その日は朝から雪が降っていて、あたしはいつもと同じようにタクシーを降り、店へと向かっていた。
信号待ちをしているときに、目に留まったショーウィンドーに映ったあたし。
あたしは、自分でも気持ちが悪いくらいに痩せていた。
1日中、男の肉の塊を見て口にしているせいか、あたしは食事さえまともに出来なくなってしまったんだ。
少しでも口に運ぼうとしたり、食べ物の匂いを嗅ぐと吐き気がした。
痩せ細り、傷だらけの身体。
あたしは、泣いた。
信号が青になっても、前へと進まずに、泣いた。
通行人の誰もがあたしを指さして嘲笑っている、そんな気がしたんだ。
「見て。あの子、風俗で働いてるんだよ」
「汚い」
「身体売るなんて最低」
「あんなゴミ、死んじゃえばイイのに」
「売春婦」
現実なのかわからない。
幻のようにあたしの耳に響く罵倒の嵐。
あたし、どうしてこんなになっちゃったんだろう。
「キミはなにも考えていないんだね」
本当だね。
あのときピンサロで言ってた男の言葉、やっとあたし、わかったよ。
あたしは精神科へ通院するようになった。
「お前、このままだと死ぬぞ」
あたしは店長の言葉にとてつもない恐怖を感じて精神科を受診した。
問診票の当てはまる項目にチェックを入れていく。
「ざまあみろ」
「お前はいつか絶対に殺される」
「医者の言葉を信じるな」
「嘘吐き」
ああ、また声が聞こえる。
あたしは無機質な待合室で耳を塞ぎ震えていた。
「統合失調症」
医師がそう告げた瞬間に、頭の中で響いていた声がぷつんと止んだ。
大量に処方された極彩色の向精神薬。
あたしはその日のうちに一週間分を全部飲んだ。
あたしに命令を下した、誰かの声に従っただけ。
身体の力がふわふわ抜けていき宙を舞っているような感覚に酔った。
ワンマンでワンパターンで、速攻終わってしまうセックスなんかよりも、この先に死が待っている。
そんな感覚にゾクゾクした。
そのまま泥のように眠りについて、レンちゃんが泣いていたことだけは覚えている。
「ごめん。ごめん。もうつらい思いさせないから」
きっとお金を借りにあたしの部屋に来たんだろう。
この男を信じられない気持ち。
それだけがあたしの心を埋め尽くす。
また打ちのめされる。
きっと、確実に。
あたしの通っている精神科はまるでドラッグストアのように「あれが欲しい。これが欲しい」と言えば、希望通りに薬を処方してくれる。
所謂、薬ヤブと言われる精神科だった。
ネットでも取引されるほど人気があった精神刺激薬。
リタリン。
あたしは興味本位で医師にリタリンの話しを持ち出しガラスの瓶ごと貰っていた。
リタリンがあれば、あたしは無になれる。
食べなくても眠らなくても仕事が出来る。
まるで合法覚醒剤だ。
ネットで見かけたスニッフという吸引方法。
すり鉢でリタリンを擦って粉末状にしてストローで鼻から吸引する。
スニッフの方が素早く効果が現れるからだ。
リタリンをスニッフすると、凄まじい幻覚があたしの目に飛び込んで来る。
早朝のタクシーの運転手はキティちゃん。
店に何台も置いてあるパソコンはヘラヘラと笑いながらなにかを話し合っている。
あたしの部屋には、朝も昼も夜も、キラキラと流れ星が流れる。
道路のアスファルトはピンク色のお花畑。
あたしはその幻覚さえも、快楽だと思っていた。
出勤前にリタリンをスニッフして、ネイビーの制服を着たキティちゃんが運転するタクシーの中でも待機中でも向不安剤をお菓子みたいにバリバリと噛み砕く。
呂律さえ回らないままサービスをして、記憶にも残らない客の顔。
受け身のときは頭の中で必死に今日のギャラ計算。
こいつがイケば、ノルマ達成。
カルティエのアクセサリーが買える。
あたしは薬物依存と同時に買い物にも依存するようになっていた。
仕事帰りや生理休暇に、ハイブランドの路面店に行き、何十万も洋服やアクセサリーやバッグを手当たり次第、値札も見ず試着もせずに買いあさる。
「カワイイ」
あたしの思考はその4文字だけで動き、諭吉の束はレジへと吸い込まれていく。
両手いっぱいに紙袋を手にして、店員に満面の笑みで見送られる。
周りにいる女たちから羨ましそうな視線を浴びる。
最高に優越感を感じた。
風俗でサービスが終わり、ニヤニヤ帰って行く客もそんな気持ちなんだろうか。
あたしのピンク色で統一された部屋に放り投げられる紙袋。
ルイヴィトン、エルメス、グッチ、シャネル、カルティエ。
手にしてしまったら、そこで終わる。
まるで射精をして果てた後の男のようだ。
あたしはナンバーワンから圏外へと落ちた。
当たり前だね。
いくら精液を出したくても高い金を払ってまで、傷だらけでイカレた女に咥えられたくはないだろう。
あたしは、店を飛んだ。
ナンバーワンを保持出来なかったことが、たまらなく悔しかった。
その足で、風俗街の中で一番の高級店に飛び込んだ。
有名店でナンバーワンだったこと、まだ自称18歳ということ、どんなに痩せ細り傷だらけのあたしでもそれは救いになった。
入店した店はソープランド並みの濃いサービスをするヘルス。
赤い間接照明が照らすプレイルームには、革張りのベッドとソープやマットヘルスで使われるエアーマット、個室シャワーではなく広いバスタブがある。
サービスも、洗わずに性器を咥える即尺と、マットでのローションプレイが、通常のヘルスのサービス内容に加えられている。
衣装はキャバ嬢のような露出の多いロングドレス。
あたしはどうしてもナンバーワンの座が欲しかった。
欲しくて欲しくて、必死で働いた。
既に借金を返すためではなかった。
ナンバーワンという地位、称号が欲しかったんだ。
妬まれるほどに羨ましがられる視線と言葉。
相変わらず、あたしはリタリンを止めることが出来ない。
あたしの目に出現する幻覚は加速していった。
そして、常に幻聴が聞こえるようになった。
「死ね、クズ」
「ねえ、なんで生きてんの?」
「お前には生きる価値なんてないんだよ」
「早く死ねよ」
真っ暗な部屋に帰り、流れ星が瞬く中。
「わかってるよ。死ねばイイんでしょ」
「あたし、どうせクズだもん」
「死んであげるよ」
鳴り止まない幻聴と対話するあたし。
とうとうどん底まで墜ちたんだ。
気が狂いそうになった。
あたしはバカバカしくて仕方なかった。
奇声にも似た大声でケラケラとひとりで笑い続ける。
そして、いくら稼いでも買い物依存は猛スピードを出してあたしの思考能力を壊していく。
もっともっと、モノが欲しい。
もっともっと、満たされたい。
あたしは店でのアリバイ会社に登録をして、クレジットカードを作った。
まるで自分の貯金のような錯覚を起こしていた。
レンちゃんもこんな気持ちだったのかな。
いくら満たされようと足掻いても、心は空っぽのまま、罪悪感と戦うだけ。
静かに、気付くことも、気付かれることもなく、自分を自分で殺していく。
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