに引かれた線ぎりぎりまで尿が入った。黄色い液体の表面が泡立っている。一旦尿の放出を止める。ペニスを便器に向けて、残りの尿を勢いよく吐き出した。放出し終えると、体が小刻みに震えた。

「お待たせしました」

紙コップを元の位置に戻して、便器に座る。

「では、質問よろしいですか?」

面接官の声は儀礼的だった。トイレに入っていることを忘れて、再び就職面接モードに突入する。

「中江秋水さん、あなたは渋谷の銃撃事件現場にいましたか?」

この質問、就職活動と関係あるのだろうか。いや、何を質問されるのか決めつけるのはよくない。聞かれたことに柔軟に答えなさいと就活本にも書いてあった。

「はい、おりました」

「男を殺害した女子高生の顔を覚えていますか?」

「裸だったことは覚えていますが、顔までははっきり覚えておりません」

銃撃事件はニュースになったが、未成年が起こした事件ということで、犯人の顔はマスコミに出ていない。ネットで写真や動画が出回ったようだが、すぐに削除されている。プライバシーを尊重するためか、撃たれて亡くなった男達の名前や職業も伏せられていた。

「彼女が車にひかれるところも見ていましたか?」

「ええ」

「車に乗っていた人の顔はご覧に?」

「いえ、見ておりません」

何故こんなことを質問するのだろう。就職面接を装った取り調べみたいだ。

入口の方の個室から銃撃音がした。

幸徳君が撃たれた? 緊張で固くなる。

「あの、今大きな音がしましたけど」

「面接中です。集中してください」

ドアが開く音がする。人の体が引きずられる音がする。

面接などやめて、個室から出た方がいいだろうか。しかし、個室から出てすぐ撃たれる可能性もある。今は素直に面接を受けよう。

「ここに来る前、電車の脱線事故にあったそうですね」

「ええ」

「脱線事故が起きる直前に電車からおりて助かったと」

「そうです。受付で伝えた通り、鞄はなくしましたが」

「裸の女性は見かけた?」

電車内で武装した全裸の女性に囲まれていたと答えるべきか迷った。

「さあどうでしょう。はっきり覚えておりませんが、裸の女性が乗っていた車両もあったようですね」

記憶には裸の女の匂いがしっかり残っているのに、国会答弁みたく嘘をついてしまった。

「彼女達が何をしたか見ましたか?」

どう答えるべきか迷う。就職活動では何が正解かわからない。唯一の正しい解がある受験勉強とは違う。嘘でごまかすのはもうやめよう。ただ正直に事実を伝えることにした。

「彼女達は銃を撃っていました」

「そう、見たのね」

面接官の声は落胆していた。選択を間違えた。まずい答えだったか。

「撃たれたのは我が社の社長でした」

「社長?」

あの高級スーツを着こなした紳士は、ここの社長だったのか。ホームページで社長の写真を見かけたことを思い出した。

「電車が脱線する瞬間は見ていましたか?」

「いえ。銃撃から逃げていたので、電車の方は見ていませんでした」

「そう」

「煙が立ち上がってはいましたが」

ふつうの社長を銃殺したテロリストが乗った電車は、何者かに攻撃されて、脱線し、爆発した。電車を攻撃したのは、ふつうの社員だろうか。

「脱線直後の電車は見ていた、と」

「すいません、これって採用面接ですよね」

「そうですが」

「ふつうの企業の採用面接とは違うように思えるのですが」

「失礼。わが社はふつうの人材を求めていませんので」

株式会社ふつうというのに、ふつうの人材は求めていない。矛盾している。

こんな会社、もう辞退しよう。

「面接中に申し訳ありません。具合が悪くなったので、帰宅してもよいでしょうか?」

「ここトイレだし、少し休んでいったらどうですか?」

「お腹が痛いとかそういうのじゃないんです」

僕は立ち上がり、パンツをはいた。

「ちょっと待って。もう少し話を聞かせてもらえないかしら?」

ドアを開き、個室の外に出た。奥の個室のドアも開く。迷彩服を着た女性面接官が出てきた。彼女は拳銃を持っていた。

「中江秋水、見ていたようね」

面接官が僕に拳銃を向ける。

「何をですか?」

「消えろ」

面接官の指が銃の引き金に触れる。

僕は彼女の体に体当たりした。発砲音がする。銃弾は僕の体をかすった。

床に頭をぶつけて面接官は気絶した。逃げよう。早くここから逃げ出して、次の面接会場に向かおう。

僕は倒れている女性面接官の手から拳銃を奪った。

「動くな」

洗面器の影から老人が現れる。老人もまた迷彩服を着て、銃を構えていた。白髪だが、筋肉質の良く鍛えられた体だ。

老人の足もとには血まみれの幸徳君の体が横たわっていた。

「すみません。次の会社の面接があるんで、失礼します」

「動くなと言っている」

老人が声を張り上げる。

「あなた達、何なんですか?」

「警察だよ」

「警察?」

「この国を守る、真の意味での警察だよ。銃を捨てて両手をあげなさい」

僕は銃を持ったまま老人をにらんだ。

「言うことを聞きなさい」

「何故僕に銃を向けるんです? 僕は犯罪者ですか?」

「たった今彼女に暴力をふるっただろう」

「正当防衛です」

「公務執行妨害だよ」

「何が公務だよ。学生殺しといて」

僕は老人の静止を無視して歩き出そうとした。

銃声が響く。

老人の頭から血が噴き出した。

至近距離から側頭部を撃たれたのだろう、目を見開いたまま、老人は幸徳君の体の上に倒れこんだ。

全裸の平塚さんが男子トイレに入ってきた。平塚さんの手には拳銃がある。白く透き通った肌のいたるところに赤い血がついていた。

「中江君、無事でよかった」

平塚さんが、女性面接官の頭に一発銃弾を撃ちこむ。僕のリクルートスーツに面接官の鮮血が付着した。

「逃げよ」

平塚さんが僕の手を握る。狭いトイレの中は死体だらけだと言うのに、平塚さんの裸を間近に見て勃起しそうになった。

僕は平塚さんに導かれて、トイレを出た。廊下には、トイレに案内してくれた男性社員が倒れていた。首が変な方向に曲がっている。もう生きてはいないだろう。

「この人も、平塚さんがやったの?」

「うん」

平塚さんが僕の手を引いて走る。

「平塚さんて本当に就活生なの?」

「そうだよ。中江君も就活生でしょ」

エレベーターホールには迷彩服の男達がいた。僕と平塚さんは非常階段を駆けおりた。

「株式会社ふつうってIT企業じゃなかったっけ? それになんで平塚さん裸なの?」

「彼らはインフォメーションテクノロジーという服を着る人達。私は服を脱いだ人。それだけ」

「何それ」

「服は私達を縛りつける。必要ないでしょ、服なんて。中江君も脱いだら?」

「嫌だよ裸なんて」

一階にたどりついた。出口の前で、平塚さんがこちらに振り向く。

「中江君、私達の仲間にならない?」

「え?」

「就職してよ、私達のグループに」

何を言ってるんだ彼女は。

全裸で武器を持つ平塚さんは、スクランブル交差点にいた全裸の女子高生や、電車に乗っていた全裸の女性達の仲間なのだろうか。だとしたら、ふつうの人達は、彼女達の敵なのだろうか。

二つのグループが対立しているとしても、僕はどちらの仲間でもない。今は平塚さんに勧誘されているけれど、渋谷と電車では、全裸の女性達に殺されかけた。

「ごめん。断る」

「どうして?」

「暴力嫌いだし」

「自分の裸は自分で守らなきゃいけないでしょ」

「殺人犯になる気はないよ」

「中江君、今あなたがこちらに来なかったら、きっと後悔する」

「今それどころじゃないんだ。内定もらわなきゃ」

「私達も急いでいるの」

平塚さんが扉をわずかに開く。一階のロビーには迷彩服を着た兵士がたくさんいた。みな武器を持っている。

「どう? ふつうは物騒でしょ」

「君が裸のテロリストだからこんな事態になったんだ」

平塚さんが拳銃を構えて、扉に張りつく。

「仕方ない。ここを出るまでは一緒に戦いましょ」

「僕は裸じゃないし、テロリストでもない。ふつうと戦いはしないよ」

「じゃ、殺されないように気をつけてね。行くよ」

平塚さんが扉を蹴り開いた。兵士の視線がこちらに集まる。

平塚さんが低い姿勢で走り出す。僕も面接官から奪った拳銃を持って、走った。テロリストとして人生を終えるわけにはいかない。次の面接があるのだ。

 

 

株式会社ふつう 採用面接中の事故についてのお詫びとお知らせ

 

二〇XX年度株式会社ふつう新卒採用面接における事故に関しまして、皆様に多大なご迷惑とご心配をおかけしていることを心よりお詫び申し上げます。

五月十一日、弊社本社ビルでの採用面接中、学生三名、弊社社員四名が死傷する事件が発生しました。

五月十五日、株式会社ふつう代表取締役会長の諮問機関として、外部専門家をトップとする「採用面接中の死亡事故調査委員会」を発足しており、五月二十二日、同委員会の構成メンバーを発表させて頂いております。

この委員会の主導のもと、外部調査機関なども活用し、迅速に死亡事故の発生原因に関する調査を進めて参ります。なお死亡事故同日に発生しました弊社代表取締役社長の事故死につきましても、本件との関連性を含めて調査中です。

今後の進捗状況や就職活動中の学生の皆様にご報告すべき大切な内容に関しましては、改めてご報告させて頂きます。

ご不安なことがございましたら、弊社お問い合わせ窓口にご相談ください。弊社は警視庁等の協力も得ながら対応して参ります。

 

【相談窓口】

・事故調査ホットライン 0120-1945-20XX

各省庁・警察・その他の専門機関とも連携しながら全力を尽くして参ります。(了)

2022年9月28日公開 (初出 パブー

© 2022 野尻有希

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