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片羽を落とす (5/6)

片羽を落とす(第5話)

加藤那奈

そして。
私にはもうひとつ考えていることがあった。
私は私の秘密の日記に、彼女への提案を書く。
今後の提案だ。

タグ: #ファンタジー #散文 #純文学

小説

13,029文字

10 つまんなくないから

 

トーセーの部屋で見た夢は、本当に夢だったのかな。

まあ、夢なんだけど。

でも、もう半分の私と実際に対面していたような現実感が目覚めた後にも残っていた。

そして、月曜日。

私は、まだ眠りこけているトーセーを残して彼の部屋を出た。まだ早朝といってもいい時間、通勤通学の乗客がまだ少ない電車に乗る。車窓に街の風景が流れる。それほど遠くない場所に高層ビルが並び、幅の広い街道に自動車が走る。人の生活が次第にはじまってゆく時間だ。でも、ガラスの向こうの景色はどこかよそよそしく、夢の中で出会った私の生々しさよりも平べったく、私はまた夢に舞い戻ってしまったのではないかと疑ってしまう。車窓からの眺めばかりではない。駅を降りて歩く道すがら、見慣れたはずの家並みが書き割りのように薄っぺらく感じた。

自分の部屋に戻ってシャワーを浴びた。

空腹だったのに、食欲がないわけではなかったのに、冷蔵庫に保存してあった小さなヨーグルトのカップをひとつ流し込むように食べただけで満足してしまった。

テレビで天気予報を見る。

今日は気温が高くなりそうだ。

去年買ったんだけど、少し子供っぽいかなと思って二、三度袖を通してクリーニングに出したきり、クローゼットの隅にずっと掛けっぱなしになっていた半袖のワンピースを引っぱり出した。白地に小花柄プリントの少女趣味で、鏡に映してみると、ちょっと照れくさくなった。でも、なんだかいい感じだ。クリーム色のカーディガンを合わせてみた。白いショートソックスと白いサンダルを選んだ。

袖を通し、ボタンを留める。爪先をソックスに収め、サンダルのスナップをカチッと留める。そんなひとつひとつがどこか儀式めいていた。

私はうすうす気がついている。

私は、私たちは夕べの夢の中で私たちの行く先を見つけたのだと思う。ただ、まだ足りないものがある。決意とか、覚悟とか、勇気とか、諦念とか、あるいは懺悔とか、悔恨とか、苦悩とか、恍惚とか……たぶんその全てを混ぜ合わせたミックスジュースみたいな意志や意識がまだまだ足りない。望ましいとも望ましくないとも判断しがたい行く先なのだ。だから、あたかも何も考えていないかのような曖昧な態度を敢えて保つため。取るに足りないいひとつひとつの小さな仕草や僅かな動作を紛い物の儀式にして誤魔化している。

「どこかのお嬢さまみたいな格好してるね、今日は。純真無垢って感じだよ。熱出して、どうかしちゃった?」

学バスで一緒になったマユコが冷やかし半分で私を眺める。

もう大丈夫なの?

うん、ただの風邪。

「この格好、そんなにヘンかな。やっばり可愛らしすぎるよね、私には」

「ううん。むしろ嵌まりすぎ。高熱だったんでしょ。熱で灼かれて毒が抜けた?」

「毒ってなによ。私に毒なんてなかったでしょう」

「本気で言ってる?」

うん。

まあ、一般論を言えばね、誰でも多少の毒は持ってるものよ。それが人ってもんじゃないかな。

何処の一般論なの、それ。

確かに、ヨシエの毒はあんまり派手じゃないよ。噛み付かれてイチコロみたいな、蝮とかコブラとかハブとかみたいな毒蛇的な攻撃的で激しいのじゃないね。でも、けっこう濃いやつを隠してたように思ったんだけど。まあ、私の直感でしかないけどね。でも、トリカブトみたいにさ、見てるぶんには綺麗な花を咲かせるだけの草花なんだけど、なめてかかって生で食べちゃうと死んじゃう、みたいな? 上手に使えば薬にもなるけど、うっかり飲んじゃうとたいへんなことになる。そんなのを密かに抱え込んでる子だなって思ってたんだけどね。ま、私の勝手な妄想よ。それに、今日のヨシエにはそんな危なっかしさを全然感じないな。あ、寝込んでて体力落ちてるから?

「ま、顔色はいいから安心したよ。これでも心配してたんだからね」

うん、ありがと。

その日、友達に会う度似たようなことを言われた。

毒、なんて喩えをしたのはマユコだけだったけど、今日は、なんだかすっきりした感じだね、とか、ちょっと力が抜けたみたいだよ、とか、悩みごとが一気に解決して気が緩んだみたいな顔してる、とか。

そんな印象の主な原因のすべては、小花柄のワンピースにあるんだと思うけれど、そんなのを引っ張り出して着よう思ったのは私自身だ。舞い上がるように散らばった白や黄色やピンクの花が私の気持ちを象徴してるみたいだ。約十ヶ月。私と私が記憶を交互にスキップしていることなど誰にも悟られぬようにしてきた。無自覚ではあっても気持ちが張り詰めていたに違いない。それが熱に砕けて散り散りになる。

マユコの指摘はあながち外れてない。

確かに私の中で変化が起きた。変化は、起きた。まだ、よくわからないけれど、起きた。

みんなも私が纏う空気の違いをなんとはなしに嗅ぎ取っていたのだろう。もっともすべては病み上がりを言い訳にして、間もなく、私は普段通りの世界に取り込まれていった。

今まで通りの日常を、私はとても心地良く感じていた。これまでと何ひとつ違わないはずなのに、何もかもが新鮮で優しく感じた。

ひとつ違和感があったのは、みんなが久しぶり、とか二週間ぶりだね、とか先週私の姿を見かけなかったことを話題にする。ただ、私としてはほとんど通常通りなのだ。私の前の記憶は二週間前で、スキップしている私の感覚では先週と同じ。むしろ誰かを一週間見ていなくても気がつかない。私はあらためて自分自身の時間がみんなとは違うことを意識した。

私は、この世界からほんの少しはぐれている。

だからといって、それをもう不快だとは思わない。不安だとも思わない。

むしろ、それを実感することで安堵さえ覚えた。

慣れちゃった、んだね。

とりあえずは、ズレてしまった二日を一日にすることが私に課せられたミッションだ。

トーセーが、今度の徹夜にも付き合うよって言ってくれたけど、これは私の問題だからって断った――その代わり、金曜日の夜は一緒に過ごして欲しい。そして、土曜の朝に目覚めるリョーシーの傍にいて欲しい。彼女は熱にうなされながら眠ったところなの。きっとそのあとどうなったのか気になってると思うから教えてあげて。私もメッセージは残しておくけど、トーセーからもいろいろ話してあげて欲しい。

OK、リョーシー。

でも……ちょっと、きついな……。

八日に対して、七回の睡眠なんて十一月以来だ。

私たちの交代が七日ではなく七回眠ることだと分かってからも、レポートや課題などで徹夜したこともある。でも、七日で七回眠るようにはしていた。もともと徹夜なんて得意じゃないから、次の日のお昼に眠ったりで、生活のリズムが一時的に不規則になることはあっても、七日で七回の睡眠は特に意識せずとも自然に確保できていた。

十一月にズレた曜日を修正した貫徹では、トーセーが付き合ってくれたからできたように思う。けっこう辛かったことを思い出す。トーセーが私を眠らないようにしてくれてた。ひとりだったら耐えきれずに寝ちゃったかも。今回は、トーセーの申し出を断ったけど……やっぱりひとりじゃ無理かな……すごく不安だった。

一回失敗しても今週中になんとかすればいいし、今週うまくいかなくても修正が先送りになるだけで、困ることなんてあんまりない。来週の私だってその程度のことは想定していると思うから問題はないのだけれど、できることならスケジュール通りに進めて元の慣れた生活リズムを早く取り戻したい。

ここは助っ人を頼むのが最善策、かな。
――もしもし、アキちゃん?
――アキちゃんだよ。どうしたのヨシエ。あれから体の調子は大丈夫。
――うん、大丈夫。もう、元気だよ。それでね、先週の今週で頼みづらいんだけど、もうひとつだけお願いがあるの。
――なに? またヨシエのところに行けばいいの?
――ううん、二週間のうちに三回も来てもらうなんて悪いから、今度は私が会いに行こうと思う。
――そう。で、私は何をお願いされるのかな?
――たいしたことじゃないんだけどね……。

私は計画を話した。ズレてしまった交代のタイミングを修正するために、木曜日夜、私は徹夜する。その時、私が眠らないように見張っていて欲しい。
――つまり、ヨシエの徹夜に付き合え、ってことね。
――そういうことに、なる……ね。

アキちゃんは電話の向こうで、ちょっと考えている様子だった。
――無理なら断っていいよ。

無理じゃないけど、私でいいの?

え?

トーセーくんは?

トーセーには別のお願いをしていることを打ち明けた。
――むふふ……。

アキちゃんは不気味な声で笑う。

つまり、金曜の夜は、お楽しみってことね。

いや、そうじゃなくって……。

その日はトーセーくんちに泊まるの? それともヨシエの部屋?

まだ決めてない。
――じゃあ、こうしなさい。

アキちゃんはこんな提案をした。

私がヨシエの部屋をまた訪ねるよ。それで、金曜の夜はあなた、トーセーくんちに泊まりなさい。昼間も私がずっと一緒にいて、ヨシエがうっかり眠ってしまわないように見張っていることにする。それで夕方、トーセーくんに受け渡して監視完了ね。そのかわり、私、金曜の夜はヨシエの部屋に泊まるから。私も徹夜に付き合うんだから、ゆっくり寝させてもらうわ。ひとり寂しく、だけど。あなたたちがいちゃいちゃしてるの想像しながら悶々と眠ることにする。

何、それ……。

それで、土曜の夜は帰ってらっしゃい。私と晩ご飯食べましょう。そのときのヨシエはもう一方のヨシエなんだよね。せっかくだから、もう一回そっちのヨシエとも話したいな。この前泊まったときに話したばっかりだけど、私もヨシエがどんな生活してるか具体的にわかってきたから、もうちょっとあなたのこと理解してみようかな、なんて思うんだけど、どう。それで私、土曜もそのまま泊まって日曜に帰る。

アキちゃん、なんか面白がってる?

面白半分、だね。あとの半分は心配、だよ。
――トーセーに聞いてみないといけないけど、たぶん、オーケー。私も、来週の私も、そうしてくれた方が嬉しいかも。
――でしょ。
――でも、木曜にこっちに来るってことは金曜日、学校休ませちゃうことになるね。私は最初からサボるつもりでいるから大丈夫だけど……。

徹夜明けで講義なんて受けたらそれこそ熟睡してしまいそうだ。かといって、家にいても眠ってしまいそうだから、どこかでかけて眠気を紛らわせなきゃと思っていた。
――私も大丈夫だよ。学校の方は一日くらい休んだってかまわないし、家にはヨシエの具合が思わしくないってことにしておけばいいわ。
――つまんないことに巻き込んでごめんね。
――つまんなくないから。面白半分、だから。

だから気にしなくていいとアキちゃんが電話の向こうで笑っていた。

翌日から、私は木曜の徹夜に向けて準備をする。

決行の夜まではちゃんと眠っておきたい。だから、ドラッグストアで睡眠改善薬なる処方のいらない弱い睡眠薬を買ってきて、火曜水曜の夜はできるだけぐっすり眠ることにした。寝だめなんてできないんだから気休めかなと思ったけど、とにかく確実に眠るためだ。

ひとりSNSには、私が目覚めた金曜日以降の行動を書き込んで、徹夜の計画と、土曜の夜にはアキちゃんとの約束も連絡しておく。こへんの経緯は次の私が目覚めたときにトーセーからも説明してもらおう。それから、きっと来週もどこかで徹夜をするだろうから、最後に睡眠改善薬の効き目なんかも書いておいた――まあ、悪くないよ。

そして。

私にはもうひとつ考えていることがあった。

私は私の秘密の日記に、彼女への提案を書く。

今後の提案だ。

もし、私の想像に間違いが無ければ、それを覗き見した彼女は彼女の日記にその提案に対するなにかしらの答えを書くだろう。SNSの相槌のようなコメントではなく、もっと積極的に互いの意志を共有するため、私は私と秘密の対話を始めるのだ。それぞれのノートが私と私の仮初めの肉体だ。もっとも一週間おきの交換日記のようなものだから、見た目は遅々とした対話だけれど、きっと少ない数の言葉で私たちは意志を確かめ合うことができる。ううん、たぶん確認なんていうまどろっこしい手続きは端から無用だろう。だから、本当は必要の無いことかもしれない。だが、これも私と彼女をひとつにする儀式なのだ。

もちろん私の楽観が裏切られる可能性がないわけではない。

その時は、また考え直せばいい。

考え直せば、それでいい。

ノートを前にしていざ自分の考えを書こうとすると筆が止まる。

書きたいことはたくさんあるけれど、そのほとんどが今更自分自身に語ることでもないように思う。だって、それを読むのは私自身なのだ。言わずと知れたことが五万とある。もっと簡単に、簡潔に……書き出しては消し、また書いては消し、とページがだんだんくたくたによれてゆく。

結局、たった一言書くために、二晩を費やしてしまった。

そして木曜日の夜になる。

私は大学から帰って、徹夜をする準備を始めた。

コーヒーをたっぷり入れた。

紅茶や緑茶もいろいろ用意してみた。

ご飯はあまりお腹が満たされてしまうと眠くなってしまうので、ビスケットだとか、栄養補助食品などを各種取りそろえてみた。

目的はなんであれ、こういう準備は楽しい。

夜六時過ぎ、アキちゃんからあと十分くらいで駅に到着のメッセージが入ったので迎えに行った。改札口の前でしばらく待っていると、帰宅してゆくサラリーマンやOLに混じって少し大きめのキャリーバッグをがらがらと転がしているアキちゃんの姿を見つけた。私が手を振る。

「なんだかしょっちゅう会ってるねぇ」

そうだね。

「一応確認ね。今のヨシエは先週、私の看病で熱をさまして病み上がりにうどんをがつがつ食べてたヨシエだよね」

なんだか、言い方が気にくわないけど……そうだよ。

「それにしても大きな荷物だね」

「だって、今回は三泊四日だよ。あ、一晩眠らないから二泊四日? ちょっとした旅行気分だよ。それに完徹用の装備もあるしね」

装備?

コンビニの前にさしかかったとき、ちょっと待っててとアキちゃんが中に入った。私も後に続くと、彼女は栄養ドリンクの並んだ棚の前で品定めをしている。

「ヨシエ、こういうの飲んだことある?」

「ううん、ない」

「いろいろ友達に聞いてみたんだよね、徹夜するときの対策。虫刺され用のすうっとする塗り薬を瞼に塗ると良いとか――それはうちにあったやつ、持ってきた――この手の栄養ドリンクが案外いけるとか。値段の高い奴ほど効くって言ってたな……へえ、けっこう高いんだね」

そう言いながら、値段の一番高いのを二本手に取った。それから清涼飲料水の冷蔵庫からいかにも危なそうなパッケージの缶飲料を二本。

「まあ、せっかくの機会だからいろいろ試しましょ」

楽しそうだね、アキちゃん。

「だって、中学一年以来の付き合いで、親友とも言うべきヨシエと一晩共にするんだよ、これから。そりゃウキウキもするでしょう。しかも、今夜は寝かさないよ、だからね」

アキちゃんのバッグの中には遊び道具がたくさん入っていた。ゲーム機数台、ボードゲームいろいろ、カードもいろいろ……装備、ね。

「最近、こういうゲームであんまり遊ばなくなったなって思ったらつい、ね」

だから、かな。案外楽しい徹夜になった。

学校の話し、アキちゃんのこれまでの恋愛の話し、この前につづいて将来のことだとか、夢、妄想……。数日前に一日中話したばかりなのに話題は尽きなかった。ゲームをしたり、用意した食べ物や飲み物を口にしつつ、あっという間に夜が過ぎていった。

「でも、本当に辛いのは翌日の昼間だよね。次の日のお昼くらいにすごく眠くなっちゃうからね」

その晩、アキちゃんが私にひとつの提案をした。

「ヨシエとヨシエ、メッセージを書いてやり取りしてるみたいだけど、自分の動画を残したことはないの?」

ああ、自分の動画か……ない。考えもしなかった。

「じゃあさ、来週のヨシエに動画でメッセージ残してみない? どうせ今日明日は、こんなんだからゆっくりメッセージを書いてる余裕もないでしょ。今夜の様子を時々動画にとって、来週のヨシエに語りかけてみるってのは、どう?」

なんだから気恥ずかしいな。

正直に言うけど、そういう恥ずかしがるヨシエの姿を残したい。

なにそれ……。

私の同意を取り付けることもなく、アキちゃんは私にスマホのカメラを向けた。徹夜の様子を撮影しながら、ときどきレンズを私に向ける。
――今週のヨシエさん、来週のヨシエさんにひと言!

え、あ、うん。えっと私です、りょ、リョーシー、元気ぃ……?

アキちゃんがケラケラ笑っていた。

© 2025 加藤那奈 ( 2025年4月13日公開

作品集『片羽を落とす』第5話 (全6話)

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