メニュー

私を着る

REFLECTION(第3話)

加藤那奈

制服を着る/私を着る
制服を脱ぐ/私を脱ぐ
誰かが誰かに恋をしている。
(2025年)

タグ: #ファンタジー #散文 #純文学

小説

20,382文字

XIV

 

同じ服を着ている人に街で偶然出会ってしまったことはないだろうか。無地のTシャツやジーンズ、定番のシャツやボトムスならばまだましなのだが、見るからに特徴のあるデザインの服。たとえば同じプリントのTシャツや同じ柄のシャツ、どこかのデザイナーがデザインしたジャケットやワンピース。誰の目から見ても同じとわかる服。

昨今の既製服はロットが少なく、たとえ量産品でも全国に散らばれば同じ地域には数えるほどしか行き届かない。デザインに特徴のある製品ならなおさらだ。だから同じ服を着ている人に出会うことは滅多にない。だが、もし出会ったとしたらどうだろう。とても気まずい気持ちになるのだ。

衣服は、望まずとも己のパーソナリティの一部を引き受ける。

故に同じ服を着た誰かはあなたの不完全なドッペルゲンガーだ。等しくその誰かにとってもあなたは誰かの歪んだ複体である。

たまたま出会ってしまった相容れぬパーソナリティが、予めの約束もなく互いを映し合い不安定になる。事象と意識が噛み合わず、あなたはあなたを、誰かは誰かを見失いそうになる。だからたいていの場合、気まずさを反発力にして距離をとる。

ふたりの者が意図的に同じ服を着ることは、お互いのパーソナリティを重ね合わせることだ。どんなに顔貌や体型が異なっていてもそれぞれの個は抑制される。他者の目に、衣服の共通性は個々の差異を見えなくするほど強く働く。疑似的なドッペルゲンガーは同じ服が共鳴し合うように場を形成し、時には近寄りがたくなる。着ている当人達の間でもそれなりに強いメンタリティが求められ、互いを強く意識しているはずだ。

同じ服を着るというのは、個の存在やそのメンタリティに負荷がかかるものなのだ。

3人、4人と人の数が増えても基本は同じだ。複数人数のグループを形成することで、場はより強く生じる。ただしその分、個々にかかっていた緊張は分散され、それを補完し互いを簡便に繋げるような同族意識が形成される。多数の構成員の間で形成される同族意識は、次第に精神性を失って形骸化し、ルールと化してゆく。根拠はあったはずだ。だが根拠など時間の経過とともに軽んじられ、風化し、失われる。大切なのは集団をひとつにまとめる規則だ。集団には意味があり価値がある。その集団に属することは、その意味や価値を受け入れることだ。ひとりひとり価値観や思想などはどうでもいい。

同じ服を着ることはメンタリティに負荷がかかる。ふたり、3人の場合はそれぞれの意識の駆け引きだ。だが、数を増やし、ひとりひとりの関係を些細な誤差として扱いを軽くしながら意識の負荷を軽減し、ひとつのパッケージとしてグループの、集団の、あるいは群のお手軽な帰属をもたらすのが制服だ。

制服は権力や思想、宗教などへの帰属を背景に、衣服のポテンシャルを最大限引き出すように発明された。知性や言語によって関係をより複雑し、尚且つ個の主張し始めたヒトは、それでも群を形成しようとする。だから、制服がある。

© 2025 加藤那奈 ( 2025年1月27日公開

作品集『REFLECTION』第3話 (全6話)

読み終えたらレビューしてください

みんなの評価

0.0点(0件の評価)

ログインすると、星の数によって冷酷な評価を突きつけることができます。

  0
  0
  0
  0
  0
ログインするとレビュー感想をつけられるようになります。 ログインする

著者

この作者の他の作品

「私を着る」をリストに追加

リスト機能とは、気になる作品をまとめておける機能です。公開と非公開が選べますので、 あなたのアンソロジーとして共有したり、お気に入りのリストとしてこっそり楽しむこともできます。


リスト機能を利用するにはログインする必要があります。

"私を着る"へのコメント 0

コメントがありません。 寂しいので、ぜひコメントを残してください。

コメントを残してください

コメントをするにはユーザー登録をした上で ログインする必要があります。

作品に戻る