音無しくしていろ、と祈る。
魚の内蔵にさぐりを入れ、浮袋にあたりをつけてからそこに木切れを突き刺す。空気が漏れだす音を確認すると、わたしはその特別な処置をした魚を川の水に戻してやる。もがきながら元のように泳ごうと、水を推しやる魚は痙攣のさまに似て、そのまま底に沈んでいった。底には数匹の、同じ処置をした魚たちが川床の砂をかき回してもがいている。山肌を削るかたちで流れる川の岸にいるのはわたしだけで、ほかは、夏休みの小学生たちが残していった釣竿の折れたのと、役目を終えた竿の仕事であるバケツの中の魚……鮠たちが酸欠の危機に瀕している状態であるだけだった。手が臭くなってきたところで、バケツの魚を川へ戻してやり、わたしは魚たちが水を推しのけて泳いでいくのを見とどけた。
この田舎に帰ってきたのは、実家の祖父が死んだためだ。経営していた町工場を土地ごと売ってから、祖父は人生の残りの仕事に対して酒を飲むことで代替したのか、毎日酒浸りになっていた。そしてある日の夜、母と祖母の目をかいくぐってどこかへ行方をくらまし……翌日、田圃の側溝に落ち溺死しているのを町の見廻衆に発見された。ぶざまな最期を曝した遺体を、母と祖母は泣いてむかえた。東京から実家へおもむいてその祖父の遺体と対面したわたしも、ぶざまへの侮蔑よりも悲哀と畏敬の心もちのほうが大きくなっていた。
祖父は、運動する機械から飛びでた一個の部品だった。また部品が失われたことで運動をやめた機械そのものでもあった。それがわたしの、町工場をやめた祖父に対する印象で、遺体となった祖父に対する印象だった。祖父はもがきながら死んだ。それだけだった。ぶざまにもがいて死んだけど、わたしは悲哀と畏敬を抱いている。彼の死へ。
川岸から傾斜する坂を登って、新築住宅と瓦葺き家屋の混在する集落に沿う道路にでた。手の魚の臭いに辟易しつつ、煙草に火をつける。道路には青葉をたくわえた桜の木がすっと伸び並んでいて、そのどれもからセミの機械音のような鳴き声が吹いていた。祖母はどうしているだろうか。母は葬式からしばらくたってもさまざまに慌ただしくしていた。その慌ただしくしているのは、わたしのよく知らない縁者や親せきたちに対してだったので、わたしに手伝えることはあまりなかった。家に残ったのは祖母と母と、そしてわたしの女勢ばかりであって、ゆいつの男で、わたしたちの家の血の中心であった祖父が死んだことで、他の親せき縁者のわたしたちに対するまなざしは冷え込んだものになることが予想できた。そのために母はいろいろさまざまに慌ただしくしていたのだ。血の脈をどうにか引き継ごうとがんばっていたのだ。頭のなかへ、母が血まみれになっている姿が浮かんで、勢いよく煙草をすいこむ。
そうだ。祖母はどうしているのだろうか。祖父の葬式があらかた終ってから、祖母は若がえった。若がえりつつあると云ったほうがよいかもしれない。
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