ノン・パーソナリティ

合評会2022年03月応募作品

能田 麟太郎

小説

3,987文字

2022年3月合評会参加「ラジオ英会話」よろしくお願いします。

充満した木材とボンドの香りが鼻先をつく。長い長方形の木製テーブルが四つ、等間隔で並ぶ。無骨な天板は分厚く、持ち上げなくとも重量と質量を感じさせた。長辺上に並ぶ丸椅子に並んで腰をかけて、各々背中を丸めて手元を睨む。見慣れない金属の道具が、上向いた大きなスプリングの中心に差し込まれている。僕は指示通りに道具の持ち手に手をかけ、台座に付けられた黄色のスポンジに押し当てる。細い煙が上がり、心地良い濁音の唸りをあげた。大きな声で次の指示が響く。僕は指定された針金のような細長い金属を細かい部品の海から拾い上げる。それは印象よりも柔らかく、感触を確かめるように指先を滑らせる。スプリングに挿された道具を手に取り、熱された道具の先端を押しやる。緑色した基盤の上で主から離れた断片は玉となり、滲むように横に広がった。蛍光灯の明かりを含んで鈍色の光沢を見せた。こんなもので仕上がるのだろうか?

技術の先生の間延びした声が響く。各生徒の名前を流れる早さで呼び、提出物を取りにこさせる。

「白石ー」

「はい」僕は立ち上がり、教卓の方へと向かう。長机に並んだ木製のラジオたちは各々異彩を放つ。同じ形ではあるが色付けは生徒各自が塗り込んだだけあって、性格や気質が顕著に表れていた。ただ僕は色付けをしなかった。というか、できなかった。何か色を持つことが分不相応な気がした。色は有限で、微妙な色彩の違いは主張は出来るが、遠目には大きくは違わなく思えた。誰かと似た色となると、その人と一緒の価値観となる気がした。無論、何も色付けをしないという選択をした人も少数だがいた。だけれど、概ねそういった人物たちはただ面倒臭いという理由を正当化しただけな印象だった。その括りともなりたくなかったので、僕はオイルフィニッシュを選んだ。色を選んだと言えば透明、若しくは木材の色、なのかもしれない。

「おお、お前のめっちゃいいじゃん」隣に座る赤井が肩越しに言う。

「そうでもないよ」僕はそう言い、赤井の目の前に立つラジオに目をやる。綺麗なエメラルドグリーンがそこに立っていた。

「赤井のやつもいいじゃん。僕にはちょっと持てない配色だから、憧れるよ」

「じゃあ白石もやったらよかったじゃん。俺はてっきり渋いものが好みだっただけなのかなって思ってた」

「全員話すのやめーい」

騒めく周囲の声を上書きする先生の声が技術室内に響く。反響した母音がなだらかに消えて、しんとした静寂が生まれた。赤井は肩越しに一度微笑すると前を向いた。

「先生は一度皆のラジオを点検しました。残念ながら音が聞こえない、電源がつかない等どこが悪かったのか、そういったラジオには天蓋に付箋をつけておいたので、必ず確認しておくように。その場合は再提出となります。何故駄目だったのか、分からない等質問があれば授業の後や放課後受け付けますので、必ず提出するように」       数人の騒つく声がして、チャイムの音が響いた。僕は赤井と一緒に技術室を出ようとするとき、先生が呼び止めた。

「白石。ちょっと」僕は赤井の方を見て先に帰っておいてくれと目線を送ったが、何故か僕と一緒に先生の手招きする教卓へと足を向けた。

「多分大丈夫だとは思うんだが、お前のラジオはたまに途切れることがあるんだ。再提出まではしなくていいんだが、折角作ったものだから一度家に帰って確認しておいてくれ」

「わかりました。途切れるというのは電波が、というわけではないんですよね?」  「そうなんだ。まあ、一度確認しておいてくれ。何かわからないところがあったらまた職員室まで」早口にそう言うと、先生はテキストを整えて足速に退室した。

僕は早速帰ってから自部屋に閉じこもってラジオの背面に取り付けた板を取り外す。板はスライド式で簡単に抜ける仕組みだ。先生は電池の消耗が勿体無いからと言って電池を別に渡してきたのだが、赤井が言うには技術室で一つだけラジオの電源が勝手に入ったことがきっかけだ。技術室は幽霊が出るんだぜ。と原因まで丁寧に教えてくれた。何でも夜中に工具が落ちる音や、丸鋸が動く音を聞いた警備員が居て、その警備員と仲の良い他クラスの誰かから聞いたという、とても遠回りで確実性にも欠ける迷信となれば信じるという選択肢と信憑性は無い。赤井のその情報は右から左へと留まることなく流れた。僕のその素っ気ない態度と返事が引っかかったらしく、気を悪くした声を発した。「今回はそれを緑川が体験してるんだぜ。だから電池を全員分抜いたんだ。それも」その先の文言は殆ど一緒で、他クラスの〜がといった調子だ。だけれど、僕自身も変には思った。緑川先生がそういった細かいことをするようには思えなかったからだ。その点に関しては僕以外にも違和感を覚えた生徒も少なくはない印象だ。

電池を嵌めて、電源のダイアルを回す。周波数の唸りを掻い潜って、行き着いた先のポイントから低い声がスピーカーに響く。

「さあて、次のお便りを紹介したいと思います。カラフルたくみさんからのお便り。僕はなかなか英語を聞き取ることが出来ません。どうしたら良いですか?教えてください。なるほどね。まずは口に出すことから始めないと分からないかもしれないね。言葉は聞いてから話す順序となるからね。そうだなあオススメは、」

どうやら英会話の番組のようだ。ダイアルは周波数を合わせるものとボリュームを操作するものの二つのみ前面に付いていて、これがどこの局で何のチャンネルを示しているのか。学校で作るハンドメイドのものではそこまでの細微さは無く、調べる気にもなれなかった。

「…ということで、カラフルたくみさんがこれから益々英語で会話出来ることを楽しみにしております。さて、次のお便りは白石一樹さんからのお便り」                             突然の自分の名前に疑問符が頭を掠めた。そんなことはあるはずがない。声色を整えて、ラジオの彼は始める。

「Tさん、こんばんは。僕はここ最近悩みがあります。それは自己表現です。何か意見や意思を持つことが苦手です。自分に色を纏うような感覚がして、なんだかいたたまれない気持ちになります。それは衣服や身につけるもの全てにも言えます。だけれど、僕はこのままではいつの間にかここからいなくなってしまいそうな気がしてならないんです。大袈裟じゃなくて。この世界から。いつか、何かの絵で見た顔のない人たちの一人になってしまいそうです。どうやったらそれは身につくのでしょう?外国の方達はとてもユニークで個性的な印象がとてもあります。海外の方達と交流を持つと変わったりするんでしょうか?あまり英会話と関係のない内容ですが、僕自身とても深刻です。大人で物知りのTさんの意見がとても聞きたいです。よろしくお願いします」

ふっとそこで途切れて、夜の静寂が部屋に沈む。硬直した姿勢に刻む心の鼓動が大きくゆったりと身体を震わせる。

「…そうだね。一樹くんの抱える問題は深刻なのかもしれない。でもある種、個性を持たないことも個性なのかもしれない。君は無個性を主張するけれど、それは既に個性的なことであって色を持っているということにならないだろうか?そして、見る限り色を持ちたがっているようにも見えるんだけれど。それは間違いかな?視野を広げるということにおいても、もしかしたら英語を身に付けて海外へ旅をすることも良いかもしれないね。行く先々で出会った人たちと交流を持って、知らない価値観や文化に触れることは良いことだと思う。きっと君は学生だろうし、やりたいことは今のうちにやっておくことは良いと思う。自ら穴蔵の中に閉じこもって、春を待つ熊みたいに何かの可能性や希望を待つというよりも実践してみてはどうだろう?まずは自分が変わることによって周囲がどうなるか、だろうね。It’s always darkest before the dawn.もうすぐ君には夜明けがきっとやってくるさ」

まるで彼は僕の意図する気持ちを汲んで響かせる答えだった。得意でも苦手でもない英語だけれど、新たな可能性に光を見てやってみたいという意欲が湧き出た。しかしそこには相反した縋る気持ちもそこにあった。

「とにかく深く考えないことだよ、ミスター」

最後に放ったその声はいかにもラジオの前に居座る僕に話しかけているみたいだった。

「サンキュー、ミスター」

僕も応じてそうラジオに返した。フッと鼻息がマイクに触れる音がしたと思うとホワイトノイズで途切れた。突然襲ってきた眠気に抗うことも出来ず、僕はそのままベッドに倒れ込んだ。睡眠の沼は僕を温かく包んであっという間に意識は暗闇と同化した。

朝の陽光で目が覚めた。カーテンを閉め忘れたせいで暗闇から引き摺り出された。朝日の逆光に紛れてラジオが静かにいた。机の上に鎮座したそれは昨日の奇妙な出来事を思い返すと少し不気味に思えた。僕は少しだけ早く家を出ることにした。部屋を出てドアを閉めた反動で、何かコトリと音がして物が落ちた。

 

「よう、おはよう」

「おはよう」僕は赤井に挨拶を返した。下駄箱付近にはまだ生徒の登校はまばらで、朝の重い足を引き摺るみたいに各教室に吸い込まれていった。

「早いんじゃないの?今日。珍しいな」赤井が目を丸くして僕に言う。

「そうか?ちょっと学校行って先に勉強したくてね」

「どうしたんだよ?急に勉強に目覚めるとか気持ち悪いぞ」

僕は返事の代わりに乾いた笑いを返す。

「まあいいや、成績悪いのか?何勉強するんだよ」

「英語」

「は?英語?なんで?」

「やりたいからやるだけなんだよ。じゃあな」

下駄箱での立ち話を切り上げて赤井を背に向けて図書室へと向かった。あとから英語の先生でも尋ねてみよう。

 

ラジオからホワイトノイズが鳴る。床に転がった二つの電池が静かに息を潜めていた。

 

 

 

 

2022年3月20日公開

© 2022 能田 麟太郎

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"ノン・パーソナリティ"へのコメント 12

  • ゲスト | 2022-03-22 22:28

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  • 投稿者 | 2022-03-23 10:12

    忘れてしまっただけで、十代の頃には見えてないものが見えたし、聴こえていないものが聴こえていたのかもしれない、と読んで思いました。
    将来の可能性を武器にした万能感と、同時にまだ何にもなれていない不安感の同居する感じも文章から伝わってくる気がしました。

  • 投稿者 | 2022-03-24 22:40

    冒頭の手の込んだ描写に引き込まれました。後述される悩ましい自己の内面の象徴でしょうか。
    「色を持つことが分不相応な気がする」状態から、自分を英語という色に染めるまでがスムーズに展開されていると思います。
    世界に一つだけのラジオから流れる自分だけの英会話放送という、夢想とも希望ともとれるものが描かれているのかなと感じます。

  • 投稿者 | 2022-03-24 23:36

    古戯都さんも仰っていますが、最初の一段落が上々の書き出しという気がしました。みずみずしさを感じます。これは個人的な好みの話なのですが、ラジオ英会話の場面というのが夢だったのかそうじゃないのか曖昧な感じと言いますか、いや夢に決まってるのだけど、あれ……? というような、上手く書くのがやや難しいと思いますがそんな書き方だったらとても好きでした。

  • 投稿者 | 2022-03-25 22:13

    読んでて、鉱石ラジオの事を思い出しました。あ、違います。普通の鉱石ラジオじゃなくて。普通のはむしろ知りません。零~紅い蝶~の中に出てくる鉱石ラジオです。あと天野月子さんの『蝶』も思い出しました。このゲームのテーマソングだったんです。
    関係ない話でした。すいません。面白かったです。あんまり根詰めないでほしいですね。

  • 投稿者 | 2022-03-26 18:46

    光と色彩感のある文章だと思いました。登場人物の名字に色がついているからというのもあるけれど、「色を持つこと」「個性を持つこと」イコール他の誰かに似てしまうことへの不安、でもずっと色を持てずに終わってしまうこともまた不安で、それが「白石」という名前に象徴されているのかなと思いました。でもそれは穴の中で春を待つ熊であることも自分では分かっていて、それが不思議なラジオ放送の声となって聞こえて来たのかなと。
    気になった点、ラストシーンの学校の場面で床に転がっている電池、これって家を出る時に落ちてしまったように読めますが、家で落ちた電池が学校までついて来たのですか???

  • 編集者 | 2022-03-27 14:38

    丁寧な描写に好感を覚えました。ただ、この分量だとすぐに文字数が膨れ上がるのでメリハリをつけるともっと効果的に描写の文言が映えると思います。その代わりに技術の先生や緑川の心霊体験の描写が描かれると、このパーソナリティの存在感が立体的に浮かんだのかなと。

  • 投稿者 | 2022-03-27 20:48

    いい話。端正な文章にも好感が持てる。ただ、先生が電池を外して渡したという部分や、最後に電池が床に落ちていたなどの部分がそんなに重要かなと思った。ラジオがトイストーリーみたいに生きているという点を強調するためなのはわかったが、電力が通っているかどうかは些末な問題だと感じる。

  • 投稿者 | 2022-03-28 11:21

    私も冒頭が良いなと思いました。学校の、木とボンドの混ざった匂いがリアルに蘇りました。すごい。
    登場人物の名前が色なのがわかりやすくて良いなと思った反面色がないと思っている主人公ならどちらかというと透明かなと思いました。
    「ラジオ英会話」の「ラジオ」をしっかり拾えているのが良かったです。

  • 投稿者 | 2022-03-28 13:51

    独特の世界を構築していると感じました。一方、独特な世界がそこに独立して存在しているために読者は容易に入っていけない感じがします。主人公も感情移入できるタイプではない。どこに入口があるのかなと探っているうちに話が終わってしまったという感じ。欲を言えば、主人公がどうして色を避けるようになったのか、示唆されているといいなと思いました。

  • 投稿者 | 2022-03-28 17:09

    「少しファンタジー」のおはなし、いいですよね。セリフのしゃべりすぎじゃない、ほどよい情報量がよかったです。なにがなんでもオチてないといけないという法はないわけで。

  • 編集者 | 2022-03-28 20:29

    曾根崎さんも書いているが、学校の頃の何とも言えない空気感が蘇る作品だった。確かに技術室や家庭科室はこんな匂いがした。ラジオと言うお題に強く向き合っている。

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