XIV
ナボコフの『ロリータ』でハンバート・ハンバートは魅惑的な9歳から14歳、つまり思春期の前期に相当する少女を「ニンフェット」と呼ぶ。ただし、ここにはもう一つの用件がある。ニンフェットの力……妖精のような魅力は10歳よりも年の差が大きい男性に対して効力を発揮する。必ずしも性的な欲求を刺激するというわけではないが、幼い女性に対する男性のまなざしによって成立している。
少女を主体的には語らぬ純粋客体だからこそエロティックであり、それ故コレクションの対象となり得ると論ずる澁澤龍彦は、女性が積極的に主張する時代に“男達の反時代的な夢”として古典的な少女のイメージを追い求めると語る。
当の少女たちはどうなのだろう。
性体験のないこと、処女であることに着目するのはいかにも男性目線のように思われるが、この国の近代において純潔に価値を見出したのは少女たちだといわれている。近代化の初期、少女に向けた雑誌には彼女たち自らの筆になる純潔を重んずる意見の投書が見られるそうだ。だが、これは本当に少女たち自らの内から出た言葉なのだろうか。この国の近代化は生活や文化の西欧化でもある。キリスト教的な価値観や思想も人々に影響を与えたことだろう。教育においてもミッション系の女学校が各地に創設される。キリスト教の貞操観念はとても強い。処女であることには特別な価値がある。キリスト教は必ずしも男女平等を説いているわけではない。むしろ男性的な価値観を随所に見ることができる。もし少女たちの純潔に対する価値がキリスト教的な思想を背景に強化されたのだとすれば、やはりそれは男性的な視点によるものと見做される。
こうした男性目線を背景にした少女像は、さまざまな女性像のひとつに過ぎない。
チャールズ・ドジソン/ルイス・キャロルの少女への嗜好もよく知られている。彼は少女をカメラで撮影した。ヌードでの撮影が物議をかもしたこともあり、よく知られている。彼の写真に撮り集める行為は、渋澤が言うところの標本として少女をガラスケースに閉じ込めることに近い。これだけでは犯罪にも近い彼の異常性愛を想起してしまうが、彼にとって少女は触れることのできない神聖な対象だったとも言われる。アリスを生み出し、ラファエル前派とも交流があり、芸術に対する造詣も深かった彼の感覚は少しばかり興味をそそる。男性の性を背景にした視線とは異質なものを感じるのだがどうだろう。
ルイス・キャロルが創作したアリスの物語は、もともと10歳の少女に即興で語ったお話が元だと言われる。アリスというキャラクターは同じ年頃の少女に向けられている。ナボコフによるハンバート・ハンバートの目に映るロリータ/ドロレスやアナベルとは全く異質の少女だ。アリスには少女が共感する“少女”の姿がある。
男性の価値観を一切払拭した少女像は、同性の、しかも同類のまなざしに宿るのではないだろうか。少女が少女に向ける視線が純粋な“少女”の姿を浮かび上がらせるはずだ。そのひとつの造形がアリスなのかもしれない。
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