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祐里

私とミツくんの出会いは、曖昧で原始的だった。

タグ: #純文学

小説

2,006文字

 まず指で触って、それから歯ごたえを確かめたくて、噛みついた。意外と弾力があり、噛み応えは抜群だった。
 私とミツくんの出会いなんて、これくらい原始的だった。彼の左腕が途中から切れていて、その先端がやけに艶めいていて、だから噛みつきたくなっただけだ。
 ミツくんもミツくんで、父親同士が友達とかいう曖昧な縁で会っただけなのに、やたら馴れ馴れしく構ってきていたのだから。距離なし最低野郎になんか、噛みついて痛い思いをさせたっていいだろう。
『小三にもなって! 恥ずかしいでしょう!』
 母は、怒髪天を衝く勢いで私に怒鳴った。
 まあ確かに哺乳瓶の先っちょに小さい子が噛みつくのとは違うもんね、とは思った。当然、変に甘いミルクの香りもしなかった。でも言い訳させてもらうと、あのすべすべのきめ細かい肌で覆われたミツくんの細い左腕――正確に言うと二の腕――の先端は、私の肌とは違う素材でできているのではないかと思うほど、白くてきれいだったのだ。たとえ本人の口からは同年齢の女子をいじめるための言葉しか出てこなかったとしても。

 ミツくんの母親は、「電車に乗っていたらミツオが窓から腕を出したから、切れちゃったのよ」といつも明るく笑いながら言う。そして、うちの親は、彼ら家族がいないところで「電車の窓、ねぇ……。どうだか」と悲しげに笑う。どうして悲しみを押し出そうとするのかはわからないけれど、きっと電車の窓から手を出したから、という理由には疑う余地があるのだろう。
 でも私は、ミツくんの母親を信じようとした。信じたかった。信じるのであれば、あんなにきれいな腕を作ったのは電車だということになる。二十分に一本くらいしか来ない、単線の、都会まで行くのに迂回するため時間がかかる、青いボディカラーをシルバーに変更したくらいでは全く使えない電車なのに。これはすごいことだと思う。

 大人になってからは、ミツくん家族に会わなくなった。
 ある日私は、あの美しい二の腕の切り口を作った電車の路線の駅前までバイトの面接に行くことになった。おしゃれなカフェに約束の十八時に到着。店長は、バックルームのドアの前に立った私を上から下まで三回くらい眺め回してから言った。
「ほっそ! あのさぁ、ナンパされたことある?」と。
 ありません、と答えると、だよねぇ、と半笑いが返ってきた。
 終始笑われていただけの面接だった。ブラのサイズを訊かれなかっただけマシだと思うべきなのかもしれない。スタイリッシュで都会的でスマートでイケててシックにキマっている洗練されたカフェを出ると、私は安い居酒屋へ直行した。

 居酒屋で一人レモンサワーを浴びるように飲んでも頭は冴えていたはずなのに、ミツくんの左の二の腕を触りたくなってしまった。私の皮膚なんて比べようもない、ため息が出るくらいきれいな、電車が作ったらしい切り口。思い出すと実際に、はぁ、とため息が漏れる。恋しい。愛でたい。触りたい。口に入れたい。舐めたい。噛みつきたい。
 でもあの親子は父親の転職癖のせいで常に貧乏だったから、今どこに住んでいるのか、うちの親も知らないかもしれない。しかも私とミツくんの仲が良かったことなど、一度たりともないのだ。自分のせいで私はあの美しい肌にありつけないでいる。
「え、お姉さんもしかして一人? 寂しくない? そこで一緒に飲もうよ」
 居酒屋を出たらナンパされた。おせえんだよ、バカ。一人でシコってろクソムシ野郎が。心の中で罵倒しながら、私は駅に急いだ。

 ミツくんの腕の先は、もしかしたらまだどこかに転がっているのではないか。あんな陶器のような腕は、本体から切り離されても腐ったりしないで線路脇に落ちているのではないか。少し欠けたりはしているかもしれないけれど。そんなふうに脳が映像を見せてくる。
 ホームの電光掲示板によると、次の電車が来るまであと十七分。本数の少なさを今日だけは|言祝《ことほ》ぎたい。
 私はスカートもストッキングも気にせず、さっとホームから線路に下りた。こちらを見た人は数人いたが、皆すぐに視線を逸らす。
 線路のホーム側には、何も落ちていない。歩きながらスマホのライトで向こう側を見てみると、白っぽいものが目に入った。酔っている自覚はある。転ばないようそろそろと近づき、身を屈めて手に取ったものは、切り口に汚れがついたつるつるの陶器の欠片だった。
「これ……!」
 よく見ると、真っ白ではなかった。アイボリーのような、日本人の肌に近い色。本当にミツくんの欠片かもしれない。だって、普通は線路脇にお皿やマグカップなんてないもの。
 良いものを拾ったとほくほくしながらホームに上がる。ストッキングが伝線したけれど、気にしない。そんなことより、この欠片が愛しくてたまらない。あとできれいに洗ってあげよう。
 触って、口に入れて、舐め回して、噛みついて、それからまた触る。考えるだけで目眩がする。

 電車は、きっかり時刻表どおりにやってきた。

© 2025 祐里 ( 2025年12月16日公開

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