破滅派十四号書評1 長崎朝「改元難民」/佐川恭一「童Q正伝」

諏訪靖彦

評論

3,264文字

 文フリ東京で破滅派の方とお話ししてみたいなと思いながら、「破滅派十四号ってやつ下さい。ピンバッチ頂けるなら十三号も合わせて下さい」としか言えなかった対人恐怖症の諏訪靖彦が書いた論評である。

 平成三十一年四月三十日に今上陛下が退位され平成が終わる。五月一日には皇太子殿下が元号を新たに新天皇に即位され今上陛下は上皇となられる。天皇が崩御を待たずに皇嗣に譲位するのは光格天皇を最後に実に二百年ぶりの出来事だ。本来終身制の天皇であるが、厄災や内紛、院政が敷かれた時代や武家政権との不和などにより頻繁に譲位が行われた。百二十五人の(継体天皇以前の実在性はおいといて)天皇の内、六十四人が譲位している。元号はさらに多い。大化に始まり現在の平成までに二百四十七もの元号が存在した。室町時代の後花園天皇は皇位に付いた三十六年の間に八回も元号を変えている。
 破滅派十四号を手に取り、紫紺地を埋める白字の元号に圧倒されつつ、大化から順に目で追って行く。在位天皇や時代背景を思い描くことが出来る元号もあるが、それは極わずかで、そのほとんどが、知っていても記憶の片隅に残るだけであったり、初めて見るのではないかと思えるものであった。当然最後は平成に辿り着くわけだが、そこでふと昭和から平成に移り変わった日、平成元年一月八日に自分が何をしていたのか気になった。
 中学二年の冬休み最後の日曜日、テレビは公共放送から民放各局まで前日に崩御された昭和天皇の軌跡を一日中報じていた。商店街のシャッターは閉められ、当時出来たばかりのコンビニエンスストアでさえ店を閉めた。国中が喪に服す中、私は部屋に閉じこもりオナニーをしていた。外に出ても行くところがなく、かといってテレビの前で喪服を着たアナウンサーと対峙する事も嫌で、部屋に閉じこもりオナニーをした。先輩から言い値で買わされたギターを弾くことが不敬であることは何となく感じ取っていた私の右手は、ピックへ向かうことはなく、デラべっぴん、もしくはスコラ、投稿写真塾を手に取り、何度もオナニーをした。当時中高生の間でまことしやかに噂されていた飯島愛の裏ビデオはまだ入手出来ていなかった。平成元年一月八日、時代が平成に移り変わった日、私は一日中オナニーしていた。オナニーしかすることが無かったのである。
 平成が終わる日、または新元号が始まる日、私は何をしているのだろうか。そんなことを考えながら破滅派十四号の目次に目を向けた。
 
 長崎朝「改元難民」
 
 広辞苑によると、難民とは戦争・天災などのため困難に陥った人、特に戦禍、政治的混乱や迫害を避けて故国や居住地外に出た人であり、亡命者と同義だが、比較的まとまった集団の事を言うらしい。誰でも入れる商業高校を、学校始まって以来の仮卒業という取って付けたような制度の下、卒業式の後一週間補習を受けて何とか卒業させてもらった高卒の私は、辞書の説明を読み砕くだけで相当な時間と労力を必要とする。要約すると、やむなく国を離れた個人、または集団と言うところだろうか。しかし、真意は難民という言葉そのものである気がしてならない。我々は言葉の響きから無意識を装い意識的に彼らを難しい民とレッテルを張っているのではないだろうか。
 
 主人公の男を乗せたバスが東京湾と思しき沿岸道路で事故に遭う。どこへ向かうバスだったのかは明示されない。男は自力でバスから出て歩き出すが、救急隊による助けを待たずに歩き出す男の行動原理も示されない。過剰ともいえる装飾で彩られた文章を読み進めると、すぐに理解が追いついた。
 男は道すがら出会った少年に連れられバラック街にある少年の家の納屋で一夜を明かす。そこは昭和と言う時代に取り残された改元難民居住地だった。依拠する人間は新しい元号を受け入ることが出来ず、平成の時代に於いてなお昭和を生き続けている。改元を受け入ることは過去を清算する事だと考え、昭和に未練を残す多くの人々が自発的に集まり、東京湾に浮かぶ人工島に改元難民キャンプを作りやがてバラック街となった。果たしてそれが前述した難民の定義に則しているのか判断が難しい所ではあるが、彼らが難しい民だと言うのは間違いない。
 昭和と平成を渡り歩いた人間にとって、改元難民の心理は理解出来なくもない。作中で言及されているように、昭和にやり残したことがあると思ったわけではないが、昭和天皇が崩御され、翌日から平成が始まると言われても当時中学生だった私にはピンとこなかった。昭和天皇に特別な思いれのある世代ではなかったからかもしれないが、大喪の礼が終わり、自粛されていた様々な事柄が昭和時代と寸分たがわす姿で動き出し、改元を意識することなく時は流れていった。図らずとも私は昭和を生き続けた改元難民だったのかもしれない。
 改元難民居住地で生活するうちに、事故に遭ったバスがどこへ向かっていたのか、男が何を求め歩き出したのか、男は何を望んでいたのか、居住地に暮らす昭和という時代に取り残された改元難民と触れ合う中でそれらが明らかになっていく。または想像することが出来る。男が改元難民居住地に足を踏み入れた時点で予想できた読者は多いと思うが、それを踏まえたうえでも十分に楽しめた。この小説をそこに落とし込んではいけない。
 
 佐川恭一「童Q正伝」
 
 私は高卒である。公立中学を下から二番目の成績で卒業し、答案用紙に名前を書けば入れるような商業高校に入学した。同レベルの奴らが集まっている学校だからと臨んだ最初の中間テストで、他を寄せ付けないぶっちぎりの成績で学年最下位だった。早熟で日本の教育制度の矛盾に気が付き達観していたわけではない。中学時代、友人に「星って小さく見えるけど、本当はこれくらい大きいんだよ」と両腕を一杯に広げ、宇宙物理学の知識をアピールしたほどのバカだった。恐らくすべての人間が母親に言われたであろう「あなたはやれば出来る子なんだから」の言葉を信じ、教科書と向き合った時期もあったが、二次方程式で挫折した。簡単な因数分解すら理解できなかった生来性のバカなのである。そんな私が逃げ込んだのがセックス・ドラッグ・ロックンロールの世界である。正確には体である。当時私は童貞ではなかったが、童貞であると自分を欺いて高校生活をおくった。中学生の時にヤリマンと噂されていた先輩に誘われセーブオンの駐車場で無理やり行われた行為をセックスだとは思いたくなかった。私は童貞のふりをして、誇らしげに童貞であることを語る童貞に近づき、童貞であることでしかアイデンティティを保てないような童貞を欺き、童貞達とロックバンドを組んだ。偽りの連帯感の感じながら、なかったことにしたセックスと、経験した事のないドラッグについて歌った。
 
 物語は大言壮語癖のある「童Q」を中心に展開する、セックスと学歴を巡る青春小説である。著者の作品には必ずと言っていいほど、学歴ヒエラルキーが登場する。「諏訪さんは理系? 文系?」と聞かれるたびに泣きながら「商科です」と答える私にとって、いちいち癇に障る記述満載である。小学校の頃に開成中学に進んだ友人のあだ名が「塾」だったことしか進学校について知らない私でも、作中に登場する進学校に付いた注釈よって、関西における進学校ヒエラルキーをおおよそ理解することが出来た。
 破滅派十四号のテーマである「改元」が作品にどのように絡んでくるのか読み進めていると、思いもよらない単語が目に飛び込んできた。大塚フロッピーである。エロに対して並々ならぬ探求心持っていた中高生であってもスカトロは遥か高次に位置するものであり、性器の愛撫や挿入しか頭になかった低学歴の私には到底理解の及ばぬ代物であった。発行部数が千に及ばぬエロ漫画雑誌にしか掲載されていなかった大塚フロッピーの名を、同人誌とはいえ「改元」をテーマにした文芸誌で目にするとは思っていなかった。著者が本当にスカトロ愛好者であるかは分からないが、京大卒ともなるとスカトロと対峙する事が出来るのだろうと納得するしかない。
 また著者はロリコンに対して距離を置く姿勢を見せることも忘れない。ロリコンを得体の知れないものとする姿勢が著者の本意か、はたまた保身なのか。私はそこに著者の人間味を感じ取った。

2018年11月29日公開

© 2018 諏訪靖彦

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