戀を始める爲には

幾島溫

小説

2,882文字

寝言の中で語られる。むにゃむにゃJAPAN代表選手のコメント。何時だって俺は誠実で居たいんだ。

草原の中を走つてゐる上野を見てゐたら、カヒミカリイの「若草の頃」といふ曲を思ひ出した。
——風を切つて私たちは走る……。
だけど俺たちは二人とも男だ。それなら「風を切つて僕たちは走る」? 否、走つてゐるのは上野だけだ。
「おーい!」
上野は振り返つて俺に手を振る。彼の周りのコスモスが風で搖れた。
「あつちいかうぜー!」
「この先展望臺→」の看板を差して上野が言ふ。
「う〜ん」
俺は腕組みで考へる。展望臺へ行くのに、果たしてその道で正しいのだらうか?
そりや看板が出てゐるくらゐだ。閒違つては無いだらうけど、でも「この先展望臺」の札を信じて行くのは大半が初めて展望臺へ行く人閒だらう。
だからこの看板を立てた者に惡意があれば、僞りの展望臺へ案內することも出來る。何なら崖へ案內して、命の危機へ晒すことも可能だ。
俺が考へ過ぎなのかもしれないけれど。でも……。
「俺はあつちから行くよ」
「お歸りはこちら、ありがたうございました」の看板を俺は差す。
「あー、さう? でも遠囘りじゃね?」
「いや、でも俺はこつちから行きたいし」
「そっか」
上野とはしばしのお別れ。俺は逆ルートから展望臺を目指す。
俺に言はせりゃ上野は無防備過ぎるし、もう少し物事を考へるべきぢやないかと思つてゐる。けれど上野は持ち前のラッキーさからか、勘の良さからか、あまり深く考へなくてもやつていける人閒のやうだ。
「お歸りはこちらから」のルートも鋪裝されてゐたけれど、路面の煉瓦は所々缺けてゐて、ここの歷史と經濟狀況を思はせる。道端には時々、立て看板があつてそこには展望臺のスペックや歷史、ここを作つた地元の名士や、訪れた著名人の略歷などが書いてあつた。
俺は展望臺のことに少し詳しくなる。
眞つ白にそびえ立つ展望臺の前に辿り付くと、上野はとつくに着てゐたらしく「遲いぞー」と膨れ面を見せた。
「お前いつもさうだよなー。遠囘りして、結局面倒くさい方を選ぶぢやん?」
「さうだけど。でも、あつちの方が確實に此處に着けると思つたんだよ。だつて「この先展望臺」なんて看板、素直に信じられるか?」
「考へ過ぎだろ」
「さうだけどね」
「……お前がそんなんだから、待ちくたびれたんだよ」
さう言ふと、上野は俺に輕く唇を重ねた。
さうだつた、俺たちは付き合つてゐた。上野は氣恥づかしさうに笑ふと、俺の手を握つて「行かうぜ」と行つて展望臺へ入る。
むにゃむにゃ。
目が覺めると俺はカウンターに俯せで寢てゐた。
「起きた?」
グラスを片手にお團子ヘアーの女性が聞いた。いつもの上野だ。
「寢てた」
「知つてる」
邊りは酒を飮む人たちの喧噪に包まれてゐて、俺は今、上野と居酒屋に來てゐたことを思ひ出す。
「俺、どの位寢てた?」
「10分くらゐ」
「そっか」
上野はグラスに口付けて、酒を飮んでゐる。ボトルで取つた美少年は殘り半分を切つてゐた。さういへば夢の中の上野は美少年だつたよなあと思ひ出す。
「どうした?」
上野が俺の視線に氣附く。
「變な夢見た」
「どんな?」「上野が男になつてる夢」「マジ? あたしどんな感じだつた?」「うーん、そこそこ美少年」「うっそ」「それで男らしかつた」「へぇー」「攻めだつたよ」「攻め?」「ボーイズラブつていふの?」「えっ、さういふ設定?」「うん。で、俺と付き合つてた」「マジで〜うけるー!」「でさ、男になつた上野が俺にキスすんの」
そこまで話すと上野はゲラゲラ笑つた。俺は枝豆を口にする。
彼女とはかれこれ5、6年の付き合ひで、俺たちは週一で飮みに行く閒柄だ。呼吸の仕方が似てゐるのか、上野の俺の扱ひ方が上手いからなのか、とにかくこいつといるとラクで樂しい。
「てか、幾島さー、人と飮みに來て寢落ちして、BLの夢見てるとかマジひどいわ」上野が膨れ面を見せる。
「ごめん。お前だと氣ぃ遣はなくて濟むからさ」「つい寢落ち?」「うん」「鬼畜の所業だな!」「違ふ、俺は下衆の極みぢやない。上野が癒やし系つて事だよ」俺はわざと熱つぽい視線で上野を見詰めた。けど二秒で飽きてグラスの中の美少年を飮む。
嘘ではないんだ。
實際上野は俺にとつて癒やし系だ。大槪のことは笑ひ飛ばしてくれるし、他の人には分かりにくいポイントでもすぐに一緖に爆笑出來る。アルコールが入ればその傾向は顯著で、俺たちは何度大爆笑に包まれたことか。ネタはひとつも覺えてないけど。
上野みたいな子と付き合へたら幸せなんだらうなーと時々思ふ。だけど「上野と付き合へたら」とは一度も思つた事が無い。
理由は分かつてゐる。
上野からは女の子特有のいい匂ひがしない。無臭だ! だからこそ俺は落ち着いてゐられる。
女の子ってこう、柔らかくて、ふんはり微笑むんだけどその中に祕められた可憐な想ひ感!つていふの? ……いや、俺が夢見がちなのかもしれないけれど。でも男としてはさういふのを求めちやふぢやん?
上野にはさういふのがないんだよなー。
俺はまじまじと隣に座る彼女を見る。黑いシャツにちよつとわけのわからないイラストの柄……そしてスキニーパンツ。オシャレなのは分かるんだけど。
「さっきから何?」
「べっつにー」
俺が上野に戀をしないのは、上野が女の子らしくないからだ。上野にないものを上野に求めても仕樣が無い。だけどもし上野が男だつたら、上野に無い物をねだることもないんぢやないんだらうか?
「あのさー、もし上野が本當に男で、それで俺がゲイだつたら、俺たち付き合つてたと思ふ?」「はぁ?」「だつて俺たち仲良いぢやん」「さういふこと言ふとー照ーれーるー」上野が俺の胃袋にパンチ。「醉つた勢ひだから」「ていふか何その話、意味わかんない」「そっか?」「だつてあたし、男ぢやないし」「まぁさうだけど」「それに幾島ってゲイなの?」「違ふ」「豫定は?」「ない。だつて俺、巨乳が好きだもん」「ほら〜だから無意味だつて、その話」「さうかな?」「さうだよー」
はいはい、と言ひながら上野は俺のグラスに美少年を注いだ。
「でもさー、幾島って放尿プレイが好きなんでしょ?」「うん」「あたしさういふの無理だからなー、だからあたしと幾島は絕對に無いよ!」上野はまたげらげら笑つた。「身體の相性が惡いと、無理でしょ。付き合つても續かなくない?」「さうかなあ。でも俺、別に放尿見るのはAVだけでいいし」「で?」「だから、もし上野が男で、俺がゲイだつたら、俺たちって超いいカップルになれてたのかなーって」「だからさういふこと考へるの無駄つて言つてんぢやん。幾島、ゲイなの?」「違ふ」「でしょ? 譯分かんないよ、その質問」「うーん、さうかなあ……さうかもしれないけどさー……」
俺は美少年をぺろぺろ舐めながら、醉ひが回つていくのを感じる。
上野の言ふとほり、考へてもしょーもないこと、とは分かつてゐるのだけど。
「幾島、本當はまだ寢てるんでしょ?」「ん? あぁ……うーん」「寢言は寢て言ふんだよ、いい?」「ん〜……わかつた」
俺はもう一度カウンターにうつ伏せた。
「それぢや始發で起こして……」
むにゃむにゃ。
ーーマジで寢るの?
上野の聲が遠ざかって、美少年が身體の中を驅け巡る……。

 

 

2024年10月25日公開 (初出 2014/10/21 個人ブログ(現存せず))

© 2024 幾島溫

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