メニュー

ココ、テラフォーム

合評会2025年7月応募作品、合評会優勝作品

こい瀬 伊音

こぼしたごはんつぶはお百姓さんの涙で、わたしの目から流れる水より大事にしないといけないらしい。
慎くんの美学にあわせてがんばってみても、みてもみても空しい。
ここじゃないどこか。ここじゃないどこか。そうは言ってもわたしはここで、生きるしかなくて。

タグ: #純文学 #合評会2025年7月

小説

2,376文字

感覚と映像とがきちんとリンクしているわたしの一番古い記憶は、ごはんつぶを洗うところ、だ。きっといつものようにみんなが外に遊びに出てもひとり部屋に残されて、減らない給食をつついていたとき。
「わざとでしょう。食べたくないからって床に落とすなんて、なんて子」
洗って食べなさいと、ようこ先生は命じた。
いつもきれいな先生は、セーラーマーズの戦ってるときみたいな顔をしていた。戦ってるとき。眉毛がつり上がって、声もおおきくて。それは、はっきりと、敵に向ける顔だ。凛としていてきれい。
一口分のごはんをてのひらにのせ水道で洗うと、ぱらぱらになって排水口へ流れていきそうになる。腕まくりをしなかったせいでスモックの袖口が濡れてくる。先生は黒くまっすぐな髪ごとわたしをつめたく見下ろして、わざとでしょうとくりかえす。
お米はお百姓さんの涙。大切にしないといけません。
でも、わざとじゃありません。
身の潔白を証明するために、わたしは水ごとぱらぱらのごはんつぶを口に入れた。洗ったお米を食べると、わたしの目から水がでた。お百姓さんという突然現れた昔の人の涙よりも、この情けなさは軽いらしかった。
信じてもらえない。うそつきは泥棒のはじまりというのなら、先生から見てわたしはもう泥棒なのだった。
先生は足の爪を真っ赤にしていた。塩素の匂いを嗅ぐといつも思い出す。日常的に見ていたはずの手にはひっかかりを覚えなかったから、母親と同じようになにもしていない爪だったのだろうと思う。プールの時間にだけ現れるなんだか暴力的な爪は、戦うマーズにふさわしかった。だけど、直視するのは十分にためらわれ、そう、それだから盗み見ていた。やっぱりわたしは泥棒なのかもしれなかった。

「おれは絶対にブランド米だな。家畜のエサなんか食べられたもんじゃないもん。ライもそうだろ」
「うーん。お値段的にがんばってもブレンド米、かな」
「騒ぎ過ぎなんだよ、よく考えたらたいした額じゃないじゃん。服より全然安いしさ」
……食費、入れてから言ってよ。もごもご咀嚼をしているせいで、タイミングを逃す。咀嚼の、せいで。
慎くんはスーパーで、値引きシールを貼られていないほうのパック寿司をわざわざ選ぶ。こっちのほうが絶対にいいと。新鮮だと。
「慎くんはいつもそう」
「そう、おれはいいものが好きなの。知ってるでしょ。おれ、悪くなったら選び続けないよ?」
上目づかい、にやり。もう見慣れたよ? それは可愛くてしかたがない、じゃなくて、明確にずるい顔。悪くなったら。鮮度が落ちたら。居心地が悪くなったら。飽きたら。選ぶ立場であることが自明の理なんだ。好きにつまんで歩こうなんて傲慢だよ。
これいらないや、と、箸でいくらの軍艦をつまんでわたしのほうへよこす。それはふたりの空間のまんなかで宙ぶらりんになり、箸で受け取れと言われているようだ。わたしがあわててパックの蓋で受け取ろうとすると、苛立ちを隠さない箸先がひらく。と、船はバランスを崩してしなった蓋から転覆し、ダイニングテーブルの角に当たって床に落ちた。ぼたり。海苔に巻かれてばらけはしないシャリとほんの少しこぼれるいくら。テーブルの下に潜って、一隻とその積載物を救出する。
わざとでしょう。こういうときはお百姓さんが泣いている。これは洗って食べなければいけない。ねえ先生ならそう言うでしょう。まっすぐな髪を針みたいにして見下ろして、あの調子のいい口にねじ込んで。情けないってことを思い知ればいい。
後片付けのあと、わたしは流しで軍艦を洗う。横にして側面から。少し傾けて底を。慎重に緩めた水流で積載された赤いいくらを。お百姓さんのかわりにわたしが泣いて、自分の口に詰め込む。水っぽくなったいくらはきれいな水で洗ったというのに生臭さを放った。ぷち、とはじける弾力はなく舌と上顎のちからに抗えない。ただの膜と、においとにわざわざ分離して、味の薄まったシャリと海藻だったころに戻った海苔がわたしの口を塞ぐ。
「なにしてんの」
言いたいことはかたちにならないけれど山ほどあった。山と積み上げられそうなものを、海に落としてかき混ぜる。言えないのは口がただ忙しいからだ。咀嚼、撹拌、咀嚼、撹拌。
うそつき。
泥棒。
わたしのつま先は赤だ。ジェルネイル見えするように、トップコートを丁寧に塗り重ねたもの。親指以外のちいさな爪はそれぞれ内向きで、自分の体の延長なのに今この時に所在なく感じる。強い、色、なのに。
「引くわ。おれそれ無理なんだけど」
うそつき。わたしだってもう無理だよ、どんなに泣いたって、向き合ってくれたこと一度もないじゃん。
「食い意地はってるどころか意地汚えってかまじ汚え」
泥棒。もっともらしい顔をして、煙に巻いて、後ろ手でほかの子の手だって握っている。口だけで丸め込んで、文字に起こしたらとてもじゃないけど論旨が通らないことを、雰囲気で圧で押し通してくる。
船一つは頬張ったらあまりに大きくて口が開かない。なにも言えないできた。いまだってどうせなにも言えないのだ。顎をフル回転させ滑稽な咀嚼をしているうちに慎くんは出ていった。これは地団駄じゃない。足踏みでもない。十本の指は床をしっかり踏みしめた。
テレビでは新しい農水大臣が、古古古米を食べている。コココ。わたしたちはにわとりで、三歩歩けば忘れてしまう。去年のやつはどこに隠した? 安く手に入るようにします。来週には店頭に並びます。本当にはこっちを見ない選挙対策だよね。コココ。ココ、結構。とりすましていて憎たらしい。パフォーマンスの裏でだいじなことが決まっていく。いつものことだよね。知ってたよ。知ってたけどね。
この前買ってあげたばかりの古着Tシャツ(五万円)も消えた。たぶんもう、帰ってこないのだろう。本当はわたしがほかの子だったのかもしれなかった。

 

© 2025 こい瀬 伊音 ( 2025年6月29日公開

これはの応募作品です。
他の作品ともどもレビューお願いします。

みんなの評価

4.2点(9件の評価)

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

  4
  3
  2
  0
  0
ログインするとレビュー感想をつけられるようになります。 ログインする

著者

「ココ、テラフォーム」をリストに追加

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 あなたのアンソロジーとして共有したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

"ココ、テラフォーム"へのコメント 15

  • 投稿者 | 2025-07-13 15:16

    むかしの小学校教師は教え子に無理強いさせて給食を食べさせていましたね。そしてそういう教師に限ってものすごく疑り深い。主人公にはまともな人と出会って人生を変えて欲しい……。

    • 投稿者 | 2025-07-27 18:29

      コメントありがとうございます。
      この主人公はなんというか何も言えないまま…対等に接してくれる、気持ちを話すのを待ってくれるひとと出会えることを夢見ながら、きっと出会えないままなんじゃないかな…なんて思ったりします。
      これを読んでくださった方は「ライ」にであったらぜひ、ゆっくりことばを待ってくれるといいなーと思います。

      著者
  • 投稿者 | 2025-07-22 13:14

    「セーラーマーズの戦ってるときみたいな顔」という比喩に惚れました。他にもいい感じの表現が多くて、もっと読みたい! となりました。
    ラストの「本当はわたしがほかの子だったのかもしれなかった」が容赦ないですね。慎くんとは共依存っぽいので、早く別れられるといいですね。

    • 投稿者 | 2025-07-27 19:27

      コメントありがとうございます。
      比喩は小説の華といいますので、華に惚れていただけてとっても嬉しいです。
      (わたしはHANAファンです♡)
      ダメ男はもとからだめな場合もありますが
      種さえ持ってさえいれば女性に育てられて花を咲かせちゃうタイプもいますよね。
      慎くんはどちらだろうかーなど考えても楽しいかもしれません。。。

      著者
  • 投稿者 | 2025-07-23 22:31

    イクラとペディキュアの赤、お米の白が効いていて素敵です♪

    • 投稿者 | 2025-07-28 08:02

      コメントありがとうございます。
      白いごはんをぜーんぜんおいしそうに描かなかったのですが…祐里さんのはほんとおいしそうでした…!

      著者
  • 投稿者 | 2025-07-25 23:45

    えーん。怖いよーってなりました。主人公の気持ちで。先生も槙くんも怖いです。なんでそんな怖いこと言うの?って主人公の言えない気持ちになりました。それが良い。読んで「ひゃー」ってなる小説が好きなので。この目を背けたくなる感じがたまらないですね。すごいです。

    • 投稿者 | 2025-07-28 11:38

      コメントありがとうございます。
      「ひゃー」ってなってくださって、すごいです、もうれしいです!
      なにも言えなくなる、なにも言えなくさせられる、なんかそういうことが日常茶飯事、の、日常的な米!っていう感じで書いてみました。

      著者
  • 投稿者 | 2025-07-26 10:37

    色々解釈できますが、慎くんの値引きシールが貼っていない寿司を選び、水で洗った軍艦を食べる彼女に暴言を吐く。新しいものを選ぶ男、古いものを新しいものに取り込み変わっていく政治。その渦の中にいる私の感情を表現されているのかな、と。

    • 投稿者 | 2025-07-28 11:56

      わ!むずかしい解釈を…ありがとうございます!
      ほんとうはこっちを見ない選挙対策
      →パフォーマンス(口先だけの好きとか愛してるとか)ばっかりで実のないかんじ、
      なのにいっそすすんで騙されたいような気持ちに(国民も「わたし」も)なってしまう
      慎くんが出ていってもテレビから
      妙に愛されてしまうそれをご本人もくまなく知り尽くしているクソ男(失礼!)が日常に染み出してくる…
      みたいなかんじ…ですかね…???

      著者
  • 投稿者 | 2025-07-26 15:54

    命令する側ではない、選ぶ側ではない、力を持つ側ではない、うまく立ち回る側でもない、心弱くて優しい人って、いつもこんな目に遭うんだよね、ってつぶやきました。

    言いたいことがあるのに咀嚼しているせいで言えない、その間に全てが過ぎ去って行く焦りと悲しみ、そして滑稽さ。心に響きました。

    叩いたら崩れ落ちそうな繊細で、でも強さもあって、こういう文章大好きです。

    • 投稿者 | 2025-07-28 16:46

      わーあ!嬉しいコメントありがとうございます。咀嚼ってごはんでもあるけど相手の言ったことでもあって、言葉を受け取ってもすぐに反応できないとそのまま進んでしまいがち…。
      よく噛んで噛み砕いていくうちにぜんぜんよくないんじゃないのかなと思うけど思ったときにはもうその会話が過ぎ去って、蒸し返すこともできなくて…みたいなことを表すのに、いっそのこと勇壮な軍艦を口に詰めてみました。悲しさだけじゃなく滑稽さをも汲み取ってもらえてうれしいです。

      著者
  • 投稿者 | 2025-07-27 01:08

    わたしと他者との絶対的にわかりえないものが先生にも慎くんにも(わたしにも)現れており、大変に感銘を受けました。
    セーラーマーズを引き合いにだしたのも良かったと思います。

    • 投稿者 | 2025-07-29 15:39

      コメントありがとうございます。
      絶対にわかりあえないものが
      少ないひとと生きていけたら幸せそうですよね。
      セーラーマーズ、のひとことで呼び起こせるイメージが共有できる世代だとより詳細に、もしほとんど知らない方が読んでもこんなイメージかな~と思えるように書けたのではないかな?と思っています。

      著者
  • 投稿者 | 2025-07-31 12:46

    題名のことを考えていました。ココは最初、古古かと思いましたが、最終的に「ここ(地球)を人が住める惑星にする」と解釈しました。すると主人公の感じる生きづらさに係ってくるので、よい題名かなと思いました。ぜんぜん違ったらすみません。

コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る