VI
わたしは紅茶を飲み干すと、立ち上がり、彼女の手をとって走り出す。彼女は嬉しそうに私の手をぎゅっと握りついてくる。
さっきまで、もっと違うことを考えていたのに、論理など最初から破綻しているこの世界で、ことの後先など意味がない。わたしも彼女も思い切り走っているのに、件の音楽と人々のざわめきは遠離る気配はない。それも致し方ないことなのだけど、なんだかとっても不安な気持ちになる。どうもわたしは逃げているらしい。
わたしは自動車を運転していた。
彼女がナビケーションシートで笑顔を見せる。
どうして彼女は笑っているのだろう。わたしは彼女のためにハンドルを握っているというのに……少し腹立たしい気持ちになる。
ごめんね。
うん、いいよ。
お互いの言葉に心はこもっていない。
ハイウェイを猛スピードで走る。広い海。河口にかかる大きな吊り橋。起伏の多いアスファルトの道。夜中なのか昼間なのかわからない時間に他の自動車は見当たらない。低く震えるエンジンの音に、カーステレオから流れる音楽が混じっている。それは街で聞いたのと同じ曲だ。
彼とはどうなの?
彼女の質問を少し鬱陶しく感じる。
彼って?
えりゅらろ。
ああ……それも初めて聞く名前だけれど、その顔はすぐに思い浮かぶ。どうもわたしの恋人らしい。
わたしはどう返事をしていいものかよくわからずに、彼女の顔を横目で見る。私の答えを黙って待つ彼女の目は笑っていた。無性に苛々する。ハンドルを握る手に力がこもる。アクセルを思い切り踏みつけるとエンジンは不愉快な音を高鳴らせ、車体がガタガタ震えはじめる。アナログ式のスピードメーターが振り切れている。それでも車窓からの景色は穏やかで、吊り橋はなかなか近づいてこない。ずっと同じ場所を走っているようだけれども、それより騒音に混ざりながらもはっきり聞こえる音楽が気に障る。
彼女は話し続けている。わたしは、うん、うんと頷きながら聞き流している。この子の話はとりとめもない。甲高い声、不愉快な笑い声。私は我慢しながら聞き流す。ハンドルを握る手が汗ばんでいる。
ああ、そうだ。この子いったい誰だろう。
わたしは、あまりに素朴な疑問を忘れていたことに苦笑する。
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