XII
僕は少女に恋をした。
腑に落ちないのだ。どうして僕が恋をする?
恋愛関係にあった女性は過去に何人かいる。この歳になれば、年相応にそれなりの経験がある。これまでの常として、知り合ってから少しずつ親しくなって交際に変化が生まれ、恋愛と呼ばれる関係に至る。僕にはそのプロセスが必要で、どんなに容姿が麗しくても、言葉も交さぬ相手に恋慕の情を持つことなど無い。振り返ってみれば、過去の恋愛でさえ、僕に恋愛感情があったのかどうかは不明だ。愛情はあったかもしれない。だが恋慕はどうだ? 愛おしさは感じていても恋しさはどうか? もっとも愛とか恋とか厳密に言葉で定義し区別できるようなものではない。故に自分自身で気づいていないのかも知れないが自覚はない。映画やドラマのようなロマンティックなシチュエーションや、どかしくもお互いの距離を測りつつ近づいてゆくような駆け引きや、思いばかりが募り心を焦がすような季節など、僕には全くの無縁だった。
だから、この苛立ちが恋愛感情に端を発しているのではと疑うまでにかなりの時間がかかってしまった。今更ながら情けない。我ながら不甲斐ない。
僕は若いと自称するには口憚るけれど、気分の上ではそれほど歳を感じていない。他人の目には実年齢よりも多少若く映っているんじゃないかと思っている。勝手な思い込みかもしれないが。だが、少女は無いだろう、と、自分で思うのだ。街を歩く思春期の少女達を見かけたところでそれはひとつの風景だ。彼女たちをなんとなく眺めてしまうことはある。むさ苦しいオヤジ達を視界に闊歩させるよりは気分がいい。だが、今の僕にとって少女という存在は、街を彩るその他大勢のエキストラ、あるいは舞台装置みたいなものだ。
だが、いつからか覚えていないが、ひとりの少女が視線を誘う。
僕が仕事場兼住居としている古いマンションの近くに受験予備校がある。だから、夕方から夜にかけて制服姿の少女を見かけることは少なくなかった。特に仕事が一段落し、遅めの食事にマンションを出る時や、外の仕事から夜戻る時、予備校が終わり駅に向かう少女達にはよく出くわした。
何かがきっかけとしてあったのだと思うが、覚えてはいない。それまで、ただの記号にしか見えていなかった少女の中のひとりが突然顔を持ったらしい。らしいというのは、その時点で僕はそれに気が付いていない。気が付いたのは2度目か3度目か、エキストラでも装置でもなく、少女の顔をひとりの人として認識した時だ。たぶん、同じように何度も僕の視界を横切った少女は彼女の他にもいるだろう。だが、彼女だけが顔を持っていた。そして、僕の眼差しは、その顔を探し始める。特に目を引く顔立ちではない。年相応に大人びて、尚且つ幼い、派手でも地味でもないありふれた十代の少女だった。
彼女を目にした時の僕の感情は名状し難く、その意味を解釈するのにずいぶん時間がかかってしまった。
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