日本語入力の方法が分からず、タイトルがローマ字になった。そこまではよかったが、結局、これでまた、言葉から遠ざかってしまった、という気がする。当たり前だけれど、それは、日本語を入力出来なかったから遠ざかったのではなくて、もしそうならば、今ここで日本語を書けている私は、その”遠ざかり”を既に乗り越えたことになって、一層爽快の晴れ晴れとするような、”書き”を味わっているはずだし、でもそうじゃないから、違う。そうじゃなくて、私は、日本語を入力出来ることを知ったから、やっぱり遠ざかった。何もかも書きあらわすことが出来る、と思っているのは私だけではないし、世界は言葉だ、書かれたものだ、という実感はみんなも持っている。それでも、どこかで、全てを書きあらわすことが出来ないかも知れない、と思いながら生きることは重要で、世界に対して謙虚だし、私はそういうぎこちなさが好きだ。
その入力ボックスに、”犬”と書きたくて、でももうその犬は居ない。それで、ちょうどいいや、と思った。”犬”とその語源の”去ぬ”という単語とで言葉遊びが出来るし、実際犬は2014年の3月中頃に群馬の実家の冷たい(私がその時期に、雪の草津へ温泉旅行、だったから、冷たいという印象だけが残っているというような気がするし、多分本当に冷たかった)玄関で死んだ。正確には、目を閉じ、ものを食わず、呼吸をやめたのだが、私はそれをもっと簡潔に”死んだ”(”亡くなった”だったか)と伝え聞いた。インターネットを通じたメッセージだった。
犬が死ぬ前に一度だけ、彼に会うことの出来る、大事なチャンスがあった。私は、寒くて寒くて、震えて死んでしまいそうな犬を見るとすごく悲しくて涙が出たし、絶対に絶対に助けたくなって、温い水を入れたワインのペットボトルを(人間で言うところの)脇腹にスッと差し込んであげた。彼の体重はもう10キロくらい落ちていて、大便の後にはいつも「いくらか体温が下がった」と感じる私は「犬と人間の体重の差を考えても、10キロのウンコをしたとすれば、それはやっぱり寒かろうな」とぼんやり考えていたので、それで、なぜ父さんと母さんが電気毛布を敷いてあげていたのか、については合点がいった。みんなもやっぱり、温い水のワインのペットボトルをやさしく差し込んであげていて、熱心に看病していた。
私は犬の生涯の内、12年間を一緒に過ごしたから、犬は絵画のようなものだ、と言える。絵画とは美術館に飾ってある額入りの絵画で、ようするに、我々はそれを見るけれど触れない、それを語ることは出来るけれど、生きることは出来ないので、ヤッパリキッパリ、犬は絵画だ。語るというのは例えば名前を付ける、解釈する、引用する、といったようなことで、言葉を必要とするから、一生懸命に勉強した。言語の習得にはやはり、継続なのだ。特に犬の鳴き声は難しかった。だからその鳴き声の度に、私は時計を確認して、「今は朝だ(お腹グウ)」「今は昼だ(お腹グウ)」「今は夜だ(お腹グウ)」とつぶやいた。それでカリカリをあげたりしたのだ。雷の時は、これは簡単なことで、わたしも雷が怖かったし、犬も当然「怖い!」と言った。だんだんと分かるようになってきて、そしたら、犬も人語が分かる風なそぶりで、そっぽをむいたりするから、みんな幸せだった。「しゃべりだしたら止まらなくて、みんな、沢山おしゃべりしたよね」(私は泣いていた)
絵を見て思ったのは、絵は結局分からない、ということだ。その日見た絵は特にそうで、「分かった!」と言った奴から馬鹿を曝して家に帰る、帰る、帰る。耐えられ無くて私も「分かった!」と言ったけれど、その時は、実は本気だったのだ。それで、犬のことが馬鹿に思えたときもある。本当は「分からない」と言って抱きしめてあげればよかったのだろうけれど、でも私たちの間にはいつも、汚い、赤い(カインズホームの)ワンちゃん縄があって、ヘッドライトで照らされて(犬はまだ歩く気だな)それもまだ焼けるアスファルトで、犬は必ず反対方向に引っ張る。死んだときに懐かしく、もう”去ぬ”のだ、と思ったのは、このドッシリという重さの不在で、寂しさは少し軽かった。汚れた、赤い(カインズホームの)ワンちゃん縄に泥がついて、私は新品の靴を履くと裏に犬の糞がついてないか、と10歩に1回靴の裏を確認するような潔癖性(絶対に汚くないものまで、絶対に汚く見えてしまう)気味の子供だったから、泥は当然ウンコで、それを触るまいと”真っ赤”なところだけを握ってドッシリと感じた。「どんな縄でも持ってこいよ」と、一緒に、ダックスフントの、”シャー”って伸びたり、縮んだりする、ふざけたリードを馬鹿にしたよね。子供の頃は少し憧れていたから、わたしは当然、あのふざけたリードのこと、カインズで触って、使い方も知っていたけれど、犬は頑なだった。おもちゃだった。リードはいつも赤、首輪も5つに4つは赤(5つに1つは青)で、犬は赤が好きだった。それと、よく食べたから、食パンも好きだった。ラッシーみたいに良い子で、パトラッシュみたいに、一緒に死ぬのだ、と思っていたけれど、結局ラッシーはラッシー、ラッシー以外の犬はみんな馬鹿だ。それに、父さんも母さんも姉も、やっぱり、犬とはパトラッシュみたいに一緒に死ぬんだ、と思っていたから、そうならなくて、実はホッとしている。ルーベンスの絵は、私はどこかで見た、大きくて、邪魔だったし、最後にはみんな薪、よく燃えて温かかった、だから、その絵が私の町にあったならば、パトラッシュ葬もあり得たけれど、家族みんな一斉に死ぬならば、喪主はどうするんだよ。
とにかく、私は出来事を記憶することが出来ない。どこからが始まりで、どこがその出来事の終わりだったのか、言い表すことが出来ない。だから結局、あの時のあの場所、は全部、生まれた時の話で、今の私の話だ。それで、犬が死んだ時、犬との記憶を思い出すのと一緒に、芋づる式のネズミ講アムウェイで、この21年間のいろんな出来事に色とマークが割り振られてはの七並べが勝手に始まったものだから驚いた。それは最愛の犬が死んだからだった。震えも止まって、肩が凝るだろうに、ずっと右枕で、もう何も言わないのだ。「しゃべりだしたら止まらなくて、みんな、沢山おしゃべりしたよね」(私は泣いていた)
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