IV
最初の一枚。
特別な思い入れはないけれど、この一枚だけはときどき見ることがある。同じ頃、その一枚と前後して撮っている写真もあるけれど、その中のたったひとつが始まりだと私にはわかる。
いつ、なぜ撮ったのか。私は覚えていない。
ありふれた街の風景だ。
少し離れてはいるけれど、ときどき訪れる見慣れた街がそこには映っている。買い物か何かで出かけたときに撮ったのだろう。隅々まで見ても、写真に撮っておきたくなるような特別なものはない。何かを撮ろうとしたのだけれどチャンスを逃して撮り損ねたのかもしれない。ただ、失敗だったとしても、そこに私の意図が感じられない。撮るつもりがないのに間違ってシャッターボタンを押してしまったような景色だ。
本当にそうだったのかも知れない。
以前は写真を撮る習慣などなかった。
友達の中には、スマートフォンの大半をカメラとして使っているんじゃないかと思うような子もいる。それほどじゃないにしても、みんなよく写真を撮っている。スナップばかりじゃない。ちょっとしたメモみたいな使い方もしているし。それが同年代の女の子……男の子も?……の普通、なんだろう。私はそれをあまり好まない。スナップ写真に興味はない。思い出は頭の中にあればいい。忘れてしまうなら、その程度のことなのだ。簡単なメモならメモ帳にペンで記録した方が忘れないし。
おじいちゃんみたいなこと言うんだね。
ある友達にそう言われた。
ポイントは“おばあちゃん”じゃなくて“おじいちゃん”っていうところだからね。
そう、念を押された。
その違いが私にはよくわからないけど、つまりは年寄りめいていると言うことだよね。
簡単に言えばそうなんだけど、もうちょっと潤沢なニュアンスを感じてほしい、かな。
そう・・一応、心には留めておく。
彼女は少し不満そうな口元で、面白そうな目をしていた。
彼女が言うところの“潤沢なニュアンス”がどういうものかあえて確かめようとは思っていないけど、その指摘はよくわからない反面、私にとってわりと納得ゆくものだった。
最初の一枚を見ながら、彼女の“おじいちゃんみたい”という声を思い出したとき、写真の中の風景と、記憶の中の彼女の声が共振し、共鳴した。
その一枚を始まりに、膨大といっていい数の写真を撮っている。にも関わらず、日常の中でカメラを使う習慣は今でも全くない。
写真はあんまり好きじゃない。
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