今まで嗅いだことの無い強烈な匂いで目を覚ました。
その光景をみて男は驚いた。どこを見渡しても鶏しかいないのである。
「こんな手の込んだ嫌がらせは初めてだ。人が寝ている間に養鶏場に運ぶなんて。」
と思いながら男は立ち上がるが、いつもより視線が低い。足元を見ると自分の足の指が三本になっているのが分かった。足は黄色味がかっていて、少しの負荷で折れてしまうのではないかと思うくらいに細い。視界の下にはかすかに白いふわふわとした毛が見える。
「まさか人間が別の生き物になるなんて考えられん。おそらく夢かなんかじゃないかな。明晰夢ってやつだ。人間であるものが鶏、ましてやメスの鶏になるなんて馬鹿げた話だ。」
男はそう思い、夢が覚めるまで待ってみることにした。しかし、一向に夢が終わる気配はない。時間が経つにつれ、周りの沢山の鶏や自分の身体が現実身を帯びてくるのが分かった。しかし、男は絶望するばかりか、むしろ喜んでいた。
「夢かと思ったが、どうも現実らしいな。しかし、丁度良い。これで悲惨な人間社会とお別れできる。」
男は昨日、勤めていた会社を辞めた。三年前からやっている仕事で、真面目にやっていたが、会社の人間関係に馴染めなかった。上司や同僚は男の性格や容姿が気に入らないのか、少しのミスがあるたびに罵倒し、日常的に嫌がらせをしていたのである。やがて、会社に対する恐怖心から睡眠薬なしでは眠れなくなっていた。自分でもどんどん窶れていくのが分かったし、このままでは死んでしまうのではとも思った。そして、とうとう、男は勇気を振り絞って昨日の朝一番に辞表を提出した、という訳だ。
しかし、会社を辞めたのは良いが、不況の世の中。すぐ、次の仕事にありつけるとは限らない。家に帰ってから新しい恐怖が襲ってきた。そんな感情を紛らわすには、といつもの睡眠薬を服用して寝たのだった。
「おい、新入り。」
昨日のことを考えていると、唐突に右斜め後ろから声を掛けられる。男が振り向くと、そこには周りの鶏よりも一回り大きい鶏が鋭い目つきで男を睨んでいた。その鶏の後ろには沢山の鶏が同じように男をにらんでいる。こいつがここの養鶏場のボスのようだ。
「はい。」
男が答えると、その鶏は抜けの良い声で言った。
「ここにはルールがある。まず一つ、新入りは先輩が餌を食べるまで手をつけてはいけない。二つ目は、先輩の言うことはなんでも聞かなきゃならない。分かったか。」
人間だったらこんなことを言う鼻で笑っているところだったが、なんせ男も鶏である。手下を従えているボスに逆らうことは賢明ではないと考えた。
「わ、分かりました。よろしくお願いします。」
男がそういうと、ボスは何も言わず手下を引き連れて去って行った。
彼らが去って行く背中を眺めていると、その先の扉がゆっくりと開くのが見えた。扉の隙間から大きなバケツを両手で持った人間が入ってきた。バケツを抱えた人間は額にタオルを巻いていて、白い半袖のTシャツ、ジーンズの袖を長靴に入れている、という出で立ちだった。その人間なにか言葉を喋りながら、養鶏場の真ん中までゆっくりと歩いてくると、バケツに入ったものを小さな円を描くようにして撒いた。中身は色とりどりの野菜で、鶏が食べられるように細かくして水を混ぜているようだった。
餌が撒かれると、ボスが餌をつつき始めた。他の鶏はじっとその様子を見つめている。やがて、ボスが餌を食べ終わると、その部下たちが餌をつつき始める。こんなことが何回か繰り返されたのち、自分が餌を食べる順番がやってきた。男は今日入ったばかりの新入りだから一番最後だった。
つい昨日まで人間だったのに、鶏の餌なんか食べられるのだろうか。そんな不安を抱えながらも恐るおそる餌を一口食べる。
「美味いこともないが、まずいこともない。なんとも形容しがたい味だ。しかし、みんなの最後に食べるもんだから量が少ないな。」
そんなことを思いながら養鶏場での最初の食事が終わった。
数日経って、男は鶏としての生活に慣れつつあった。しかし、最初に男が期待していた何のしがらみもない生活ではなかった。家畜の社会は人間の社会よりも暇つぶしが少ない。家畜も人間と同じく、長い間同じところで生活していると暇を持て余すのである。新入りというのを理由に男は、先輩の鶏にあれこれと色んなことをやらされていた。大抵は、その日の終わりに先輩をマッサージする、というようなものであった。しかし、それだけでは退屈だということで、一発芸をやらされたり、酷い時は羽をむしられた。そんな仕打ちが毎日続けられ、男は憔悴しきっていた。
ある朝、目を覚ますとなんだ足元がふらつく。今まで先輩に色々なことをやらされていたからだろう、と思っていたのだが、よく見てみると他の鶏も自分と同じようにふらふらとしているのである。
しばらくすると、養鶏場の扉が開き、真っ白い防護服を着た人間がなにやら話し合っている。防護服を着た人間たちはお互いにうなずき合うと、手元の細いノズルを斜め四十五度の角度まで持ち上げ、親指で赤いボタンを押した。すると、ノズルの先端部分から霧のようなものが放たれ、それを浴びた鶏たちは次々と倒れていく。
男は逃げようともしたが、足元がふらついて上手く歩くことが出来ない。防護服の人間がゆっくりと近寄って来るのが見える。やがて、男の目の前まで来ると、ノズルのボタンを押した。男は霧を浴びながらゆっくりと意識を失った。
大きな試験管に浮かぶ脳を白衣を着た二人の男が見つめている。脳には至る所に電極が取り付けられていて、何かの実験をしているようだった。
一人の男がもう一人男にたずねた。
「それで、どうなったのかね。」
困った顔をしてもう一人が答える。
「失敗です。あんまりにも悪夢ばかり見るので、良い夢を見れるように薬を投与したのです。そしたら今度は、家畜になった夢を見始めたのです。まったく訳が分かりませんよ。どうするんです。」
男は眉間にしわを寄せ、顎髭を撫でながらこう言った。
「……これ以上は手の施しようがない。悪い夢ばかり見ているのだから、無理にこれ以上見させる必要は無いだろう。残念だが、その脳は破棄しよう。」
藤城孝輔 投稿者 | 2017-06-16 23:43
他人が見た夢の話を聞かされて、どうにも返答に困る時のような気分だ。話は分かりやすいしオチも利いているけれども、どこが面白いのかよく分からない。もう少しうまくテーマを料理してほしかった。
冒頭の目覚めのシーンには、カフカの『変身』との類似が強く見られる。オマージュだとしても既に手垢がつくほど繰り返されてきており、新鮮味に欠ける。
退会したユーザー ゲスト | 2017-06-18 07:09
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Juan.B 編集者 | 2017-06-22 17:39
養鶏場云々と言うより、男の意思が全く働いていなかった、と言う意味では家畜的な話なのかも知れない。この分量ならばもう少し伏線などで膨らませられるのではないかとも思う。