青い世界
私は、今は全く問題がないが小学六年で拒食症にかかった。友人の「痩せたら?」との何の気なしもない言葉がきっかけ。
今から考えれば、愚かだが、私は自分のクラスの人間に怒っていた。命をかけた、世界への反抗であり、父と母への反抗と寂しさから父と母を求めるあまり、私は自分を病にしてしまった。
覚えている、体重が減り、心臓が夜中になると痛み、走れた足は走れなくなり、階段をあがることすらつらくなり、一日一日死に近づいていく。体重が生存体重を切り、心臓が苦しくなった時最後の私の願いは
「神様、お母さんとお父さんが私を見つけた時、悲しくならないように苦しい顔で死なせないでください、私の友人たちを幸せにしてください」
だった。
実際、あと二三日病院に行くのが遅かったら、私は栄養失調の末心臓が止まって、今生きていることはないだろう。
私は、そこから十四年間後遺症に苦しむ。私の友にも打ち明けなく、私は、高校へ行き、大学へ行く。どこかで優しかったり、かけがえのない友に真実を言えない、嘘をついているような罪悪感、友に余計な負担をかけたくないとの思い、その反動での過激な言動。その私を守ってくれた友人、大学の先輩、学校の先生、教え子たち。すべての人の心が私を、荒んだ行動から救ってくれていた。
私は二十四歳で拒食症が全快する。それは、こんな私を当てにしてくれ、その当時非常勤講師だった私の立場をばかにもせず
「私たちには、いつだってちゃんとおしえてくれる」
「心になにかあったって、私たちのために一生懸命」
と一途にぶつかってくれた教え子たちだった。
必死になって、過去の自分を見るような子たちを励ましたり、叱り飛ばしたりしているうちに、私はその言葉通りの人間になり生きなおさなければならないと思った。生徒に死ぬなと、自殺を激怒して止めているのに自分が死を選ぶのは無責任。この子たちに恥ずかしい生き方はしたくない。
激しいほどに一本気であった私。その私に心を取り戻させ、子供や植物、動物、他者への愛を持たせてくれた。
私の病は、私を苦しめたが、十七で書き始めた小説を生み出す何かだ。人とかかわれなく、言葉を発して、それで相手の少しでも心が揺れると私は
「いやなことを言って傷つけたんじゃないか」と心が痛み、静かに笑うだけの子になり、感性の世界に生きるか、現実の世界とおりあってみるか悩んだ末の小説だった。三部作だったけれど、やはり現実は悲しくもあるけれど、世界は美しさと明るさに満ちているものだ、夜明けが来ない夜がないように私にも夜明けは来ると希望を持つ心持を与えた。
失ったものもあったかもしれないが、私は、回り道しながら歩き続けたのだと今では思っている。
父も母も私が望む対応でなくても、私に対して何もしてくれない親ではない。ときどき、今でもけんかはするが、私は、拒食症は親が悪いのではなく、私は生きるために行動を起こし、それがコントロールできない子供に過ぎなかったことが分かってきた。
二十年以上あれからたち、私は友や同僚、同じ信仰をもつ人々と生きている。
私が思ったより、世界は自ら死を選ぶには、あまりにもろくでもなく素晴らしいものであると思っている。
丘に朝顔が群生すれば、それはどこであっても美しく、人がいればそこには楽しくも明るいものもある。
生きる喜び、小さなものへの愛を蘇らせてくれた生徒たち、神のきょうだいたち、職場の上司や同僚、いつも感謝はできず時折いやだと思うこと、それでも、この人生を生き切るために、今日も前を向いて歩こうと思っている。
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