II
“少女”について考えてみる。
それはなかなか興味深い主題ではないだろうか。
少女を論ずることなど目新しくもない。むしろ論ずる者の少しばかりいかがわしささえ漂う趣味がうかがえる手垢にまみれたテーマでもある。
だが、過去の多くは男性の視点による少女が論じられているばかりではないだろうか。男性の少女に対する視線と、女性の少女に対する視点は違うはずだ。女性は自ら“少女”であった過去がある。
このアシンメトリは、この国のサブカルチャーの様相からも推測できる。
この国のコミックやアニメーションなどに少女を主人公にした作品も多い。低年齢層、つまり子供向けの作品では同性の主人公が好まれるようだ。だが、子供向けとは言いがたい(いわゆる“大きなお友達”に向けられた?)作品の場合は、必ずしも同性の主人公が好まれるわけではない。むしろ異性への嗜好が強くなるように感ずる。具体的なデータがある訳ではないので、個人的な印象に過ぎないのだが、異性への嗜好は男性において特に顕著ではないだろうか。
同性キャラクターへの嗜好は憧憬や共感がその背景にあると思われるのに対し、異性キャラクターへの嗜好には多少なりとも性的なニュアンスを感じる。肉体的な男女差が顕著になる思春期を迎えるころにはエロティシズムと結びつくのも自然な成り行きだ。
この国の近代に「少女小説」という分野が生まれた。一世紀以上も前に出版された少女向け雑誌に掲載された小説が起源と言われるが、前世紀、とある女流作家の作品が人気となって少女小説のその後を位置づけたようだ。そこには“少女同士の友愛”が描かれている。その友愛は、時に恋愛感情に近い。この関係性は、後の少女漫画や年若い女性に向けた小説の中で今日にも受け継がれているようだ。決してエロティックな描写があるわけではない。だが少女たちは女性同士の同性愛にも繋がりそうな感情を受け入れるのに躊躇いはない。やや横道に反れるのだが、一部の女性の間では異性の同性愛、つまり男性同士の同性愛を描く物語も創作され、愛読される。男性よりも女性の方が同性の恋愛に対して寛容ではないかと思われる。
少女小説に対する形での少年小説という分野はない。“少年向け”は“子供向け”と置き換えられる。少年同士の恋愛感情に近い物語もあるにはあるが、少女小説が少女を読者としているように少年や男性の読者としているわけではない。女性同士の恋愛に興味を持つ男性もいるが、女性における男性の同性愛のように創作的な分野を確立してはいない。
男女におけるジェンダーに対するアシンメトリな感性は、当然“少女”というモチーフについても異なった見方が生じるはずだ。そして、両者の見解は共有できない。言葉を積み重ねれば、言語的な理解は可能だろう。だが、私たちがジェンダーを有している限り、絶対に共有できないし、共感もできない。
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