06
あなたは私を描きながら、いったい誰を見ているの?
だいたいなんで私を描くの?
もしかしたら、あなたはそれが私の貌だと知らずに描いているんじゃないかしら。ありそうなことね。
それは私にとってもよく似ている。だけれど、やっぱりどこか違う。出来上がった肖像は、結局誰のものでもない、上辺をなぞっただけのただの貌なの。見当違いが滲み出ている。所詮絵なんてそんなものでしかないんだから、仕方のないことだけどね。
これまであなたは、ずっと私の影を追いかけてきた。猟犬のような嗅覚で私の跡を追ってきた。きっとこれからもそうするんでしょう。まるで偏執的なストーカーみたいだよ。でもね、別に私は逃げない。これまでも、これからも逃げない。だから追い詰められる。あなたは気がついていないみたいだけど、すぐ目の前にあなたが迫ってきたこともあるんだよ。本当に捕まえられちゃうのかってドキドキしたことも一度や二度ではないのよ。何度も、何度も。
もしかしたら私、あなたに捕まえられることをちょっと期待していたのかも、なんて。
でも、あなたは決して私を捕まえられないの、残念だけど。
それどころかね、あなたには私を見つけることさえできないの。
どんなに目前に迫っていても、あなたに私の姿は見えていない。
きっと遠巻きに私らしきを見つけてぼんやりした影くらいはその目に映っていたかもしれないわね。でもね、匂いをたどって近づけば近づくほど私の気配を見失う。私は周りの景色の紛れてしまう。透明人間みたいに消えちゃうの。自慢の嗅覚をいっそう研ぎ澄ませれば残り香くらいは感じられたかもしれないけれど、それは遠くに眺めた小さな影よりも曖昧だからあなたはそれ以上私を追跡できなくなる。
ホントはすぐ目の前にいたんだけどね。
私を見失ったあなたは、淡い気配を感じるだけで私がすぐ隣にいても気がつかない。気づくことができないの。
「私のこと、好きですか?」
「うん、大好きだよ」
「私のこと、愛してますか?」
「うん、愛しているよ」
私はいつもあなたたちの傍で、こんな会話を聞いていた。そうして、あなたは彼女の肩を抱く。抱き寄せる。そのたび私は彼女の鼓動を感じていた。私にはあなたの気持ちも考えていることも全然わからないし、別に知りたくもないけど、あなたが私を感じていることはわかってしまうの。あなたの胸に抱きかかえられて昂ぶる彼女の心臓の音を、ドク、ドク、ドクと、それがあたかも自分の鼓動であるかのように私がひとつひとつ数えているとき、あなたは彼女の震えるその身体を通じて私を感じていたのかもしれない。あなたと彼女の唇が合わさると、まるで私の唇を奪われたような気分になった。それはね、私にとってあんまり気持ちよくないことだった。私はね、あなたが彼女の身体に触れるのをあんまり快く思っていなかった。
だからといってあなたを嫌っていたわけじゃないから、安心してね。
そういうものなの。
それが私の自然な反応なのよ。
彼女自身はどうかといえば、端から私のことなんて眼中にない。私の存在に対してはあなたよりも無知で無関心だった。たぶんね、あまりに近くにいるからわからないの。彼女と私はほとんど重なるくらい身近なの。ずっとずっと昔から。でも、彼女はそれを知らない。鏡を覗けば私の薄らとした姿くらいは見えていたはずなのに、たぶん、それは自分自身の姿と区別がつかない。でもね、そのうち私は彼女の中から消えてしまう。消えてしばらくしてから、やっと気がつくの。ただ何かが変わったって漠然と気がつくの。
あなたは彼女の身体を愛撫する。
とっても優しく愛撫する。
彼女は身体を強張らせる。
ねえ。その瞬間、あなたは何を求めているの?
彼女の肉体、愛情、自らの欲望を満たす対象?
あなたにはね、魅力があるのよ。
知っていた?
若い頃は見かけもまあまあ悪くなかった。今は酷いってことじゃないから気を悪くしないでよね。でも、あんまり調子に乗らないように。若さが少しばかり上方修正していたことも忘れちゃいけないの。これはあなたに限ったことじゃない。女だろうと男だろうと、歳の若さはそれだけでひとつのフェロモンだからね。あなたにしてみれば、子供みたいな私が知った風な口を利くのは可笑しく思うかも知れないけれど、だって、そんなの誰でも知ってることでしょう。口にするのも憚るくらいにありきたりなことじゃない。だけどね、それは私の実感でもあるの。ただの陳腐なレトリックじゃない。
あなたはね、そんな若さの割増分を差し引いてもね――一部の人に対しては、って注釈入れた方が適切かも知れないけれど――ひときわ魅力的だったと思う。私がそう感じたのだから間違いないわ。だって変わっていたもの。変人だからね。変人は普通の人たちからはたいてい嫌われるけど、一握りの相手にはとっても魅力的に映るのよ。あなたが自ら身を置いた環境には、その一握りの割合がちょっと多めだったしね。だから何人もの女の子たちが惹きつけられていた。磁石みたいなものよね。それも、強力な、一方的に強力な。あなたはそのうちの何人かと親しくなって、さらにそのうちの何人かとはとても親密な関係になった。
私は彼女たちに紛れていた。
私もあなたに惹かれていたの。
あれっ……違うのかな。
私があなたに惹かれてたのかな。
だから、彼女たちもあなたに惹かれた?
もしかすると彼女たちは私にシンパシーを感じていただけなのかもしれないわね。私がセンサーみたいにあなたの磁力を感知して、それが彼女たちの感情に影響を与えていたのかもしれない。でも、結局のところ、私と彼女や彼女たちは一心同体みたいなものだから、どっちがどっちってわけじゃない。どっちもどっち。むしろ具体的なあなたの魅力は彼女たちのほうが知っていた……えっと、眼が可愛いとか、情熱的だとか、個性的だとか、ぶっきらぼうだけど本当は優しいだとか。そんなの私にはよくわからないし、それがなんでいいのかなんてまるでわからない。私はあなたのフェロモンだとか磁力だとかをただ感じ取っただけ。その上、あなたのことが好きとか愛しているとか、彼女たちが頬を赤らめながら口にする言葉はさっぱり理解できないの。
私はあなたが好きです……恋愛的な意味で。
私はあなたを愛しています……恋愛的な意味で。
残念だけど、私にとってはちんぷんかんぷん。
そういうのは私の持っている感情とはちょっと違う。私に恋慕は理解できないみたい。もっと単純な愛情ならわかるんだけどね……母親が愛おしいとか、子供が可愛いとか、ネコが好きとか。でも、それは異性に対する愛とか恋とは質が違うでしょう。もしかするとあなたはそんなの同じだというかもしれない。彼女も同じだというかもしれない。でも、私にとっては同じじゃない。なぜなら私には片方は理解できるけど、もう片方は理解できないから。私にはね、恋愛なんて永遠に未知なのよ。私にはそれを理解する意識や価値観が決定的に欠けている。でも、だからこそ、私は私、なんだけど。たぶん、想像力が足りないのよね。恋慕なんてフィクションみたいなものだから、もっともっと想像力が必要なんじゃないのかな。たぶん。きっと。
彼女には……彼女たちにはあったんだろうね。そんな曖昧な妄想みたいなものを現実の物語として紡ぐ力みたいなものが。
でも、私はそれを共有できない。
そういう理、なんだ。
あなたが彼女に近づくほど、私と彼女の絆が損なわれる。
彼女があなたの愛撫に体を硬くしているうちはまだいい。
あなたの指先が彼女の理性をじわりじわりと蕩かして、その肉体を解放する。
次第に私は彼女を感じられなくなる。
もう一度問う。
何度でも問う。
その時、あなたは何を求めていたの?
愛しているよと彼女に囁きながら耳元に吹きかける吐息に、私は居所をなくしてゆく。彼女があなたにその身を委ねることは、彼女と私との間に修復不可能な亀裂を生み出す。私はちょっと切ない気持ちになるけど、それは今に始まったことじゃない。これまでも、きっとこれからも、いつまでもいつまでも、同じことが繰り返される。繰り返される。
でもね、あなたは私を求めていたんじゃないの?
彼女じゃなくて、彼女たちじゃなくて、その向こう側にいる私を追いかけていたんじゃないのかな。
あなたは私に触れようとして、だからこそ、私を遠ざけてしまう。
たぶんね、あなたはそれに未だ気がついていない。
あなたが私と直接出会うことなど、永遠にあり得ない。でもね、私たちの眼差しがもつれ合うように交錯したことは幾度もある。あなたはね、彼女の瞳を見つめているようで見つめていない。焦点がちょっとズレてる。そしてね、そのちょっとズレたあたりに私がいたの。私の瞳があなたの所作をつぶさに観察していたの。きっとあなたは何かを感じていたのね。だって、芸術家だもんね。きっと見えないものを見ちゃうんでしょ。もっとも私に気がついたとしても、私は存在そのものがとても希薄で、幽霊よりも曖昧で、実体どころか虚像すらない。なのにあなたは私を見つめていた。彼女じゃなくて私を見ていた。偶然だと思っていたけど、同じことが何度もあれば偶然ではない。きっとあなたは私がどこかにいることをきっと信じていたのね。だからこそ、あなたは私に実体めいた幻影を与えたの。私はあなたの信仰にも似た眼差しの強さに対して相応しい程度に応えていたのかも知れない。だからといってあなたが私の姿を見ていたことにはならない。私ですらぼんやり霞んだ私の姿があなたの瞳に映ることは決してない。ただ、焦点を少し外した彼女の貌をあなたは何となく見ていただけなの。そして、どこか心ここにあらずのあなたの態度は、彼女を、彼女たちをちょっと不安にさせながら、でも、計り知れない魅力となって彼女を、彼女たちをいっそう惹きつけてしまう。
彼女はね、あなたに一生懸命近づこうとする。精神的にも、そして肉体的にも。
あなたはね、彼女たちにちゃんと応えるべきだった。
私のことなんて、放っておかなければいけなかったの。
それが大人の対応というものじゃない?
まあ、私にはよくわからないけどね。
それに、そんなあなたの未熟さが、彼女たちには具体的な魅力となっていたのかも知れないけどね。彼女たちの感情を直に揺り動かしていたのかもしれない、けどね。
あなたは彼女を抱くの。
裸の彼女を抱きしめる。
あなたたちは、とうとうひとつになって、私はその場から追い出されてしまう。
居場所をなくした私は、たぶん、全てを失ってしまう。
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