橘有里はその晩徹夜をした。大学時代、BSSの連中と徹夜麻雀をしたことは何度もあったが、雀卓ではなく机の前で小説を読み耽って、そのまま朝を迎えたという体験は初めてだった。
速読には自信があった。喫茶店で森南雲から渡された二万字ほどのあの独特の短編を読むのには三十分ほどしかかからなかった。しかし《夜に融ける》というタイトルの長編を読むのには八時間を要した。その他の短編、中編全ても一気に読んだ。文学界新人賞を受賞した《雲の図鑑》という作品も、応募原稿のコピーがあったので読んだ。時間の感覚が麻痺し、全部読むのにどのくらいかかったのか正確にはわからないが、昼食後から読み始め、夕食を食べることなく熱中し、翌朝読了したので十八時間くらいぶっ通しで読んでいたことになる。読み終えた時には目が霞んで、頭痛がし、肩がひび割れそうに凝っていた。その後シャワーを浴びてひと眠りし、午後になって目覚めた後も、風邪で熱を出した時のような、気怠く体がふわふわする感覚に囚われていた。それは更に二日を経ても続いていた。自分は明らかにまだ興奮している。他人の書いたものを読んで、ここまで余韻が持続したことはかつてなかった。話題の新刊本を読んでも、最後のページを閉じた途端に醒めるのが常で、せいぜい数分間も余韻に浸ることができれば上出来だった。
長編一つ、中編一つ、短編二つだけしか読まず、他の作品には手をつけないままで原稿破棄の決断をするなんて全く信じられない。南雲、あんた馬鹿じゃないの、と呟いてしまった。
一週間前、森南雲から、阿曽浩の原稿を破棄するという内容のLINEが送られてきた。手元にあると、自分はこれに取り込まれてしまうから、というその言い分にはほとほと呆れた。彼に送ったあのLINEを読んだ彼が、どういう受け止め方をしたのか、それは本人の勝手だが。捨てるくらいなら私にちょうだい、と物は試しで返信してみたら、数日後、段ボール箱につめて、件の原稿をあっさり送って来たのにも驚いた。流石に剽窃はもっての外だろうが、完全に換骨奪胎して自分のものにしてしまうなら構わないだろうに。けれども新宿の喫茶店で森が読ませてくれた小説は、原作の一部をそのままなぞったものにほぼ等しかった。森という男は全く、何と不器用で馬鹿正直なんだろう。
それにしても阿曽浩とは一体何者なのだろう。生活保護を受けて孤独に暮らしていたとのことだが、只者ではない。
どれも一筋縄ではいかない迷宮のような作品ばかりだった。例えば一見ごく普通のありふれた日常の描写という書き出し。穏やかな自然の情景。落ち着いた導入から、かっちりとした筋立てを予感しつつ読み進めていくうちに、じわりと違和感が滲み出てきて、世界の堅固さが揺らいできて、どこへ向かうのかわからなくなってくる。明るい日差しの下に影を落とす何かに慄くように、心がざわついてくる。足を着いている地面は揺るぎのないまま、地に着いた足がぼやけてくる、というような。
ことに《夜に融ける》を読み終えた時にはただ茫然として、現実に帰還したという安堵感がまるでなかった。それなのに、実に不思議なことに、読後しばらくしてから、祈りがどこかへ通じたみたいな、救われた感覚がにわかに湧いてきて、閉じた瞼の間から涙が溢れてしまった。小説を読んで泣いたことなどこれまで一度もなかったので、これには自分でも驚いた。これはどう分類される小説なのか。SFのようでも。ファンタジー小説のようでもあり、哲学小説のようでもあり、ミステリー的な要素もある。《夜に融ける》はあまりに複雑で、だんだん読んでいて酩酊してくる感覚さえあった。途中で投げ出そうとしても、物語がそれを許さなかった。
三日くらい経って幾分落ち着きを取り戻し、阿曽の小説を分析してみた。語彙や表現はやや古めかしいし、会話表現には幾分のぎこちなさも感じる。しかし、これらは大した瑕疵とはいえない。もし文学賞の下読み担当が自分だったら、これらの作品すべてを間違いなく通過させる。だが読み手によっては早々に途中で読むのを投げ出して没にするだろう。何という作品だろう。これは読み手を選ぶ。かつて十三歳の自分が書いて文学賞を受賞した作品と比べると雲泥の差がある。十三歳の少女が書いたという付加価値だけで自分の作品が受賞したのだとは思わない。自作にはそれなりの自信もある。ストーリーも文体も全く違うのだから単純に比較できるものでもないが、それでも、自分が阿曽の足元にも及ばないということだけははっきりと分かる。というよりも比較することさえおこがましい。その差は単に十三歳の少女と中年の男の人生経験の差とは違う。とにかく何から何まで全く違う。阿曽が書いたものと、自分の作品との間に共通するのは、それが日本語で書かれたものだという一点のみだけだ。圧倒的な他者に打ちのめされるという感覚、生まれて初めて味わった、ゾクゾクした。
受賞した自分の小説は、最初は詩にするつもりだったのが、不意に小説の形をとって立ち上がってきたものだ。それをキーボードで打ち込み、気がつくと六万字の作品を三日で書き上げていた。ストーリーは余計な捻りを加えずシンプルに。それよりも文体の統一感とリズムを重視した。ひりひりする恋愛の話。十三歳の自分が大人と勝負するならこれしかない。これは今の自分にしか書けない。そもそもこんなに長い文章を書いたのは生まれて初めてだったし、書き上げたことに自分でも驚いた。数日後、たまたま父親が食卓に広げていた雑誌に掲載されていた、地方新聞の投稿小説募集の記事が目にとまり、誤字脱字のチェック以外の推敲はほとんどせずに何となく出してみた。それが受賞することになるとは夢にも思わなかった。
思えば、小さい頃から何かと賞を貰うことが多かった。双子の兄も同様だった。兄弟揃って出来がいい、というようなことを、周囲からはうんざりするほど言われてきた。絵、作文、読書感想文、どれもほとんどは最優秀という評価を与えられた。兄妹揃って文字や数字が好きだった。幼稚園に通っていた頃、母親にくっついて出かけたスーパーで、積み上げられている商品の箱の、隠れている部分も含めた総数を当てる遊びをして兄弟で競った。二桁以上の掛算割り算も小学校に入る前には既にマスターしていた。勉強で苦労したことは無い。運動も得意だった。サッカークラブに入っていた兄は、体育祭では常に短距離走の花形だった。自分も女子の中では一、二番を争う俊足だったし、器械体操もダンスも得意だった。身体を意のままに繰ることが好きで、要するに身体能力が高かった。
性格は正反対だった。友達の多い社交的な兄と違って、内向的で、外遊びが嫌いでいつも本ばかり読んでいた。
傍目には何一つ不自由のない恵まれた境遇で育ってきた。家庭は裕福だった。開業医の父、大学で美術史を教える母親、どちらも個人主義を徹底していて、子供たちに干渉してくることもなく、いわゆる、自主性を尊重した理想的な育てられ方をした。自覚する限りにおいて、反抗期らしい反抗期もなかった。
だが、小さい頃から自分でもよくわからない欠落感を抱えて生きてきた。
その欠落感を埋めるため、自分は無意識のうちに小説という形式を使おうとしたのだと、後になって気がついた。そしてその試みは失敗した。
文学賞受賞後の誹謗中傷は、ごく短期間ではあったが、驚くほど簡単に自分を引き裂いた。自分という人間があまりにも脆い存在だったのだと思い知らされた。それまで他人の敵意というものに晒された経験が皆無だったからこたえた。書きたい欲求に突き動かされて書いたというより、思い浮かぶままに文字を並べて出来上がった小説だった。あまりにするすると出来てしまったので、敢えて予定調和をぶち壊すラストにした。性的な描写が過激だった点も、最初は驚きとともに読者に肯定的に受け止められたが、少ししてからは、年齢不相応に背伸びしてスキャンダラスな効果を狙った嫌らしい作品だというレビューが優位になり、そこからはけちょんけちょんに否定され揶揄された。小説の帯に書かれていたキャッチコピーを覚えている。曰く《十三歳の放った弾丸が、あなたを撃ち抜く》。だっせ、と思った。しかしその弾丸は予期せぬ跳ね方をして、読み手ではなく、書いた自分に真っすぐ向かってきた。それまで滅多に兄弟げんかをしたことのなかった兄が、受賞後の騒動のせいでとんでもない迷惑を被っていると責めてきた。どうしてあんな小説書いたりしたんだよ、と。あのラストなんか、クソ生意気なビッチが読者に向かって中指立ててるみたいじゃん。反感買うのも当たり前だろ、と。両親は何も言わなかったが、自分の作品を読んで、少なくとも好意的でない感想を抱いたということは伝わってきた。
友人たちが潮が引くように自分から距離を置いたのが分かった。ただ一人、神沢なつみを除いて。彼女だけは変わらなかった。前衛的な現代音楽作曲家で音大教授でもある父親と、数学者の母親を持ち、八歳まで海外で暮らした帰国子女である彼女は、有里と同様、学校内ではやや浮いた存在だった。
ある日帰宅すると、家の郵便受けに封筒が入っていた。住所も差出人の名前もなく、切手も貼られていなかった。開けて見るとゴキブリの死骸とともに便箋が一枚入っていて、大きく〔キチガイしね。クラス一同より〕と書かれていた。筆跡に心当たりはなかった。クラスの誰かが書いたものとは限らないが、どうせこんなことをする人間は馬鹿だから相手にすることもない。全く、取るに足りない典型的に幼稚な嫌がらせだ。
理性ではそう思った。だが心を抉られた。
元々自分の中にどれほどの強度で存在していたのかよくわからない創作意欲を、このとき失った。同時に、何のために生きているのか分からなくなった。この世に自分の居場所がどこにあるのか全く分からなくなった。抱えている欠落感が全身を侵食してきて、すかすかになった。このままでは身体が空っぽになって空に浮かんで消えてしまう。結局、自分を地上に繋ぎとめるために出来ることで、書くこと以外となると、読むことしか思いつかなかった。
まず、自作に向けられた批評を一度きちんと読んでみようと思った。それまで一切読んでいなかったからだ。目を背けずに向き合うことには勇気が必要だったが、そこから逃げているのも癪だった。受賞作掲載誌の選評を手始めに、ネットで調べていくつか読んでみた。的外れな批判には怒りが湧いたし、気力が挫かれる思いをしたが、中にごく少数ではあるが、自分以上に作品を理解し、考えもしなかった読み解きを提示しているものがあって興味をかきたてられた。文芸批評というものを見直したのはそれがきっかけだった。書評や文芸批評を自分でも書き始めたのはそれからだ。やはり小説は書く気が起こらなかった。むしろ小説を書かなくなって読み手に専念することで、逆に、小説を自由に楽しみながら批評できるようになった。手当たり次第に本を読み、書評を書き、しばらくして鷹というハンドルネームで鷹の本屋という名前の、文芸書中心の書評ブログを開設してみた。収益を上げることにはまったく興味がなかったせいで、鷹の本屋の体裁は非常に味気なく素っ気ない作りだった。世間の誰もまさか女子中学生がそのブログの主だとは思わなかっただろう。しかし開設二年目で週間アクセスが三桁を超え、ジャンル別の人気ブログ上位に顔を出すようになった。
翌年、兄は最優秀ランクの国立大学付属高校に進学したが、その兄とは家庭内でも全く口を利かないような状態になっていたこともあり、同じ高校を避け、御三家と呼ばれる私立の名門女子高に進学した。
高校時代は周囲が優秀なこともあって中学時代ほどは目立たなかったものの、有里の成績は常に上位をキープしていた。また、それを維持するのに特に苦になるほどの努力は要しなかった。
授業はうんざりするほどに退屈だった。授業中は大学生向けの数学の専門書か小説を読んでいることが多かった。小説は樋口一葉からウラジーミル・ソローキンまで何でも読んだ。だが読書だけでは欠落感は埋まらなかった。単調な日々を送る有里の心の中に勃然と頭をもたげてきたのは、異性、つまり男という生き物への興味と渇望だった。元々容姿には恵まれていたし、内向的な性格は演技でいくらでもカバーできた。本を濫読したことがそこで役立っていたと思う。都内のクラブに行けば男は簡単に釣ることができた。名門男子校の学園祭などに足を運べばいくらでも声をかけられた。ネットも利用した。話題の洋菓子店の行列に並んでいたときに声をかけてきた、髪の薄い、父親ほどの年齢の男の相手をしてみることも、ものは試しとやってみた。金には全く困っていなかったので、正直金など別に幾らでも良かったが、男が自分の身体に幾らの値打ちをつけるのか興味があった。男から五万円渡されてセックスした後、愛人になってくれないかと言われた。幾ら出してくれるのかと訊くと、週一回のデート、食事、ホテル代込みで月二十五万でどうかと言われた。たった二十五万で女子高生の私を飼うつもりなの、と思った通り正直に言うと、相手は急に表情を変えて、さっき渡した五万を返せと喚いた。暴力を振るわれても困るので金を返したら、それを掴み取ってそこから二万円だけ投げつけ返して出て行った。なるほど二万があの男にとっての私とのセックスの価値か。ずいぶんと安く見積もられたものだと気分が悪かったが、でもそれはあの男が相手だったからだ。それなりの相手とはそれなりのセックスしかできないのは当然だろう。
仮面を被って色んな女性を演じ分けながら男を観察し、研究し、からかって翻弄するのは単純に楽しかった。しかし痛い目にも遭った。避妊と病気にはそれなりに注意を払っていたのに、一度クラミジアに感染して性病科の門をくぐったのは胸糞悪く最低な経験だった。さすがに懲りて、以後、素性の分からない男を相手にすることはやめた。
大学受験はT大を勧められたが、兄と同じ大学には絶対に行きたくなかったので、W大に進学した。
大学ではBSSという文芸創作のサークルに入った。強引な勧誘を受けて渋々入ったような振りをしたものの、その実、勧誘されなくても元々その手のサークルに入るつもりだった。森南雲という純朴そうな男が自分にくっついてきて、ひょんな成り行きで一緒にBSS入ることになったのは面白かったが、内心少し嬉しくもあった。
小説の創作をしろとしつこく要求されたが、はねつけた。しかしメンバーの作品の批評を書き、合評会では積極的に発言した。鷹の本屋を運営していることはBSSの他のメンバーには秘密にしていた。
BSSには世間知らずで擦れていない男が多かった。多少なりとも興味を持てた男とはとりあえず付き合ってみたが、田辺、それに同期の森南雲以外の男とは、一年、いや大部分は半年も持たなかった。
田辺は面白い男だった。考える前に行動するようなタイプでありながら、頭の回転が速く、何でも器用にこなした。プライドが高く、別れを切り出してきたのは向こうだった。それまで男から振られた経験がない有里にとって、田辺から振られたことは軽いショックだった。
森南雲は柴犬みたいな顔立ちをしていて、実際、決して馬鹿ではないけれど柴犬なみに単純だった。合評会で田辺に言われた通りに褒めてあげたらすっかりその気になって小説を書き始めた。だがその処女作を読む限り、彼に文才があるようには思えなかった。彼と付き合っている時も何度か浮気をしたが、彼は声を荒げて責めるようなことは一度もなかった。有里を失いたくない、だから俺からは離れたくない、でも君が俺を見限るなら、その判断は尊重して受け入れる、と彼は言った。どこまでもお人よしで本当に忠犬みたいだと思った。そんな彼が決して嫌いではなかったが、はたして愛していたのかと自問すると答えられない。そもそも自分には人を愛するということがどういうことなのか、よくわからない。
平均よりも優れた能力や才能が幾つか生得的に備わっていることは分かっていたが、その代わりに、普通の人が持っている当たり前の能力が自分には欠落していることも自覚していた。例えば、相手の微妙な表情から気持ちを読み取ったり、誰かを無条件に愛したりする能力というのは、普通の人は自明のものとして備えているのだろう。自分にはそれが無かった。
BSSの女性メンバーからは完全に冷ややかな目で見られていたと思う。だがそれは気にならなかった。それに、合評会では彼女たちは常に、自分の作品が橘有里にどうジャッジされるかということに神経をとがらせていた。それはつまり、橘有里の批評が彼女たちに支持され信頼されていたことの証だ。それで十分だと思った。
大学三年の時、父が心筋梗塞で、翌年、母が膵臓癌で相次いで亡くなった。自分の余命が長くないことを悟った母は、父の残した遺産で兄妹にそれぞれマンションを購入して生前贈与し、広すぎる自宅兼病院は自分の死後直ちに売却し、兄弟で遺産を分けられるように、顧問弁護士に手続きを依頼してくれていた。
無分別な浪費さえしなければ一生食うには困らない金ができたことで、就職しようという意欲はきれいさっぱり消え失せた。中学時代からの友人であるなつみと二人でつるんで渋谷や青山のカウンターバーで飲んでいればほぼ毎回、誰かしら男たちが声をかけてくる。食事を奢らせ、時には気に入った男とホテルで楽しんだ。昼間は恵比寿のマンションで日がなゲーム三昧、夜は街に出て男と遊ぶ日々が続いた。
そんなある日、佐竹誠二という男とSNSを介して知り合った。外資系投資銀行に勤務している彼が、真剣に付き合う女性というよりは、気軽にベッドを共にする遊び相手を探しているのは直感的に分かった。帰国子女の彼はJ大学出身で、身長が高く、しなやかで引き締まった身体をしていて、抜群にセクシーだった。テニスではインターハイに出て、フルマラソンを三時間とちょっとで走り、ピアノが得意で、英語も堪能だという。そのマッチングサイトでも人目を引くハイスペックな人物といえた。初対面でランチを共にした。渋谷のカフェで待ち合わせて挨拶し、互いに名前や住んでいる場所など、表面的な自己紹介をした。佐竹の物腰は洗練されていて柔らかかった。当たり障りのない会話をしながらコーヒーを飲んだあと、映画を観た。そのコメディタッチのサスペンス映画は風刺も利いていてなかなか面白く、二人で歩きながらしばらくその感想を語り合った。自分のことをまあまあの映画通だと自負していた割には、彼の関心は表面的な面白さにのみ向いていた。佐竹という男が、大して深い教養を持ち合わせておらず、軽薄で、幾分差別的な思考をし、しかしそのことを見透かされないように寛容を装って演技しているという印象を抱いた。佐竹の方では有里を一目で気に入ったらしく、その後移動した西麻布のイタリアンでは矢継ぎ早に質問を繰り出してきた。趣味、特技は? 好きなミュージシャンは? 子供の頃はどんな感じだったのか? 両親、兄弟は? 飼ったペットは? そして、それらの質問に対する自分の答えも彼は口にした。気の利いたユーモアも混じっていたが、それは有里にとって、とりたてて興味を引かれるようなものではなかった。要するにありふれた育ちの良い金持ちのボンボンだ。頭の回転が速く、自分にそこそこの自信があるのだろう。食事を終えてコーヒーを飲む頃になると、口調も徐々に馴れ馴れしくなり、過去にはどんな男と付き合ったのか、などとも訊いてきた。有里が適当に受け流していると、いきなり、結婚後は働きたいか、家庭に入りたいのか、どちらを望んでいる? と訊かれ、どちらでもいいけど、とりあえず今はあまり積極的に働こうとは思っていない、と答えると、付き合ってくれないか、と言われた。
有里が彼と付き合い始めたのは、純粋に、その外面的魅力に惹かれたからだった。それまでずっと付き合ってきた森南雲とは、つまらない喧嘩をしたのをきっかけにあっさりと別れた。覚悟していたらしく、森は未練がましい態度を見せなかった。さすがに少しだけ心が痛んだ。床上手の佐竹と飽きるまでベッドを共にして、しかるべき時期がきたら別の男に乗り換えようと思っていた。それが別れられずにずるずると結婚まで流されてしまったのは、つまるところベッドでの相性が良すぎたせいだ。心が結びつく以前に、身体が離れられなくなってしまった。初対面の佐竹に感じた性的な吸引力は本物だった。一通り何でも器用にこなす佐竹だったが、ことセックスに関しての才能は確かにずば抜けていた。ほとんどの場合、どんな男と寝ていても有里の心のどこかには醒めた部分があった。時にはそれが行為への没入を妨げもした。しかし佐竹の腕の中にいるといつも自分が自分でなくなってしまう。フランツ・リストを弾くのが好きだという彼の長い指は、ピアノよりも女体という楽器を鳴らしきることにかけて、その超絶技巧の冴えを見せつけた。
自分の性欲は標準よりかなり旺盛な部類に入るだろうと有里は自覚していた。ただ自分の性欲の源が、種の保存という本能に根差していることもまた、有里ははっきりと自覚していた。だからストレートで強い。
セックスに精通することは必須事項だと考えていた。畢竟、セックスは遺伝子受け渡しのための基本中の基本行動なのだから。失敗しないためには多くのトライアルも必要だ。そのためにはまず本能に忠実でありたかった。嵌める箍など邪魔でしかなかった。
だが、いつの間にか既に箍ががっちりと嵌められていた。それに気が付いたのは佐竹に、生まれて初めて暴力を振るわれた時だった。きっかけは自分の浮気の露見だったが、佐竹にも当然愛人がいた。お互い見て見ぬふりをしていたのが、ある日突然、帰宅するなり平手で頬を張られた。佐竹は酔っていた。
玄関から靴も履かずに一旦逃げ出したものの、どこに行けばよいのか分からなかった。裸足で外を歩いて惨めな姿を晒したくなかった。数分後に家に戻ると玄関には鍵がかけられていた。玄関のドアを叩いたが、夫は開けてくれなかった。どうして暴力を振るわれた側である被害者の自分がこんなに惨めな思いをしているのだろう、と有里は考えた。殴られた時、殴り返せなかったのは何故だろう。暴力の反撃が怖かったからか? 確かにそれはある。しかしそれだけではない。そして理解した。それは自分に箍が嵌められていたからだ、と。我が身を振り返ってみると、何のことは無い。自分の身体は無数の大小の箍でがんじがらめになっていた。
スマホで警察に電話した。やってきた警官に、夫から暴力を受けて家を閉め出されたのだと訴えたが、警官は一度ゆっくりご夫婦で話し合ってください、と言ってまともに取り合ってくれなかった。夫は警官の前で自分に謝罪して家に入れてくれたが、ドアを閉めるなり、物凄い形相で有里をしばらく睨みつけた。有里も睨み返した。視線を逸らしたら敗北だと分かっていた。やがて夫は舌打ちをし、背中を向けてそのまま寝室に入り、鍵をかけて閉じこもった。その日、有里はリビングのソファで寝た。翌日、有里は必要な身の回りのものをキャリーケースにまとめて入れて家を出て、神沢なつみのマンションに転がり込んだ。ガールズバーに出勤しようとしていたなつみは、遠慮しないでずっと居ていいよ、それともシェアハウスにしようか、と言ってくれたが、有里は一週間後には別居用のマンションを契約し、そちらに引っ越した。
離婚はこじれた。誠二は、有里の方から先に不倫を始め、自分の方はその腹いせにやった、と離婚調停の席で主張した。その時、息子と一緒にやってきて顔を合わせた佐竹誠二の母親は、あんたはとんでもなく腹黒い女だ、育ちや性格の良さそうな演技をして息子を騙した、息子の人生に傷をつけた、と言って有里を責めた。有里としては不倫開始の順番など、どうでもよかった。
箍を嵌めたのは学校だろうか、両親だろうか、いや自分自身かもしれない。その箍のせいで自分という人間の正体が分からず、仕方なく自分で自分を演じてきた。創造とは箍を外すことだ。そう、自分の小説があれだけのバッシングを受けたのは、箍などとは無縁と見せかけた十三歳の偽装を、読者に見透かされたからだ。腹立たしいほど薄っぺらだった。
佐竹の不在を見計らってマンションに戻り、残した自分の荷物を段ボールに詰めた。幸い鍵は新しいものと取り換えられてはいなかった。クローゼットの中の一つの段ボール箱に目がとまった。森南雲から送られてきた阿曽浩の原稿。有里は宅配便引き取りサービスを利用して、全ての段ボール箱を自分のマンションに送る手配をした。
荷物が自宅マンションに着くと、真っ先に阿曽浩の原稿が入った段ボール箱を開封した。今度はゆっくり一週間かけて、阿曽浩の全作品を再読した。
両親が死に、兄と決別し、そして間もなく離婚する。ようやく本当に自由になる。やっと箍を外せる。有里は唇を少し尖らせて、ゆっくりと息を吐いた。それから椅子から立ち上がり、腰を伸ばした。阿曽浩の原稿を揃えて段ボール箱に戻し、徹夜明けの疲れた目で、光が滲む窓の外を見つめた。
自分のやるべきことは、もう分かっていた。
"夜に融ける(後編その1)"へのコメント 0件