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私を着る

REFLECTION(第3話)

加藤那奈

制服を着る/私を着る
制服を脱ぐ/私を脱ぐ
誰かが誰かに恋をしている。
(2025年)

タグ: #ファンタジー #散文 #純文学

小説

20,382文字

VI

 

僕はある女性に・・いや、女の子に恋している。たぶん、だけど。

たぶん、なんて頼りないのは、もちろん確信が持てないからだ。

何だか初心なことを言っている思春期男子の初恋談義のような気がしないでもないが、もはやそんな歳でもない。女性に恋愛感情を抱くのはこれまで幾度もあったし、交際した相手も何人かいる。関係がどこまで進んだかはそれぞれだけれど。だから、初恋などとはほど遠い。だが、初恋という響きには、ちょっと気持ちを揺さぶられるものがある。

お前の初恋はいつだったんだ、と問われると、僕は言葉をつまらせてしまう。昔のことは良く覚えていないし、そもそも恋って何?、と、乙女めいた疑問を抱いてしまうのだ。特定の異性に対する好きだという感情だけなら、ずっと幼い頃からある。それは恋なのか、そうでないのか。僕はそれも恋でいいんじゃないかと思うのだけれど、どうだろう。ならば、好きという感情の発展型ということなんだけれど、ちょっと違う気がしないでもない。まあ、好きの延長なのだとしてもどこからが恋で、どこまでが違うのか?

少々青臭い。だが、初恋云々を巡るには、予め恋の定義を解決しなければならない。

男女の生物学的な違いを知って、その上で性的な欲望を秘めつつも、それだけではなく、ただ愛おしく、共にいたいと渇望するような感情こそが本当の恋なのだと仮に定義するなら、幼少時のなんとなく好きになってしまうような感情は、全く無関係ではないにせよ、恋と呼ぶには拙いかもしれない。だが、性的な欲望とはどんな欲望だ?

普通に考えれば、性行為に至る欲求を指している。肉体的な欲望。性欲。

ある程度の年齢になれば、恋しく想う女性との性交渉を全く想像しない男はいないと思うのだけどどうだろう。プラトニックな愛情もあるけれど、それは恋とは別ものだ。恋という限りなにかしらの肉体的接触への期待が前提になっているような気がするのだ。たとえば、小さな頃、小学校の低学年やそれ以前、好きだと思っている異性と手を繋ぐだけでどぎまぎした経験はないだろうか。意識的には恥ずかしさばかりかもしれないが、鼓動が早くなり一種の興奮状態に陥っているのは間違いない。成人の性的興奮状態と比較したら、何百倍、何千倍にも希釈された、可愛いどころがそれ以前のどうでもいいようなドキドキかもしれない。だが、全くの無関係とは断言できまい。これは性的な欲望を秘めた感情の始まりではないのか。ならば僕らは、物心ついた時から、恋することを知っている。

もちろん肉体的な接触に対する願望だけでは恋じゃない。

愛情は、どんな場合も結局は同じだと考えている。性愛も、家族愛も、兄弟愛も、枠組みを変えただけだ。具体的な行動はまるで異なってはいても、そこに本能を感じる。特に群として生きるヒトには、生存には欠かせない本能だ。

恋から性的な欲望を引く。さらに愛情を引く。それでもまだ何かが残るはずだ。きっとヒトならではの何かだと、つまり理性的な要素だと予想するけれど、それがわからない。

だから僕は、自分の恋に確信が持てない、らしい。

© 2025 加藤那奈 ( 2025年1月27日公開

作品集『REFLECTION』第3話 (全6話)

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